中国全土に及んだ「排日」がいかに広められ、誰が利用したのか~~中国排日4
前回の記事で昭和11年(1936)の8~9月ごろになって、抗日テロが至る所に起こった経緯について書かれた長野朗氏の『民族戦』の文章を紹介した。今回はその続きである。
長野氏の著書によると、この年の11月に起こった『綏遠問題』によって、中国の抗日運動がピークに達したのだという。この『綏遠問題』とは何か。
長野氏の文章と西尾氏の解説を参考にまとめることにする。
「綏遠」というのは内蒙古にある省の名前で、そこに徳王という蒙古独立運動の指導者がいた。
その徳王が蒙古族を率いて反漢人闘争に立ちあがったのを受け、蒋介石が綏遠に八万の大軍を送り込むのだがその際に、「徳王軍の背後に日本軍がいる。」との情報を流して、全国民に対して民族戦のために蹶起を促したために、中国全土で抗日の機運が一気に盛り上がったというのだ。
わかりやすく言うと、蒋介石は米英が種をまいた「排日思想」のエネルギーを蒙古族の徳王に向けさせて、その鎮圧に利用したということだ。

以前このブログで紹介した「神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ」の「新聞記事文庫簡易検索」システムで「綏遠問題」を検索すると、昭和11年11月18日付の大阪毎日新聞の記事が見つかった。
この記事によると、「露国はすでに外蒙を完全に勢力下に入れ、さらに北支にも赤化[共産化]の魔手を伸ばそうとしている矢先、この内乱こそ露国にとっては乗ずべき絶好の機会に違いない。」とあり、単純に蒙古族と漢人との争いというだけではなく、ソ連も「排日思想」のエネルギーをうまく用いて、双方を消耗させることは共産革命に導く好機ではないかと述べている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10106668&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE
ここでしばらく長野氏の文章を引用する。
(原文は旧字・旧仮名遣いだが、新字・新仮名遣いに変更している。[ ]内は西尾氏の補足部分。以下も同様。)
「綏遠問題は実に抗日に一大転換を与え、戦士は民族戦の英雄として全国民賞賛の的となり、かつ日本に対する自信力を得たため、[シナの民族は]従来の受動的消極的態度から、一変して積極的となった。そこにその年の暮れに西安事件[蒋介石が張学良に監禁され、共産党との協力を迫られた事件]が起こり、蒋介石は膝を共産党に屈し[蒋介石がそれまでは共産党征伐をやっていた蒋介石が共産党に膝を屈した]、共産党不討伐と抗日戦の実行を承諾して漸く免かれ[①共産党と手を握ること、②抗日を実行することを約束させられて解放された]、第二回の国共合作と抗日統一戦線が成立し、支那の抗戦体制が成った。」(西尾幹二『GHQ焚書図書開封7』p.332)

1936年12月の「西安事件」については教科書には詳しく書かれていないのだが、この事件が起こるまでの8年間は、蒋介石は共産軍を殲滅させるために戦ってきたのであり、新たに20個師団と100機を超える航空機を導入して2週間から1か月以内に共産軍に勝利して戦いを終息させようとしていた矢先に、蒋介石は張学良により拉致・監禁されてしまうのだ。この事件を機にそれまで反共産主義であった蒋介石は豹変し、共産党と手をにぎって抗日に転換することになる。
蒋介石を拉致監禁した張学良は張作霖の息子である。父親の張作霖は反共共産主義であり、1927年4月ににはソ連大使館を捜査して関係者を大量に逮捕し、武器も多数押収している。一方息子の張学良は、1925年には共産党に極秘入党していたとの記録もあるようだ。
このブログで2度に分けて張作霖爆殺事件のことを書いたが、ソ連の情報機関の資料から明らかになっているのは、この張作霖爆殺事件はスターリンの命令に基づいて、コミンテルンの工作員のナウム・エイチンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだというのだ。
この事件は調べれば調べる程不自然な事ばかりで、関東軍が疑われるように工作された可能性が極めて高いと私は考えている。主犯とされる河本大作に関しては信頼できる第一次資料は存在せず、通説と爆破された後の現場検証の記録とは完全に矛盾していて、通説が正しいことは物理的にあり得ないことが調べればわかる。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-205.html
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-206.html
蒋介石の話に戻そう。
かくして、米英が最初に仕掛けた「排日思想」は、蒋介石だけでなくコミンテルンにも利用されて、彼らの工作により、この時期の多くの事件が日本軍の仕業によるものとされていったのではないかと考えている。
特に蒋介石の国民党は宣伝がうまかったようだ。長野氏の『民族戦』の文書をいくつか引用する。
