『マーラーを識る』
『マーラーを識る』前島良雄、アルファベータ
マーラーはもちろん好きな作曲家ですが、レコードから聴き始めたので、例えば長大な八番などはレコード二枚組で5000円以上したし、マーラーが盛んに録音されるようになったのも1960年代以降なので、中学生が買えるような廉価版(1000円ぐらいでしたか)にはまだほとんどなっていませんでした。
そうなると頼りになるのはNHK FMですが放送されるのは第1番、第2番、第5番あたりが中心で、たまに第4番や第6番が放送されても、第8番(この本では批判されていますが、興業主が名付けた別名「千人の交響曲」)なんかは大編成なので演奏されることも録音されることも少なかったのでなかなか聴けませんでした(ちなみに、9番が一般的になるのは80年代以降ではないでしょうか)。
日本で多くの人がマーラーを聴くようになったのはシノーポリの精神分析的解釈にやられたからじゃないかと思うのですが、幸い彼の振るマーラーは好きじゃなかったのでパスできました。
ぼくのマーラー原体験はレニーの振った2番です。第5楽章で天使のトランペットの後のコーラスが「よみがえる、そう、汝はよみがえるのだ」と歌う瞬間に魂を打ち抜かれました。その後は『ベニスに死す』。でも、この映画に使われている5番第4楽章のアダージェットよりは、冒頭のトランペットの方が好きでした。マーラーもトランペット好きだったようですが、5番はオープニングでハーセス様が吹きまくるショルティ/シカゴが好きでした。でも、当時もやっぱり「ショルティのマーラーが好き」ということは周りに言えなかったかな…。中高生のクラシック好きでも「明快すぎるだろ」「マーラーはもっと暗い感じで」みたいな感じだったし。
ちなみに、5番の話で一番好きなエピソードは『ベニスに死す』を見たハリウッドの馬鹿プロデューサーが、部下に「いま制作している映画音楽の作曲家をグスタフ・マーラーというヤツにすぐ替えろ」とか指示したというやつ(確か『くたばれ!ハリウッド』ロバート・エヴァンスの中にあったような)。
マーラーって指揮者という立場を活かしてオーケストラの連中と賭けトランプをやって、いつもカネを巻き上げていたぐらいヤなヤツだったらしいんですが、どうしてこんなに美しい曲が書けるのかな…ぐらいしか思っていなくて、家にいて気分が「なんかな」という時にただただ、ずっと流して聞いていたという感じでした。
本も数冊ぐらいしか読んでいなかったので、『マーラーを識る』ではいろいろ教えてもらったというか、先行する情報を整理してもらった感じ。
第一章「標題」は、作曲前、作曲途中で抱かれた言語化されない世界観が本質的な標題であり、作曲後に付けられた作品案内的な標題も含めて重層的に分析すべき、ということがもってまわって書かれています。で、筆者がこのあとずっと批判しているのは「巨人」「夜の歌」「千人の交響曲」などの"売らんがための"タイトルがいまだに使われているのに対して、マーラー本人が付けた3番の「悦ばしき知識」が使われていないのは不思議みたいなこと。
後は2番の第五楽章の詩がほとんどマーラー独自のものだとか、ヴァルターもクレンペラーも弟子ではなく助手であるみたいなこととか、日本で「大地の歌」のタイトルに「交響曲」というクレジットが付けられているのは売らんがための手法だみたいなこととか。
個人的に「ほー」と思ったのは、1908年、事実上オーストリア帝国の最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフのボヘミア王位60周年記念祝典コンサートでマーラーはチェコ・フィルを指揮し、同じ年に自身の交響曲7番をプラハで初演したという情報。エリザベートを亡くした後も、長く生きたんだな、と…。
それにしても、年末に読んだ本のおさらいをやっていると、中川右介さんはノンフィクションの菊池寛といいますか、ひとり文藝春秋みたいな活躍をしているな、と感じます。版元のアルファベータを大きな会社にするというか、大きな媒体にすることは難しいかもしれないけど、身体に気をつけて来年も頑張ってほしいと思います。
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