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中国全土に及んだ「排日」がいかに広められ、誰が利用したのか~~中国排日4

前回の記事で昭和11年(1936)の8~9月ごろになって、抗日テロが至る所に起こった経緯について書かれた長野朗氏の『民族戦』の文章を紹介した。今回はその続きである。

長野氏の著書によると、この年の11月に起こった『綏遠問題』によって、中国の抗日運動がピークに達したのだという。この『綏遠問題』とは何か。

長野氏の文章と西尾氏の解説を参考にまとめることにする。
「綏遠」というのは内蒙古にある省の名前で、そこに徳王という蒙古独立運動の指導者がいた。
その徳王が蒙古族を率いて反漢人闘争に立ちあがったのを受け、蒋介石が綏遠に八万の大軍を送り込むのだがその際に、「徳王軍の背後に日本軍がいる。」との情報を流して、全国民に対して民族戦のために蹶起を促したために、中国全土で抗日の機運が一気に盛り上がったというのだ。
わかりやすく言うと、蒋介石は米英が種をまいた「排日思想」のエネルギーを蒙古族の徳王に向けさせて、その鎮圧に利用したということだ。

S111118綏遠問題

以前このブログで紹介した「神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ」の「新聞記事文庫簡易検索」システムで「綏遠問題」を検索すると、昭和11年11月18日付の大阪毎日新聞の記事が見つかった。
この記事によると、「露国はすでに外蒙を完全に勢力下に入れ、さらに北支にも赤化[共産化]の魔手を伸ばそうとしている矢先、この内乱こそ露国にとっては乗ずべき絶好の機会に違いない。」とあり、単純に蒙古族と漢人との争いというだけではなく、ソ連も「排日思想」のエネルギーをうまく用いて、双方を消耗させることは共産革命に導く好機ではないかと述べている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10106668&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

ここでしばらく長野氏の文章を引用する。
(原文は旧字・旧仮名遣いだが、新字・新仮名遣いに変更している。[  ]内は西尾氏の補足部分。以下も同様。)

「綏遠問題は実に抗日に一大転換を与え、戦士は民族戦の英雄として全国民賞賛の的となり、かつ日本に対する自信力を得たため、[シナの民族は]従来の受動的消極的態度から、一変して積極的となった。そこにその年の暮れに西安事件[蒋介石が張学良に監禁され、共産党との協力を迫られた事件]が起こり、蒋介石は膝を共産党に屈し[蒋介石がそれまでは共産党征伐をやっていた蒋介石が共産党に膝を屈した]、共産党不討伐と抗日戦の実行を承諾して漸く免かれ[①共産党と手を握ること、②抗日を実行することを約束させられて解放された]、第二回の国共合作と抗日統一戦線が成立し、支那の抗戦体制が成った。」(西尾幹二GHQ焚書図書開封7』p.332)

西安事変

1936年12月の「西安事件」については教科書には詳しく書かれていないのだが、この事件が起こるまでの8年間は、蒋介石は共産軍を殲滅させるために戦ってきたのであり、新たに20個師団と100機を超える航空機を導入して2週間から1か月以内に共産軍に勝利して戦いを終息させようとしていた矢先に、蒋介石は張学良により拉致・監禁されてしまうのだ。この事件を機にそれまで反共産主義であった蒋介石は豹変し、共産党と手をにぎって抗日に転換することになる。

蒋介石を拉致監禁した張学良は張作霖の息子である。父親の張作霖は反共共産主義であり、1927年4月ににはソ連大使館を捜査して関係者を大量に逮捕し、武器も多数押収している。一方息子の張学良は、1925年には共産党に極秘入党していたとの記録もあるようだ。

このブログで2度に分けて張作霖爆殺事件のことを書いたが、ソ連の情報機関の資料から明らかになっているのは、この張作霖爆殺事件はスターリンの命令に基づいて、コミンテルンの工作員のナウム・エイチンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだというのだ。
この事件は調べれば調べる程不自然な事ばかりで、関東軍が疑われるように工作された可能性が極めて高いと私は考えている。主犯とされる河本大作に関しては信頼できる第一次資料は存在せず、通説と爆破された後の現場検証の記録とは完全に矛盾していて、通説が正しいことは物理的にあり得ないことが調べればわかる。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-205.html

http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-206.html

蒋介石の話に戻そう。
かくして、米英が最初に仕掛けた「排日思想」は、蒋介石だけでなくコミンテルンにも利用されて、彼らの工作により、この時期の多くの事件が日本軍の仕業によるものとされていったのではないかと考えている。