「国民党は宣伝で政権を取っただけに、宣伝はお手のもので、ポスターに漫画に、市内の壁という壁、高い塔、町の入口、すべて排日の文字ならざるはなく、…
紙幣にも排日の二字が印され、商品にも排日の文字があり、民衆は足一歩出づれば、眼に見るもの耳に聞くもの、すべて排日ならざるはなく、長い間には無意識の間に排日思想が民衆の頭に刻み込まれて行った。…
排日教育については国民党のやり方は徹底していた。国民政府内に教科書の編纂委員会が出来、その方針を決定し、編纂を管理するにいたったから、排日教育は政府により行わるることとなった。国民党は自ら排日を行ったほか、その指導下に反日会なる排日実行団体が生まれ、これを通じて全国小学校に向け、たえず排日の教材を配布し、その他童謡に童話に、児童劇に、悉く激越な文字を羅列し、児童の頭に排日を植え付けて行った。…

かくて学生から商人へ、労働者へ、小学生へと広まっていった排日思想は、この事変[支那事変]により都市から農村へと拡大され、且つ事変の過程を通じて極めて深刻となり先鋭化しているから、現状においては日支親善の如きは一つの口頭禅[口先だけの念仏]で、如何にして尖鋭化した抗日思想を多少緩和するかくらいで、日支の感情融和の如き、一朝一夕のことでない。」(同上書 p.333-337)
蒋介石がここまでして排日思想を広めたことの意図はどこにあったのだろうか。ここからが重要な部分である。長野氏の文章を再び引用させていただく。
「次は民衆の戦争参加である。彼らはこの戦い[支那事変]を支那民族全部の戦いに持っていこうとしている。彼らは正規軍の力だけでは、日本軍に抗し得ないことを知っている。そこで民衆動員を企て、日本軍の背後にも一つの戦線を造ろうとした。これが遊撃隊である。かくて従来の戦争に見られない現象が起こった。即ち戦線が前方と後方とに二つ出来た。前方には正規軍、後方には民衆軍である。正規軍が二百万、これと同じくらいの数の遊撃隊がいる。この遊撃隊の組織に当たったのは主として共産軍である。…

この民衆軍の組織に当たっては、その核心となるものがなくては、民衆だけでは成り立たない。そこで共産軍はその全力を挙げて遊撃区に入り、中央軍、雑軍もまた加わった。この正規軍を核心として、その周囲に遊撃隊が編成されていった。…
この後方戦線の仕事は、前方戦線とは全く異ったものであった。また従来の不正規戦やゲリラ戦とも異っている。従来の遊撃隊が主として相手方の後方攪乱であったのと異って、後方攪乱はむしろ従であり、その主任務は政治・経済・思想工作であった。政治工作として彼らは日本軍の被占領区域[日本軍に占領された地域]に入り込んで、自分たちの県長を任命し、地方政府を造り、課税し、学校を設け、紙幣を発行し、新聞を発行し、郵便局までを設けた。経済方面では日本側が必要とするものを一切供給せず、皆日本から持って来させるようにし、日本の国力消耗を計り、又日本品を購買しないようにした。彼らは農村に拠り、日本軍の占拠する都市と対立した。経済絶交のために農村は自給自足の状態にかえり原料生産から食糧生産に転じ[加工原料を作るのではなく、主食の生産に移った]、ために棉花の生産等は大いに減じた。又農村に手工業を興して、工業品の自給を企てた。[農村で手工業もはじめた。]…
思想戦においては二つの目標を設けた。一つは民衆獲得である。民衆を日支いずれが獲得するかは重大な問題である。民衆の獲得には民心を獲得すべきであり、民心を得るには民衆生活を安定にせねばならぬ。そのため民衆の生活問題については種々とやった。一つは抗日思想涵養である。日本側の和平運動に対し、長期抗戦のためには、民衆の間に抗日運動をうんと注ぎ込む必要があるので、民衆組織を通じて抗日宣伝に努めた。かくて抗日思想はこの機会に更に大衆の間に深刻に入っていった。」(同上書 p.338-340)
長野氏の視点は、「各民族のぶつかり合いが戦争を惹起せしめるのだ」という極めてシンプルなものだ。今まで資本主義が戦争を起こすとかファシズムが戦争にひきずりこむなどという考え方を吹き込まれてきたが、長野氏の視点の方がはるかに説得力を感じるのだ。 アメリカの民族戦は資本侵略であり、ロシアの民族戦は武力による領土侵略であり、中国の民族戦は民衆を盾にして人海戦術でもってする侵略であったのだが、今の世界もそういう視点が必要なのではないか。
おおよそ百年前の世界と異なるのは、わが国において「民族の衝突」に対処しようにも、戦後の長い期間にわたってそのような事態になることを「想定外」としてきた点だろう。今のわが国で、ある国が一方的に攻撃してきた場合にどう対処すればよいのか、その対策が十分に検討されているのかどうかが心配になってくる。

いずれの国においても、国を守るためには健全な愛国心が不可欠だと思うのだが、戦後のわが国においては、愛国心を育てる教育が学校で充分になされてきたとは思えない。
「ひとりひとりの命を大切に」という思想ももちろん大切だが、侵略する側からすれば抵抗する人間が少なくて逃げる人間が多ければ、その国を侵略することは容易であることは言うまでもない。
自らが犠牲になっても国を守り家族を守るという行為よりも自分の命が優先する価値観に国民が染まっていて、どうして国を守ることが出来ようか。
