差別用語というデマ「言葉狩り」に騙されるな!3/3
差別用語というデマ「言葉狩り」に騙されるな!2/3の続き
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■「ハングル講座」という奇怪な言い換え語の謎を解く
それにしても、どうしてこの「ハングル講座」なる奇妙な名前が生まれたり、「ハングル」を朝鮮語の意味で間違って使ったり、さらには「ハングル語」なる変な言葉まで広まってしまっているのだろう。実は、これは朝鮮半島が南北に分裂していることとも関連がある。
朝鮮を呼ぶ言葉には「朝鮮」「韓(国)」の二種類がある。簡単に説明するなら、前者は昔の明(今の中国)の皇帝が付けた名前、後者は韓国自ら付けた名前である。
1897年(つまり1894〜5年の日清戦争終結の際の下関条約で、日本が清に朝鮮独立を認めさせて二年後のこと)、朝鮮は中国の支配圏から脱したことをきっかけに国号を「大韓帝国」と改めた。1910年に日本に併合された時、大韓帝国は姿を消して、日本の朝鮮地方と呼ばれるようになった。1945年の日本敗戦後、朝鮮半島の北側に共産主義国の朝鮮民主主義人民共和国(通称「北朝鮮」)、南側に資本主義国の大韓民国(略称「韓国」)が興り、今なお対立しているのは皆さんご存じの通りである。
このような歴史的背景を考えるならば、どちらかというと自ら名付けた「韓」の方がふさわしいように思えてくる。しかし話はそう単純ではない。北朝鮮はあえて「韓」という言葉を使わず「朝鮮」を使っているのだ。皇帝時代の名称は共産主義に合わないという理由なのだろうか、それとも別の理由なのだろうか、本当の理由はわからないが、とにかくそう呼んでいる。
実は、北朝鮮は自国を「朝鮮」と呼び、韓国は自国を「韓」と呼んでいるのだ。北朝鮮は「共和国」(「北朝鮮」とは呼ばずこう略す)「南朝鮮」「朝鮮半島」「朝鮮語」「朝鮮人」と呼び、韓国は「北韓」「南韓」「韓半島」「韓国語」「韓国人」と呼ぶ。「朝鮮」派と「韓国」派に分裂してしまっていて、今なお統一されていないのだ(もっとも、韓国で「朝鮮」という言葉を全く使わないかというと、そんなことはない。「朝鮮日報」という名前の新聞は有名だし、日本で言う「李氏朝鮮時代」のことを、韓国でも「朝鮮時代」と呼んでいる。つまり、現在の国名としては用いないが、李氏朝鮮時代の古い名称という扱いである。ちょうど「日本」と「倭」の関係に似た部分があるかもしれない)。
ここまで来ると、「ハングル講座」の謎は解けたも同然である。「朝鮮語講座」と称すれば親韓国派の機嫌を損ね、「韓国語講座」と称すれば親北朝鮮派の機嫌を損ね、「朝鮮・韓国語講座」と称すればどちらが先かでもめそうだ……と気を遣い過ぎた挙げ句、結局「朝鮮」も「韓国」も使わない「ハングル講座」になっただろうことは想像に難くない。
でも、気を遣っても構わないから、せめて「朝鮮」「韓国」どちらとも取れる「コリアン講座」あたりにはできなかったものだろうか。「ハングル講座」という名前は、やっぱり気になる。
もう一つ言うなら、恐らく両国の存在に気を遣って生み出された「ハングル講座」という呼称なのだろうが、実は北朝鮮では「ハングル」という呼称を使わない(ハングルのハンは「韓」と同音であるので、「ハン」を「朝鮮(チョソン)」に替えて「チョソングル」と呼んでいる)。全然問題解決になっていないではないか。それなら「ハングル講座」なる奇妙な言葉を使うまでもなく、きちんと「韓国語講座」と名乗るのがよかろうに。
■「北鮮」は差別表現か
「北鮮」のように、「朝鮮」を「鮮」と省略するのは差別表現だという意見がある。しかしこの意見には反論も提出されている。
