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当時の米人ジャーナリストは中国排日の原因をどう記述しているか~~中国排日5

前回まで4回に分けて、GHQに焚書処分された長野朗氏の2つの著書の文章を当時の新聞記事とあわせて紹介したが、戦前の日本人の文章や新聞記事は信用できないという人も少なくないだろう。
そこで、今回はアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ氏が1938年(昭和13年)11月に著した、”Behind the News in China”(邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』:芙蓉書房出版)という書物を紹介することにしたい。

無題

この本の中でウィリアムズ氏は、アメリカ人の視点で、中国が排日に至った経緯をこう述べている。

「日本は、…アメリカやヨーロッパに若者を留学させた。やがて日本は西洋列強が新しく見出した保護すべき友人という立場から、対等のライバルとみなす程度まで競争力を貯め、成長してきた。
彼ら(西洋列強国)の態度は変わった。日本の背中をやさしく叩いて、『お前はいい子だ』とはもう言わなくなった。彼らは態度を変え、団結して対抗するようになった。気が利いており、かつ危険なプロパガンダなのだが、日本の商品や国民に対する差別によって日本は世界中にその名誉を毀損され、人々に嫌われただけではなかった。日本をなだめすかして鎖国の孤立から引きずり出したあの西洋列強が、ゆっくりとそして段々と日本の工業生産物を世界の市場から締め出し始めたのだった。」(田中秀雄訳『中国の戦争宣伝の内幕』p.13-14)

中国の戦争宣伝の内幕

要するに西洋諸国は、わが国がこんなに早く西洋技術を修得して西洋のライバル国となるとは考えてもいなかったのである。西洋諸国は自国の製品を日本市場に売りつけて、日本から富を吸い上げるつもりだったのが、逆に西洋諸国の販売国に日本製品が食い込んで行った。それがアメリカをはじめとする西洋諸国には不愉快であったのだ。
そこで彼らは、わが国に対して「危険なプロパガンダ」を使ってでも、日本商品を市場から締め出そうとしたのである。
長野氏の著作では最初に排日を仕掛けたのは英米であったと書かれていたが、アメリカ人であるウィリアムズ氏も長野氏と同じことを書いていることに注目したい。

では当時の中国はどうであったのか。ウィリアムズ氏はこう書いている。

「日本には中国というよき教訓の対象となる国がある。隣国で大きく、その重い図体であえぎあえぎしていた。四億五千万の人々が住んでいながら、自らの足で立つこともできないでいた。貧困と悲惨にどっぷりと浸かっていた。その豊かな国土は軍閥によって強奪、掠奪され、西洋列強によって富が吸い取られていた。…

日本は西洋列強のライバルとなった。中国は彼らの奴隷となった。それゆえに日本は自分が一人の味方もいない事を思い知らされた。そして中国は、かつて外国人を殺戮し掠奪したという過去も忘れられて、突然同情と援助に値する国家と国民というように持ち上げられたのだ。」(同上書p.14-15)

このように、中国民衆は長い間、軍閥と西洋列強によって搾取されるばかりであったのだが、西洋列国が「危険なプロパガンダ」により日本商品を市場から排除する際に、中国を支援して排日思想を植え付けて民衆にそれを煽ったために、わが国は世界で孤立していくことになってしまったということになる。

西洋諸国が日本との貿易を避けようとするので、新たなビジネスを開拓せざるを得なくなったわが国は、当時掠奪と殺戮を繰り返す約30万の匪賊が横行していた満州に目をつけ、その地から張学良ら軍閥と傭兵匪賊集団を放逐し、学校や鉄道を作り工場などを誘致して、満州を北支人が嫉妬するほどの国に変えてしまったのである。

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しかし、わが国に新たな危機が到来する。ウィリアムズ氏の文章を続けよう。

「この危機はソビエトロシアからやってきた。西洋諸国は中国で経済計画を作成していた。特にその中の一国は中国に大きな権益を持っていた。ソビエトロシアは政治的計画を作成していた。極東に起きたドラマにおけるソビエトの役割はまだほとんど語られていない。だから私が話そう。モスクワが日本と中国との間に戦争の火を点じたのだ。…

この四五年、ソビエトは中国に足場を持とうとしていた。…
共産主義者たちは飢える数百万の中国人を使って、金持ちや蒋介石、そして彼の南京の軍閥政府、そしてすべての外国人相手に戦わせようと慎重に計画していた。彼らは差し押さえた金持ちの財産、安楽な生活、有り余る食い物をすべての飢えた苦力たちに保証したのだ。…
蒋介石は驚き、『反日』という方法で中国を統一する考えに絶望的にしがみついた。そして彼や金持たちから大衆の視線をそらそうとしたのだ。いくつかの西洋列強からも彼はひそかにそれを奨励された。蒋介石は中国共産党の戦列についに加わった。

