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株式会社ゲンロンが刊行する『ゲンロン通信』『ゲンロン観光地化ブロマガ』『思想地図β』を紹介するサイトです。
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福島第一原発観光地化計画の哲学(ゲンロン通信 #15)

2014年12月特別号

  1. はじめに/東浩紀
  2. 私はなぜ丹下健三に学ぶのか/藤村龍至(聞き手=東浩紀、以下同じ)
  3. フード左翼と原発のただならぬ関係/速水健朗
  4. ダークツーリズムが被災地をつなぐ/井出明
  5. 3.11、福島で花火大会を/清水亮
  6. 震災後、神を描きたくなった/梅沢和木
  7. 買う、行く、働く/開沼博
  8. ライバルはいわき万本桜です/津田大介
  9. 特別掲載/福島第一原発「観光」記/東浩紀
  10. 初出一覧
  11. 今月のゲンロンショット
  12. 寄稿者プロフィール&編集後記

ウラジーミル・ソローキン「ウクライナを孕んだロシア」

翻訳 上田洋子

 ウクライナの革命は、2月にキエフの独立広場(マイダン)で起こり[★1]、もはやこの国が後戻りできなくなるような一連のできごとを引き起こしたが、さらに、規模としてみればもっと後戻りのできないできごとを神秘的なかたちで促した。ロシアはウクライナを孕んだのだ。マイダンの黄色と青の精子は、手榴弾の爆発や火炎瓶の閃光、スナイパーの砲弾の甲高い音を浴びながら、男性としてしかるべき行為を行った。あの熱いひと月、熱を持ったテレビの前で、ロシアは身ごもった。ロシアの巨大な体内で、新しい生命が動きだした。自由なウクライナだ[★2]。これには政府は戦慄を、リベラルは嫉妬を、ナショナリストは憎悪をおぼえた。それにしても、こんな急展開はクレムリンも民衆も予期していなかった。おなかの子は大きくなって、日一日とメディア空間を占拠していった。キエフの革命は、ロシアを魅惑し、おびえさせた。母体のなかの内なる生命は、この場合は当然のことだが、動きを止め、偉大な生理的プロセスに従った。妊娠になにが対抗できるというのか? こういうときに女性は「〈いま〉のわたしの人生は〈まえ〉とは別物なの……」と言ったりする。ロシアの暮らしのできごと、内政、政治や犯罪のニュースは、ストップモーションのようにいきなりすべてが停止した。ロシアの暮らしの多様性は、すべてがあたかも背景に退いて、希望のない過去になってしまったかのようだった。未来があるのはあちらだけ、ウクライナだけだった。国民の口には、ウクライナの単語やキエフの政治家の名前が上るようになった。プーチンのロシアでは小馬鹿にしたような態度で論じるのが常であったあの田舎のウクライナが、いきなり、信じがたいまでに流行で現代的になって、他方で巨大なロシアは、どうしようもなく遅れた、ばかでかい田舎の国になった。

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ゲンロン観光地化メルマガ巻頭言 #23

こんにちは。ゲンロン観光地化メルマガ、23号をお届けします。

月2回お届けしているこのメルマガ、次号の24号で1周年を迎えます。

最近は原発事故の話題も聞かれなくなり、川内原発再稼働は決定、再生エネルギーを推進する政策も見直しが決まりました。ゲンロンについてもどうせすぐ福島とか言わなくなるだろうみたいな声も聞こえますが、逆にぼくのほうは、こんな圧倒的な逆風のなかだからこそ、むしろ後世ぼくたちの試みこそ先駆的だったと評価されるにちがいないと確信を深めています。

日本人がいかに事故を忘れたいと思っても、世界は忘れてくれません。2020年、東京にオリンピックが来たとき、「フクシマ」は確実に外国人観光客への対応を迫られる。福島第一原発観光地化計画の問題提起はそのときにこそ、重要な参照項として読み返されるはずです。ゲンロンはそのときのため、これからも「観光」の公共的可能性について、そして新しい日本を作るオルタナティブなネットワークの可能性について、考え続けます。

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『ゲンロン通信』#15 広告出稿募集のお知らせ

ゲンロン友の会会報『ゲンロン通信』は発行部数2500部で、約1800名(2014年10月現在)の会員に確実に届きます。

現在、11月下旬刊行予定の#15 への広告出稿を募集しています。

2013年秋に『ゲンロンエトセトラ』から誌名を変更し、200ページに迫る本格批評誌としてバージョンアップ。

小林よしのり、会田誠、宮台真司、濱野智史、ウラジーミル・ソローキンら各界の著名人と東浩紀の対談やインタビュー、速水健朗、市川真人、井出明、海猫沢めろんらの連載など、幅広い知性をラインナップしています。

もちろん著者への献本も行っています。

原則的に完全原稿でのデータ入稿をお願いいたします。広告データ制作についてはご相談に応じます。

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【再録】大山顕×東浩紀「ショッピングモールから考える #1」4/4

1/4はこちら

2/4はこちら

3/4はこちら

個人商店に未来はあるのか?

東 ではここらあたりで質疑応答に入りたいと思います。

質問者A 今日の議論は、ショッピングモールというと大手のチェーン店ばかりが入居しているイメージで語られていますが、自営業の小さい店舗が入ることも多いのではないでしょうか。

東 ショッピングモールの形態によると思います。日本ならば109もイオンもショッピングモールと呼ばれる。109には小さい店舗も入っていますよね。ただ、ぼく個人の見解としては、地元の商店街がたんに移転したような小さい店よりも、世界中どのショッピングモールに行ってもユニクロが入っている、その事実のほうが重要だと考えています。これは本当に衝撃的です。どこでも同じような価格で同じような服を買い、同じような袋で持ち帰っている。

大山 同感です。ZARAやFOREVER21もそうですね。一般的に、物事が同じであることの重要性は理解されにくい。とくにサブカル好きなひとたちは、物事が多様であり差異化されていることが大切だと思っていますよね。でも彼らに足りないのはまさにこの感性で、ぼくは同一性にぐっと来てしまう。

東 言語も宗教も政治体制も違うのに、ショッピングの実践では同じというのはすごい。大げさではなく、これは人類にとって大きな可能性ではないでしょうか。今後世界で言語や宗教が統一されたり、連邦政府がつくられることはありそうにない。しかしみながZARAを着ることはありうる(笑)。

大山 『思想地図β』vol.1の巻頭言では、みなが同じクロックスを履いていることに驚いたと書かれていましたね。ただ、いまのご質問にはもう少し含みがあるような感じもしましたが、いかがですか。

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ゲンロン観光地化メルマガ巻頭言 #22

こんにちは。ゲンロン観光地化メルマガ、22号をお届けします。

今号が届くころにはすでに〆切日を過ぎているので宣伝しても意味がない――いや、正確にはこの文章は配信前々日の深夜にはネットで公開しているのでその点では間に合っているはずですが、とにかく、10月1日は、ゲンロンとHISさんが共同で主催するあの巨大企画、「東浩紀と行くチェルノブイリ事故の記憶とキエフ騒乱の足跡をたどる7日間」の〆切日です! みなさん、申し込みは済みましたか?

※その後HISさんとの協議で、申し込み〆切は10月3日、つまりこの配信の翌日まで延びることになりました。まだまだ間に合います! よろしくお願いいたします。

チェルノブイリへのツアーは、昨年JTB-BWTさんとの共同企画で行い、大好評で終わりました(ここに当時の申し込みページがあります)。そこでパートナーをHISさんに変更し、より本格的な体制で始動。第2回が去る3月に実施されるはずだったのですが、政変の勃発によって残念ながら渡航数日前に中止に追い込まれてしまいました。そのときはじつに悔しい思いをしましたが、その後も東部ウクライナは長いあいだ大混乱。情勢がなかなか見えないなか、関係者で幾度も協議を重ね、HISさんが実際に現地視察を行ったうえで、今回ようやくゴーサインが出たのです。このままなにも起こらなければ、またもういちどチェルノブイリに行くことができます。

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在特会デモ&カウンター「観光」記

こんにちは。東浩紀です。

今回は特別編でちょっとしたレポートを。

去る9月5日、ゲンロンカフェで政治学者の五野井郁夫さんと「デモの現在と未来」と題するトークショーを行いました。会場には、在特会へのカウンター活動で有名な野間易通さんもいらっしゃり、活発な議論が交わされました。その模様はここのtogetterにまとめられていたり、またここのブログにまとめられていたりします。

さて、その会場でも述べ、また後日のツイッターでも記したのですが、ぼくはこのトークショーをきっかけに、デモや野間さんたちのアクションについて考えを微妙に改めました。そこで、まずはいちど彼らの活動を直接生の目で見なければ始まらないと思い、本日(9月23日)、登場の六本木で行われたカウンターアクションを「観光」してまいりました。

以下、その簡単な記録です。これは、あくまでも、デモのまったくの初心者が、なんとなく在特会とカウンターを見て感じたことを記した、甘っちょろい「観光」記です。観光記ですので、あえて政治的なことは記していません。その点もご了承ください。

注1

ここで「観光」というヘンな言葉を使っていることの理由については、拙著『弱いつながり』(幻冬舎)をご一読くださると嬉しいです。

ぼくはかつて、同じ理由で、福島第一原発敷地内の取材についても「福島第一原発『観光』記」というタイトルの文章を記したことがあります。そちらはいまはゲンロン観光地化メルマガ第10号で読むことができます。

注2

参考までに、Googleマップで簡単な地図を作りました。これを参考にお読みください。赤が在特会のデモのルート、青がぼくが実際に併走したルート、黄色は写真撮影のポイントです。

ただし、今回はあまり取材の準備なく行ったので、きちんとGPSデータなどをとっていたわけではありません。すべて記憶でプロットしているので、正確な場所とは違うこともあるかもしれないことをご了承ください。