まず、国名や地域名の省略は非常に一般的であることである。中には途中の漢字だけ抜き出す省略法も非常に多い。アメリカ(亜米利加)の米、オランダ(和蘭陀)の蘭、中華の華といった具合である。日本国内でさえ、京葉・京浜・阪神とは東京-千葉、東京-横浜、大阪-神戸の略といった具合に非常に多い。だから、省略したから差別だとか、頭でなく途中の字だから差別だというのは短絡的な発想であり、単なる言いがかりである。
次に、「朝」には国とか自国という意味もあることである。「帰朝」とは朝鮮に帰るという意味ではなく、海外から日本に戻ってくることを言う。「朝廷」「王朝」「明朝」「清朝」のように、「朝」とは国、特に天子の治める国という意味がある。アメリカが「亜」ではアジアと間違うし、オランダが「和」では日本と間違うが、似たようなことで、「朝」ではどの帝国かわからない。そう考えると、曖昧さを避けて「鮮」と省略したのは自然なことだったと言える。
また、ほんの三十年くらい前までは、北朝鮮に好意的な人でさえも「北鮮」という言葉を普通に使っていた。北朝鮮帰還事業を薔薇色に描いた「キューポラのある街」という映画では、日本人も在日朝鮮人も「北鮮」という言葉を普通に使っているシーンが何度も出てくる。
当時の実際の在日朝鮮人も本当に「北鮮」と呼んでいたかどうかはともかく、「北鮮」が本当に差別的意図で使われる言葉なら、北朝鮮に好意的なこの映画で、果たしてこんな使われ方をされるだろうか。また北朝鮮に亡命し、軍事教練を受けて革命の闘士になることを夢見ていた、よど号ハイジャック犯でさえも「北鮮」という言葉を普通に使っており、「私たちは北鮮に行く」という言葉を残したことが知られている。
「鮮という省略が専ら差別的意図で用いられてきた」というのは本当だろうか。前述のような理由があったということも念頭に置きながら昔の本を読んでみると、その答えは自ずと出てくる。
■トルコ風呂
「トルコ風呂」という名称にトルコ人からのクレームが付いて名称が変わったというニュースを新聞で読んだのは、私が小学生の頃だったろうか。そこが何かエッチなサービスをする風呂屋なのだということは、その当時もおぼろげながら知っていたが、トルコ人の主張ももっともだと思ったものだ。そしてその考えは今に至るまで変わることはない。
何がいけないのか。本場トルコのトルコ風呂とは単なる蒸し風呂であり、自由恋愛を建前に事実上売春を斡旋しているようないかがわしい店のことでは決してない。日本の「トルコ風呂」は本場のトルコ風呂の名を汚すまがい物なのだ。
しかし、だからと言って、私は昔の資料や作品の書き換えに賛成しているわけではない。かつてこのように呼ばれていたのは事実であり、その事実を消す事はできない。
しかしやっぱり、「トルコ風呂」の名称は、本場のトルコ風呂に返して欲しいというのが正直なところだ。その名前にこびり付いてしまった猥褻でいかがわしいイメージが元通りになり、本来の意味でこの言葉を使えるようになるまでには、もっと年月を待たねばならぬかもしれぬ。
■差別の話題からは脱線するが「モーテル」という語について
さて、日本の「モーテル」も、本場アメリカのモーテルの名を汚すまがい物である。アメリカ映画などで既に御存知かもしれないが、本場アメリカのモーテルは、日本のようなカップルの性交渉用に作られたものではなく、一般のホテルの簡易版に過ぎない。日本のような使い方もされないことはないが、元々は一般旅行者のために用意されているものであって、男だけとか家族で利用するのも全く恥ずかしくないどころか当然の使い方である。
これまた同じく、「モーテル」という名称を、本場のモーテルに返して欲しいし、猥褻でいかがわしいイメージを元に戻して欲しいものだ。
