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【日本人の座標軸(24)】
講演後に国旗に敬礼した「零戦パイロット」
その後、質疑の時間がもたれ、「とても良い講演でした。この話をまとめて出版してください」と要望された方があったが、笠井さんは出版するともしないとも言われなかった。
講演を終えると、演壇の側に立てられていた国旗のもとへ進まれ、国旗に敬礼された後、何かつぶやいておられたのが印象に残った。その時間は1分くらいであったか、感無量と言うか、万感胸に迫るものがあったのだと思った。
この時、アメリカ大統領が就任演説の終わりに星条旗の端を握って、「神のご加護を…」と唱える場面が脳裏をよぎった。と同時に、『文藝春秋』で読んだ石原慎太郎氏の一文を思い出した。
《太平洋戦争時にゼロ戦乗りの「撃墜王」として名を馳せた坂井三郎さんから聞いた象徴的な挿話がある。氏はある朝、中央線下り電車の中で、二人組の学生の会話を耳にしたそうな。坂井さんの目の前で二人が、「おい、お前知ってるか。五十年前に日本とアメリカは戦争したんだってよ」、「えーっ、嘘っ」、「バカ、本当だよ」、「マジかよ、でどっちが勝ったの?」と。
坂井さんはそれを聞いてショックを受け、次の駅で降りて心を落ち着かせるためホームの端でタバコを二本吸ったそうな。自分が命がけで戦った戦争を、もはや全く知らぬ若者たちがいる》
講演を聞いたその夜、豊岡の田中勝さんという見知らぬ方から長いお電話があり、興奮気味に「私はノモンハンに行ってました。あなたが書かれた『ノモンハン事件』の記事を切り抜いて大切に保管しています。あなたはもちろん、祝日には国旗を揚げておられるでしょうが、わが家は3世代同居で、国旗は3本揚げています。もしまだでしたらお送りしますよ」と話された。私は「ありがとうございます。私も祝日には国旗をきちんと揚げています」と応えた。
■足立勝美(あだち・かつみ) 兵庫県立高校教諭、県立「但馬文教府」の長、豊岡高校長などを務め、平成10年に退職。24年、瑞宝小綬章受章。『教育の座標軸』など著書多数。個人通信「座標」をホームページで発信。養父市八鹿町在住。鳥取大農学部卒。76歳。