注3

取材中はツイッターでもつぶやいていました。その模様はここにまとめられています。

さて、今回のデモは港区六本木の三河台公園で行われると聞いていました。そこで、野間さんたちがやっている(?)C.R.A.C.という組織(?)のtumblrによると、カウンターのひともその公園に集まるようなので、まずは六本木駅からそこに向かうことに。

ところが実際には、いきなり歩道がバリケードで封鎖されてます(地図のポイント1)。

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ノーチェックで通れるひともいたのですが、ぼくは、どこか怪しく見えたのか「なんのご用ですか」とばっちり職務質問。いま振り返ればさくっと「在特会メンバーです」とか嘘ついておけばよかったのですが、馬鹿正直に「えっと、むこうでやっているデモの、そのカウンターのほうの見学で、野間さんってひとが知り合いで」とか答えていたら、速攻で排除。だめだめ、デモ参加者しか通れないからと追い出されました(これ法的な根拠あるんですかね……)。

というわけで、いきなり出鼻をくじかれた体で呆然としつつ、ツイッターを打ちながら駅のほうに戻ると、野間さんに出会います。早速写真を撮影され、ツイッターにノリノリの姿がアップされたことで、微妙にこっそり取材しようという目論見は早くも崩れ、ぼくのなかにも覚悟が決まってきました。

まあ、いずれにせよ在特会もヘイトスピーチも嫌いなのだから、今日はカウンタの側にたって取材するかと……。

で、正攻法で公園にたどり着けないことはわかったので、六本木通りの対岸を見ると、カウンターのひとが集まってなにかやってます。六本木交差点まで戻り横断歩道をわたり、そっちに向かうことにしました。

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で、こっちから見ると向こう側はこんな様子(地図のポイント2)。警官がこちらに向けてずらりと並んでいる、その向こう側で在特会が集会をやっているということらしいです。

この構図、やはりどうしても在特会を警官が「守っている」ように見えます。むろん、在特会こそが届け出を出しての「合法的」なデモ、カウンターは路上に勝手に集まった管理されない群衆ということで、警察がまずは警戒すべきはその「管理されない群衆」の暴走ということで、それはそれで法治国家として当然ということになるんでしょうけど、たがいの主張の内容を考えると微妙な感情がよぎります。

なお、公平を期して言えば、カウンターのほうの演説はかなり暴力的です。「おまえらこそ帰れ」の繰り返しで、汚い言葉や挑発的な台詞もメガホンでどんどん出てきます。おそらく一般の通行人からすれば、カウンターの人々も、在特会と同じく「怖い人々」という印象だったのではないかと思います。反差別や共存を訴える人々こそが中指をつきあげて絶叫というのは、なんというか、できの悪いSF映画を見ているかのような光景でもありました。

いずれにせよ、ここで対立しているのは「権力」と「市民」ではありません。市民対市民の対立がここまで暴力的に顕在化するというのは、やはりそれなりに新しい局面で、真剣に対策を考える必要があるでしょう。

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在特会とカウンターのあいだを通過する外国人満載の観光バス。彼らの目にこの光景はどう映ったのでしょうね……。

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在特会のデモが始まると、あたりはさらにヒートアップ。耳ががんがんするほどの絶叫で、在特会もカウンターもどちらのメッセージもまともに聞こえません。狂騒状態。

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デモはそのまま六本木交差点に向かいます。カウンターの目的はデモつぶし。というわけで、そのままついていこうとするのですが、当然のように警官隊に阻まれます。この種のバリケードは、今後いくども現れることになります。

このバリケードは数分すると解けたので、カウンターは駆け足でデモを追いかけます。デモは六本木交差点で左折し、飯倉方面へ向かっていました。

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ここらへんでデモの全体像が見えてきました(ポイント3)。

まず、在特会の参加者の方々は意外と年齢が高いように思いました。あくまでも個人的な印象ですが、40代あるいは50代の方々が多い。対照的にカウンターのほうは若いひとが目立ちます。ちょっと意外でしたが、考えてみれば、カウンターには明確な組織がなく参加者はみなネットでの情報をもとに集まっているのだし、のちに記すように、在特会とは対照的にそもそも小走りでバリケードを突破し絶叫し続けるような運動形態なので、これは若者にしかできないのかもしれません。男女比については、双方にあまり差があるようには思いませんでした。つまり男性中心。

つぎに人数ですが、その点については、警官がやたらと目立ち、旭日旗が派手なわりには、そんなに列が長くないと感じました。つまり意外と人数が少ない。のちに出会った五野井さんやその仲間の方に尋ねたところ、在特会側の参加者は200人くらいではないかとのこと(数えたようです)。他方でカウンターは600人は集まったのではないかとのことでした。カウンター側は、明確な主催者がおらず、組織もなにもないただの「自発的に集まった人々」なので(ですので、さきほどC.R.A.Cを紹介するときに「?」マークを挿入したのです)、正確な数字を出しようがないようですが、たしかにぼくの体感的にも、カウンターのほうが在特会よりも人数が多いようでした。

そして、おそらくは、その両者よりもぜんぜん警官のほうが多い。むむむ……という感じです。

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ちょっと上から撮影するとこんな感じ(ポイント4)。警察とカウンターがデモのボリュームを3倍ぐらいにしているのがよくわかります。

この六本木通りを歩いているときが、在特会とカウンターの物理的な距離がもっとも近づき、デモが緊張に包まれたときでした。怒号が飛び交い、挑発が相次ぎ、つかみあい寸前までいくすがたもいくつも見られます。

しかし、せっかくの休日に六本木に遊びに来ていたひとは、これはなんだと思ったでしょうね……。ちなみに、たまたまですが、ぼくはこの写真を撮影している、まさにそのビルに一昨日家族で家具を買いに来ていたので、複雑な気持ちになりました。

撮影場所のすぐ先で、ふたたびバリケードが張られ、カウンターはデモに併走できなくなります。そこでぼくたちは左折し、飯倉公園に向かいました。ここで政治学者の五野井さんに遭遇。

ここからさきは、五野井さんの解説を聞きながら併走します。

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デモは飯倉から一の橋へ向かうのですが、ここにも警官隊がいます(写真左奥、ポイント4)。ここからさきは併走できないので、五野井さんの指示に従い別ルートへ。

あたりを見回すと、同じように小走りでバリケードを回避しようとしているカウンターの人々がたくさんいます。五野井さんと、これこそマルチチュードだとかドゥルーズのいう「漏れ出し」だとか、そんな話をしながら一の橋交差点にたどり着くと……。

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やってる、やってる。

というわけで、デモにようやく追いつきます(ポイント5)。カウンターのみなさんも、まだまだついてきている——とはいえ、やはり数は少なくなってきます。

警察からすれば、組織もあり責任者もいる在特会のほうがぜんぜん安心な集団で、むしろ不定形の群衆であるカウンターの人々こそがリスクでしょうから、そんな彼らの人数をどんどん減らしていく道路封鎖はきちんと効果を上げていることになります。

ちなみに、ここらへんには在日韓人歴史資料館があります。六本木に始まり古川橋で終わるという今回のデモのルート、もしかして目的はこの施設への抗議だったのかもしれませんが、ぼくの観察のかぎりではよくわかりませんでした。資料館前でシュプレヒコールがいちだんと高くなったという声は聞きました。

ただ、実際に併走していると、バリケード突破に急がしくてそれどころではなかったりするんですよね……。

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だって、とにかく、突破しても突破してもバリケードは出てくるのです(ポイント6)。これは横道から撮影しました。撮影できるということは簡単に突破できるということなのですが、警察からすればそこで人数さえ減らせばいいので、それでいいわけです。水漏れ対策みたいなもんですね。

ところで、この写真を見るとわかるように、警察はやたらとカメラとビデオでカウンターの人々の撮影をしています。メガホンの音量も測ってます。記録にかなりの数のスタッフを動員しています。なにに使うのかは知りませんが、今回、その記録への執念にはちょっと感銘を受けました。

そして、そんなことをやっているあいだに……。

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仙台坂の入口でちょっとした小競り合いが起きて、カウンターのひとがひとり警察に身柄を拘束されてしまいます(ポイント7)。「(在特会は)帰れ」「帰れ」の大合唱だったのが、「(仲間を)返せ」「返せ」の大合唱に。

とはいえ、同行の五野井さんは冷淡で、「まあたいしたことないでしょう、さきに行きましょう」とのこと。再会した野間さんもいたって冷静で、「ああまたか」という反応でした。

どうも、このようなトラブル自体が、カウンターの群衆を拡散し自然消滅させるひとつの方法になっているようなのですね。実際、この身柄拘束をきっかけにカウンターの人々が集結した結果、肝心のデモ併走はこのあと急速に萎んだ印象でした。

で、さらに追いかけること数百メートル。もうカウンターのひともあまりいません。

そして、デモは古川橋周辺で唐突に終わり、ぼくたちがたどり着いたときはすでに静かになっていました(ポイント8)。

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写真のように、交差点付近にはやはり大量の警官隊がいます。しかしもはやなにも起きていません。

ぼくはデモというものをよく知らないのですが、終着地点ではとくに集会とかやらないものなんですかね? なんかとっても静かに、すっと解散し町のなかに消えていったのが印象的でした。そして同じように、カウンターの方々も(といっても、すでにここにまでたどり着いているひとが少数派なのですが)、総括をやるわけでも二次会を行うわけでもなく、静かに解散していきます。2時間ほどまえの、あの六本木での一触即発の喧噪が嘘のようです。

五野井さんとは最寄りの地下鉄駅まで話し込み、別れてからもいろいろ考えたのですが、それを書いたり話したりするのはまた別の機会に。今回の報告は、ここまでとしておきます。

ただひとつ、今日、数時間前に在特会とカウンターの衝突をはじめて見てきて、素人目線で思うのは、ひとことで言えば、これはやはりいまの日本人はいちど生で見たほうがいい、ということです。

みなさんいろいろ政治的な立場はあると思います。しかしやはり、さきほども書いたのですが、市民と権力ではなく、市民と市民が、イデオロギーのちがいでこんなに先鋭的にぶつかり、憎悪まるだしの暴力的絶叫をぶつけ合うという光景は、いままでの日本でそうそうなかったことはまちがいない。戦後日本のひとつの転換点が刻まれている、と思いました。

五野井さんとは、今回のぼくのこのデモ初体験を踏まえて、年内にもういちどゲンロンカフェでイベントを、という話になっています。お楽しみに。

そしてこんな「観光」報告がおもしろいと思ったかたは、ぜひ友の会に入ってゲンロンの活動を応援してください!