私には戦後にGHQが広めた歴史観にせよ、国家観にせよ、家族観にせよ、わが国が二度と戦わない国にする意図が隠されているような気がしてならない。そして中国や韓国の戦後の反日も、背後でアメリカなどの国が動いている可能性を感じている。

今回の騒動で多くの日本企業が中国から撤退することになるだろう。日本企業が徹足したあとに、アメリカ企業が中国に進出したとしたら、昭和初期に実際に起こったことを繰り返すことになる。
以前にも書いたが、アメリカにとっては、ライバル国同志の紛争や、ライバル国の内部対立を利用すれば、自らは血を流すことなく、お互いを戦わせて消耗させることで自国の覇権を強化できる。我が国に、中国や、韓国や、ロシアといくら紛争が起こっても、アメリカにとっては、わが国が3国で開拓した市場を奪うチャンスでもあり、武器や兵器を売るチャンスでもある。プラスになることはあれ、マイナスになることは何もないのだ。

わが国は中韓ロがいかなる挑発をしてこようとも、領土問題では安易な妥協をすべきではないと思う。安易な妥協を繰り返せば沖縄も対馬も危なくなると考えるべきだし、自国の国土を守れない国は世界から軽蔑されるだけである。
かといって、武力衝突することはアメリカの思う壺かもしれないし、国力の消耗することは避けたいことは言うまでもない。
やるべきことは、これ以上問題を先送りすることなく、中韓ロがこれ以上武力挑発できない方向に世界の世論を向けていくしかないように思う。
いずれの領土問題についても、もともとわが国の領土であることを確かな証拠を示して説明することができるのである。その主張をわが国が他の世界諸国と国民に向けて繰り返しアピールし、中韓ロいずれの国も歴史を捏造して自国民を教育していることを示し、民間レベルでも、ネットを通じて世界にも領土問題の真実を広めていくべきではないのか。
中韓ロの主張に理がない事が世界に浸透すれば、それぞれの国が強硬策でわが国の領土を奪おうとすることが全世界から「野蛮な行為である」と認識され、そうすれば反日のエネルギーは弱まらざるを得ないだろう。
中韓ロの民衆が領土問題について自国側に理がない事を知れば、3国の民衆がこれまでの政府情報が虚偽であることを知り、それまでの反日エネルギーがいずれ自国政府に向けられる可能性も小さくはない。その兆候が出てきてはじめて、わが国は有利な立ち位置に立って交渉を行なうことが可能となるのだと思う。
相手国の情報戦には、情報戦で徹底的に戦うことが原則であり、何もしなければ先方のプロパガンダにより、再びわが国が「悪者」のレッテルを貼られることになるだけだ。
わが国のみを悪者とする「戦勝国にとって都合の良い歴史観」では、わが国が戦勝国に対して外交で勝利することがありえないことを、もうそろそろ認識すべきである。
中韓ロが理のない挑発行為を行った今こそ、戦後の長きにわたり戦勝国から押し付けられてきた歴史観から、国民が脱却するチャンスではないのか。
以前にも書いたが、これからでも遅くないから、戦後のGHQによる検閲と焚書により長い間封印されていた「戦勝国にとって都合の悪い真実の歴史」を少しずつでも取り戻し、国内外の多くの人に広めていくことが重要だと思う。
***********************************************************************************

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
↓ ↓

>

ツイート
長野氏の著書によると、この年の11月に起こった『綏遠問題』によって、中国の抗日運動がピークに達したのだという。この『綏遠問題』とは何か。
長野氏の文章と西尾氏の解説を参考にまとめることにする。
「綏遠」というのは内蒙古にある省の名前で、そこに徳王という蒙古独立運動の指導者がいた。
その徳王が蒙古族を率いて反漢人闘争に立ちあがったのを受け、蒋介石が綏遠に八万の大軍を送り込むのだがその際に、「徳王軍の背後に日本軍がいる。」との情報を流して、全国民に対して民族戦のために蹶起を促したために、中国全土で抗日の機運が一気に盛り上がったというのだ。
わかりやすく言うと、蒋介石は米英が種をまいた「排日思想」のエネルギーを蒙古族の徳王に向けさせて、その鎮圧に利用したということだ。
以前このブログで紹介した「神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ」の「新聞記事文庫簡易検索」システムで「綏遠問題」を検索すると、昭和11年11月18日付の大阪毎日新聞の記事が見つかった。
この記事によると、「露国はすでに外蒙を完全に勢力下に入れ、さらに北支にも赤化[共産化]の魔手を伸ばそうとしている矢先、この内乱こそ露国にとっては乗ずべき絶好の機会に違いない。」とあり、単純に蒙古族と漢人との争いというだけではなく、ソ連も「排日思想」のエネルギーをうまく用いて、双方を消耗させることは共産革命に導く好機ではないかと述べている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10106668&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE
