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中国の排日が我が国を激しく挑発するに至った経緯~~中国排日3

前回まで、長野朗氏の『支那三十年』というGHQ焚書処分された書物の内容の一部を紹介してきた。

長野氏はこの著書で、中国の排日は中国大陸で最大の交易国であった日本の商圏を奪い取る目的で英米が最初に「排日思想」を中国人に植え付けたものであり、事実アメリカは日本を追い落として中国の最大の交易国となり目的を達したことや、その後中国では二十年もの間行われてきた「排日教育」が徐々に中国人に浸透して民族主義と結びつき、またコミンテルンも「排日思想」を利用するようになっていったことを極めて具体的に叙述しておられる。
また、当時の新聞記事のいくつかを紹介して、長野氏の主張が的を得ていることを検証してみたのだが、このような記事は当時の新聞を検索していけばいくらでも見つけることができる。
当時の日本人はこのような新聞記事を読んでいたのだから、中国人の排日の背後に英米やコミンテルンが関与していたことはある程度理解できていたはずなのだが、このような史実を伝えることが戦後GHQの焚書処分やプレスコードによるマスコミ・出版の自主検閲によって封印されたために忘れ去られて、今では日本人の多くが、「わが国が侵略国であり戦争の原因を作った」という歴史観に洗脳されてしまっていることは非常に残念なことである。
もし、GHQが焚書を行なっていなかったなら、近・現代史が今とは全く異なる内容になっていてもおかしくない。歴史の真実を知れば知るほど、戦後の日本人がいかにひどい歴史観を押し付けられてきたことに、誰しも容易に気が付くはずなのだ。

西尾講演

前置きが長くなったが、今回も「中国の排日」に関して書くことにしたい。
『支那三十年』の著者である長野朗氏が他にも中国に関する本をいくつか書いておられるが、同様にGHQの焚書図書に指定されている『民族戦』という本を、西尾幹二氏が『GHQ焚書図書開封7』でその内容を紹介しながら解説しておられる。

英米が仕掛けた「排日思想」になぜ中国人が飛び付いたのか。その経緯については、『支那三十年』にはあまり詳しくは書かれてなかったのだが、この『民族戦』にはその点について長野氏の所見が記述されている。しばらく長野氏の文章を引用させていただく。(原文は旧字・旧仮名遣いだが、新字・新仮名遣いに変更している。[  ]内は西尾氏の補足部分。以下も同様。)

「…日清戦争までは、支那は大国として日本を蔑視し、日本又支那に敬意を表していたが、日清戦争の結果、その地位は顚倒[日本とシナとの力関係が逆転]した。次いで北清事変[1900年(明治33年)義和団事件]、日露戦争を経て日本の地位が益々向上するにしたがい、支那はその積弱(せきじゃく:だんだんダメな国になっていること)を暴露してきた。」(西尾幹二GHQ焚書図書開封7』p.320)

「かくて日本が朝鮮を合邦し[1910年(明治43)日韓併合]、関東州[旅順・大連のある一帯。日本の租借地]を得、満鉄によって満州に進出し、さらに日独戦[第一次世界大戦のとき、日本がドイツをシナの租借地から一掃した戦い]により山東にまで迫るに及び支那の恐怖は漸く増大した。…
しかるに、欧州大戦が終わって英米が東亜にやって来たのと、支那人の思想が世界思潮の変化につれ変わったために、俄然排日の空気が勃発するに至った。加えるに当時の我が外交のやり口が、支那に誤解を抱かせるものもあり、口に日支親善と支那の領土保全を叫び、内政不干渉を唱えながら、裏の方は一党一派を助けて内政干渉をやり、…」(同上書p.321)
と書いてある。

GHQ焚書開封7

簡単に纏めると、誇り高き中国は日清戦争に敗れて凋落し、日本は日露戦争にも勝って、中国と日本との力関係は逆転してしまった。また当時の中国の政治は乱れていて、軍閥が4つも5つもあり、国がまとまりそうではなかったのだが、第一次大戦の後、英米が中国に進出して「排日思想」を撒き散らしてから流れが変わっていく。わが国が中国に対してやったことは中国に進出した西洋諸国と変わらなかったのだが、中国人はわが国に対してだけは許せなくなっていく。