ゲンロン通信 #14 感想まとめ

2014年9月に発行した『ゲンロン通信』#14の感想ツイートをまとめました。

読んでみたくなった方はゲンロン友の会に入会を

  1. 特集/南相馬に日本一の塔があった
     展覧会協力にあたって/二上文彦
     原町無線塔から見える現在/上田洋子
     展覧会開催にあたって/東浩紀
     郷土史を未来に――原町無線塔展オープニングトーク報告/上田洋子
  2. 座談会/憲法から考える国のかたち――人権、統治、平和主義/小林節+ゲンロン憲法委員会(境真良+西田亮介+東浩紀)
  3. 対談/世界を動かすファッション――「ファッションの魔法」を取り戻すために/坂部三樹郎+山縣良和(司会:黒瀬陽平)
  4. インタビュー/「ユートピアの埋葬」を文化プロジェクトに/マラート・ゲリマン
  5. エッセイ/テーマパーク化する地球 #12/東浩紀
  6. 評論/ダークツーリズム入門 #6 悲しみの地をめぐる信州の旅/井出明
  7. 評論/よい子のためのツーリズム #8 川奈ホテルと観光戦争と小林旭/速水健朗
  8. 小説/ディスクロニアの鳩時計 #11/海猫沢めろん
  9. コラム/賭博:夢:未来 #12 「風流夢譚」とスケとチンバコ/市川真人
  10. コラム/ねおなお中国 #13 「中国人」のアイデンティティ/ふるまいよしこ
  11. コラム/韓国で現代思想は生きていた!? #14 韓国にある「青春の墓場」安天
  12. コラム/ロシア語で旅する世界 #4 世界とつながる演劇の秘境/上田洋子
  13. 企画/enchantMOONの銀河系 #6
  14. 今月のゲンロンショット
  15. 寄稿者プロフィール&編集後記

みなさまの感想、まだまだ大募集です!もう読んだけれどもまだ感想をつぶやいていない方も、これから読む方も、ぜひ感想をお寄せください。

次号、『ゲンロン通信』#15は「福嶋第一原発観光地化計画の哲学」と題した特別号。現在鋭意編集中です。11月下旬にみなさまのお手元にお届けします。お楽しみに!

ゲンロン観光地化メルマガ巻頭言#21

恒例の巻頭言公開です! あと数時間で配信。今回は絶対に購読お勧めです。とてもおもしろい号です。

メルマガの購読&購入はこちらから! ニコニコチャンネル、まぐまぐ、Kindleなど多様なプラットフォームで購入いただけます。

こんにちは。ゲンロン観光地化メルマガ、21号をお届けします。

今号は――と、今号だけ特別扱いをするのは毎号発行している身として自殺行為であることはわかっているのですが、それでも率直に言うと、今号はぶっちゃけかなりおもしろいです。

まずは恒例の「福島第一原発観光地化計画の哲学」シリーズ、今回は清水亮さんの談話をお届けします。清水さんは最初から観光地化計画委員だったのですが、本業が経営者ということもあり、おそらく読者のみなさんにとって「なぜ参加されているのか」がいちばん見えにくい方だったのではないかと思います。そこでこのインタビューでは、まずは清水さんの東日本大震災経験を中心にお聞きしました。そこから生まれた福島ゲームジャムの企画、業界内ではかなりの知名度があるとのことですが、本紙読者のなかには知らないかたも多いと思います。民間初の復興支援として興味深い事例だと思いますので、ぜひサイトをご覧になってみてください。

それにしても、個人的に驚いたのは、清水さんの会社UEI(ユビキタスエンターテインメント)が昨年発表したタブレット端末、EnchantMOONの原点が震災経験にあるという話。みなさんご存じのとおり――いや、ご存じないかもしれませんが――ぼくは清水さんの会社のCPO(最高哲学責任者)なるものを拝命しており、EnchantMOONについても発売前からいろいろ聞いてたのですが、そんなエピソードはまったく聞いたことがなかった! 彼はしきりと「新型端末開発で個人に力を与えたい」と話していましたが、その想いが震災から生まれていたとは。そのことを知っていれば、観光地化計画の書籍版でももっといろいろなにかできた気がします。少し後悔してます。

思えば清水さんとふたりでいるときは、バカ話しかしていない。まあ、友だちってそんなものかもしれません。まじめな話は、こういう改まった場を設定しないと出てこないものですね。インタビューを設定してよかったです。

インタビュー後半は次号に掲載されます。タイトルにある「花火」は後半で出てくる話題なので、そちらもお楽しみに!

続いて浜通り通信には、なんと、『原町無線塔物語』著者の郷土史家、二上英朗さんが登場。二上さんは、先日ゲンロンカフェにご登壇いただき、独特の話術と広範な話題で観客を魅了したことが記憶に新しいと思います。今回と次回は、そんな二上さんからの特別寄稿。そしてこれがまたじつに考えさせます。福島第一原発の敷地がもと陸軍飛行場で、そして震災発生時、まさに二上さんがその歴史を辿る書物を執筆中だったとは! いつの日か二上さんが書かれるであろう「福島第一原発ものがたり」が、いまから楽しみでなりません。

原発事故についての記憶は急速に風化しています。少なくとも東京ではそうです。ツイッターにも書きましたが、最近ゲンロンカフェでもそれを痛感する出来事がありました。九州の川内原発はすでに再稼働に向けて動き出していますし、原発新設も公然と議論されるようになってきました。低線量放射線による健康被害は深刻ではなかった(それはたしかにそうです)、被災者にとって喫緊の問題はむしろ故郷の回復であり経済問題である(それもまたそうです)、そして日本の経済的かつ地政学的な条件を考えるとエネルギー政策の大きな転換は現実的ではない(それもまた事実と言えば事実でしょう)、そういう「リアリズム」が急速に勢力を回復するなかで、いまから3年半前、あのとき浜通りの人々がなにを喪失したのか、そしてこれからなにを喪失し続けるのか、その「心理」の部分は急速に議論の辺境に押しやられようとしています。そんな曖昧なものについて語るのは趣味でしかないと、冷笑の声も聞こえます。

しかし、それは本当にリアリズムなのでしょうか。なるほど、金がなければたしかになにもできません。金の切れ目は縁の切れ目です。しかし金があるからなんでもできるというわけでもない。人間社会を作るのは経済だけではないというのも、また一面のリアリズムです。原発事故からわずか数年で、この問題について経済の言葉でしか語ることができないようになってしまった、その「想像力の貧しさ」のツケこそ、後世が支払うことになるように思えてなりません。

そんな状況のなか、二上さんのような郷土史家の存在はじつに貴重です。外部から押しつけられた「かわいそうな被害者」の像でもない、かといって「リアリズム」に基づく「結局金目でしょ」の開き直りでもない、本当の当事者の歴史をだれかが語る必要があるからです。ゲンロンとしては、これからも二上さんの仕事を積極的にフォローしていきたいと考えています。

そして最後に、黒瀬陽平くんの連載は、先日までゲンロンカフェで開催されていた「ポストスーパーフラット・アートスクール展」の報告です。これもまたじつにおもしろい。

この展覧会、基本的には、ゲンロン主催で黒瀬くんを講師とし、美術家志望の若者を集めて行った3ヶ月ほどのスクールの卒業制作展でしかありません。しかし実際には、アマチュア受講生の作品を集めた展覧会どころか、「ポスト原発事故の世界でアートはいかにあるべきか」という軸が通った、刺激的な問題提起に満ちた力強い美術展へと変貌を遂げることになりました。黒瀬くんがこの連載で展開してきた問題意識が、教師かつキュレーターという立場を通して、すべてこの卒業展に流れ込んでいます。ぼく自身、開催前日、大量の砂利と土を運び込み(カフェは雑居ビルの6階にあるので、積載荷重量の計算にカフェオーナーとして頭を悩ませました……)、「浄土庭園」と化した会場を見て驚き、またその完成度に舌を巻きました。自社の企画なのでどうしても自画自賛にしか聞こえないと思いますが、実際、こんなアートスクール、日本ではほかどこにも存在していないと思います。展覧会場では受講生たちの異様な興奮も伝わってきて(搬入出日を含め5日連続毎晩のように打ち上げをしていたようです)、大成功でした。

ところで、そんな展覧会ですが、ぼくがこの報告を読んでいちばん興味をもったのは、やはり、受講生の梅田裕氏が卒業制作展のもとになるものとして差し出したという「福島第一原発浄土庭園化計画」でしょうか。「原発という超越的な対象を『西方浄土』に重ねあわせ、敬して遠ざけると同時に、原発を遠くから展望しながら救済を求める人々が遊ぶ庭園空間」を作り、「釈迦入滅後56億7千万年後に訪れる弥勒の救済を待つ場としての浄土庭園と、ウラン238の半減期45億年という時間軸の中で『復興』を為そうとするぼくたちの現在を重ねあわせ」ようというその計画は、コンセプトを聞くかぎりたいへんよくできている。以前、大山顕さんの「Jヴィレッジの本来の等高線を家電の瓦礫で埋めて回復する」という構想を伺ったときも興奮したものですが、そのようないくつかのアイデアを組み合わせることで、いまならば、新たに「福島第一原発観光地化計画展2.0」を構想できそうな気がし始めています。

さきほど、復興をめぐる「リアリズム」の台頭について記しました。ポスト原発事故のアートをめぐるこのような議論も、リアリズムを大切にする方々にとっては、暇人の遊びにしか見えないのかもしれません。けれどもぼくは、そんな「遊び」が、人間にとって、そして社会にとって決定的に重要だと考えているのです。遊びなしに、すなわち文学や思想や芸術なしに、人間がどのようにして未来に向かって進めるのか、ぼくにはそのほうがわかりません。

少し長く書きすぎました。いずれにせよ、そんな感じで、今回は読み応えのある原稿が盛りだくさんです。率直に言って、これで270円は激安すぎます。無料公開でこの巻頭言を読んでいるかたは、ぜひ購読プログラムにご登録ください。いや、ほんと、今回は絶対後悔しませんよ!