ここでしばらく長野氏の文章を引用する。
(原文は旧字・旧仮名遣いだが、新字・新仮名遣いに変更している。[ ]内は西尾氏の補足部分。以下も同様。)
「綏遠問題は実に抗日に一大転換を与え、戦士は民族戦の英雄として全国民賞賛の的となり、かつ日本に対する自信力を得たため、[シナの民族は]従来の受動的消極的態度から、一変して積極的となった。そこにその年の暮れに西安事件[蒋介石が張学良に監禁され、共産党との協力を迫られた事件]が起こり、蒋介石は膝を共産党に屈し[蒋介石がそれまでは共産党征伐をやっていた蒋介石が共産党に膝を屈した]、共産党不討伐と抗日戦の実行を承諾して漸く免かれ[①共産党と手を握ること、②抗日を実行することを約束させられて解放された]、第二回の国共合作と抗日統一戦線が成立し、支那の抗戦体制が成った。」(西尾幹二『GHQ焚書図書開封7』p.332)
1936年12月の「西安事件」については教科書には詳しく書かれていないのだが、この事件が起こるまでの8年間は、蒋介石は共産軍を殲滅させるために戦ってきたのであり、新たに20個師団と100機を超える航空機を導入して2週間から1か月以内に共産軍に勝利して戦いを終息させようとしていた矢先に、蒋介石は張学良により拉致・監禁されてしまうのだ。この事件を機にそれまで反共産主義であった蒋介石は豹変し、共産党と手をにぎって抗日に転換することになる。
蒋介石を拉致監禁した張学良は張作霖の息子である。父親の張作霖は反共共産主義であり、1927年4月ににはソ連大使館を捜査して関係者を大量に逮捕し、武器も多数押収している。一方息子の張学良は、1925年には共産党に極秘入党していたとの記録もあるようだ。
このブログで2度に分けて張作霖爆殺事件のことを書いたが、ソ連の情報機関の資料から明らかになっているのは、この張作霖爆殺事件はスターリンの命令に基づいて、コミンテルンの工作員のナウム・エイチンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだというのだ。
この事件は調べれば調べる程不自然な事ばかりで、関東軍が疑われるように工作された可能性が極めて高いと私は考えている。主犯とされる河本大作に関しては信頼できる第一次資料は存在せず、通説と爆破された後の現場検証の記録とは完全に矛盾していて、通説が正しいことは物理的にあり得ないことが調べればわかる。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-205.html
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-206.html
蒋介石の話に戻そう。
かくして、米英が最初に仕掛けた「排日思想」は、蒋介石だけでなくコミンテルンにも利用されて、彼らの工作により、この時期の多くの事件が日本軍の仕業によるものとされていったのではないかと考えている。
特に蒋介石の国民党は宣伝がうまかったようだ。長野氏の『民族戦』の文書をいくつか引用する。
「国民党は宣伝で政権を取っただけに、宣伝はお手のもので、ポスターに漫画に、市内の壁という壁、高い塔、町の入口、すべて排日の文字ならざるはなく、…
紙幣にも排日の二字が印され、商品にも排日の文字があり、民衆は足一歩出づれば、眼に見るもの耳に聞くもの、すべて排日ならざるはなく、長い間には無意識の間に排日思想が民衆の頭に刻み込まれて行った。…
排日教育については国民党のやり方は徹底していた。国民政府内に教科書の編纂委員会が出来、その方針を決定し、編纂を管理するにいたったから、排日教育は政府により行わるることとなった。国民党は自ら排日を行ったほか、その指導下に反日会なる排日実行団体が生まれ、これを通じて全国小学校に向け、たえず排日の教材を配布し、その他童謡に童話に、児童劇に、悉く激越な文字を羅列し、児童の頭に排日を植え付けて行った。…
かくて学生から商人へ、労働者へ、小学生へと広まっていった排日思想は、この事変[支那事変]により都市から農村へと拡大され、且つ事変の過程を通じて極めて深刻となり先鋭化しているから、現状においては日支親善の如きは一つの口頭禅[口先だけの念仏]で、如何にして尖鋭化した抗日思想を多少緩和するかくらいで、日支の感情融和の如き、一朝一夕のことでない。」(同上書 p.333-337)
蒋介石がここまでして排日思想を広めたことの意図はどこにあったのだろうか。ここからが重要な部分である。長野氏の文章を再び引用させていただく。
「次は民衆の戦争参加である。彼らはこの戦い[支那事変]を支那民族全部の戦いに持っていこうとしている。彼らは正規軍の力だけでは、日本軍に抗し得ないことを知っている。そこで民衆動員を企て、日本軍の背後にも一つの戦線を造ろうとした。これが遊撃隊である。かくて従来の戦争に見られない現象が起こった。即ち戦線が前方と後方とに二つ出来た。前方には正規軍、後方には民衆軍である。正規軍が二百万、これと同じくらいの数の遊撃隊がいる。この遊撃隊の組織に当たったのは主として共産軍である。…
