「潤」
「・・・あ、はいっ」
「考え事か?」
第7話
お弟子さん達が帰った夕方。
食事を済ませると、家の中にある茶室で
当主と2人きりでの稽古が始まる。
俺が点てた茶を一口飲むと
当主は、苦い顔をして呟いた。
「なぜですか」
図星だった。
誤魔化す質問なんて、しなければ良かった。
この人には、嘘をついても時間の無駄なのに。
「こんな茶では、客人に出せない」
「・・・はい」
「中途半端な茶を点てるようなら、今日は終わりにしよう」
「すみません!もう一度、お願いします」
当主は、首を横に振って茶室から出て行った。
翔くんのお父さん・・・今は俺の父親でもあるが
あの人は、昔から厳しかった。
小さい頃。
稽古を付けてもらう度に
怒られて、よく泣いていた。
その度に、翔くんが慰めてくれたんだ。
「・・・」
シン、とする茶室にいることが息苦しくて
後片付けをした後、自分の部屋へ戻った。
机の上に置かれた携帯を開く。
着信は、入っていなかった。
今日の夜、相葉くんが電話するなんて言うから
いつ携帯が鳴るか気になって
稽古に集中出来なかったのだろうか。
いや、俺の集中力のなさが悪い。
手の中で、携帯が震える。
画面に「相葉雅紀」と表示された。
「はい」
『こんばんは・・わかる?相葉です』
「分かるに決まってるじゃん」
自分で、俺の携帯に名前を入力したじゃん。
『よかった〜。今、何してたの?』
「稽古・・・お茶の」
『へぇー!毎日やるの?』
「そう」
『すごい美味しかったもんね!潤さんのお茶』
電話の向こうの声が大きくて、少し携帯を耳から離す。
「さっき叱られたけど」
『えっ、ほんとに?』
「中途半端って言われた。まぁ、そうなんだけど」
茶道のことを何も知らない人間に、愚痴を言っても仕方がないのに。
『俺も、いっつも親父に叱られるよ〜』
「・・・ほんと?」
『でも、その度に「頑張ろう!」って思うんだよね』
「うん。わかる・・。俺も」
『でしょ!?親父が言ってたんだけどね
愛情があるから叱るんだって。大切にされてるんだよ。俺達』
「・・・うん」
『うん』
電話の向こうで、相葉くんが
照れくさそうに笑っているのが伝わった。
『明日も電話していい?』
「うん」
『ふふ、おやすみ』
「おやすみ・・・」
電話を切って、さっきより呼吸がしやすくなっている事に気付く。
俺は、茶室に戻り
最初から、茶を点てることにした。
『潤さんて、休みの日とかあるの?』
次の日、夜9時を過ぎた頃。
相葉くんから、また電話が掛かって来た。
「ある。火曜と日曜は、生徒さんが来ないから。
けど、お茶会があるとき日曜は、休みじゃなくなる」
『俺の店もね、火曜が定休日なんだけど・・・』
「うん?」
『デート・・する?』
「デートって、どんな?」
飯行くのも、デートっていうの?
『ん〜、映画とか見たいのある?』
「ない」
『あっ!じゃぁ、あそこ行こう!』
「どこ・・?」
『来週の火曜日、朝9時に迎えに行くから
用意しといて!あっ、動きやすい恰好ね!』
「だから、どこ行くの?」
『それ言ったら、楽しくないじゃん!』
場所知らないと、不安でしかないんだけど・・・
でも、電話の向こうの相葉くんは
遠足の前日の小学生のように
声を弾ませて「その日、天気予報晴れだよね?」なんて
聞くから、俺も釣られて
晴れたらいいな、と思ってしまう。
火曜。
動きやすい恰好って、なんだよ?
洋服棚を、すべて開けて
持っている服を広げる。
畳みの上には、洋服が散らばって足の踏み場がなくなった。
シャツ・・?
いや、動きやすくは・・ないな。
机の上で震えだした携帯を開くと
相葉くんから「着いたよ」とメールが入っていた。
仕方なく、目の前にあった黒のポロシャツと
細身のジーンズを履いて、家を出る。
「晴れたね〜!よかったぁ」
相葉くんの車の助手席に乗ると
車内は明るい音楽が響き、相葉くんはニコニコと笑っている。
「てか、どこ行くの?」
「ん?ん〜・・・あっ!潤さんの浴衣以外の服
新鮮だねっ!」
運転中なのに、俺の服を横目で見る相葉くんに
適当な服を選んで来たんだから、そんなに見ないで欲しいと
心の中で思った。
相葉くんもTシャツに七分丈のズボンを履いた
動きやすい恰好で
俺の服は、場違いではなさそうで安心した。
「動物園?」
到着し、車を降りると
動物の絵が描かれた看板が、俺達を迎えた。
「そ!やっぱデートって言ったら、動物園でしょ!」
「俺、動物園来たことないかも」
「えっ!うっそ!
小さい頃とかは?」
「5歳からお茶の稽古してたから
そういうとこ連れてって、もらったことない」
小さい頃の写真なんて、家の庭で撮ったものばかりだった。
「水族館は?」
「行った事ない」
「遊園地は?」
「ない」
考えてみたら、俺の人生って
決められてる上に、すごい退屈?