それでは、また2週間後に!(東浩紀)

【再録】大山顕×東浩紀「ショッピングモールから考える #1」3/4

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4/4はこちら

ショッピングモールと記憶の可能性

ジョン・ジャーディの仕事

大山顕 日本でも同じような傾向は見られるのですが、バンコクのショッピングモールでは、まったくと言っていいほど家電屋を見かけませんでした。ショッピングモールについては、時代の推移とともになにが中心になってきたのかを知りたいですね。松下電器(現・パナソニック)は2000年まで、梅田の百貨店に巨大なショールームを持っていた。しかしいまは、家電はモールにおいて中心となる機能を果たさない。モールのなかで唯一家電を売っているのは無印良品だったりする。無印良品は家もつくっていますね。

東浩紀 イケアはどうですか。

大山 すべてのモールはイケア的になるのではないかと思っています。イケア的というのはつまり、動線がひとつに固定されて、定められたコースを順路通りに見ていく構造ということですね。

東 ラゾーナ川崎だと、出店している店舗が頻繁に入れ替わるようです。そういう変化が、ショッピングモールには不可欠かもしれません。

大山 ラゾーナができるまで、川崎駅の西口にはなにもなかった。東芝の工場の跡地だったんですよね。そこにラゾーナができたことで、川崎駅と線路が、東西の街を隔てる境界線になった。東側はいわば旧市街で、西側のラゾーナワールドとはいる人種がまったく違う。川崎駅には改札がひとつしかないのですが、そこで南に行くか北に行くかは、改札を出る前になんとなくわかります。

 ところで専門的な話になりますが、建築的な観点からすると、ショッピングモールの内装で進化しているのはたぶん柱です。古いモールと新しいモールを比べると、柱の収め方や演出の仕方が全然違う。新しいモールは柱の扱いがとてもうまくて、それが柱であると感じさせない。面白いのは空港のショッピングエリアってすごくモールに似てるんですが、大きな違いは柱がない点。なので、わざわざ柱的なものを立てて、そこにバナーなどを設置してるんですよね。せっかくの無柱大空間なのに。

 ショッピングモールの歴史に燦然と輝く、サンディエゴのホートンプラザというショッピングモールがあります[★1]。

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これを手がけたのは、ジョン・ジャーディという、商業施設のデザインの第一人者です。日本では博多のキャナルシティが彼の設計によるものです。ぼくは大学で柘植喜治(つげ・きはる)先生の研究室にいたのですが、彼はキャナルシティ[★2]のプランニングにかかわっていて、ジャーディともつながりが深い。ぼくが学んだ街路のつくり方も、ジャーディに由来するものだった。

 今日のために、いまはなき建築雑誌『プロセスアーキテクチュア』の、ジャーディの特集号[★3]を読み返してきました。ジャーディは商業施設をつくるとかショッピングモールをつくるという表現を一切使わず、街をつくると言っている。街路をいかに魅力的につくるかが重要だというわけです。古い手法かもしれないけれど、彼はまず最初に魅力的な導線を描いて、残ったところに建物を建てる。ぼくも授業でこういうプロセスを踏みました。

 雑誌にはジャーディがつくったキャナルシティの粘土のモデルが掲載されていますが、このやり方にその手法がよく表れてます。

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ふつう建築では模型をつくりますよね。模型を組み立てるのは建築を作る行為です。それに対して粘土を削って形態をつくっていくやり方は、それとはまったく逆の視点になる。それが重要だというわけです。

東 クリストファー・アレグザンダーのパターン・ランゲージ[★4]にも近いですね。実際に人々が行き来しているところを重ねて描いていくと、どこに道路をつくるのが最適か見えてくる。『思想地図β vol.1』は、前半ではショッピングモールを、後半ではパターンを特集したので、符号が興味深い。

大山 ジャーディとアレグザンダー、それとジェイン・ジェイコブズ[★5]の3人というのは、それぞれは違う方向性で活動していたのだけれど、方法論としては共通しているところが大きかったのかもしれません。

 ジャーディはイタリアのモチーフを好む建築家でした。あるとき、イタリアの田舎町でインスピレーションを受けたと書いています。彼はその田舎町の魅力を表現するエレメントをとにかくたくさん収集して、ショッピングモールをつくるときにはそれを再現しようとしたというわけです。ぼくも授業の課題で同じように、亀戸の周辺を歩き回って、この街の魅力はなんだろうとまとめたことがあります。そこで出会ったのが工場なんです。そこで工場はかっこいいじゃないかと気づき、今に至るわけです。課題の趣旨とはずいぶん逸れてしまいましたけど。結局、ぼくが工場と出会ったのはジャーディの手法によってだった。今日のイベントの準備をしているうちにそれに気づいて、ちょっと衝撃を受けました。

東 大山さんはじつはジャーディの孫弟子であり、いつの間にか彼の手法に強く影響されていたと。

大山 この『プロセスアーキテクチュア』を読むと、最初に紹介されているのがホートンプラザで、次がロサンゼルスオリンピックです。彼はオリンピックを機会に、ショッピングモールの文法でロサンゼルスの再開発を手がけた。『福島第一原発観光地化計画』には2020年の東京オリンピックをきっかけに街をつくりなおそうという提案がありますが、これが先取りされているんです。これはもっと評価されていい。

東 ジャーディについては、建築家もあまり言及していない。

大山 あまり好まれるタイプではないのかもしれません。とくにアトリエ系とは相性が悪いようです。しかしジャーディは論理的でおもしろいですよ。これは実現しなかったのですが、北海道の苫小牧に工業団地をつくる計画も立てていて[★6]、住宅と商業施設も併設するようなプランになっている。いま見ると形態的には古いところもありますが、考え方はまさにショッピングモール的なものそのものです。

 団地という点で言えば、ご存じのようにぼくはずっと団地も研究してきました。今回、ショッピングモールについて改めて考えてみて、両者は「行政/民間」、「鉄道(駅前)/ロードサイド」、「住宅/消費」の3つの対比で論じられるのではないかと思いいたりました。

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団地というのは国を挙げて戦略的に進められたものでした。それに対していまは、UR(独立法人都市再生機構)が団地リノベーションと言って民間と共同で再活用に取り組んでいる。ショッピングモールも同じですね。

東 この3つの対立の関係はどうなっているのですか。行政が作ったものは鉄道で住宅で……とかなのかしら。

大山 それはまだよくわかっていません。まだアイデア段階で、もう少し掘り下げたいと思っています。たとえば団地のなかに消費する場が存在したのかどうか、そういうことも含めて考えたい。団地というのは住宅難への対応だった。では、そこに商店街や、あるいはショッピングモールのようなものをつくろうという計画はあったのか。団地を一生懸命つくっていた時代と、いまショッピングモールがつくられている時代というのはどういう違いがあるのか。

東 日本の行政は、住宅地の造成には熱心ですが、商業地の再開発にはあまり力を入れない傾向がありますね。むしろ再開発を規制する側に回っている。そのあたりに考える鍵があるかもしれません。

大山 そうですね。考えてみれば、行政が商業地を開発しないというのも不思議な話です。

東 こういうことでしょうか。この国の行政は、商業地を中心とした街づくりのメソッドを持ってこなかった。その役割は、間のデベロッパーが果たしてきた。でも、街を再生しようとしたら、商業地を変えないと活性化するはずがない。最近の事例では、たとえば品川駅周辺の再開発は失敗したと言われている。敷地を区切ってオフィスビルは林立したけれど、オフィス人口だけが増えて終わってしまった。それに比べると六本木ヒルズの方がはるかによくできている。これは市川宏雄さんの本に書いてあるのですが[★7]。

大山 渋谷の宮下公園の騒動を連想しますね。いろいろ騒いでいるうちに駅前のほうが大規模に再開発されてヒカリエもできて、人の流れが全く変わってしまった。あれは結局なんだったのか。

東 あの点については、行政の問題というよりも、この国の左翼的運動が持つ問題点が現れた事例かと思います。資本主義対ホームレスという対立構図ありきで話を考えているから、問題を取り違える。ホームレスのひとをサポートするのと、彼らが宮下公園を根城にして暮らしているのを容認するのはまったく別の話ですね。

大山 あまりおもしろい話ではなかった。

東 敵を増やすだけなので、このくらいにしておきましょうか(笑)。

瓦礫で回復するJヴィレッジ

東 ここで、福島第一原発観光地化計画とショッピングモールの関係について議論できればと思います。ご存じの方も多いでしょうが、福島第一原発観光地化計画では、現在のJヴィレッジの跡地を再開発して、「ふくしまゲートヴィレッジ」と名づけられたビジターセンターをつくることを提案している。

