【ネット時評 : 楠 正憲(マイクロソフト)】
児童ポルノ「ブロッキング」の悩ましいリスク~インターネットのトリレンマ(1)

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 今月6日、英国からWikipediaの更新が難しくなった(現在は回復)。ことの発端は1976年発売のスコーピオンズのアルバム「Virgin Killer」のジャケット画像が児童ポルノとみなされ、インターネット・サービス・プロバイダー(ISP)がwebサイトへの接続を制限(ブロッキング)したことだった。(本稿は「NIKKEI NET IT PLUS」に掲載したものです)
 

■広がるブロッキング

 Virgin Killerのジャケット画像は、児童ポルノとの通報を受けた非営利団体Internet Watch Foundation (IWF) が、英Protection of Children Act 1978で禁止された児童ポルノに当たる可能性があるとして、運営する児童性的虐待URLサービスに登録した。ISPはこの登録を受けてブロッキングの対象に追加した。

 英国ISPの実施しているブロッキングは、対象となるWebサイトへのアクセスを透過プロキシサーバーに転送し、URL単位で接続を制御する。Wikipediaへのアクセスが全てプロキシサーバー経由となったため、サーバーを共有するISPの別の利用者がWikipediaに書き込みをしようとした際に接続が制限されたのだ。

 英国では2004年からBTを皮切りに、ISPによる児童ポルノの閲覧を遮断するブロッキングが始まった。法律で義務化されてはいないが、Virgin Media、Be/O2/Telefonica、EasyNet/UK Online、 PlusNet、Demon、Opalなど加入者数ベースで約95%のISPがブロッキングを実施している。それでも不徹底だからISPに対してブロッキングを義務化すべきとの議論もある。

 イタリアやフィンランド、オーストラリアなどではブロッキングが義務化され、他の欧州諸国でもSafer Internet Programmeなどを通じて民間の自主的取り組みが進んでいる。また、中近東や中国・韓国を含む多くのアジア諸国では、政府に対する批判を制限するなどの目的でブロッキングが幅広く実施されている。

 英国ではこれまで悪質な小規模サイトを中心にブロッキングが行われていたが、初めてWikipediaのような大規模サイトが対象となったことで、ブロッキングが行われていることが広く知られるところとなった。BBC(英国放送協会)でも大きく報道され、運営主体のWikipedia Foundationはこの措置に対して「中古レコードとしてVirgin Killerを扱っているAmazonなどの商用サイトはブロッキングされておらず、非営利のWikipediaが狙い打ちされたのではないか」と強く反発した(Wikipedia FoundationのQA)。

 これを受けて、児童性的虐待URLサービスに登録したIWFは現地時間の9日、画像の文脈や、レコードがすでに幅広く流通していることに鑑みて、登録からWikipediaを外すことを決議し、ISPによるブロッキングは解除された(Internet Watch FoundationのWikipediaに関する声明) 。

 ブロッキングの対象となったジャケット画像は、公序良俗に反するという理由で多くの店頭からは撤去され、新品CDのジャケットは差し替えられたが、中古のCDは一般に流通している。各国で法律上の児童ポルノの定義が異なるため、Wikipediaのサーバーが置かれている米国では合法だったジャケット画像が、英国では違法の可能性があると判断されたのがブロッキングの対象となった原因だ。

 この問題を長く追っているブロガーの崎山伸夫氏によると、日本の児童ポルノ禁止法に照らした場合、当該画像は違法となる可能性があるという(事件を解説する崎山伸夫氏のブログ)。


■日本でも議論始まる

 実は日本でもブロッキングについて関連省庁で議論が進んでいる。

 自民党が衆議院に提出している児童ポルノ禁止法改正案の附則で検討を進めるべきと盛り込まれたためだ。パブリックコメントの募集ページ(http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=145207418 12月17日締め切り)に付されている総務省の「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会 最終取りまとめ (案) 」では、2008年度中に必要な調査を進めながら、2009年中に実証実験等への着手など次のステップに進めるよう関係者間で協力すべきとの方向が示された。並行して警察庁の情報セキュリティ対策会議でも議論されている。

 筆者は児童ポルノ禁止法改正案の附則に「インターネットによる閲覧の制限」に関する技術の開発の促進を盛り込むことを決めた与党PT(プロジェクトチーム)の会合や、総務省・警察庁の会議で、ブロッキングの技術や運用の現状について説明した。

 国がブロッキングをISPに対して義務づけることは、憲法の定めた表現の自由や通信の秘密、検閲の禁止に抵触する疑義がある。ISPが自主的にブロッキングを提供することも、現行の電気通信事業法上、本来は制限されるべきではない情報までブロッキングが及ぶ可能性を排除できない場合は「利用の公平」に、パケットの内容をみて接続制御を行う場合は「通信の秘密」に抵触する可能性がある。

 これらの点について、総務省の報告書案では「児童ポルノの単純所持が違法化される法改正の動向によっては、整理できる可能性もある」とされている。


■管理するのは国か、民間か

 仮に日本でもブロッキングが行われるようになった場合、誰がブロッキング対象のリストを管理するのか、いかに対象を児童ポルノに限定するかが議論となろう。

 米国ではNCMEC、英国ではIWFといった非営利団体が、イタリアやフィンランドでは警察、オーストラリアでは通信を所管する独立行政機関がリストを管理している。国がリストを管理することに対しては警戒感がある一方で、スタンフォード大学ロー・スクールのローレンス・レッシグ教授は著書『CODE VERSION 2.0』で、「民間の活動だけに頼ったら、政府が賢明かつ効率よくふるまった場合より多くの言論がブロックされてしまう」(p.356)と指摘する。

 民間の協議会などがリストを管理する場合であっても、ブロッキングが政策的に推進され、法律に基づいて運用される以上は、表現の自由を守るために十分な透明性と説明責任が担保されるべきだ。ブロッキングの対象は児童の人権を明らかに侵害している画像に限定し、表現規制に使われるべきではない。

 Wikipediaの事案についてIWFは他意がないと主張しているが、リスト管理団体に寄付していない非営利サイトが狙い撃ちされることがあってもならない。また、ブロッキングの導入はISPに重い設備投資負担を課すが、この費用を誰が負担するかも考える必要がある。

 日本はかつて無謀な戦争に突入していった過程で言論を弾圧した歴史に対する反省から、他国と比べて非常に厳しい検閲の禁止や通信の秘密を定めた憲法、電気通信事業法を持っている。その結果、世界で最も自由なインターネット環境を担保している。

 いうまでもなく児童ポルノによる子供の人権侵害を防ぐことは重要だ。しかしブロッキングが言論弾圧に使われているアジア・中東諸国や、運用の公平性や透明性が課題となっている欧州をみる限り、ブロッキングの導入に際しては慎重に議論を進める必要があるのではないか。

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 コラムタイトルの「トリレンマ(trilemma)」は「どれも好ましくない3つのものから1つだけを選ばなければならないこと。三者択一の窮地」(講談社・日本語大辞典)という意味。インターネットの普及に伴い表出するジレンマに収まらない複雑な問題について楠正憲氏が月に1回解説します。
 
 

<筆者紹介>楠 正憲(くすのき まさのり) マイクロソフト 法務・政策企画統括本部 技術標準部 部長 
1977年、熊本県生まれ。ECサイト構築や携帯ネットベンチャー等を経て、2002年マイクロソフト入社。Windows Server製品部Product Manager、政策企画本部技術戦略部長、技術統括室CTO補佐などを経て2009年より現職。


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