この民衆軍の組織に当たっては、その核心となるものがなくては、民衆だけでは成り立たない。そこで共産軍はその全力を挙げて遊撃区に入り、中央軍、雑軍もまた加わった。この正規軍を核心として、その周囲に遊撃隊が編成されていった。…
この後方戦線の仕事は、前方戦線とは全く異ったものであった。また従来の不正規戦やゲリラ戦とも異っている。従来の遊撃隊が主として相手方の後方攪乱であったのと異って、後方攪乱はむしろ従であり、その主任務は政治・経済・思想工作であった。政治工作として彼らは日本軍の被占領区域[日本軍に占領された地域]に入り込んで、自分たちの県長を任命し、地方政府を造り、課税し、学校を設け、紙幣を発行し、新聞を発行し、郵便局までを設けた。経済方面では日本側が必要とするものを一切供給せず、皆日本から持って来させるようにし、日本の国力消耗を計り、又日本品を購買しないようにした。彼らは農村に拠り、日本軍の占拠する都市と対立した。経済絶交のために農村は自給自足の状態にかえり原料生産から食糧生産に転じ[加工原料を作るのではなく、主食の生産に移った]、ために棉花の生産等は大いに減じた。又農村に手工業を興して、工業品の自給を企てた。[農村で手工業もはじめた。]…
思想戦においては二つの目標を設けた。一つは民衆獲得である。民衆を日支いずれが獲得するかは重大な問題である。民衆の獲得には民心を獲得すべきであり、民心を得るには民衆生活を安定にせねばならぬ。そのため民衆の生活問題については種々とやった。一つは抗日思想涵養である。日本側の和平運動に対し、長期抗戦のためには、民衆の間に抗日運動をうんと注ぎ込む必要があるので、民衆組織を通じて抗日宣伝に努めた。かくて抗日思想はこの機会に更に大衆の間に深刻に入っていった。」(同上書 p.338-340)
長野氏の視点は、「各民族のぶつかり合いが戦争を惹起せしめるのだ」という極めてシンプルなものだ。今まで資本主義が戦争を起こすとかファシズムが戦争にひきずりこむなどという考え方を吹き込まれてきたが、長野氏の視点の方がはるかに説得力を感じるのだ。 アメリカの民族戦は資本侵略であり、ロシアの民族戦は武力による領土侵略であり、中国の民族戦は民衆を盾にして人海戦術でもってする侵略であったのだが、今の世界もそういう視点が必要なのではないか。
おおよそ百年前の世界と異なるのは、わが国において「民族の衝突」に対処しようにも、戦後の長い期間にわたってそのような事態になることを「想定外」としてきた点だろう。今のわが国で、ある国が一方的に攻撃してきた場合にどう対処すればよいのか、その対策が十分に検討されているのかどうかが心配になってくる。
いずれの国においても、国を守るためには健全な愛国心が不可欠だと思うのだが、戦後のわが国においては、愛国心を育てる教育が学校で充分になされてきたとは思えない。
「ひとりひとりの命を大切に」という思想ももちろん大切だが、侵略する側からすれば抵抗する人間が少なくて逃げる人間が多ければ、その国を侵略することは容易であることは言うまでもない。
自らが犠牲になっても国を守り家族を守るという行為よりも自分の命が優先する価値観に国民が染まっていて、どうして国を守ることが出来ようか。
私には戦後にGHQが広めた歴史観にせよ、国家観にせよ、家族観にせよ、わが国が二度と戦わない国にする意図が隠されているような気がしてならない。そして中国や韓国の戦後の反日も、背後でアメリカなどの国が動いている可能性を感じている。
今回の騒動で多くの日本企業が中国から撤退することになるだろう。日本企業が徹足したあとに、アメリカ企業が中国に進出したとしたら、昭和初期に実際に起こったことを繰り返すことになる。
以前にも書いたが、アメリカにとっては、ライバル国同志の紛争や、ライバル国の内部対立を利用すれば、自らは血を流すことなく、お互いを戦わせて消耗させることで自国の覇権を強化できる。我が国に、中国や、韓国や、ロシアといくら紛争が起こっても、アメリカにとっては、わが国が3国で開拓した市場を奪うチャンスでもあり、武器や兵器を売るチャンスでもある。プラスになることはあれ、マイナスになることは何もないのだ。
わが国は中韓ロがいかなる挑発をしてこようとも、領土問題では安易な妥協をすべきではないと思う。安易な妥協を繰り返せば沖縄も対馬も危なくなると考えるべきだし、自国の国土を守れない国は世界から軽蔑されるだけである。
かといって、武力衝突することはアメリカの思う壺かもしれないし、国力の消耗することは避けたいことは言うまでもない。
やるべきことは、これ以上問題を先送りすることなく、中韓ロがこれ以上武力挑発できない方向に世界の世論を向けていくしかないように思う。
いずれの領土問題についても、もともとわが国の領土であることを確かな証拠を示して説明することができるのである。その主張をわが国が他の世界諸国と国民に向けて繰り返しアピールし、中韓ロいずれの国も歴史を捏造して自国民を教育していることを示し、民間レベルでも、ネットを通じて世界にも領土問題の真実を広めていくべきではないのか。