「え〜じゃぁ、これから楽しみいっぱいだねっ!」
相葉くんの言葉に、感心する。
彼は人を、馬鹿にしたりせず生きて来たんだなと。
「動物・・なにいるの?」
「いっぱいいるよ〜。
俺が説明してあげるね」
相葉くんは、早く早く、と言わんばかりに
足早に動物園に入って行った。
「うわっ、あれなに」
潤さんが、檻の中にいる動物を
興味津々に見つめる。
「あれは、カピバラ」
「なにそれ」
「ねずみの大きい版。可愛いね〜」
「でけぇ」
平日とあって、動物園は人が少なかった。
カピバラコーナーだって、俺達の貸し切り状態だ。
「手・・繋ぐ?」
勇気を出して聞くと
「・・・いい」
断られて、若干落ち込む。
「ううん。ごめんね」
落ち込んだのを悟られないように、笑いながら謝ると
潤さんが、じっと俺を見た後
「あっち行きたい」
そう言って、一人で歩いて行ってしまう。
「どこ?」
カピバラコーナーのすぐそばにあった
「爬虫類の館」という名前の小屋に入って行った。
小屋の中は、ひんやりとしていて
夏の動物園では、居心地がいい温度だったが
夜行性の爬虫類がいるのか、赤いライトが足元を照らすだけで
真っ暗だった。
「潤さん、いる?」
名前を呼ぶと
俺の左手に、温かい手の感触がした。
「暗いね」
潤さんの細い指が俺の指の間に、するりと入ってきた。
心臓が、ドクドクドクドク動き出して
涼しいはずなのに、額から汗が出てくる。
こんな感覚、久しぶりだ。
中学の時、好きだった女の子と
手を繋いだときのようだ。
潤さんの手は、思い出の初恋の相手より
柔らかく、気持ちのいい手をしていると思った。
「手・・いいの?繋ぐの」
さっき断られたばかりなので、戸惑う。
「別に嫌だったわけじゃないよ」
「そうなの?あ、恥ずかしかった?」
はははっと、笑うと
潤さんは何も答えなかった。
無視ではなく、どう返せばいいのか分からなくて
困っているという感じが、握った手から伝わって来た。
それが、俺の胸に音が鳴るほど
突き刺さって、もっと彼を知りたくなる。
初めて会った時。
綺麗な人だと思った。
周りの人に、特別な目で見られていて
俺とは住む世界が違うと思っていたけど
今、手を握っている彼は
俺より年下の可愛い恋人で。
余裕のない反応が、嬉しく感じる。
あぁ・・・やばい。
彼を知る度に、もっと好きになる。
爬虫類の館を出ると、自然に手を離されてしまった。
やはり明るくて人目のある所は、恥ずかしいのだろうか。
「ライオン見たい」
「いいね。ホワイトタイガーもいるよ」
「マジ?楽しみ」
広い園内を、見て回ると
潤さんの口数が減って来たことに気付く。
「疲れた?なんか飲もっか」
芝生の広場に出て、木の下に出来た木陰に座る。
売店で飲み物を買って、潤さんの元へ戻ると
顔を青ざめて、ぐったりと木に凭れて座っていた。
「大丈夫?具合悪い?」
顔を覗き込むと
「ちょっと・・貧血・・・情けねぇ」
確かに、この肌の白さは
血が足りないのだろうと思う。
関係ないのかもしれないけど、それほど
彼の肌の白さは、儚い感じがした。
冷たい飲み物を、潤さんの頬に当てると
「・・・気持ちいい」
ふぅ・・と小さく息を吐く。
「まだ全部見てないけど、帰ろっか?」
「やだ」
「やだじゃないでしょ?また来ようよ」
「ちょっと休めば治るから」
「でも・・・」
「横になれば平気」
そう言われて、俺は急いで潤さんの隣に胡坐をかく。
「ここ、頭乗っける?」
自分の太ももを叩くと、潤さんはゆっくりと
そこに頭を置いて、仰向けに寝転がる。
「・・・ッ」
俯くと、潤さんの目を瞑った顔があって緊張する。
長い前髪を、手で横に分かると
潤さんは、少しだけ口元を上げた。
小さい風が、静かに木を揺らす。
サワサワと、葉が擦れる音が心地いい。
潤さんの顔色も、元の白い色に戻って来た。
「潤さん・・」
「・・・その呼び方、なんかやだ」
「なにがいい?」
「潤でいいよ」
「じゃぁ、俺も雅紀って呼んでよ」
潤が、目を開けて
「雅紀」
彼が、名前を呼んだ瞬間。
俺は、彼の頬に片手を添えて
キスをした。
サワ・・・
サワ・・・
触れるだけのキスをして、唇を離す。
至近距離で、見つめ合っていると
時間が止まったように感じた。
「俺ね、潤のこと
もっと、もっと好きになると思うよ」
そう呟くと
「宣言するもんなの?」
と、潤は可笑しそうに笑った。
僕を好きだと言って。