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この設計は藤村龍至さんにお願いしたのですが、大山さんからは、この形態に違和感があるとうかがっています。

大山 違和感というか、趣味の問題ですけど。土地の文脈をどう捉えるか、という点にぼくはすごく興味があるので。この写真は、先ほども触れた玉川高島屋です。

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おもしろいのは、上を道路が通っているところですね。大阪にはときおり見られますが、関東には珍しい。なぜこうなっているのか調べると、行政側と高島屋側で複雑な権利の調整があったらしい。なにもない敷地に高島屋が建てられて、その後バイパスがつくられてこうなった。

 これは西宮のモールです。

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これはもともとスタジアムの敷地を流用しているので、ここの曲線にその痕跡が見て取れるのがわかります。先ほどジャーディを紹介しましたが、ショッピングモールをつくるひとは、たんなる商業施設ではなく街をつくろうとする。だから、その地域がもともと持っている文脈を強く意識して、それをなんとか活用しようとする。

東 モール・オブ・アメリカも、メトロポリタン・スタジアムの跡地を再利用しています。モール中心の遊園地はスタジアムの敷地がそのまま流用されていて、かつてホームベースがあったところには真鍮のプレートが埋められている。

大山 ある意味では、商店街よりもショッピングモールの方がその地域の歴史を強く意識している。ぼくも建築を見るときには、その土地がどういう背景を持っているのかがとても気にかかる質です。

 ここで一冊、本を紹介させてください。「岩波講座 都市の再生を考える」というシリーズの第1巻、『都市とは何か』[★8]。ここで中谷礼仁さんが、「先行形態」という表現を使っています。街の構造が、それまで街がどのようになっていたかという歴史によって強く規定されているということを論じていて、とてもおもしろい。大阪の地図を見ると、なんということはない住宅地に、突然丸い道路があったりする。これは昔古墳だった場所です。広島の事例では、原爆投下以前の時点ですでになくなっていた道が、その後の復興過程で復活したそうです。これは計画したひとも自覚していなかったのだけれど、無意識のうちに、かつて道があったところに道をつくっていたのだと。

 こういう観点からすると、ふくしまゲートヴィレッジには土地の文脈が見えてこない。跡地マニアのぼくとしては、その点が不満です(笑)。

東 なるほど。設計を担当した藤村龍至さんは、大山さんとは逆に、記憶がなくなった土地を求めたのだと思います。彼はJヴィレッジを見学に行ったとき、これはニュータウンに似ていると言っていました。山を切り開いて、いままでの土地の文脈を無視して建造されていると。藤村さんは、自分には趣味がないというふりをするけれど、趣味的には明らかにニュータウン的な光景を好んでいる。

大山 ぼくもそれでいい、という心性はわかるんです。ただ、いまの広島の例のように、計画している当人ですら気づかないうちに古い道が復活してしまうような抗えなさに、ぼくは魅力を感じてしまうんですよね。これはニュータウンにしても同じで、たんに山を切り開いたといっても、それぞれに土地の文脈はやはりある。

東 よくわかります。藤村さんは、土地の痕跡を探る仕事はあまり得意ではない。たとえばふくしまゲートヴィレッジの設計でも、彼は敷地内の深い谷を埋め立てるというプランを提示しています。これはけっこう力業で無理のある案で、ぼくもじつは強く異論を唱えたのですが、彼は最後まで埋め立てを主張しました。これは象徴的な話だと思います。彼は、もともと存在していたものの痕跡を残す、そういうことを否定しているのではないか。

大山 Jヴィレッジ周辺の歴史的推移を見てみると、もともと起伏が豊かだったところを平らに造成しているんですね。ぼくは建築の本質とは、床が平らなことだと思っているんです。ほかの動物と違って、人間は平らなところでしか暮らしていけないという弱点がある。建物を建てる前には、必ず土地を平らにしなければいけない。これは建築家の仕事ではないと思われがちですが、これこそが本質だと思うんです。Jヴィレッジ周辺の航空写真を時系列順に見ていくと、土地が均されていく様子がわかる[★9]。ここにこの土地の歴史が刻まれている。梅沢さんの「ツナミの塔」もすばらしいアイデアですが、この均されたエリアに、瓦礫を使ってもとの地形を再現するのもおもしろいのではないかと。それこそ、家電のゴミを使うんです。

東 なるほど! 家電の瓦礫で回復するJヴィレッジ造成前の敷地……。それはすごいおもしろい!

大山 ありがとうございます。

東 藤村案と比べるとじつに対比的ですね。

 いまふと思い出したのですが、渋谷の駅ビルは渋谷川を埋め立てた上につくられているんですよね。だとすると、ステーションシティを評価する藤村さんが、このような土地の痕跡を消去する案を出してくるのはよくわかる。

 観光地化計画は複数の委員の思惑が集まった結果なので、必ずしもぼくの建築的センスが生かされているわけではないんですよね。むろん、座長として責任を取りますが、その前提のうえで言えば、個人的には、いまの大山案はとてもおもしろいと思いました。

大山 今日はこのアイデアを話したかったので、そう言っていただけて光栄です。最後にもうひとつだけ付け加えておくと、ツナミの塔はかなりぐっと来ました。家電製品というのは電気がないと動かない。それが津波の結果使えなくなり、原発事故で電気の供給もままならない状態で、瓦礫となって積み重なった。その経緯が象徴的に込められていて、元家電屋として涙が出そうになりました。

東 ありがとうございます。家電は高度経済成長の象徴でもあって、その瓦礫が、さらに放射能で汚染されて塔になっているというのは、とてもアイロニーに満ちている。大山さんの話はそれの発展版ですね。その提案を活かす建築を考えたいですね。

(つづく)

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2014年1月30日 東京 ゲンロンカフェ

★1 1985年にサンディアゴで開業したショッピングモール。メイシーズなどの3つの百貨店と約130の店舗からなる。オープン初年に2500万人を集客するなど大きな成功を収め、ジョン・ジャーディの出世作となった。画像出典「Wikipedia, the free encyclopedia:”Hortonplazaarchitecture.jpg”,(Author: Coolcaesar, CC-BY-SA-3.0)」、URL=http://en.wikipedia.org/wiki/File:Hortonplazaarchitecture.jpg

★2 1996年に福岡市博多区にオープンした商業施設。開業当初は劇団四季の常設劇場を備えており(2010年に閉鎖)、日本で初めてのシネマコンプレックスを備えた商業施設でもある。テナント数は約180で、年間来場者数は1000万人以上。2011年には九州新幹線の全線開業に合わせ、新たにイーストビル(第2キャナル)がオープンした。

★3 『プロセスアーキテクチュア』vol.101、プロセスアーキテクチュア、1992年。「共有社会的体験の再創出」と題され、ジャーディ・パートナーシップ責任編集のもと、ホートンプラザを始めとするジャーディの代表的な仕事と、その方法論が特集されている。

★4 1977年にイギリスの建築家クリストファー・アレグザンダーが提唱した、都市や建築にひそむすぐれたデザインを抽出し記述する方法論のこと。この手法はプログラミングの手法としても注目され、広い分野に影響を与えている。著書に『パタン・ランゲージ』(平田翰那訳、鹿島出版会、一九八四年)など。

★5 アメリカの都市研究家。実例をもとに都市の多様性を確保するための条件をまとめた『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、二〇一〇年)は都市論の古典として、現在に至るまで広く参照されている。

★6 苫小牧東部工業団地「苫東コミュニティ」のこと。1960年代後半に始まった苫小牧東部開発計画の一環として工業団地として計画されたエリアを、社会の変化に合わせて産業複合都市として計画変更することを目的に構想された。業務ゾーンと宅地ゾーンが放射状に展開し、グリーンベルトや水路がそれぞれの区域(ヴィレッジ)を区切る構造になっている。しかし開発計画自体が巨額の赤字を抱え頓挫したため、ジャーディのプランも実現することはなかった。

★7 市川博雄『山手線に新駅ができる本当の理由』、メディアファクトリー新書、2012年。

★8 間宮陽介編『都市とはなにか』、岩波書店、2005年。「岩波講座 都市の再生を考える」の1巻目にあたり、同シリーズは「グローバル化時代の都市」までの全8巻からなる。

★9 1970年代の航空写真を確認すると、現在のJヴィレッジにあたる敷地は緑の広がる沢のほとりであり、豊かな起伏があったことがわかる(広野火力発電所の稼働開始が1980年、隣接する敷地にJヴィレッジが開業したのは1997年のこと)。現在の地形図ではJヴィレッジの敷地だけがへらで削り落としたように平らに造成されており、人工的な開発の痕跡が見て取れる。

【再録】大山顕×東浩紀「ショッピングモールから考える #1」 2/4

※ この記事はゲンロン観光地化メルマガ #15 に掲載したゲンロンカフェトークイベントの模様を、好評につき再録したものです。

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都市はグラフィックに過ぎない

大山顕 ではこんどはぼくからプレゼンさせていただこうと思います。さきほども触れましたが、バンコクに行きました。バンコクは異国情緒豊かなところです。野良犬がたくさんいたり、絡みあった電線がダイナミックだったり、神棚のようなものがそこここにあったり……と観光を楽しみました。

 しかし一番強烈だったのはショッピングモールなんです。ぼくは大学の卒業論文で、工場の構造を残して街づくりに生かす、という提案をしたことがあります。ぼくは1972年生まれで東さんとほぼ同じですが、ぼくたちの世代はリアルタイムに公害を経験していないので、あっけらかんと「工場ってかっこいいよね」と言えるようになると思っていた。

