日本の現代史を特徴づけた「高度成長」。通説では1954年年末に始まり、19年後の1973年に終焉したとされる。この時期の平均的な経済成長率は年平均10%超であり、日本経済を世界第二位の経済大国に押し上げた。戦後70年を振り返ったときに、同時に注目したいのは、高度成長から60年が経過したことである。今日、高度成長の時代を再考することは重要だ。私見では以下のふたつがその理由になる。

 (1)高度成長期の代表的な政権は、池田勇人内閣(1960年7月-1964年10月)だが、この政権のブレーンだったエコノミストの下村治と安倍晋三首相の経済思想の近さ。(2)90年代から続いた「失われた20年」からの脱出に、高度成長期の経験―特に池田政権の経済政策の方向性―が役立つためである。
 まず(1)から見ておこう。高度成長の19年間で首相は、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、池田、佐藤栄作、田中角栄と6人が替わった。この中で経済政策を中心に推した政権は、池田と田中の二人だった。この二人の掲げた経済政策は何かと対照的だが、それについては後で述べる。

第2次池田内閣成立を受けて記者会見する池田勇人首相(左端)。この年末に国民所得倍増計画が閣議決定された。隣は大平正芳官房長官=昭和35年12月8日
 池田の経済政策は、所得倍増計画として知られている。所得倍増計画は、日本経済の旺盛な生産力の発展、それに見合った有効需要を創出することが計画の中心だった。具体的には、(1-1)日銀の金融緩和政策スタンス、(1-2)インフラ整備を中心にした財政政策、(1-3)貿易の自由化・「石炭から石油へ」のエネルギー政策の転換・太平洋ベルト地帯構築のための規制緩和などによって実現を目指すものだった。この三つの要素が、今日のアベノミクスの「三本の矢」、すなわち大胆な金融緩和、機動的な財政政策、成長戦略と相似しているのは明瞭だろう。

 このような特質をもった池田内閣の経済政策をブレーンとして支えたのが、下村治だった。彼の経済思想を簡単にいうと、経済成長が人間のもっている可能性を発揮できるようになる前提条件だというものだった。また経済成長は緩やかな消費者物価の上昇を伴い、それは人間の価値自体が上昇することでもある、という独自の物価観にも裏付けられていた。

 このような下村の経済成長論を安倍首相は共有している。2013年4月19日に行った「成長戦略スピーチ」の中で、下村の成長政策を「普遍的な価値」を持っているものとし、自らの成長戦略も同じく働く人たちの潜在的な能力を十分に開花させる政策である、ことを述べている(同スピーチの意義については、若田部昌澄早稲田大学教授の御教示による)。

 またアベノミクスはデフレ脱却をして緩やかなインフレ(2%の物価水準)を目標にしている。このとき雇用は最大化されているだろうから、その意味では下村と同じようにインフレは人間の価値を向上させる、と安倍首相は確信していることになろう。

 (2)の高度成長の経験、特に池田政権の経済政策がいまどのように役立つであろうか。すでに指摘したように、アベノミクスの三本の矢と池田政権の経済政策の3つの要素は各々照応している。ところで高度成長期に、この池田版「三本の矢」がなぜ必要だったのだろうか? ひとつはデフレ圧力に抗するため、もうひとつは経済格差の解消のためだ。

 当時の日本経済は旺盛な生産力がある一方で、有効需要が不足していた状況を指す。売れない財やサービスが潜在的に多いことが、日本経済にデフレ圧力となっていた。これを解消するには、国民の所得を増加するように財政政策と金融政策を拡大することが必要だった。このことは今日の日本のデフレからの脱却が必要である理由とまったく同じだ。

 経済格差の解消にも経済成長が必要条件であることが、高度成長の経験からもわかる。高度成長期の日本経済は「二重構造」にあった。例えば、農村には膨大な「余剰」労働力が存在していた。経済成長を実現することで、農村から多くの若者たちが都市に移動し、そこで職を得て、家庭を持ち、年々増える所得によって潤沢な消費社会を構築していった。また経済成長によって、衰退化していた生産部門から成長産業への労働者の移動もわりとスムーズに行われた。この経済格差の解消に経済成長が必要である、という高度成長の経験は重要である。

 日本には現在、2400万人程度の「貧困層」が存在する。欧米では富裕層への富の集中が経済格差の根本原因だが、日本では経済格差とは貧困問題のことである。そして日本の貧困問題の原因は、景気の悪化(現実の経済成長率が低いこと)にある。経済が低迷することで、失業やまた非正規雇用が激増した。この流れを断ち切るためには、安定した経済成長が必要である。

 高度成長の終焉の経験も、また今日的な意義をもつ。田中角栄は池田の経済政策の真逆を行った。田中の主張した日本列島改造論は、お金の動きを都市から地方に、そして若者から老人に移動させることで、社会の固定化につながり、成長率の鈍化を招いた(参照:増田悦佐『高度経済成長は復活できる』文春新書)。

 もちろん経済成長が問題解決のすべてではない。しかしより高い経済成長が実現できれば、人々の可能性を発揮できる機会はより豊かだ。高度成長が始まって60年の節目にその教訓は得ておきたい。