ニノが持ってきてくれた小説は、難しくてページが進まない。
右手も動かないから、左手で本を持つことにも疲れて
俺は、本を閉じてベッドの上に寝転がった。
a Day in Our Life
― 僕の10年は、幸せだった? ―
「松本」
「あっ、翔くん」
白衣を着た翔くんが、病室に入ってくる。
俺は、嬉しくてベッドから起き上がった。
翔くんの隣には、同じく白衣を着た男性が立っていた。
「彼は、大野智先生。精神科の先生だよ」
「どうも、よろしくね。潤くん」
そう言われて、右手を差しだされるけど
俺は右手が動かない。
「あっ、こっちか」
その人も、その事にやっと気付いたのが
のんびりとした口調で、左手を差しだした。
改めて左手で握手をする。
「精神科・・・?」
俺が不安な顔で、翔くんに尋ねると
その精神科の先生が
「記憶障害の患者さんには、カウンセラーが、一人付くことになってんの。
まぁ、そんな深く考えずに、話し相手みたいな感じ」
「さと・・大野先生は、俺と大学一緒でさ。
業界じゃ、有名なカウンセラーの先生なんだよ」
「へぇ〜」
「じゃぁ、俺は仕事戻るから。あ、大野先生」
「ん?」
翔くんが、大野先生を連れて一度病室を出たと思ったら
大野先生は、すぐに俺の所に戻って来た。
「じゃぁ、潤くん。お話でもすっか」
そう言って、大野先生はパイプイスに腰かけた。
小さい頃から、初対面の人と2人きりになることが苦手だが
この人は、なんか柔らかい空気が漂っていて
緊張は、しなかった。
「調子は、どう?」
「右手が動かせなくて、不便・・です」
「ふは、敬語やめよ。話しづらいでしょ?」
俺は、素直に頷いて口を開く。
「・・あと、色々不思議。10年分の記憶が消えちゃって」
「どんなことが不思議?」
「俺の覚えてる翔くんは、茶髪で耳にピアスが開いてたのに
今は、黒髪でピアス穴もなくなってて、白衣着てる」
「翔くん、派手だったんだ。大学んときは、もう髪黒かったよ」
「へぇ、そうなんだ。あと、ニノが・・・
あ、ニノっていう友達がいるんだけど
そいつが、優しい」
「前は、優しくなかったの?」
「俺のイメージのニノは、いつも冷めた目してて
俺が騒ぐと、煩わしそうに眉間にシワ寄せてた感じ」
「怖いね」
「いや、冷たいことも言うけど本当は、いい奴ってわかってたし」
「そっか」
「なんか、10年で色々あったのかな。
こんな難しい本読んでる自分もいるし」
苦笑いして、小説をパラパラ捲ると
「俺、28歳なんでしょ?仕事も、ちゃんとしてるみたいだしね〜。
幸せなのかな?」
「早く思い出したい?」
「まぁ、そりゃね。
でも、相変わらず翔くん達とつるんで遊んでるんだろうけど」
「怪我して、こんなに心配してくれる友達いんなら
いい10年だと思うよ」
大野先生の柔らかい笑顔で、そう言われると
不安なはずだった自分の無くした記憶に、少し自信がつく。
「なにが、キッカケになるかわかんないから。
焦らずに、いこう」
「うん」
「智くん」
病院の中にあるカウンセラー室で、患者が来るのを待っていると
翔くんが、現れた。
「松本、どうだった?」
「ん?色々話したよ〜。病院食がまずいって、不満そうだった」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
苦笑いする翔くん。
「早く、思い出したいみたい。
背中の傷が良くなったら、退院させて
暮らしていた家に、戻してみて様子を見ようかな」
「えっ・・でも、それは」
「駄目?」
「・・・」
翔くんの視線は、斜め下を向いて動かない。
「翔くん。さっきさ、オイラに言った言葉覚えてる?」
「え?」
さっき、潤くんと話す前。
翔くんに手招きされて、廊下で言われた一言。
「無理に思い出させなくて、いいからね」
「なんで?」
「あいつ真面目だから、急かしたらプレッシャーだと思うから」
「オイラも何人もそういう患者見てるから、平気だよ」
「うん、そうだよね。ごめん。よろしく」
そう言って、いつもの笑顔で俺の肩を叩いた翔くん。
「翔くんは、潤くんをこのままにして置きたいのは、なんかあんの?」
翔くんの右肩が、少し上がる。
「俺は、ただ・・無理やり思い出させるのは、嫌なんだよ」
右の口端だけが、釣り上がる。
「それは、潤くんのためじゃなく、翔くんのためでしょ?」
「・・・ッ」
息を浅く鼻で吸った翔くんに、俺は
「でも、潤くんは思い出したいみたいだから。
オイラは、そっちに協力するよ」
「・・・」
翔くんの呼びだし用の携帯が、鳴った。
「ごめん・・またあとで」
そう言って、翔くんは部屋から出て行った。
彼の走る音が聞こえる。
「翔くんにも、オイラが必要かな・・・」
ふぅ・・と息を吐いて椅子の背もたれに
体重を掛けた。
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