「支那人には白人崇拝心はあるが、同じ人民[黄色人種である]である日本人に対して崇拝心なく、日本人が白人と同じように支那人に威張るのを小づら憎く思った[これが排日のいちばん大きな理由でしょう]。それに日本が小国でありながら、一躍世界列国の列に入り[第一次大戦後の「五大国」はイギリス、アメリカ、フランス、イタリア、そして日本でした]、列強の一つとして支那に臨んでいることに対しては、少なからざる嫉妬心さえ持っている.のである。」(同上書p.322)

中国にとっては、同じ黄色人種の日本との戦争に敗れ経済でも大きく遅れをとったことが面白くなかったことは容易に想像ができる。中国人は日本人に対して長い間民族的嫉妬心を抱いていたのだが、それに火をつけたのが英米だったのである。
中国人も英米と同様に日本人を中国市場から追い出そうとした。その背景について、長野氏はこう解説している。

「こうして排日が起こったが、彼らがボイコットを採用したのは、実に日本の経済的弱点に乗じたのである。日本は土地狭くして資源少なく、それに人口が多く、商工中心政策をとってはきたが、原料と販路を他に求めねばならぬ。しかるに隣邦支那には幾多の原料を蔵し、かつ四億の民衆があるから、日本はいきおい原料と販路を支那に求める。この関係を知っている支那人は、日本は支那がなくては生きていけないと思うから、日本を虐(いじ)めるには日貨排斥が第一策だということになる。即ちボイコットをやっていけば、日本人は生存ができなくて支那の言う通りになると思っているし、またいかに虐めても未練があるから[中国がどんなにいじめても、日本は中国のマーケットに未練があるから]、何もなし得ないと思っている。…

支那人は言う。日本は支那がないと生きて行けないから共存共栄かも知れないが、支那は日本がなくても生きて行くのに一向差支えないのだから、共存共栄を唱える必要がない。日支の共存共栄などは日本人が言っているので、支那人の方からかってそうした言葉を言い出したことはないと、武力では日本に及ばないことを知っている支那は、ボイコットにより日本のこの弱点を衝くことが最も有利な戦法であると考えているから、何かちょっとした事があっても、すぐにボイコットをやって日本の進出を防止せんと試みたのである。

img20120915213207791.gif

ボイコットの一因は支那民族資本の勃興であった。支那が外国の市場的位置から脱却せんとし、上海を中心に民族資本が起こるや、まず日本の産業と衝突した。日本の産業は支那よりは進んでいるが、欧米に較べては遅れている。そこで支那の産業が進歩するにしたがって、日本の産業とは競争的地位に立つことになり、日本工業品の輸入により圧迫される支那の工業家は、自己の販路を展開するため、ここに日貨排斥の挙に出て、日貨に代わり国貨[シナの国産品]を以てせんとしたから、日貨排斥にはかならず国貨提唱が付きまとい、国貨の製造販売業者が日貨運動[日貨排斥運動]の中心の一つになった。
同じ外貨[外国製品]でも欧米品は多く高級品であるか、あるいは支那品と競争しない特殊品であるため、欧米品を排斥しても得るところなく、排斥の必要を感じなかったことが、ボイコットの対象が日本品に限られた一因でもある。」(同上書p.324~325)

欧米が排斥されなかったのは、欧米製品は高級品か特殊品で中国製品と競合しなかったからであり、わが国だけが排斥されたのは、日本製品が中国製品と競合したからだという指摘は重要である。
現在の日本人が当時の中国における日貨排斥の歴史をすっかり忘れてしまったために、多くの日本企業が、人件費が安く通貨も安い中国に生産設備を中国に移転してしまっている。このことがいかに危険な事であるかは、長野氏の文章を読めば直感的にわかる。
今の中国は先進国からの設備投資を呼び込んですでに「世界の工場」になっている。
中国に生産設備を移転した日本企業にとっては、中国との共存共栄が望ましいところだが、中国にとっては日本との関係が共存共栄でなくともいくらでも生きていける。
いずれ近いうちに、中国は日本製品のボイコット(日貨排斥)や、サボタージュを仕掛けてくるのではないだろうか。中国にとっては、日本企業を追い出せば、うまくいけば日本企業が残した設備とインフラが安価で手に入るという誘惑がある。ところが、能天気な日本企業は、最先端に近い生産設備を中国に作ってしまっているのだ。