中韓ロの主張に理がない事が世界に浸透すれば、それぞれの国が強硬策でわが国の領土を奪おうとすることが全世界から「野蛮な行為である」と認識され、そうすれば反日のエネルギーは弱まらざるを得ないだろう。
中韓ロの民衆が領土問題について自国側に理がない事を知れば、3国の民衆がこれまでの政府情報が虚偽であることを知り、それまでの反日エネルギーがいずれ自国政府に向けられる可能性も小さくはない。その兆候が出てきてはじめて、わが国は有利な立ち位置に立って交渉を行なうことが可能となるのだと思う。
相手国の情報戦には、情報戦で徹底的に戦うことが原則であり、何もしなければ先方のプロパガンダにより、再びわが国が「悪者」のレッテルを貼られることになるだけだ。
わが国のみを悪者とする「戦勝国にとって都合の良い歴史観」では、わが国が戦勝国に対して外交で勝利することがありえないことを、もうそろそろ認識すべきである。
中韓ロが理のない挑発行為を行った今こそ、戦後の長きにわたり戦勝国から押し付けられてきた歴史観から、国民が脱却するチャンスではないのか。
以前にも書いたが、これからでも遅くないから、戦後のGHQによる検閲と焚書により長い間封印されていた「戦勝国にとって都合の悪い真実の歴史」を少しずつでも取り戻し、国内外の多くの人に広めていくことが重要だと思う。
***********************************************************************************
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
↓ ↓
ツイート
- 関連記事
- 第一次大戦以降、中国の排日運動を背後から操ったのはどこの国だったのか~~その1 (09/05)
- 米英が仕掛けた中国の排日運動はそれからどうなったのか~~中国排日その2 (09/10)
- 中国の排日が我が国を激しく挑発するに至った経緯~~中国排日3 (09/15)
- 中国全土に及んだ「排日」がいかに広められ、誰が利用したのか~~中国排日4 (09/21)
- 当時の米人ジャーナリストは中国排日の原因をどう記述しているか~~中国排日5 (09/27)
- 蒋介石はなぜ外国人居留地であった上海で日本軍と戦ったのか~~中国排日6 (10/02)
- プロパガンダでわが国に罪を擦り付け、世界を「反日」に誘導した中国~~中国排日7 (10/06)
- 「南京大虐殺」の真実を追う~~中国排日8 (10/11)
FC2カウンター
アクセス累計
プロフィール
Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。
4年ほど前にあるブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年に入ったのを期に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。
***********************
コメント、トラックバック共に歓迎しますが、記事内容とあまり関係ない内容を論拠を示さないまま一方的に自説を唱えたり、どこかの掲示板などの文章をまるまる引用しているだけのコメントは削除させていただくことがあります。
また、お叱りや反論もお受けしますが、一方的に批難するだけのものや不適切と思われるコメントなども管理人の権限で削除させて頂く場合がありますので、予めご了承ください。
***********************
最新記事
- 江戸開城後に静岡移住を決意した旧幕臣らを奴隷同然に運んだ米国の船 (12/26)
- 明治政府は士族をどう活用しようとしたのか (12/21)
- 明治維新と武士の没落 (12/16)
- 出石散策の後、紅葉の美しい国宝・太山寺へ (12/11)
- 柴山漁港の競りを見学のあと出石神社、宗鏡寺の紅葉を楽しむ (12/06)
- 素晴らしい紅葉の国宝寺院・一乗寺から日本海へ (11/30)
- 播磨の国宝寺院の神仏習合の景観を楽しんで~~朝光寺・浄土寺 (11/26)
- 松尾芭蕉と河合曾良の『奥の細道』の旅の謎を追う (11/19)
- 日光の秋を求めて憾満ヶ淵から田母沢御用邸へ~~~日光観光その4 (11/12)
- 日光二荒山神社から国宝・大猷院へ~~日光観光その3 (11/07)
- 紅葉し始めた日光の輪王寺と東照宮を歩く~~日光観光その2 (11/02)
- 古き日光の祈りの風景を求めて~~日光観光その1 (10/28)
- 日光の社寺が廃仏毀釈の破壊を免れた背景を考える~~日光東照宮の危機2 (10/22)
- 戊辰戦争で焼き討ちされる危機にあった日光東照宮~~日光東照宮の危機1 (10/16)
- 家康の死後の主導権争いと日光東照宮 (10/11)
- 世界遺産の比叡山延暦寺の諸堂を巡って (10/06)
- 南光坊天海は明智光秀と同一人物なのか…「光秀=天海説」を考える その2 (09/30)
- 光秀は山崎の合戦で死んでいないのではないか…「光秀=天海説」を考える その1 (09/25)
