「潤くん、散歩しましょう」
夕飯を食べ終えて、カズに散歩に誘われた。
サンダルを履いて、後ろを付いて行く。
カズが足を止めて、俺が隣に来るのを待っている。
俺は少し早歩きをして、カズの隣に立つと
カズは、口元を上げて俺の手を握った。
「・・どこ行くの?」
「海行く?」
「ん」
日が沈み、夜の海は誰も居なかった。
砂浜を黙ったまま歩いて、サンダルのまま足だけ海に浸かった。
「けっこう冷たいね」
夏だというのに、やはり夜の海は少し冷たい。
指の間に入った砂が、波で攫われてくすぐったい。
「潤くんて、さ。俺のどんなところを好きになってくれたんですか?」
「え?なに、急に」
「たまには、潤くんから甘い言葉聞きたいなぁ・・なんて」
俺は、海の風でまとまりがつかない髪の毛を
耳に掛けた。
「俺さ、11歳くらいからあの仕事してて、
けっこう色々と、辛かったんだよね」
死ぬほど辛かったけど
暗い話にならないように、言葉を軽いものに変える。
初恋も青春すらも、なかった。
「だから、カズが俺のために泣いてくれたり
悩んでくれたりするのが・・・なんか、すごく・・」
島崎が、俺に笑いながら言った。
「二宮が俺に土下座して頼んできた」と。
心が、ギュッと締め付けられた後に
鼓動が速くなったのを感じて
あぁ、初恋ってこんな感じか。そう思った。
気持ち悪いキスもセックスも、仕事以外で絶対にしたくないと思っていたのに
カズの薄い唇に、早く触れたくて仕方なかったのを
お前は、知らないよね。
「もし、大野さんが俺と同じ立場でも
潤くんのために、泣いたと思うよ」
なぜか、智の名前が出て来た。
カズは下を俯いたまま、唇を尖らせる。
俺の言葉だけでは、気持ちが伝わってないのかと不安になる。
「俺なんて、大野さんに比べたら、良いとこないし」
ははっと、カズは自虐的に笑う。
「カズ・・・」
お前の好きなところは、たくさんあるよ。
それを全部言おうとするより先に、カズが口を開く。
「潤くん。あのさ、そろそろこの町を出ようか」
「えっ」
「今日さ、翔さんのパソコン借りて調べたんだけど
自動車製造の工場で働けば、飯付きの寮に住めるって載ってたから
そこで、働こうと思って」
「・・・」
俺が黙っているのを、カズはなにか勘違いしたのか焦った声で
「最初は、辛いと思うけどさ、潤くんも一緒に働かない?そしたら・・」
「カズ」
「え?」
俺の暗い声に、カズは俺の両手を握って正面から見つめる。
「歌手になる夢、どうするんだよ」
尋ねると、カズは口を閉じた。
「ギターケースに入ってた名刺・・なに?」
「あれは、偶然名刺渡されて・・事務所に来て歌聞かせてくれって言われたけど」
「行ったの?」
カズは頭を横に振る。
「なんで、行かないのっ」
強い口調で、彼を責めてしまう。
「だって・・事務所東京だし・・今、行ったらあいつらに見つかるから」
「見つかっても、シラ切ればいいじゃん!
俺に無理やり頼まれて、仕方なく逃がしたって・・」
「俺は、潤くんと一緒にいたいから」
「カズ、もったいないよ!せっかくのチャンスなのに」
「潤くん!」
俺が興奮して声を上げると、カズは落ち着かせるように
俺の手を強く握り、名前を呼んだ。
「夢見るのやめたんだよ。歌手になんてなれないって!俺なんかが。
それより現実見て潤くんと、どう生きていくか考えようよ」
「カズは才能あるよ!」
「潤くんに言ってもらえるのは、嬉しいけどさ・・。
俺に、そんな特別なもんなんて・・」
カズの手を、振り解く。
「カズは、特別だ!俺なんかのために、諦めんなよ」
声が擦れる。
「“俺なんか”って・・・俺の中で、潤くんが全てなんだよ」
カズは、傷ついたように眉を下げた。
「・・・俺、一人で工場で働く。カズは東京に戻って」
海から出て、一人先を歩く。
後ろから、波に消されそうな声で
「そんなこと言わないでよ・・・」
カズの声を、聞こえないふりをして家に戻った。
「ケンカ?」
縁側で、うつ伏せになって寝ていると
上から翔さんの声がした。
「・・・」
無言のまま起き上がって、胡坐をかくと
翔さんはアイスを俺に一本手渡して、自分のアイスの封を開けた。
「翔さんの部屋で、寝ていいですか?」
「やっぱケンカしたんだ。潤、一人で帰って来たもんな」
「・・・俺に、東京に帰れって言うんです」
「なんで」
「ここに来る前に、スカウトみたいな感じで声掛けられたんですけど
それ受けないで、潤くんと逃げて来たから」
「受ければいいじゃん」
「・・・そしたら、潤くんと一生会えなくなる気がする」
袋の中でアイスが柔らかくなっていく。
俺は封を開けて、ソーダ味のアイスを口に入れた。
「そんなチャンスが巡ってくるなんて、やっぱすごいんだな。カズ」
翔さんから、自然に下の名前で呼ばれて少し驚いた。
「でも、自分のために諦めたってなると、カズはいいかもしれないけど
潤は一生後悔するんじゃねーの?」
「・・わかってますけど」
ボトッと、木の床にアイスが崩れて落ちた。
「わかってるけど、潤くんと離れるのが、恐い・・・。
他の奴に取られちゃうんじゃないかって・・・」
震える俺の肩を、翔さんが優しく叩く。
一緒に逃げることが、幸せなんだと思ってたのに
潤くんが、そのせいで一生後悔するなら
俺は、どうすればいいの?