しかし実は、日本的な意味の「モーテル」は、今や死語となりつつあるのだ。確かに、昔あんなに見かけたはずの、二重丸みたいなマーク(JMHA=日本モータリストホテル協会のマーク)の付いた「モーテル」の看板など、今やほとんど絶滅している。それに、地域の条例の改正により、モーテル形式のホテルは新規認可や改築が難しいこともあってか、今ある「モーテル」もほとんど老朽化したり廃墟と化しており、絶滅も時間の問題だろう。
結局、日本には、本場アメリカ式のモーテル文化は根付かないものなのかもしれない。
職業関連
■百姓 お百姓さんは誇りを持って自分を「百姓」と呼ぶ
これは詳しく述べることもありますまい。「百姓って差別用語なんですか」と実際にお百姓さんに聞いてみたら、「まさか」とかえって驚かれることだろう。実際に一部マスコミがその語を自主規制していると聞いて、もっと驚くことだろう。
現に、百姓である自分を誇りを持って「百姓」と呼んでいるお百姓さんは多いし、「百姓」とか「お百姓さん」と呼ばれて嫌な顔をするお百姓さんなど、見た事も聞いた事もない。これは、一部マスコミの勝手な思い込みに過ぎないのだ。
現代では確かにパンや麺類を食べる機会が多くなったとは言え、1993年の米不足の時にあんなに日本米が恋しかった記憶は、今でも鮮明に覚えている。お百姓さんたちの日々の努力(と、良い気象条件)なくしては、我々はおいしいコシヒカリ(とか、あきたこまちとか、ふさおとめとか……)を食べることはできないのだ。今日もおいしいお米を作ってくれたお百姓さんたちに感謝しつつ、おいしい御飯を食べることにしよう。
■乞食 ホームレスとは異なる
「さっき、近所の墓の御供え物を乞食が勝手に食べてたよ」「河川敷に乞食が段ボールハウス勝手に作ってしまって見苦しい」。こんな言葉を時々耳にするが、実は多くの場合、この表現は厳密には間違っているのだ。
どこが間違っているのだろう。乞食とは物乞い、つまり他人に金や食べ物を乞い求め、それを恵んでもらうことを職業にしている人の事である。単なる浮浪者やホームレスのことではない。極端な事を言えば、ちゃんと家に定住して、普段はきれいな服を着ていても、仕事の時間だけぼろをまとって物乞いをしているような人は、立派な乞食である。
東京の秋葉原に行くと、時々リヤカーを引いているホームレスのおっちゃんに出会う。しかし、要らない段ボールをリヤカーで運ぶ仕事をしていて、物乞いではない。そのおっちゃんが「哀れな乞食にお恵みを」と言いながら(本当にそんなこと言うのか?疑問だが)人々に金を恵んでもらっているなら「乞食」だろうが、そんなことをしているのは一度も見た事がない。単なるホームレスである。
■あまりほめられた職業ではない
「職業に貴賤無し」とはよく聞く言葉だが、私も同意する。人々から汚れ仕事とか卑しい仕事と言われている仕事をする人がいなくなった時、この社会はどうなるだろう。我々はまるで当たり前のようにごみ集積所にごみ袋を出し、当たり前のようにバキュームカーを電話で呼ぶ(最近は水洗化がかなり進んで少なくなったが……)が、仮にごみ収集車やバキュームカーの運転手がストライキをしたらどうだろう。
パニックに陥るだろうことは間違いない。肉体労働をデスクワークより何か劣った仕事のようにみなす傾向も一部にあるが、そんなことはない。デスクワークなどいつも同じ机に向かっていて、体を動かせないで不健康だという人も多いし、その意味では肉体労働は健康的な仕事かもしれない。いくらコンピュータが発達したところで、建物を建てたり、物を運んだりする仕事は、ただ机に座っててはできないから、これも大切な仕事なのだ。
しかし、私が思うに、乞食は、控えめに言ってもあまりほめられた職業ではない。「乞食以外でちゃんと働く能力があるのに、気楽な稼業だから人の御恵みに依存して生きている」というのは、怠惰の精神そのものである。そのような乞食に御恵みをしてやるのは、怠惰の精神を助長し、ひいてはその乞食の自立を、知らずして妨害しているのだ。