 これと同じことが、たぶんショッピングモールにも起こる。ぼくが工場を撮りはじめたように、ショッピングモールを撮る若いモール写真家が出てくるはず……というわけであわてて写真を撮りはじめたのですが、ショッピングモールを撮るのって難しいんです。なぜかというと、ぼくはずっと外観を撮っていたんですね。けれど、ショッピングモールで大事なのは内装です。たとえばロードサイドの郊外店だと、目につくのはファサードと看板くらいで、そのまま駐車場に入って内部に進むので、ユーザー側は建築を意識しない。

 内装を見てみると、やはり吹き抜けが印象的ですよね。バンコクのショッピングモールは、日本以上に吹き抜けがすごい。

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そういえば、今日のためにラゾーナの吹き抜けを撮ろうと思ったんですが、ことごとく警備員に止められました。東さんから、ホームレスが入れる空間が公共的なのかという問題提起がありましたが、バンコクはさらに警備が厳しい。モールの入口で金属探知機のゲートを潜らないといけないんです。まさに「モール共和国」への入国審査みたいな感じでした。さきほど東さんがおっしゃった「モールの中でルールが統一されている」で言うと、自分も含めていろいろな国のさまざまな人種が訪れていたんですけど、みんな振る舞いが統一されている気がしました。国の文化よりも強い「モール的作法」とでもいうべきものに。これはすごく面白いと思いました。

 あとバンコクでどうしても紹介したいのは、「ターミナル21」というショッピングモールです。これは2011年にオープンしたばかりの新しい大型店舗で、「ターミナル」という名の通り、空港のターミナルをモチーフに、各階がそれぞれのテーマとなる街を模してつくられているんです。地下はローマ、一階は東京、二階はロンドン。とくに一階がすごい。

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東浩紀 ぼくがTwitterで大山さんに教えたんですよね。昨年バンコクに行ったときに見つけたのですが、ここはショックを覚えました。ものすごくキッチュなんですが、それだけじゃない。外国人が日本をイメージしたとき出てくる独特のキッチュさを、もう一度さらに外国人が自己パロディで模倣したような入り組んだ構造をしていて……。外国人が抱く間違った日本像を理解したうえで、あえてそれをシミュレートしている。

大山 ああ、こういう間違いってあるよね……と思うようなところを、ピンポイントに突いてくる。日本人のデザイナーが関わっているのかもしれませんね。

東 これ、日本人が関わっていないとしたら逆にすごいですね。すべての階がそれなりによくできているんですが、東京の階がとくにすごい。嘘が徹底していてなにひとつ正しくない。看板も悪ノリだらけ。この提灯には「嬉々として幸せ」と書かれていますが、むろんこんな提灯はない。

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大山 トイレに続く廊下には松の木が生えていたり(笑)。

東 そもそもカタカナもかなり噓。こういうのを日本にも作ってほしいなあ。

大山 すごく楽しいですね。

東 しかし、これ、どのくらいリテラシーの高い層をターゲットに設定したのでしょうね。これの面白さがわかるのは日本人だけでしょう。ふつうのタイ人は、たんに日本というのはこういうところなのか、と誤解するだけでは。

大山 でも、単なるミスではないですよねこれ。わざとだと思います。

 ぼくがターミナル21で面白いと思ったのは、サンフランシスコも、ローマも、東京も、都市としての動線は同じなんですよ。それをグラフィックのエレメントだけで表現している。これは建築をやっているひとにとっては衝撃的ではないでしょうか。都市のイメージとは構造ではなくグラフィックに過ぎないと証明してしまっているんですから。

 もう少し小ネタを紹介しましょう。モールのなかは擬木だらけなんですよね。

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外は熱帯なので植物は山ほど生えているけれど、人間にとって快適な空調を効かせた空間では擬木にならざるを得ない。モール共和国のなかはモール性気候で、そこに生えてくる植物は擬木というわけです。

東 なるほど。

大山 ここは、鉄道の駅とショッピングモールを結ぶペデストリアンデッキです。

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これのなにが面白いのかと言うと、バンコクの街中というのは街路整備ができていなくて、歩行者が歩けないんです。しかし、モールへのアプローチが作られることで結果的に私企業が歩行者空間を整備している。

東 重要な指摘ですね。日本でも道路は健常者の大人にとっては歩きやすいのだけれど、ベビーカーを持っているとてきめんに歩きにくい。子どもを育てているときに気づきました。ショッピングモールは、排除的と言われるけれど、じつはそういう社会的弱者にやさしい空間を実現している。

大山 日本の場合は、ショッピングモールの多くは工場の跡地に建てられます。これがなぜモールになるのかというと、土地を持っている企業はなるべく効率的に売却したい。細分化するとムダが出てくるので、そのまま買ってくれるところがいい。そうなると、ショッピングモールか大型マンションになる。その結果、行政が規則通りに区画道路を作るよりも、モールの内部に「理想的」な街路ができあがったりする。

東 そもそも、危険な自動車をすべて駐車場に止めて、歩行者だけの遊歩空間を作るモールは、コンパクトシティの理念をもっとも正確に実現している。逆に言えば、コンパクトシティというのは、じつは市街地全体をモールにするという発想なんですよね。

大山 ショッピングモールと商店街が対立的に捉えられるようになったのはとても不幸な図式だと思います。ラゾーナのような駅前型のモールが果たす役割を考えると、従来の図式的な対立は当てはまらない。

東 その点は、ぼくも大山さんも見解が一致しているところだと思います。

ショッピングモーライゼーション

大山 速水さんがよく言う「ショッピングモーライゼーション」という概念[★1]がありますよね。すべてがモールになっていく。まさにそれを体現しているのがここです。

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ぱっと見ではモールに見えますが、じつはBACC(Bangkok Art and Culture Centre)という名前の美術館です。これ、モールの吹き抜けにそっくりじゃないですか。つまりアートの空間と消費の空間が、構造的には区別できなくなっている。

東 それに関連して言うと、ぼくはSFの『スター・トレック』シリーズが好きなんですが、1990年代のシリーズ(ディープ・スペース・ナイン)[★2]になると、宇宙ステーションのなかがモールになってしまうんですね。宇宙ステーションも外装に意味がないので、内装だけが重要で気候も空調で完全に管理される。モール性気候です。

大山 それは面白い。

東 つまり外部がない空間ということですね。これはゲンロン友の会の会報に書いたことがあるんだけど、2012年にカリブ海クルーズに行ったんです。

 クルーズというと日本では高価というイメージですが、アメリカではそうでもないんですね。クルーズは、キューバ情勢が安定した1980年代以降、カリブ海で一気に大衆化しました。ぼくが参加したのもそういう大衆化したクルーズで、ロイヤル・カリビアン・インターナショナルという最大手の海運会社が手がけるものです。せっかくだからということで「アリュール・オブ・ザ・シーズ」という世界最大の客船に乗りました[★3]。乗員客員合わせて7000人が乗船することができて、内部には巨大なショッピングモールもある。

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 行って驚いたのは、こういった大衆的なクルーズには社会的な弱者がすごく多く参加していることです。高齢者も多いし、知的障害者も多い、肥満で動けなくなったようなひともたくさんいる。彼らは、さまざまな制約で、一般の娯楽を楽しむことができない。けれども、一度船に乗ってしまえば、そのなかにすべてがあって街ごと旅先に移動していく。

大山 リタイアしたひとたちが海の旅に出るという伝統もありますよね。

東 クールズ船はまさに動くショッピングモールです。

 ちょっと面白かったのは、船のなかを歩いていると、制服を着たスタッフがぼくたちの写真をばんばん撮るんですね。部屋番号も聞かれないので、どうするつもりなのかと思っていると、じつは全部顔認証されている。だから、フォトブースに行ってルームキーを挿すと、「あなたの顔が写っている写真が何十枚ある」と表示されるんです。全部CD-ROMに入れると2万円で、10枚選んでブックにすることもできる。

 日本ではスタッフが1枚撮った写真を2000円で売ったりしているけれど、このサービスでは勝手にどんどん撮影して、ファイルにしちゃうんですね。それでいちいち、「この写真を買いますか? 削除しますか? 本当に削除しますか?」と聞かれる。そう聞かれると、たしかに削除するのも抵抗があるので、ついつい買ってしまう。じつに洗練されたシステムでしたね(笑)。

大山 いつの間にか撮られていると。量は大切ですよね。

東 ほかもカリブ海クルーズはパラダイムシフトの連続でした。ぼくが乗った船はジャマイカやメキシコにも立ち寄ったんですが、なんと入国にパスポートが要らないんです。ルームキーだけ持っていけばいい。

大山 それはすごい。海運会社が国の制度を変えてしまっているんですか。

東 詳しいことはわからないんですが、ふつうの飛行機での入国とはまったく違う。お客さんたちもみんな慣れたもので、Tシャツや海パンで手ぶらで平気で船を降りる。降りたら目の前はビーチ。でも多くの乗客は、そこがどこの国家に属している土地かもわかっていないかもしれない。まさに外部がないんです。その徹底は本当にすごいと思いました。

(つづく)

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2014年1月30日 東京 ゲンロンカフェ

★1 ライターの速水健朗が提唱した概念で、都市とショッピングモールの区別がつかなくなりつつある社会状況を指す。2011年の『思想地図β vol.1』(ゲンロン)および、翌年に刊行された著書『都市と消費とショッピングモール』(角川oneテーマ21)において分析・展開された。

★2 1993年から1999年にかけて放送された、『スター・トレック』テレビシリーズの第3作。24世紀を舞台に、同名の宇宙ステーション内で繰り広げられる異星人間のコミュニケーションを軸に物語が展開する。

