「最近の中では、一番いい出来だ」

 

 

 

 

 

第12話

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも眉間に深い皺を作る当主の表情が、一瞬穏やかになった。

俺は、めったに見れないその表情に

緩みそうになる口を引き締めて、頭を下げる。

「ありがとうございます」

「だが、これに満足せずに練習を怠らないことだ」

「はいっ」

 

 

 

 

 

 

 

「なんか嬉しそうだね。潤くん」

「ん?」

俺の腰に巻かれた帯を、素早くしなやかに

結んでいるカズの旋毛を、見下ろす。

「良い事ありました?」

「さっき、久々に当主に褒めてもらった」

「へぇ、よかったね。翔くんでも、あまり褒められたことないって言ってたけど」

「俺も、めったにないよ。だから、嬉しい」

俺が喜びを我慢出来ずに、笑っていると

カズも目を細めて口元を上げる。

「はい。出来ましたよ」

「ありがと」

カズにお礼を言って、生徒さんが集まる部屋に向かう。

 

 

今日は、月曜。

30人程の年齢もバラバラな女性が、色鮮やかな着物を着て

お茶を習いに来る。

人数の半分は、昔から習いに来ている人達で

一連の流れを見て、俺が指導し

残りの初心者の人達は、隣の部屋で

当主のお弟子さん2人が、基本の動作を教えている。

 

「吉川さん。動きがとても、綺麗になりましたね」

 

一人の生徒さんを見て、俺が一言言うと

その人は、恥ずかしそうに謙遜しながらも

とても嬉しそうに笑う。

今まで、他人の表情の変化なんて気にしなかったな。

自分が、どう見られてるのか気になった途端。

他人を見ることが出来るように、なってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最近、潤さん。変わってきたわよね」

「私たちとも、話してくれるし。雰囲気が柔らかくなったのよ」

「それだと、今よりもっと生徒さん増えそうねぇ」

潤くんの着付けが終わり、帰ろうと玄関に向かう途中。

台所から、お手伝いのおばちゃん達の話し声が聞こえた。

俺は、足音を立てないように通り過ぎる。

 

 

 

 

 

「へぇ、実家の翔くんの部屋より狭いね」

「まぁね。でも、別に狭くても困らないからさ」

翔くんの一人暮らしをするアパートに、初めて足を運ぶ。

つい先日。

段ボールで埋まっていた部屋が、片付いたと聞き

差し入れを持って訪れた。

翔くんの実家から、車で15分も掛からない。

一人暮らしをする必要がない程の距離だ。

 

 

 

 

「カズは、最近なにやってんの?」

「俺は、櫻井家の皆さんの着付けと

 自分ちでやってる着付け教室、たまに手伝ったり。

 今度、ファッションショーの着付け頼まれてる」

「忙しいじゃん」

「翔くんは?ノーベル賞取れそうなの?」

「気が早いって。何年も先になりそう」

「ふふ」

「潤・・は?」

翔くんが、フローリングの上に胡坐をかいて座った。

俺も相向かいに座る。

いつも畳みの上に座るから、フローリングは固くて痛い。

「頑張ってますよ。

 なんか、変わってきて益々評判いいよ。おばちゃん達に」

「何が変わってきたの?」

「昔の真っ白で、まっすぐな潤くんが戻って来た」

 

 

 

 

翔くんのアパートの外から、道路工事の音が聞こえる。

騒がしくて、落ち着かない。

こんなところで、眠れるの?翔くん。

 

 

 

 

「カズは、嫌なの?潤が変わることが」

「翔くんは、嫌じゃないの?」

質問を返した。

「俺?」

「潤くんの一番が、翔くんじゃなくなっちゃうんだよ?いいの?」

 

 

 

 

 

翔くんが、好きだと言わずに

潤くんを抱いていたのも

俺らが潤くんと寝ても、落ち着いていたのも

 

 

 

 

 

 

結局、潤くんが一番好きなのは

自分だっていう自信が、あるからなんでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

「自分から、潤くんを付き離したように見えて

 実は、潤くんが翔くんから卒業するのを見たくなかったから

 家を出たんじゃないの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

翔くんに、初めて睨まれた。

 

 

 

でも、恐くはなかった。

 

 

 

だって図星を突かれて、悔しそうな顔だったから。

 

 

 

 

 

俺の今までの気持ちが、少しでも分かりましたか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「翔くん?来てたんだ」

風呂から上がり、自分の部屋に戻ろうとしたら

翔くんの部屋の明かりが付いてることに気づき

彼の部屋を訪れる。

「あぁ、なんかアパートの近くで工事やっててさぁ。

 眠れないから、終わるまでこっちに来るよ」

「引っ越し、終わったばっかなのにね」

大変だね、そう言って笑うと

翔くんも口元を上げる。

 

 

「襖、閉めて」

 

 

翔くんに言われて、開けっ放しにしていた襖を閉める。

入口に立ったままの俺に

「なんか、最近変わったんだって?潤」

「え?俺が?」

「うん。カズが言ってた」

「あ〜・・・変わったかどうかは、分からないけど

 自分から人に話しかけるように、意識するようになった・・かな」

「へぇ、良い事じゃん」

「俺も、この家の跡継ぎになるし・・。

 翔く・・兄さんにも、認めてもらわないといけないから」

 

 

さっきも、いつも通りに

「翔くん」と呼んでしまった事に気付く。

今ここに、翔くんのお母さんがいたら

すごく叱られていただろうな。

 

 

「だから、いいって。そんな呼び方しなくても」

「でも、今から直さないと

 俺、絶対お母さんの前で自然に「翔くん」って言っちゃうから」

「俺が、いいって言ってんじゃん」

 

 

機嫌が悪いのだろうか。

翔くんが低い声を出して、髪の毛を手でグシャグシャにしながら

ベッドに座る。

 

 

「・・・翔くん」

 

 

言い直すと、翔くんは立ち上がって

俺の目の前に立つ。

 

 

「なぁ」

 

 

翔くんの手が、俺の頬に置かれてドキッとする。

 

 

 

 

「俺のこと、好きって言って」

 

 

 

 

「え・・」

 

 

 

 

 

 

「好きって、言えよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翔くんの眉間に寄せた皺が深くなる。

だけど、その表情は怒りというより

なにか別のものだ。

 

 

 

 

 

 

 

「潤・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

切なげな声で、名前を呼ばれる。

翔くんのこの声が、大好きだ。

抱かれている時、限界が近付くと

翔くんは、切ない声で俺の名前を呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雅紀の笑顔が、頭に何回も浮かぶのに

俺は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「す・・き」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺も、お前が好き」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに、翔くんの腕の中にいる自分に

現実味を感じないまま、朝を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きだとって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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