もちろん、極貧や、過去には病気で見放されるなどの理由でなった乞食の場合は、やむにやまれぬ選択だっただろうから、それまで責めるつもりはない。それに、仏教僧の托鉢も宗教的意味があるのだろうから除外する。
これはちょうど最近の「引きこもり」問題に似ているかもしれない。ちゃんと学校に行ったり働くことができるのに、親に依存する方が楽だからと「引きこもり」の道を選ぶことは、あまりほめられたことではない。もちろん、病気や重い障害のために介護が必要とか、鬱病のために元気になるまで療養するなどは問題ない。
ちなみに、あまり知られていないことだが、乞食は軽犯罪法第1条22(こじきをし、又はこじきをさせた者)の違反である。その前に、日本には本当の意味での乞食は、今ではほとんどいないかもしれないが。
■身体障害を騙る乞食について
かつては、自分は全くそうではないのに、「私はメクラです」とか「私はツンボでオシです」などと書いた札を下げて同情を誘う乞食がいたという。「いざり」だったはずの乞食が、物乞いを終えると元気に二本の足で帰っていったという笑い話もあるという。まあ、半分お約束だったのかもしれないが、しかしこれは本物の身体障害者に失礼なことである。こういう乞食は、私は軽蔑する。
■「乞食」と書いて「かたゐ(かたい)」と読む場合
「乞食」には「こじき」の他に、「かたい」という読み方もある。現代では死語かもしれない。「かたい」にも乞食の意味があるが、もう一つ、「らい病(ハンセン病)患者」の意味で使われる事もあった。残念ながら、昔、らい病患者には乞食をしないと食べていけない人が多かったことに由来すると言われる。かわいそうなことである。
いろはがるたの「かったいのかさうらみ」とは、漢字で「癩の瘡恨み」と書く事があり、つまりらい病患者は自分より症状のましな梅毒患者をうらやむ、転じて、自分よりましな状況をうらやむことを言うのだ、という説がある。
また、他人を馬鹿野郎とののしる言葉として「かたい」が使われることが昔はあった。もしかすると方言には今でも残っているかもしれない。例えば千葉県には「かってぼ」という罵倒語があって、「乞食坊(かたいぼう)」がなまったものと言われている。気を付けなくてはいけない言葉の一つである。
身体障害者・精神障害者関連
■片手落ち 「手」=「仕事」の意味
「片手落ち」は、障害や事故で片手のない人に対する差別を連想させるのでタブーとすべきである、との迷信が一部に広まっているが、これも誤解である。
「片手落ち」は「片手」と「落ち」の合わさった言葉ではなく、「片」と「手落ち」の合わさった言葉であるとするのが、現在定説とされている。この「手落ち」であるが、国語辞典の「言海」はこう説明している。(原文カタカナ書き)
て-おち(名) |手落| 仕業の仕残し。しおち。てぬけ。おちど。脱誤 遺失
「手際がよい」や「手を抜く」、あるいは「これはうまい手だ」の「手」のように、「手」とは文字通りの手のことだけでなく、比喩的に仕事や手段のことを表すこともある。「うまい手だ」が文字通りの手を食べると美味しいという意味でないのと同じく、「手落ち」の「手」とは文字通りの手でなく「仕事」の意味での手のことである。
つまり、「手落ち」とは「仕事」+「落ち」、つまり仕事をし残してしまっている状態のことを表す。「片」+「手落ち」で、片方の仕事をし残している、とは、つまり、片方に対する配慮が欠けている、不公平、の意味となるのである。
なお、「片」+「手落ち」ではなく、やはり「片手」+「落ち」なのだとする説もあるが、この「片手」も文字通りの片手ではなく、片方の仕事という意味である。これも同じく「片方の仕事をし残している」状態のことであり、やはり同じ結論を導き出せる。