- 慈眼堂、滋賀院門跡から明智光秀の墓のある西教寺を訪ねて考えたこと (09/20)
- 唐崎神社から日吉大社、日吉東照宮を訪ねて (09/14)
- 神仏分離令が出た直後の廃仏毀釈の首謀者は神祇官の重職だった (09/10)
- 全寺院を廃寺にした薩摩藩の廃仏毀釈は江戸末期より始まっていたのではないか (09/05)
- 寺院の梵鐘を鋳つぶして大砲を作れという太政官符に苦慮した江戸幕府 (08/30)
- 水戸藩が明治維新以前に廃仏毀釈を行なった経緯 (08/25)
- 江戸時代になぜ排仏思想が拡がり、明治維新後に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたのか (08/20)
- 日吉神社、大垣城、南宮大社から関ヶ原古戦場に向かう (08/15)
- 「さくら道」を走って、織田信長が天下布武を宣言した岐阜に向かう (08/09)
- 湖底に沈んだ「飛騨の白川郷」と呼ばれた合掌造り集落の話 (08/04)
- 郡上一揆と白山信仰のゆかりの地を訪ね、白川郷の合掌造りの民宿で泊まる (07/30)
- 郡上八幡の歴史と文化と古い街並みを楽しんで (07/26)
- ポーツマス会議のあと、講和条約反対・戦争継続の世論が盛り上がった事情 (07/21)
- 日本海海戦で日本軍が圧勝した背景と東郷平八郎の決断 (07/16)
- 圧倒的に劣勢であった奉天会戦に日本軍が勝利できたのは何故か (07/11)
- 世界は乃木率いる第三軍が旅順要塞を短期間で落城させたことを賞賛した (07/05)
- 乃木将軍は「愚将」であったのか (06/29)
- 日露戦争の原因となったロシアの朝鮮侵略をけしかけた国はどこの国か (06/24)
- なぜ米国は日露戦争開戦当初から日本の勝利を確信したのか (06/19)
- 日露開戦を決定したわが国の首脳に、戦争に勝利する確信はあったのか (06/14)
- 義和団による暴動を、満州占領のチャンスととらえたロシア (06/09)
- 北清事変で北京制圧の後に本性を露わにした「文明国」の軍隊 (06/04)
- 義和団の暴徒に囲まれ孤立した公使館区域の人々が如何にして生き延びたのか (05/30)
- 大迫力の閻魔大王像に魅せられて~~水無瀬から大山崎歴史散歩3 (05/24)
- 後鳥羽上皇が愛した水無瀬の地を歩く~~水無瀬から大山崎歴史散歩2 (05/19)
- 「櫻井の別れ」は、どこまでが真実か~~水無瀬から大山崎歴史散歩1 (05/16)
- 薩英戦争の人的被害は、英国軍の方が大きかった (05/10)
- 薩英戦争で英国の砲艦外交は薩摩藩には通用しなかった (05/05)
- 生麦事件は、単純な攘夷殺人事件と分類されるべきなのか (05/01)
- 二見ヶ浦観光のあと、明治時代の名建築である賓日館を楽しむ (04/26)
- 伊勢神宮内宮の別宮・月讀宮、神宮徴古館、金剛證寺などを訪ねて (04/21)
- 伊勢の廃仏毀釈と伊勢神宮の式年遷宮に多大な貢献をした尼寺のこと (04/16)
最新コメント
- しばやん:江戸開城後に静岡移住を決意した旧幕臣らを奴隷同然に運んだ米国の船 (12/29)
- クッキングホイル:江戸開城後に静岡移住を決意した旧幕臣らを奴隷同然に運んだ米国の船 (12/29)
- しばやん:天神祭と大阪天満宮とあまり知られていないお寺のこと (12/29)
- しばやん:占領軍の検閲は原爆を批判した新聞社の処分から始まった (12/29)
- mayflower:天神祭と大阪天満宮とあまり知られていないお寺のこと (12/29)
- mayflower:占領軍の検閲は原爆を批判した新聞社の処分から始まった (12/29)
- しばやん:占守島の自衛戦を決断した樋口少将を戦犯にせよとのソ連の要求を米国が拒否した理由 (12/27)
- しばやん:フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その2 (12/27)
- しばやん:熾烈を極めた「文永の役」の戦闘でよく闘った鎌倉武士たち~~元寇その2 (12/27)
- mayflower:占守島の自衛戦を決断した樋口少将を戦犯にせよとのソ連の要求を米国が拒否した理由 (12/27)
- mayflower:フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その2 (12/27)
- mayflower:熾烈を極めた「文永の役」の戦闘でよく闘った鎌倉武士たち~~元寇その2 (12/27)
- しばやん:赤穂浪士の処刑をどうするかで、当時の幕府で大論争があった~~忠臣蔵2 (12/26)
- 根保孝栄・石塚邦男:赤穂浪士の処刑をどうするかで、当時の幕府で大論争があった~~忠臣蔵2 (12/26)
- しばやん:明治政府は士族をどう活用しようとしたのか (12/22)
- un beau jour:明治政府は士族をどう活用しようとしたのか (12/22)
- しばやん:若草山の山焼き (12/20)