★3 ロイヤル・カリビアン・インターナショナルが運航するクルーズ客船「オアシス・オブ・ザ・シーズ」の2船目として2010年に就航した、世界最大級のクルーズ客船。乗客5400人を収容し、乗組員数も2300人を超える。船内に遊園地やプール、円形劇場などのアミューズメント施設を備えている。画像出典「Wikipedia, the free encyclopedia:”Allure_of_the_seas_night.jpg”,(Author: JuTa, CC-BY-SA-3.0)」、URL=http://en.wikipedia.org/wiki/File:Allure_of_the_seas_night.jpg

ゲンロン通信 #14

2014年9月号

  1. 特集/南相馬に日本一の塔があった
     展覧会協力にあたって/二上文彦
     原町無線塔から見える現在/上田洋子
     展覧会開催にあたって/東浩紀
     郷土史を未来に――原町無線塔展オープニングトーク報告/上田洋子
  2. 座談会/憲法から考える国のかたち――人権、統治、平和主義/小林節+ゲンロン憲法委員会(境真良+西田亮介+東浩紀)
  3. 対談/世界を動かすファッション――「ファッションの魔法」を取り戻すために/坂部三樹郎+山縣良和(司会:黒瀬陽平)
  4. インタビュー/「ユートピアの埋葬」を文化プロジェクトに/マラート・ゲリマン
  5. エッセイ/テーマパーク化する地球 #12/東浩紀
  6. 評論/ダークツーリズム入門 #6 悲しみの地をめぐる信州の旅/井出明
  7. 評論/よい子のためのツーリズム #8 川奈ホテルと観光戦争と小林旭/速水健朗
  8. 小説/ディスクロニアの鳩時計 #11/海猫沢めろん
  9. コラム/賭博:夢:未来 #12 「風流夢譚」とスケとチンバコ/市川真人
  10. コラム/ねおなお中国 #13 「中国人」のアイデンティティ/ふるまいよしこ
  11. コラム/韓国で現代思想は生きていた!? #14 韓国にある「青春の墓場」安天
  12. コラム/ロシア語で旅する世界 #4 世界とつながる演劇の秘境/上田洋子
  13. 企画/enchantMOONの銀河系 #6
  14. 今月のゲンロンショット
  15. 寄稿者プロフィール&編集後記

【再録】大山顕×東浩紀「ショッピングモールから考える #1」 1/4

※ この記事はゲンロン観光地化メルマガ #15 に掲載したゲンロンカフェトークイベントの模様を、好評につき再録したものです。

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なぜショッピングモールなのか

東浩紀 今日は写真家の大山顕さんをお招きして、「ショッピングモールから考える」と題して話をしていきたいと思います。写真も交えて話したほうがわかりやすいだろうということで、お互いにプレゼンテーションを用意してきました。

大山顕 よろしくお願いします。ぼくが東さんのショッピングモール論に興味を持ったのは、北田暁大さんとの対談集『東京から考える』(NHKブックス)がすごく面白かったからなんです。それ以前から、ぼくは工場や団地の写真を撮っていて、ショッピングモールにも関心を持っていました。しかし東さんは、ぼくとは違う角度からショッピングモールのよさ、面白さを分析していた。

東 そういうことであれば、ぼくのほうから先にプレゼンしたほうがよさそうですね。なぜこういうイベントを企画したのかということを含めて、お話しさせていただきたいと思います。

新しいコミュニティ、新しい開放性、新しい普遍性

東 まずは、なぜショッピングモールをテーマにしようと思ったのか。一言で言うと、「新しい公共性を考えるため」です。

 ではもう一歩踏み込んで、なぜ新しい公共性を考えるのかと問われれば、それは従来の「軽薄な消費者(=資本主義)」と「まじめな市民(=共同体主義)」という構図に限界を感じているからなんですね。資本主義とは切り離された「市民」なるものが現実に存在するのか。むしろ市場の軽薄さを前提に、それをどう公共性に結びつけていくのかを考えるべきではないのか。『一般意志2.0』(講談社)や『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン)の議論も、同じ問題意識から出発しています。

 さらに平たく言うと、商店街の「顔が見える関係」が老人や障害者にやさしいと言われますよね。でも逆にそれは、子育て世代やニートにはキツい環境なのではないのか。そういう疑問が出発点にあります。ファミレスやコンビニ、ショッピングモールのような商業施設のほうがはるかに便利だろうと。これは実体験にも基いています。

 ぼくは娘が生まれた2005年ごろ、西荻窪というたいへん「意識の高い」街に住んでいました。妻と2人で暮らしているうちはとても快適だったのですが、子どもができたとたん、この街がとても厳しくなった。愛用していたおいしいお店や飲み屋は子連れだと厳しいと言われるし。狭い道に車やバスが往来していてベビーカーを引くのも危ない。そういうなかで、ショッピングモール的なものの公共性について考えるようになってきた。その結果として生まれたのが、『東京から考える』と、『思想地図β』vol.1(ゲンロン)です。大山さんとお会いしたのはこの頃ですね。『東京から考える』の刊行が2007年。大山さんと「建築夜学校」というイベントではじめてお会いしたのが2010年10月ですか。それから3ヶ月後に、『思想地図β』の創刊号でショッピングモールを特集しています。

 社会思想の文脈でそのとき意識していたのは、2005年に出た三浦展さんの『下流社会』(光文社新書)と、毛利嘉孝さんの『ストリートの思想』(NHKブックス)です。三浦さんの整理では、地元の商店街がショッピングモールに蹂躙されることが下流化の象徴ということになっている。けれど、そんな簡単な図式でいいのか。

 また、毛利さんはこの本で、のちに高円寺の脱原発デモにつながるような政治の流れを紹介しています。1990年代の「だめ連」[★1]、ゼロ年代の高円寺の素人の乱[★2]……といったような、ストリートを中心とした運動です。

 三浦さんと毛利さんはまったく違ったタイプの書き手ですが、共通して、空調が効いたショッピングモールを批判し、猥雑な商店街あるいはストリートこそが本当の公共圏だと主張します。『ストリートの思想』では、若者たちが昼間から酒を飲んで語りあっている、そういうオープンなところが高円寺の魅力だと言う。でもそれって、本当はかなり威圧的ですよね。ひげ面の3、40代の男たちが日本酒を片手に安倍政権を批判しているのが、果たしてオープンと言えるのか(笑)。ひとくちに「開かれている」と言っても、若者に対して開かれていることと、高齢者に対して開かれていることは一致しないし、子どもがいるお母さんに開かれていることと、健常者の男性に開かれていることもまた全然違ってくる。

 毛利さんの本では、セキュリティが働いておらず、ホームレスも受け入れられるような管理されていない空間こそがもっとも公共的なのだという議論ばかりがなされている。けれども、ぼくはそれこそ狭い見方だと思うんです。

 ではショッピングモールにはどんな可能性があるのか。思想用語で整理すると、ポイントは3点かなと思います。「新しいコミュニティ」「新しい開放性」「新しい普遍性」です。

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 コミュニティについては、郊外やネットといった「現代的なコミュニティ」と、駅前商店街に代表されるようなおじいちゃん、おばあちゃんの「顔が見えるコミュニティ」との対立が重要です。コミュニティというと前者だけが問題になるけど、それでいいのか。開放性については、監視カメラに囲まれ空調も整っている「セキュリティ」の空間と、だれも管理しておらずホームレスも入れるようなアナーキーな空間のどちらが本当に「開放的」なのか、だれにとって開放的なのかという問題。最後に普遍性というのは、グローバル化が作り出した世界中でどこでも同じようなサービスが受けられる現状を、新しい普遍性として捉えられないかという論点。思えばショッピングモールというのは、人々が政治も文化も宗教も共有しないまま、互いに調和的にふるまい、なにかを共有しているかのような気になれる空間です。

 とはいえ、こういう話ばかりしていると抽象的な議論になってしまうので、今日はもっと具体的な話をしていこうと思います。まずは、ぼくが実際に見てきた印象深いショッピングモールを、写真を交えて紹介できれば。三浦さんや毛利さんは国内の空間を意識されているようですが、ぼくがショッピングモールについて考えるとまず浮かぶのは海外のモールです。ぼくは海外に行くとたいていショッピングモールを回るのですが、なかでもまず紹介したいのは、シンガポールのヴィヴォシティ[★3]、ドバイのドバイ・モール[★4]、ミネアポリスのモール・オブ・アメリカ[★5]の3つです。

 まずはシンガポールのヴィヴォシティ。ぼくはここを訪れたときに、じつはモールでこそ、土地のローカルなものが現れるのはないかと思ったんですね。

モールこそがローカル

大山 同感です。昨年夏、バンコクに海外旅行に行きました。たんなる観光旅行で、旅情的な写真もいろいろ撮ったんですが、結果的に一番面白かったのがモールだったんです。

 これは速水健朗さんと対談したときに出た話なんですが、ファミリーレストランにはファミリーがいない。仕事中に休憩している営業マンとか、ダメ学生とか、打ち合わせの編集者みたいなひとばかり。ではファミリーはどこにいるのかと言えば、みんなフードコートに行く。ファミレスで小さい子が騒ぐと、「ほかのお客様の迷惑になりますので」と怒られてしまう。それに対してフードコートだと、周りもお母さんだらけだし、隣にアンパンマンのデカい遊具があったりして子供が騒いでも問題ない。ぼくには子供はいませんが、母親が長年車椅子生活を送っていて、スロープやエレベーターがないところにはまず行けないので、このありがたさはよくわかる。

 それとバンコクに行って驚いたのは、屋台の食事では意外と満足できなくて、モールに行ったら地元の料理が一番充実していたことです。いるのもみんな地元のひとで、食べ物も美味しい。

東 ヴィヴォシティはまさにそういうところです。シンガポールの本土の南にセントーサ島という観光地があって、本土からセントーサへつながるセントーサ・エキスプレスの駅がそのまま巨大モールになっている。設計は伊東豊雄が手がけています。内装がよかったです。