■きちがい 誰もがきちがいになり得る
他人の書いている文章を読んで気になるのが、「きちがい」という言葉を「きち○い」「キ××イ」等、わざと伏せ字にしていることが多いことである。何かやましいことでもあるのか、やましいことなどなければ堂々と伏せ字を外して書け、と言いたくなる。
そもそも「きちがい」とは、どんな意味なのだろうか。広辞苑には
きちがい【気違い】《国》〈名〉(1)考えや行動が正常(セイジョウ)でないこと(・人)。[類]狂人(キョウジン) (2)何かにすっかり夢中(ムチュウ)になること。また、そのような人。「野球―」[類]→マニア
また、ユニークな解説でおなじみの、三省堂「新明解国語辞典」での「きちがい」の定義も参考として挙げておく。
きちがい【気違(い)】[一](3)常人とは異なる精神世界に住し、その言動が常識とは相容(イ)れない・こと(人)。〔精神病・精神分裂症(にかかっている人)の俗称としても用いられる〕「―に刃物」
[二](造語)度を過ごして物事に熱中する・こと(人)「本―(4)(3)」[表記]「気《狂い」とも書く。
いつもは「新明解」の解説は話半分で読んでいるが、この説明に限っては的を射たものだと思う。そう、「きちがい」と「精神病」「精神分裂症」は、全くイコールではない。元々、「平常心を失って奇妙な行動をすること・人」全般を指す言葉であり、マスコミや出版社が自主規制をする前は「きちがい」という言葉は普通に使われていたが、多くは精神病患者の意味ではなく、例えばヒステリーなど、健常者が一時的に平常心を失って奇怪な行動をしていることを指していたのを思い出す。
もちろん私は、「きちがいみたいなことする奴は黄色い救急車にでも連れてかれちまえ」みたいな発言まで、よしとしているのではない。品がなくて、「黄色い救急車」みたいな迷信や偏見を煽るような発言は、やはり慎むべきだろう。
しかし、「きちがい」と「精神病」「精神分裂症」は同じものではない。「きちがい」という言葉をタブー語とすることの背景には、この語の広い意味を知らず、対象範囲を勝手に狭めていることがあるのだろう。
■「馬鹿」が良くて「きちがい」は駄目?
昔のテレビ番組や映画で、今では言葉狩りで消されてしまう言葉のワースト1が、この「きちがい」である。しかし、なぜワースト1なのだろう。それは、「きちがい」は「馬鹿」と同じくらい多用された言葉だからである。
もし、今のテレビ番組や映画などで湯水のように使われている「馬鹿」という言葉が、突然“使えなく”なってしまった状況を想像していただきたい。ほとんどの作品が該当するだろう。それに近い状況が、昭和50年代前後に起こったのだ。そう考えると、なるほど、と思うだろう。
「きちがい」の使われ方と「馬鹿」の使われ方は、比較的似通っている。前者は正気を失った状態、後者は愚かな行動をしている状態、と意味は異なるものの、どちらも、いわゆる「頭がおかしい」状態を表す語である。
俗には精神病患者や知的障害者のことを「きちがい」「馬鹿」と呼ぶ事もあるものの、用例の多くはむしろ、そうでない人々に対してよく見られる。マニアのことを「きちがい」「馬鹿」(例えば「釣りきちがい(釣りキチ)」と「釣りバカ」)と呼ぶのも共通している。人に対して「きちがい」「馬鹿」と直截に言うのが露骨過ぎる場合は、「〜みたいな」、「まるで〜」とか「きちがいじみた」「馬鹿げた」のように和らげることもしばしば行われる。
果たして、「馬鹿」が良くて「きちがい」は駄目とする基準の根拠はどこにあるのだろうか。
■詞藻
平常心を失う