- :若草山の山焼き (12/20)
- しばやん:日露戦争以降、わが国は米国黒人の希望の星であった~~米国排日4 (12/14)
- 志士:日露戦争以降、わが国は米国黒人の希望の星であった~~米国排日4 (12/14)
最新トラックバック
リンク
- 近代デジタルライブラリー
- 神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫
- 株式日記と経済展望
- 国際派日本人養成講座
- 西尾幹二のインターネット日録
- 渡邉良明のブログ「日本の天命・日本人の使命」
- しばやんの日々(旧メインブログ)
- 奈津子の徒然雑記帳
- キリスト教の問題点について考える
- Cyberlaw
- 黒田裕樹の歴史講座
- O-TUBE
- 観仏日々帖
- まーりたんの暮らし探訪記
- 歴史~とはずがたり~
- TEL QUEL JAPON
- 美雨の部屋へようこそ
- 田舎な歳時記
- 坂の上のサインボード
- 京都・町家ぐらし
- 日本たばこ党宣言
- rakitarouのきままな日常
- 中国通史で辿る名言・故事探訪
- タッチャンの散歩
- 別府葉子公式ブログ ~葉子通信
- お迎えが来ない居候hippoponの日常
- 戦国時代を追いかけて日本の歴史つまみ食い紀行
- 実業の世界
- 遊びをせんとや生まれけん! 戯れせんとや生まれけん!
- 難関突破~技術士番外編~
- 神社建築と文化財探訪<TIAS>
- 見るは法楽 HDR
- 五月花の羊
- 管理画面
カテゴリ
月別アーカイブ
- 2014/12 (5)
- 2014/11 (6)
- 2014/10 (5)
- 2014/09 (6)
- 2014/08 (6)
- 2014/07 (6)
- 2014/06 (6)
- 2014/05 (7)
- 2014/04 (6)
- 2014/03 (5)
- 2014/02 (5)
- 2014/01 (6)
- 2013/12 (6)
- 2013/11 (5)
- 2013/10 (5)
- 2013/09 (5)
- 2013/08 (5)
- 2013/07 (5)
- 2013/06 (6)
- 2013/05 (6)
- 2013/04 (6)
- 2013/03 (6)
- 2013/02 (6)
- 2013/01 (6)
- 2012/12 (7)
- 2012/11 (6)
- 2012/10 (7)
- 2012/09 (5)
- 2012/08 (6)
- 2012/07 (7)
- 2012/06 (5)
- 2012/05 (6)
- 2012/04 (6)
- 2012/03 (5)
- 2012/02 (5)
- 2012/01 (5)
- 2011/12 (6)
- 2011/11 (5)
- 2011/10 (6)
- 2011/09 (4)
- 2011/08 (6)
- 2011/07 (5)
- 2011/06 (6)
- 2011/05 (5)
- 2011/04 (5)
- 2011/03 (4)
- 2011/02 (5)
- 2011/01 (6)
- 2010/12 (6)
- 2010/11 (4)
- 2010/10 (7)
- 2010/09 (6)
- 2010/08 (6)
- 2010/07 (6)
- 2010/06 (5)
- 2010/05 (7)
- 2010/04 (7)
- 2010/03 (7)
- 2010/02 (6)
- 2010/01 (8)
- 2009/12 (8)
- 2009/11 (3)
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
日本語→英語自動翻訳【星条旗】
このページを英訳したい人は
この下のEnglishの部分をクリックすれば
ある程度の英語の文章になるようです。
ジオターゲティング
最近1週間の都道府県別アクセス状況(所在地が判明しているPC等のユニークアクセス合計値)
ブロとも申請フォーム
ブログランキング
下の応援ボタンをクリックして頂くと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
おきてがみ
月間人気記事ランキング
個別記事への直接アクセス数の今月1日からの合計値で、2つのブログとはFC2ブログと、以前のメインであったブロガリです。毎月末にリセットされます。
人気ブログランキング 日本史
各ブログの「人気ブログランキング」の1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示。
ブログ村PVランキング 歴史
ブログ村に参加しているブログのページビュー(ページ閲覧数)を計測し、その閲覧数順に順位付けするランキングです。
ブログ内検索
『しばやんの日々』のブログ内の記事をキーワードで検索できます。検索結果の全ての記事と、記事の最初の文章が表示されます。
タグクラウド
ツイッタータイムラン
おすすめ商品
参考書籍
最近のブログ記事を書くにあたり参考にした書籍など
旅館・ホテル