特に蒋介石の国民党は宣伝がうまかったようだ。長野氏の『民族戦』の文書をいくつか引用する。

「国民党は宣伝で政権を取っただけに、宣伝はお手のもので、ポスターに漫画に、市内の壁という壁、高い塔、町の入口、すべて排日の文字ならざるはなく、…

紙幣にも排日の二字が印され、商品にも排日の文字があり、民衆は足一歩出づれば、眼に見るもの耳に聞くもの、すべて排日ならざるはなく、長い間には無意識の間に排日思想が民衆の頭に刻み込まれて行った。…

排日教育については国民党のやり方は徹底していた。国民政府内に教科書の編纂委員会が出来、その方針を決定し、編纂を管理するにいたったから、排日教育は政府により行わるることとなった。国民党は自ら排日を行ったほか、その指導下に反日会なる排日実行団体が生まれ、これを通じて全国小学校に向け、たえず排日の教材を配布し、その他童謡に童話に、児童劇に、悉く激越な文字を羅列し、児童の頭に排日を植え付けて行った。…

img20120921204812101.jpg

かくて学生から商人へ、労働者へ、小学生へと広まっていった排日思想は、この事変[支那事変]により都市から農村へと拡大され、且つ事変の過程を通じて極めて深刻となり先鋭化しているから、現状においては日支親善の如きは一つの口頭禅[口先だけの念仏]で、如何にして尖鋭化した抗日思想を多少緩和するかくらいで、日支の感情融和の如き、一朝一夕のことでない。」(同上書 p.333-337)

蒋介石がここまでして排日思想を広めたことの意図はどこにあったのだろうか。ここからが重要な部分である。長野氏の文章を再び引用させていただく。

「次は民衆の戦争参加である。彼らはこの戦い[支那事変]を支那民族全部の戦いに持っていこうとしている。彼らは正規軍の力だけでは、日本軍に抗し得ないことを知っている。そこで民衆動員を企て、日本軍の背後にも一つの戦線を造ろうとした。これが遊撃隊である。かくて従来の戦争に見られない現象が起こった。即ち戦線が前方と後方とに二つ出来た。前方には正規軍、後方には民衆軍である。正規軍が二百万、これと同じくらいの数の遊撃隊がいる。この遊撃隊の組織に当たったのは主として共産軍である。…

ロシアの満州謀略

この民衆軍の組織に当たっては、その核心となるものがなくては、民衆だけでは成り立たない。そこで共産軍はその全力を挙げて遊撃区に入り、中央軍、雑軍もまた加わった。この正規軍を核心として、その周囲に遊撃隊が編成されていった。…

この後方戦線の仕事は、前方戦線とは全く異ったものであった。また従来の不正規戦やゲリラ戦とも異っている。従来の遊撃隊が主として相手方の後方攪乱であったのと異って、後方攪乱はむしろ従であり、その主任務は政治・経済・思想工作であった。政治工作として彼らは日本軍の被占領区域[日本軍に占領された地域]に入り込んで、自分たちの県長を任命し、地方政府を造り、課税し、学校を設け、紙幣を発行し、新聞を発行し、郵便局までを設けた。経済方面では日本側が必要とするものを一切供給せず、皆日本から持って来させるようにし、日本の国力消耗を計り、又日本品を購買しないようにした。彼らは農村に拠り、日本軍の占拠する都市と対立した。経済絶交のために農村は自給自足の状態にかえり原料生産から食糧生産に転じ[加工原料を作るのではなく、主食の生産に移った]、ために棉花の生産等は大いに減じた。又農村に手工業を興して、工業品の自給を企てた。[農村で手工業もはじめた。]…

思想戦においては二つの目標を設けた。一つは民衆獲得である。民衆を日支いずれが獲得するかは重大な問題である。民衆の獲得には民心を獲得すべきであり、民心を得るには民衆生活を安定にせねばならぬ。そのため民衆の生活問題については種々とやった。一つは抗日思想涵養である。日本側の和平運動に対し、長期抗戦のためには、民衆の間に抗日運動をうんと注ぎ込む必要があるので、民衆組織を通じて抗日宣伝に努めた。かくて抗日思想はこの機会に更に大衆の間に深刻に入っていった。」(同上書 p.338-340)

長野氏の視点は、「各民族のぶつかり合いが戦争を惹起せしめるのだ」という極めてシンプルなものだ。今まで資本主義が戦争を起こすとかファシズムが戦争にひきずりこむなどという考え方を吹き込まれてきたが、長野氏の視点の方がはるかに説得力を感じるのだ。 アメリカの民族戦は資本侵略であり、ロシアの民族戦は武力による領土侵略であり、中国の民族戦は民衆を盾にして人海戦術でもってする侵略であったのだが、今の世界もそういう視点が必要なのではないか。