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 ぼくが行ったのは2007年なんですが、シンガポールに行ってまずはインド人街やら中国人街やらマレー人街やらを回って、観光したりご飯を食べたりしました。観光ガイドでは「ホーカーズ」と呼ばれる屋台村で地元料理を食べるのが定番ということになっているのですが、実際に行ってみると観光客か老人しかいない。逆に最終日近くになってヴィヴォシティに行ったのですが、こここそくるべき場所だったと思いました。

 この写真を見てください。

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 右上の写真は屋上の子ども向けのスペース。右下に写っているのが「フードリパブリック」というフードコートです。内装はシンガポールの昔の屋台街を再現しています。地元のシンガポール人たちは、ホーカーズではなく、まさにこういうところでご飯を食べているんですね。これは衝撃を受けました。地元のひとたちの生活を見ようと思ったら、ホーカーズではなく、ショッピングモールにくるべきだったんです。東京にきて浅草に行っても東京の生活がないのと同じです。豊洲のららぽーとを見にいったほうがいい。モールにこそ地方のリアリティがある。

大山 リアリティということに関しては、こんなに薄っぺらなものにリアリティだなんてとんでもないと言われます。しかしでは浅草は本物なのか。

東 歴史的保存地区になっている段階で、すでに本物ではなくなっていますよね。

大山 ひとつ東さんに聞いてみたいと思っていたのが、「本物」ということについてなんです。

 たとえば、大阪城の天守閣。よくキッチュだと言われており、がっかりしたという声が絶えないのですが、じつは大阪城の歴史を繙くと、いまの天守閣が一番歴史が長いんです。1931年に竣工して、すでに80年以上経過している。豊臣、徳川時代にはしょっちゅう焼け落ちていて、何度もその当時のテクノロジーで再建されてきた。それが昭和に入って、その当時の一番合理的なやり方で再建されているので、コンクリートづくりになっているわけです。でもそれこそが正統なのかもしれない。ショッピングモールも、あと20年もすれば正統なものになるのではないか。ヴィヴォシティはできて何年くらいでしょう。

東 2006年オープンなので、今年で8年目ですね。

大山 なるほど。たとえば、日本最初のショッピングモールのひとつである玉川高島屋は1969年にオープンしているので、開業から40年以上が経過しています。こうなってくると、そのへんの商店街よりも古い。つまりこちらのほうが正統だ、と言えてしまう。

東 まさにぼくたちはそういう感覚を持ってますね。

統一された文法

東 次はドバイモールです。このモールのポイントを一言で言うと「アラーがいても消費はする」となるでしょうか。

 まず、ドバイモールを上から見下ろすとこんな感じになっています。

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周りは完全に砂漠なんです。夏はものすごく暑い。ぼくが訪れたのは9月で、気温はだいたい40度だったのですが、このくらいではまだまだらしい。5月や6月には最高気温が50度近くに達するようです。そんな気温では外にいられないので、モールに行くしかない。

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 この写真の右上はだれかと言うと、彼がドバイの首長です。王様ですね。王様と言っても政治だけやっているわけではなく、建築会社や不動産会社を持っていて、その会社がモールを作っいる。だからどこも彼の写真だらけ。左下の写真を見てください。9月はちょうどラマダーンの時期で、この時期にはイスラム教徒は日の出から日没まで食事を取ることができないので、フードコートもイスラム教徒向けと異教徒に分けられます。

 このように、モール内に王の肖像が飾られたり、フードコートがラマダーン対応だったり、ドバイモールは日本やシンガポールのモールとはいろいろと違う。けれども、それ以外はむしろ完璧に同じ。入っているブランドは同じだし、内装のコンセプトも同じ。宗教や政治体制の違いなどまったく存在しないかのようでした。それに強い印象を受けました。

 そして最後に紹介したいのが、モール・オブ・アメリカです。

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 ここはあえて言えば「ロウアーミドルのユートピア」。このモールは、規模としてかつて世界一でした。構造的に一番の特徴は真ん中が巨大な遊園地になっていること。野球場跡地をモールにしたので、中心部がぽっかり空いて遊園地になっているんです。

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 遊園地があるのでたくさんのひとでごったがえしているのですが、よくよく観察してみるとあまり金持ちはいない。有色人種で子だくさんなひとが多い。貧困層ではないですが、中産階級の下のほうという感じですね。ミネアポリスの街中とは明らかに客層が違いました。

大山 ここも行きたいと思っていました。ロウアーミドルというところにも驚かされます。

東 そこはドバイとは違いましたね。このモールとはとにかくすごく広いので、ぐるぐる回っているだけでも一日つぶれるんです。面白かったのは、モールなのに買い物袋を下げているひとが意外と少なかったこと(笑)。みんなじつはなにも買っておらず、時間つぶしにきている。まさに公園ですね。

大山 ショッピングモールって家族連れできますよね。一日過ごそうとすると、午前中に買い物を済ませて、昼をフードコートで食べて、最後に夕飯を買って帰るとすると、午後することがなくなってしまう。それが、ショッピングモールが発達する原動力になったと言われています。商品をふつうに買ってもらうだけでは間が持たない。そこでシネコンが併設されるようになった。一日滞在するひとのためになにをつくるか、という観点が入っているので、いわゆる狭い意味での消費、単にものを買うということを超えてしまっているんです。

東 それに加えて重要なのは、世界中のモールが同じ文法でつくられているということ。シンガポールでもドバイでもミネアポリスでも、モールのなかだけはルールが統一されているので、フロアマップを見なくてもどこになにがあるのかが直感的にわかる。むかしは海外旅行では、その街のどこになにがあるのかを知るところから旅が始まっていた。そこにすごく時間がかかったのが、モールではまったく必要ない。不思議な空間ですね。

大山 ある北関東の大学で建築を教えている先生に、こんな話を聞きました。大学のある地域には田んぼの真んなかにモールがあって、近くにはほかに遊ぶところがない。学生たちは地元の出身が多くて、彼らに話を聞いてみると、街というものに対する感覚がぼくらと全然違うのだと。ぼくたちの感覚では、まず駅があって、ここが商店街で、このあたりにデパートがあって、このへんが風俗街になっていて、これくらいいくと住宅街がある……というふうに、用途地域の感覚があるじゃないですか。でも彼らはモールしか知らないので、せいぜい「自分の家」「田んぼ」「ショッピングモール」と、「行ってはいけない危ない地域」くらいの認識しかない。そもそも区画という概念がないので教えるのがたいへんだと言うんです。なるほど、こういう話を聞くと、いわゆる従来の街づくりの観点からショッピングモールを批判するひとが出てくるのもわかる。

(つづく)

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2014年1月30日 東京 ゲンロンカフェ

★1 1992年に神長恒一(かみなが・こういち)とぺぺ長谷川を中心に結成された団体。2人の出身である早稲田大学周辺を中心に、機関誌の発行やレイブパーティーの開催などの活動を行った。神長恒一とぺぺ長谷川による共著に『だめ連の働かないで生きるには?!』(筑摩書房)がある。

★2 2005年に開店した東京都市杉並区高円寺のリサイクルショップ。店主の松本哉(まつもと・はじめ)を中心に、放置自転車の撤去反対、反原発などを訴え、路上ライブやデモ活動を行っている。

★3 セントーサ島を臨むベイサイドに位置する、2006年オープンのショッピングモール。基本設計は伊東豊雄、施工は五洋建設が担当した。地下を含む計4フロアに約350のテナントが並び、年間5000万人以上の集客を誇る。

★4 2008年にオープンした、世界最大級のショッピングモール。約1200店舗が出店。世界最大の水槽を備えた水族館「ドバイ・アクエリアム」、屋内スキー場「スキー・ドバイ」など多くの娯楽施設を備え、年間8000万人以上が訪れる。

★5 1992年、ミネソタ州東部・ミネアポリス近郊のブルーミントンにオープンした、全米最大級のショッピングモール。メイシーズなど大手デパートを中心に、500以上の店舗が並ぶ。屋内に遊園地「ニコロデオン・ユニバース」や地下水族館「アンダーウォーターアドベンチャーズアクアリウム」が併設され、年間来場者数は4000万人を数える。

【再録】「ダークツーリズム」って何ですか? 観光学者・井出明先生に聞いてみた!

※この記事は以前、「ゲンロンスタッフブログ」(現在は休止中)に掲載したエントリを、好評につき再録したものです。

ダークツーリズムって何だろう?

そもそもダークツーリズムって、一体何を指す言葉なのでしょうか。

文字通り受け止めると、暗い旅、ですよね。

たのしい新婚旅行先で思いがけず夫婦喧嘩が勃発、あれよあれよと帰国後の成田空港で離婚が決まったらそれがダークツーリズム?

出張のついでにふらりと立ち寄った見知らぬ街の夜の繁華街で、気弱そうな男が「うちは明朗会計です!」というからついて行ったのにやっぱりコワモテが出てきてぼったくり被害に遭う、もしかしてこれがダークツーリズム?

答えはどちらも、NOです。

実はこの「ダークツーリズム」という言葉、旅の一形態として世界ではすでに広く知られており、またわたしたち日本人の暮らしとも、とっても深い繋がりを持っていたんです。

今回は、このダークツーリズム研究の日本における第一人者でいらっしゃる、観光学者・井出明先生にお話をうかがいました。

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ゲンロン通信 #13 正誤表

ゲンロン通信 #13に下記の誤りがありました。ここにお詫びし訂正いたします。

p. 80 上段左から3行目

誤 コンテキスト

正 コントラスト

p. 129 中段左から1行目

誤 「プッシー・ライオット Pussy Riot」が協会内でプーチン大統領冒涜の歌を演奏したアクション[★3]

正 「ヴォイナ(戦争) Война」がモスクワの生物学博物館で行った反メドヴェージェフの集団セックスアクション[★3]

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