きちがい(気違い・気狂い)・狂気・狂気の沙汰・正気の沙汰でない・狂乱・乱心・異常・ヒステリー・正気を失う・気が違う・気が狂う・気が触れる・発狂する・狂態を演じる・血迷う・逆上する・マッド〜(マッドサイエンティスト)
平常心を失った人
狂人・狂者・パラノイド(平常から外れた妄想を抱く人について)・サイコ、サイコパス(異常者というニュアンスあり)
熱狂的な趣味者
愛好家・ファン・フリーク・マニア・気違い(野球気違い)・〜キチ(カーキチ、釣りキチ)・〜狂(野球狂、スピード狂)・〜バカ(釣りバカ)・〜の虫(本の虫、点取り虫)・〜の鬼(野球の鬼、ボクシングの鬼)・〜中毒(活字中毒)・おたく(肯定的にも否定的にも用いられる)・酔狂な奴(物好きな変わり者の意)
英語
crazy, mad, insane, lunacy(LUNA SEAというロックグループはこの語をもじったもの), lunatic(lunacyもlunaticもラテン語で月を意味するlunaに由来、かつては狼男の伝説のように、月の光を浴びると気が狂うと思われていた。なお、ヒステリーhysteryはラテン語で子宮hysteraに由来する), psychopath, psychotic
■つんぼ 老人の難聴の意味でも使われる
私自身は、「つんぼ」という言葉に、あまりよいイメージを持っていない。小学生の頃、人の言うことを聞かない子や物わかりの悪い子などは「耳つんぼ! 耳つんぼ!」と、からかわれていたのを思い出すからである。
しかし、そもそも「つんぼ」とは、どのような意味なのだろうか。広辞苑には、
つんぼ【つんぼ】(〈聾)《国》〈名〉耳が聞こえないこと。また、その人。[類]聾者(ロウシャ)
としか書かれていない。他の辞書も同様で、ただ「耳が聞こえないことや、耳が聞こえない人」としか書かれていない。
それで、私はこれまでずっと、「つんぼ」=生まれつき、または事故で全く聴覚を失った、聴覚障害者、の意味だとばかり思い込んでいた。しかし、もっと広い意味があったことに気付かされたのは、私がある昔の映画を見たときのことであった。この映画のワンシーンで話されていた台詞にご注目いただきたい。
(青大将、授業が始まってもウクレレで「おたまじゃくし」を弾き続けている)
澄子 いい加減にしなさいよ 叱られるわよ
青大将 大丈夫だよ いい加減年なんだから つんぼで聞こえやしないよ
教官 エー潮流にもいろいろあるが 例えば大西洋の潮流が南下してくる……教室で楽器を弾いてるのは誰だ!
(青大将、驚いてウクレレを弾く手を止める)
教官 確かそっちの方だな 楽器を机の上に出しておき給え
(青大将、江口にウクレレを机の下から渡そうとする)
江口 何だよ
青大将 助けてくれよ お前の親父のことはよく頼んでやっから 頼む
(教官、江口の前に来る)
教官 君だな 弾いとったのは もう一度弾いてみなさい
江口 僕は弾けません
教官 嘘を言いなさい 今ちゃんと「おたまじゃくし」を弾いてたじゃないか わしはつんぼじゃないぞ まだ若いんだ ステイ・ヤングじゃからな 早く
若大将 先生 弾いたのは僕です
教官 何
若大将 江口は本当に弾けないんです 弾いたのは僕です
(若大将、ウクレレを手に取り、青大将より上手に「おたまじゃくし」を弾く)
♪おたまじゃくしは蛙の子 鯰(なまず)の孫ではないわいな
それが何より証拠には やがて手が出る足が出る
でんでんむしむしかたつむり 栄螺(さざえ)の孫ではないわいな
それが何より証拠には 壺焼きするにも蓋がない ッと
澄子 アラ 若大将の方がうまいわ
青大将 チェッ 面白くねえや
(拍手)
教官 君はなかなかうまいな
若大将 どうもありがとうございます
教官 ここに置いとくのは勿体ないね プロにも十分通用するな 君ぐらいの腕前だったら ハハハ…… 出て行け!