日本は中国だけでなく、国家を超えた反日計画に直面していることを理解した。それは西洋列強とリンクしていたのだ。日本が、またある西洋国家さえもが中国の混乱に秩序を与えてくれると期待していた蒋介石は日本の敵と合流した。しかし日本は果実に錐で穴をあけるような反日の嵐が遠くまで広がり、侮辱と周期的な自国民の殺害に至っても平和的であろうとした。」(同上書p.21-22)

ソ連満州の武装共産党員

ソビエトはさらに日本と中国を戦わせようと圧力をかけていく。これは以前このブログで書いた通り、スターリンは日中を戦わせてわが国を消耗させ、さらに日本をアメリカと戦わせて敗北させて、わが国を共産主義陣営に取り込む戦略であったのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-210.html

中国にせよ西洋列強にしても、満州の発展をそのまま放置して彼らのプロパガンダの嘘が明らかになってしまうことは、極めて都合の悪い事であった。ウィリアムズ氏はこう書いている。

満州とコミンテルン

「新しくできた満州国蒋介石やその配下の軍閥にとって目の上のたんこぶか、喉に刺さったとげのようなものであった。それは中国共産党にもロシアのボルシェヴィキにとってもそうであった。というのも、貧相きわまる満州から、幸福と繁栄の帝国に満州国は変貌を遂げていたからだ。日本が傀儡政権をうち立て、満州人を搾取しているというプロパガンダが世界的に広まっていてもである。日本の統治であっても、疑いなく満州帝国は繁栄をきわめるだろう。満州国の清潔で賑やかな町と村、よく秩序だった生活、近代的な鉄道と、中国本土の惨めで貧しい、紊乱した状態を比較してみるがいい。たちどころに南京政府もソビエトロシアも秩序というものからほど遠い事が理解されるだろう。

そういう時に西安事件が起こったのだ。それから北京の近くの盧溝橋での日中両国間の敵意の爆発までには大した時間はかからなかった。宣戦布告なき戦争である。真実はまだわからない。しかしその背後にあるものを見ようとする者には、真実は知れ渡っているのである。」(同上書p.23-24)

西安事件というのは前回の記事で書いた通り、1936年12月に反共の蒋介石が張学良に拉致・監禁された事件で、それ以降蒋介石はソビエトのコントロール下に置かれるようになる。
西安事件のあと、中国共産党はわが国を戦争に巻き込むために何をやったか。ウィリアムズ氏はこう書いている。

「…中国共産党は日本人を血祭りに挙げることに決めた。もし日本人が二、三千名殺されたして、誰が対応するのだ。虐殺は日本を激昂させるだろう。自国民を殺されて行動を起こさない国はない。面目は立たない。日本人虐殺は日本との戦争になるだろう。蒋介石も戦わざるを得なくなる。

そしてまた、蒋介石は南京で新たに軍隊を熱狂的に作り直そうとしていた。そしてこれによって中国中にさらに大きなスケールでの日本人男女、子供の虐殺がはじまることになった。これには朝鮮人も含まれる。防御方法を持たない無辜の日本人たちは、家で、店で屠殺され、町や村の街路で暴徒に殺された。数えきれない多数の日本人、朝鮮人たちがこうして死んだ。孤立したコミュニティで殺されていく。」(同上書p.32-33)

こういう史実はほとんどわが国では知らされておらず、日本人は中国大陸で悪いことをしてきたと多くの日本人は学校やテレビ番組などで教え込まれてきた。
以前にこのブログでも通州事件のことを書いたが、中国大陸でこの時期に大量に虐殺されたのは日本人の方なのである。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-250.html

この通州事件のことをウィリアムズ氏はこう書いている。
「私が住んでいた北支の150マイル以内のところに、200名の男女、子供たちが住んでいたが、共産主義者によって殺された。20名はほんの子供のような少女だった。家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉を繋がれて、村の通りに生きたまま吊り下げられていた。空中にぶらぶらされる拷問である。共産党員は野蛮人のように遠吠えしながら、揺れる身体を銃弾で穴だらけにした。
日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供らの虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして1日中続いた。家から連れ出され、女子供はこの兵隊ギャングどもに襲い掛かられた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見した時には、ほとんどの場合、男女の区別もつかなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼らの血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。…
…中国人たちは焼けたワイヤーを鼻から喉へと通し、両耳を叩いて鼓膜を破り、彼らの『助けてくれ』との叫びを聞こえなくさせた。目玉を抉り出し、自分の拷問者を見られなくした。」(同上書p.33-34)

img20120925074523948.jpg

通州事件のことは、以前このブログで詳しく書いたので繰り返さないが、死亡者の名簿も現場の写真も、生存者の手記も残されている。わが国では新聞や雑誌にも詳しく報道されている。ウィリアムズ氏の手記には誇張はないと思う。