俺は、潤くんを幸せにしたいだけなのに。
それって、思ったより複雑で難しいことだったなんて
今頃気づいた。
「佐野さん、これなに?」
昨日、カズは部屋に戻ってこなかった。
朝ごはんの席で、合い向かいに座ったけど
気まずそうな顔をするだけで、目線を合わせてくれない。
朝ごはんを食べ終わると、翔くんは部屋で勉強するといい
相葉くんは、楽しそうに海に向かった。
カズと智は、2人で翔くんの車を借りてどこかへ行ってしまった。
残された俺は、
庭に咲き誇る花を、指差して佐野さんに尋ねると
佐野さんは、楽しそうに老眼鏡を掛けて、その花を見た。
「それはね、チョコレートコスモス」
「だから茶色いの?」
その花は小さく咲き誇り、赤青白黄色といったカラフルな花に混じって
一つだけ花びらが茶色で、目立っていた。
「近くで、匂い嗅いでみな」
言われた通りに、その花の匂いを嗅ぐと
「チョコの匂いがする!」
「食べちゃだめだよ。潤ちゃん」
「食べないよ!あ、でも蜜ある花は舐めたことある」
「レンゲツツジかな?赤かったでしょう」
「そう。ガキの頃、たくさん採ってた」
「ツツジは、春の花だからね。うちの周りにもたくさん咲いてるよ」
春・・・。
その頃には、俺はどこにいるのかな。
「あのぉ、すみません」
敷地の外から、リュックを背負い帽子を被った男性が
地図を持って、俺達に声を掛けて来た。
「あ、はいはい。観覧かな?」
「えっと、トンネルのアートを見に行きたいのですが・・」
「あー・・トンネルかぁ。ちょっと歩きますよ?」
佐野さんが地図を見ながら、男性に説明するが
目立つ目印がないこの町に、言葉で説明するのは難しい。
「佐野さん、俺案内してくるよ」
「あ、そう?じゃぁ、潤ちゃんにお願いしようかな」
「うん」
「すみません、お願いします」
俺が歩き出すと、男性も後ろを付いてきた。
「暑いですね」
「そうですね」
「どこから来たんですか」
「東京から」
「へぇ、遠いですね」
「車で、8時間以上ですからね」
「新幹線だと、どれくらいなんですか?」
「2時間くらいで来れますよ」
「へぇ・・」
当たり障りのない会話を続けていると
トンネルが見えてくる。
「あ。あそこです」
指差すと、トンネルの中から人影が見えた。
夏休み中だし、観光客だろう。
「じゃぁ、僕はここで」
そう言ってお辞儀をして、帰ろうとしたら
男性に腕を掴まれた。
「8時間も掛けて、来たんですよぉ?ここまで」
男性は被っていた帽子を、うっとおしそうに外して
うすら笑いを浮かべた。
「じゅーん」
聞き覚えのある大きい声が、後ろから聞こえる。
腕を掴まれたまま振り返ると
トンネルの中から、島崎が暑そうなスーツを着て出て来た。
後ろには、見覚えのある部下が2人。
俺は、大きく息を吸った後
掴まれている腕を振り払い、走り出した。
「あっ。そういうことすると、二宮いじめちゃうぞー」
その言葉に、足を止める。
「良い子、良い子」
島崎が俺の頭を撫でる。
気持ち悪い。
「な、んで・・」
ここが、わかったんだろう。
心臓が激しく動く音が、頭に響く。
「いや、お前らが仕事ほっぽり出して、逃げた直後から
ここにいんだろ〜な〜って、予想はしてたよ」
「え?」
「潤の部屋見たら、一目瞭然だろぉ?