昭和120724北支事変

話を昭和初期の中国の排日運動に戻そう。
この排日運動が、昭和十(1935)年以降局面が変わっていく。再び長野氏の文章を引用する。

「北支問題[満州に境を接する北支は治安が悪かったのです]が起こるや、日貨排斥に代わって対日宣戦の叫びがいたる所にあがった。昭和十年の暮ごろから十一年に入っては、支那人の対日空気は、北から南まで非常に悪化し、従来比較的に良かった北支さえ険悪になった。宋哲元(そうてつげん)の二十九軍[宋哲元は馮玉祥の子分で、蒋介石に対立していた軍人。以前は排日ではなかった]の空気は悪化し、山西は中央支持となり、山東の態度も怪しくなった。民衆の態度は日本人に対して露骨に敵愾心をあらわし、官憲は日本人の旅行者に対してほとんど交戦国民扱いで、その一挙一動は憲兵によって監視された。支那人の細君[奥さん]となっていた日本夫人は続々離婚されて帰国した。…

支那人は傲語して言う『現在吾人[われらシナ人]に残された問題は一つしかない。それは何時日本と戦うかということである』と。」(同上書p.327~328)

教科書ではわが国が一方的に中国を侵略したように書かれているのだが、当時の日本政府は戦争をする気がなく、軍人もしたくなかった。戦争をしたくて仕方がなかったのは中国の方だったのだ。

その当時、戦争を煽ったのは中国においても日本においてもマスコミであった。
以前にこのブログに書いたように、大正15年(1926)の時点でコミンテルンの秘密宣伝部が日本の新聞と雑誌19のメディアをコントロール下においていたということが判明している。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-207.html
コミンテルンは以前このブログで書いたように、日本と中国とを戦わせて戦力を消耗させた後に米国を参戦させて、わが国と中国の共産国化を狙っていたのだから、中国がわが国を戦争に挑発する行為を繰り返したことは、すべてコミンテルンの描いたシナリオ通りであったのではないだろうか。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-210.html

中国のマスコミによる煽動もかなり激しかったようだ。長野氏は次のように書いている。
「彼らは映画やその他の方法で、支那は日本と戦っても始めは負けるが最後には勝つという宣伝を普遍的に大衆の間に繰り返した。そうしてこの戦争は支那四億万民の存亡にかかる民族戦だとなした。かくて支那全国に漲るものは抗日救国[日本を倒して国を救え]の空気であった。…

昭和111118上海紡績暴動

抗日の気勢があがるとともに、従来に見られない邦人の生命財産に対する危害となり、昭和十一年の八、九月頃に至り、抗日テロがいたる所に起こり、その主なるものでも十七、八件に達し、彼らの凶弾に倒れた邦人も少なくなかった。…」(同上書p.328~329)

わが国の教科書では、中国側が卑劣な挑発行為を何度も繰り返したことが一切書かれていないのだが、戦争をしたくて仕方がなかったのは実は中国の方だったのだ。

わが国にとって、このような中国の排日の歴史の真実が忘却されてしまったことの影響は決して小さくない。そのために今では多くの日本の大企業が、共産主義国の中国に生産設備を移転してしまったのだが、それらの企業の多くはテレビや新聞の広告主でもあり、わが国のマスコミの論調はそれら広告主の圧力により、かなり中国寄りになっている事が多いのである。

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わが国が自国の領土である尖閣諸島を守るべきであることは当然の事なのだが、この問題でわが国が強く出れば出るほど、中国は反日暴動などを何度も仕掛けて、中国に進出した日本企業にジワジワ圧力をかけてくるであろう。これらの大企業に、いずれ反日暴動や従業員のサボタージュを仕掛けられたときに、どうやって企業の設備や技術を守ることが出来ようか。今の反日運動の先頭に立っているのは共産主義青年団で、この闘争が拡大していけばこのサイトで書かれている通り、死者が出てもおかしくないのではないかと思う。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/66410e7f46810a7f5e650f7e7c92a189

中国に進出した日本企業を守ることを優先しようとしてわが国が譲歩を繰り返していけば、領土問題が尖閣諸島だけではなくなっていく可能性が小さくない。しかし、いくらわが国が日本企業を守るために領土で譲歩しても、中国が日本企業に対して反日暴動などを起こさない保証はどこにもない。中国は領土だけでなく日本企業の設備と市場を一気に奪い取ろうとするのではないか。それが最悪のシナリオである。

どう考えてもわが国は中国に対して、まずは領土を守る意思を毅然と示すことが必要になってくるだろう。歴史の真実を知らない民主党内閣がどう対応するか。これからの中国の反日運動の行方に目が離せない。
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。
4年ほど前にあるブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年に入ったのを期に正式にこのブログに一本化しました。
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