しかし、この様な酷い事をした中国兵をせっかく日本軍が摑まえても、「罪を憎んで人を憎まず」のサムライ精神で臨み、「もうああいうことをしてはいけない。さあ行け。」と説いて帰したというのである。その点は、尖閣事件における不法侵入者に対する今回の日本政府の対応と似ている。
通州事件」の際に、わが国が世界に対して、このような残虐きわまりない行為を訴えていれば、世界が中国を非難していたのだろうが、日本側は中国側の酷い行為を世界にアピールしなかったために、世界は中国でこのような虐殺行為があったことを知られていないとウィリアムズ氏は書いている。ちなみにこの本が刊行されたのは、「通州事件」が起きてからわずか1年4か月しか経っていないのだ。

「…もし他の国でこういうことが起きれば、そのニュースは世界中に広まって、その恐ろしさに縮み上がるだろう。そして殺された人々の国は直ちに行動を起こすだろう。しかし、日本人は宣伝が下手である。…

中国にいる外国人には驚きとしか思えないのだが、日本はすぐには動かない。彼らは共産主義者によって虐殺が遂行されていたことが分っていた。また西洋諸国が日本を貿易市場から締め出した以上、北支との間でビジネスをしなければならないことが分っていた。率直に言って、中国とは戦争をしたくなかったのである。中国政府がロシアのボルシェヴィズムの罠に絡め取られていることも分っていた。しかしそれでも中国との人々とは戦争をしたくはなかったのである。なぜなら中国は隣国であり、もし望むならば、生きていくためのなくてはならないお客様だったのである。」(同上書p.36)

日本人は我慢強い民族であるが故に、わが国を蒋介石との戦争に引きずり込むために、中国共産党はここまで卑劣な行為で挑発をしなければならなかったのかも知れないが、歴史の真実は、こんな酷いことをされても、わが国は世界にアピールすることもせず、中国と戦おうともしなかったのである。

しかしながら戦後占領軍によって、このような「戦勝国にとって都合の悪い史実」が封印され、「わが国が侵略国家であり、戦争責任はわが国にある」という薄っぺらい歴史観を、日本人は戦勝国から押し付けられてしまった。
学校で学んできた歴史も、マスコミによる昭和史の解説も、いずれも同じ歴史観で語られるために、ほとんどの日本人がその歴史観に洗脳されてしまっているのが現状だ。しかし、中国や韓国や北朝鮮のような言論の自由がない国が、彼らの主張する歴史を声高にわが国に押し付けようとすることには、余程の魂胆があると考えるべきではないのか。

いずれ近現代史は全面的に書き換えられる日がるだろうが、その為には多くの日本人が現在流布されている歴史観の誤りに気がつき、正しい歴史を世界に広める強い意志が不可欠である。なぜなら、中国にせよ韓国にせよロシアにせよアメリカにせよ、わが国が「戦勝国にとって都合の良い」歴史観に洗脳されていることが、それぞれの国の国益に叶うからである。わかりやすく言うと、戦争の原因をすべてわが国に擦り付けることができるだけでなく、少し圧力をかけるだけでわが国から資金援助を得ることも可能だからである。
史実はその歴史観とは程遠いものであったのだが、彼らはいくら真実が明らかになっても、わが国がその歴史観を変えないように、様々な圧力をかけてくるだろう。
なぜならわが国が歴史の真実を知りそれを世界に広めることは、彼らの国はわが国から資金援助が得られないばかりではなく、今度は彼らの国が「戦争犯罪者」の汚名を被ることになりかねないからだ。

パール博士顕彰碑

戦勝国が我が国を裁いた東京裁判の11人の判事の中でただ一人、日本人被告全員無罪の判決を下したインド代表判事のラダビノード・パール氏の顕彰碑が東京都千代田区にあり、その碑にはこう刻まれている。
「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう」

第二次大戦が終わって67年以上が経過した。そろそろ日本人も真実の歴史に目覚めるべき時ではないだろうか。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。
4年ほど前にあるブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年に入ったのを期に正式にこのブログに一本化しました。
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