壁に飾ってる写真に、ここの町のアートが載ってたし。
本に折り目まで付けてたじゃねーか」
「じゃぁ・・」
「勘違いしたガキが、どんなことすんのか見たかったんだよ。
お前ら、逃げてる気あんの?一つの場所に、何日もいちゃ駄目だろ」
島崎は、ニヤニヤしながら俺の顔を覗く。
「ちょっとした夏休み?ってやつ。
迎えに来てあげたよ。潤」
「・・嫌だ」
「もう十分楽しかったろ?
戻って借金返済、頑張ろうな?ん?」
頭を横に振る。
「戻りたくない・・だって、借金だって俺がしたものじゃない」
「あと10年くらい働けば自由だって。頑張れよ」
「嫌だ・・嫌だ」
島崎の細くて長い腕が、俺の肩に回される。
「ガキの二宮と一緒に逃げても、なーんも良い事ないぞ?
戻って、高級マンションに住んで、いいもん食わしてもらったほうが
いいじゃねーか。
まぁ、おっさんに抱かれるのも慣れただろ?」
「・・・」
「このままじゃ、お前どうするんだよ?」
「・・・ッ」
「二宮の足、引っ張っちゃぁ、だめだぞ?」
「・・・う」
「んん?」
「帰る・・・」
「良い子、良い子」
「佐野さん、潤くん知りませんか?」
夕方、家に戻ると
潤くんの姿はなかった。
仕事を終えて、帰ろうとする佐野さんに尋ねると
「お昼くらいに、お客さんをトンネルに案内したきり
戻ってないねぇ。どっかで遊んでるのかもしれない」
「そう・・ですか。お疲れ様です」
佐野さんは、俺に軽く手を振って自分の家へ戻って行った。
「俺、潤くん探して来ますね」
大野さんに、そう告げて
家を出て少し歩くと
「カズ」
足を止めて、後ろを振り返る。
「潤くんッ」
潤くんの隣には、島崎が立っていた。
2人の後ろには、黒いベンツ。
「二宮、久しぶり。潤の面倒見てくれて、ありがとうな」
島崎は、潤くんの肩を抱きながら俺に礼を言う。
「潤くん・・」
早くこっちに逃げて来て。
そう目で訴えても、潤くんはその場から動こうとしない。
「カズ・・ありがとう」
「潤くん?」
嘘でしょ?俺は、頭の中が真っ白になって、乾いた笑いが口から出てしまう。
「今までで一番、楽しい夏だった」
「潤くんッ」
「いや〜、夏休み中だから新幹線のチケットのキャンセル待ち取れて良かったわ。
俺と潤は、新幹線で帰るからさ。
お前は、のんびりここで、過ごせよ。な?」
島崎が、潤くんの背中を軽く叩くと
潤くんは俺と目を合わせないまま、車の後部座席に座った。
バタン・・・
後部座席のドアが閉まると
中に乗っていた島崎の部下の男たちが、車から出てくる。
運転席にいた男に、島崎はなにか告げると
車がエンジンを掛けて、走り出した。
潤くんを追いかけようと、駆けだすと
男達に、止められ
近くにあった林に、身体を引き摺られた。
「二宮ぁ、俺はお前のこと、気に入ってたんだぞ?」
男達に抑えられた俺の顔を、島崎がジロジロ眺める。
「あんたがッ、潤くんにひどいことするから!」
「鬼畜な客は、金払いがいいんだよ。借金を早く返そうと
協力してやったんじゃねーかよ」
「潤くんを、返せよ!!」
「じゃぁ、金用意してこいよ。ん?
潤の残りの返済額は、約千二百万だったんだけどー
逃げてた間の売上と、逃げ出したペナルティと、お前の分のペナルティも
潤が身体で払うって言ってたから、今ん所、千四百万円だけどな」
払える?と、楽しそうに呟く島崎を今すぐ殺してやりたい。
「お前をいじめないって、潤と約束したけど
お前反省してないみたいだし」
いいよ、と島崎が合図を送ると、両端にいた男達に
腹を思い切り蹴りを入れられた。
「う・・ッ!!」
「じゃぁ、俺は新幹線の時間があっから、帰るわ。
金用意出来たら、事務所においでよ」
島崎の声が、遠くに聞こえる。
殴られている間、潤くんの声が俺の頭の中を駆け巡った。
「カズ、ありがとう。
今までで、一番楽しい夏だった」
夏だけじゃなくて、ずっと一緒に居て欲しいのに。
Beautiful World
NO.10