遊戯王GX-漆黒のパペットマスター- (スターリン)
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……はい。みなさんこんにちは、スターリンと言う者です。

今回からこちらの方でも投稿していこうと思います。
プロローグと第1話を初回ということで投稿して、ストックが続く限り毎日0時に1話ずつ投稿します。早く続きが読みたいという方は『暁』の方へご足労願います。

それでは、よろしくお願いします。



プロローグ Turn.0 「機内」

日付は3月15日、日本時間午後3時。
1万メートル上空。
ロサンゼルス国際空港発羽田空港行きの飛行機のファーストクラス席にひとり座りながら、私は自分のカード達と心を向き合う。
私は世界各地のデュエルモンスターズ国際大会を巡っては解説をする解説者だ。
さきほどまでロスでの大会の実況をしており、再び移動している。最も、行き先は大会ではなく別の場所なのだがな。

――ここまで来るには苦労した。

孤児だった私はインダストリアル・イリュージョン社に拾われ、ペガサスミニオンとして育て上げられた。
そして15歳の時、たまたまスポンサーの目に留まり、それに従うがままにデュエルをしていたら、いつの間にか周りからは「プロデュエリスト」としてのレッテルを貼られ、最強のペガサスミニオンと呼ばれるようになった。
それからは様々な外国のテレビで取り上げられ、なぜか有名なバラエティ番組まで招待されてデュエルさせられる毎日。

――だが、私はすぐに嫌になった。

華やかな舞台でのデュエル。
始めこそ良いものであったが、慣れて、連戦連勝を続けていくうちに、そこに対する楽しみは次第に消えていった。
つまらない。
相手をするのは皆、弱者ばかり。
誰も自分を楽しませるものがいない。正直に言って、テレビ出演した時に相手した素人の子供の方が数倍楽しかった。

――そんな無機質な日々から5年。丁度20歳を迎えたところで、私はカリフォルニア国際大会の優勝と共にプロを引退した。

当時は、マスコミに様々な質問を浴びせられたな。非常に五月蝿かった。
以降、私はデュエル解説者・評論家としてテレビや世界中の大会を巡る日々を送っていた。
『辛口評論家』としてかなりの有名人となり、少し私が褒めただけで、その褒められたデュエリストがいきなりプロ入りしたり、私が少し批評しただけで、批評されたプロが表舞台から姿を消したりと、所謂『御意見番』になってしまっていた。
この仕事はそれなりに楽しかった。
張り合いのないつまらないデュエルをするよりも、相手の試合を見て戦術を分析するほうが数倍楽しいものだった。長い間プロとして表舞台に立っていた私の経験を利用した解説は受けたし、見たことのない戦術を目撃した時は、まるで未知の化石を発掘した時の考古学者のような気分になった。

――そんな解説者として活躍して15年経った今。

デュエルモンスターズの創造主であり、私にとってかけがえのない育て親、ペガサス・J・クロフォード様と海馬コーポレーションの海馬瀬人社長にこんな提案を持ち掛けられた。

――来年からデュエルアカデミアの教師として働かないか?

デュエルアカデミア……海馬コーポレーションが作りあげた、将来のプロデュエリストやデュエル教員、研究生を輩出するための高等機関だ。
なぜ、そんな提案をするのか尋ねてみると2人は、

『ユーはまだ、現状に満足していないはずデース。ですから、ユーが満足できるような場所を提供してあげたいのデース』
『貴様は俺が見込んだ腕前を持った決闘者だ。その才能を解説者ごとき役職で潰すわけにはいかん。デュエルアカデミアで未来のデュエルキングを育成するがいい』

と言った。
満足できていない……か。
確かに、最近またマンネリしてきたところだ。解説者になったとしても出演するのはメジャーリーグのみ。私が去った後から今まで、私に変わってしばらくしたら、ずっとプロデュエリストの第1位ランカーは「DESTINY OF DUELIST」ことDDの独占状態だったから、いい加減見飽きてきたところだ。
育成する……か。
確かに、未来の金の卵を自分の手で育てるのも悪くはないかもしれない。……いや、面白いだろう。
似たような技術ばかり披露するつまらんプロよりも、個性がはっきり出る学生を見た方が数段階面白い。

『わかりました。受けましょう』

私は了承した。
そして今、そのデュエルアカデミアの実技試験会場に向かうための飛行機に乗っているということだ。…………。

「どうだろうな。新しい環境で、私は充実した生活を送ることが出来るのだろうか?」

デュエルを始めて、ずっと愛用している1つのデッキのカード達を撫でながら私は呟く。


すると、小さな影が出現した。




     ――To be continued…

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