年の最後にこんなことを書きたくはないが
ツイッターでとんでもないことが書かれているという連絡が来て、目を疑った。
marumaru1122とかいう人のツイート。
安藤さんのツイッターに向かって、
「予想家の水上学さんが、ジェンティルドンナの有馬勝利はJRAの意向をくんだ八百長だったと言うような趣旨でブログに書いていましたが、中央競馬の大レースで八百長とか本当に可能なのでしょうか?」
と書いているのだ。
私が一体どこに先日の有馬を八百長だと書いたと言うのか?
私の書いたことに対し悪意をもって解釈するのは勝手だが、こういうツイートをして嘘を捏造し、拡散する人間は絶対に認めない。もし何か私の仕事上でこの書き込みを理由とした弊害が起きれば、然るべき措置をこの人に対して取らせてもらう可能性もある。
私は、スローすぎて有馬記念としての価値が低いということと、敢闘精神の薄い騎手たちに対しての苦言は意図して書いたが、レース自体を八百長と書いてないことは見れば分かるだろう。
ジェンティルドンナのファンが怒り心頭に発した可能性も少しはあるし、そう言う人が私の記事を見て切れてしまう気持ちも分からないではないが、だからといってやっていいことと悪いことがある。ツイッターの弊害がモロに出ている。こんなウソを広められてはたまったもんではない。
それ以前にそもそも、「レースの時計的価値が低いと指摘すること」が「ジェンティルドンナを蔑むこととイコールになる」という発想自体が理解できない。私が無印にして外れたことは予想者として責められて然るべきだと思うが、それとこれとは話の次元が違う。。
今回の有馬記念がジェンティルドンナにとっておあつらえ向きの展開になって、それが最大の勝因になったことと、今年に入ってからの能力が衰えてきていたことも(数字上からは)事実。競馬というものはいろいろなファクターがあって、そのうちのいくつかが向けば、不利な状況の馬にだって勝利が転がり込んでくるものであり、ジェンティルドンナにはそれを引き寄せる運と、持ち前の器用さがあったということだ。レースの価値が低いとは書いたが、ジェンティルドンナに価値がないとは書いてない。これを同じだと判断する人にはもう何もいうことはない。
スローペースのレースだって山ほどあるが、GⅠの最高峰クラスのグランプリで、これだけのメンバーが揃ったレースで、スリリングな「斬り合い」を見たかった、痺れるレースを見たかったというのは当たり前の話で、誰が何と言おうと今年の有馬記念にはその種の感動はなかった。ただ名牝が復活(というか今年のこれまで通りの走りをした)し、花道を飾ったということ以外に、見るべきところは何もない。
これを八百長という意味で書いていると解釈している人間は、失礼ながら読解力に問題があると言わざるを得ない。
これを機会にエゴサーチしてみたが、予想TVでの私の発言「フェイムゲームを出した方がいい」への非難も多かった。これについては、その時点では恥ずかしながら私はジェンティルドンナでは勝負にならないと思っていたわけで、ならば同じクラブの馬で、けっこう多くの人が穴馬候補として注目していたフェイムゲームを出した方が面白いということを言っただけで(1か月以上も前からずっとフェイムゲームに出てほしいという記事はいろいろなところで書いてきた)、別にジェンティルドンナ自体を否定するものではない。同じクラブの馬だからジェンティルを引き合いに出しただけだ。もちろんジェンティルの会員さんたちが見たら、カチンと来る気持ちは分かるけれど。
また、marumaru2112氏には、ツイッターの持つ意味と恐ろしさについて、慎重に考え直してほしい。そして自分がそれを扱うにふさわしい人間かどうかも、再考していただきたいものだ。
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