おおよそ百年前の世界と異なるのは、わが国において「民族の衝突」に対処しようにも、戦後の長い期間にわたってそのような事態になることを「想定外」としてきた点だろう。今のわが国で、ある国が一方的に攻撃してきた場合にどう対処すればよいのか、その対策が十分に検討されているのかどうかが心配になってくる。

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いずれの国においても、国を守るためには健全な愛国心が不可欠だと思うのだが、戦後のわが国においては、愛国心を育てる教育が学校で充分になされてきたとは思えない。
「ひとりひとりの命を大切に」という思想ももちろん大切だが、侵略する側からすれば抵抗する人間が少なくて逃げる人間が多ければ、その国を侵略することは容易であることは言うまでもない。
自らが犠牲になっても国を守り家族を守るという行為よりも自分の命が優先する価値観に国民が染まっていて、どうして国を守ることが出来ようか。

私には戦後にGHQが広めた歴史観にせよ、国家観にせよ、家族観にせよ、わが国が二度と戦わない国にする意図が隠されているような気がしてならない。そして中国や韓国の戦後の反日も、背後でアメリカなどの国が動いている可能性を感じている。

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今回の騒動で多くの日本企業が中国から撤退することになるだろう。日本企業が徹足したあとに、アメリカ企業が中国に進出したとしたら、昭和初期に実際に起こったことを繰り返すことになる。

以前にも書いたが、アメリカにとっては、ライバル国同志の紛争や、ライバル国の内部対立を利用すれば、自らは血を流すことなく、お互いを戦わせて消耗させることで自国の覇権を強化できる。我が国に、中国や、韓国や、ロシアといくら紛争が起こっても、アメリカにとっては、わが国が3国で開拓した市場を奪うチャンスでもあり、武器や兵器を売るチャンスでもある。プラスになることはあれ、マイナスになることは何もないのだ。

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わが国は中韓ロがいかなる挑発をしてこようとも、領土問題では安易な妥協をすべきではないと思う。安易な妥協を繰り返せば沖縄も対馬も危なくなると考えるべきだし、自国の国土を守れない国は世界から軽蔑されるだけである。
かといって、武力衝突することはアメリカの思う壺かもしれないし、国力の消耗することは避けたいことは言うまでもない。
やるべきことは、これ以上問題を先送りすることなく、中韓ロがこれ以上武力挑発できない方向に世界の世論を向けていくしかないように思う。

いずれの領土問題についても、もともとわが国の領土であることを確かな証拠を示して説明することができるのである。その主張をわが国が他の世界諸国と国民に向けて繰り返しアピールし、中韓ロいずれの国も歴史を捏造して自国民を教育していることを示し、民間レベルでも、ネットを通じて世界にも領土問題の真実を広めていくべきではないのか。
中韓ロの主張に理がない事が世界に浸透すれば、それぞれの国が強硬策でわが国の領土を奪おうとすることが全世界から「野蛮な行為である」と認識され、そうすれば反日のエネルギーは弱まらざるを得ないだろう。

中韓ロの民衆が領土問題について自国側に理がない事を知れば、3国の民衆がこれまでの政府情報が虚偽であることを知り、それまでの反日エネルギーがいずれ自国政府に向けられる可能性も小さくはない。その兆候が出てきてはじめて、わが国は有利な立ち位置に立って交渉を行なうことが可能となるのだと思う。
相手国の情報戦には、情報戦で徹底的に戦うことが原則であり、何もしなければ先方のプロパガンダにより、再びわが国が「悪者」のレッテルを貼られることになるだけだ。
わが国のみを悪者とする「戦勝国にとって都合の良い歴史観」では、わが国が戦勝国に対して外交で勝利することがありえないことを、もうそろそろ認識すべきである。

中韓ロが理のない挑発行為を行った今こそ、戦後の長きにわたり戦勝国から押し付けられてきた歴史観から、国民が脱却するチャンスではないのか。
以前にも書いたが、これからでも遅くないから、戦後のGHQによる検閲と焚書により長い間封印されていた「戦勝国にとって都合の悪い真実の歴史」を少しずつでも取り戻し、国内外の多くの人に広めていくことが重要だと思う。
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。
4年ほど前にあるブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年に入ったのを期に正式にこのブログに一本化しました。
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