――「海の若大将」より
ここで青大将は年取った教官のことを「いい加減年なんだから つんぼで聞こえやしないよ」と言っている(今だったら自主規制うんぬんの前に、「つんぼ」という言葉自体死語になりかけているから、「耳遠くて聞こえやしないよ」といったところだろうか)。また、教官も「わしはつんぼじゃないぞ まだ若いんだ ステイ・ヤングじゃからな」と、「つんぼ」と「若さ」を対比して言っていることから、この場合の「つんぼ」とは、聴覚障害者というより、老人性難聴、つまり「耳が遠い」という意味で使われていることが、はっきりわかる。
なお、この「つんぼ」=「耳が遠い」という意味でも使われる、ということを考慮に入れるならば、笠置シヅ子の「買物ブギー」に歌われている「わしゃつんぼできこえまへん」という歌詞の意味も自ずと明らかになるだろう。
言うまでもなく、一番最初の例で挙げたような、「つんぼ」という言葉をからかいの文句に使うことが良くないことに、疑問の余地はない。しかし、もともと「つんぼ」とは、そもそも聴覚障害や老人性難聴など、耳が聞こえない、ないしは聞こえにくい状態を示す言葉に過ぎない。
ただし、(頭がはげている人に「あんたハゲでしょう?」と聞くのがデリカシーの無い言い方なのと同じく)難聴者や聾者に「あんたツンボでしょう?」と聞くのはデリカシーが無くて感心しない。この語を使う時は、使い方によってはネガティブなイメージもあることを念頭に置いて欲しい。
■障害 伝統的には「障礙」「障碍」と書くのが正しい
一部の学校では、「障害物競走」が消えているようだ。「山あり谷あり競争」など、別の名前を付けているという。障害者に失礼だからという考えかららしいが、ここまで来ると行き過ぎのような気がする。
「障害」の意味を、「広辞苑」(第五版)は以下のように説明する。
しょう‐がい【障害・障碍】シヤウ
(1) さわり。さまたげ。じゃま。「―を乗りこえる」
(2) 身体器官に何らかのさわりがあって機能を果さないこと。「言語―」
(3) 障害競走・障害物競走の略。
このように、元々は「妨げとなるもの」の意味があり、そこから「身体器官への妨げ」の意味が派生したのである。
さてそもそも、「障害」という言葉は、かつては「障礙」とか「障碍」と書いていた。しかし戦後の漢字制限で「礙」「碍」の漢字が表外漢字になってしまったため、「害」という漢字を宛てて「障害」と書くことが広まったのである。
「害」という漢字は障害者が他の人に何か害を与えるみたいで不穏当だと主張する人が一部にいるが、それは戦後の国語審議会や「障害」の宛字を発明した人に文句を言って欲しい。
電柱の「碍子(がいし)」(陶製の電気絶縁物)という語から見てわかるように、元々の字である「礙」も「碍」も「妨げる」という意味である。「害」と違って、誰かを傷つける、害するという意味はない。
私自身は、「障害」を「障碍」と元の表記に戻すことそのものに異論はない。しかしそれは戦後の漢字制限の引き起こした問題だ。「障碍」を元に戻すのと同時に、漢字制限故に生まれた変梃(へんてこ)な宛字は全部一旦元に戻すべきでなかろうか。特に問題と思われる例を二つ挙げると、「乱用(濫用)」と、意思の疎通の「疎通(疏通)」がある。
「乱用」では、「濫用」の持つ、度を過ぎてあふれるという意味にならない。「疎通」は全く逆の意味の字になった例だ。もともとの「疏」の字は、よどみなく流れるという意味だが、この字が漢字制限に引っかかるため、「疎む」「疎外」の「疎」になってしまった。
■障害物=障害となる物なら、障害者=障害となる者?
それでも、“「障害物」とは人にとって障害となる物なのだから、「障害者」とは他の人にとって障害となる者という意味に取れる”と主張する人も中にはいる。例えば、岩渕 真知子/進 氏による、私たちの子どもを取り巻く表現と用語:「法律用語」と「役所用語」の誤訳と不適切表現についてという文章は、その理論の典型的な例である。
一見すると、その主張は正しいように思える。しかし、いつから日本語の「障害者」は「障害となる者」という意味にすり替わったのだろう。「障害者」を「障害物」に似た言葉だから「障害となる者」という意味だというのは、飽くまでも彼らの勝手な解釈であり、妄想であることに、気を付けていただきたい。そもそも、前提からして間違っているのだ。
障害物=(人や物の通行に)障害(を与える)物
障害者=(自己に)障害(を持つ、与えられている)者
つまり「障害者」の「障害」とは「障害物」とは違い、受け身である。障害者自身が他人に障害を与えているという意味では決してないのは、日本語として常識である。漢字熟語にどんなテニヲハが付くのかは、それぞれの言葉によって決まっており、似たような言葉と同じテニヲハが付くものと勝手に自己流解釈すると、とんだ恥をかくことがある。
例を挙げるなら、「役不足」という言葉の意味を誤解している人が多いという。「PTA役員なんて自分には役不足です」と、自分の力不足を認める謙遜表現として間違って使っている人が多い。ところが本当は全く逆の意味なのだ。たとえば、「あなたには役不足かもしれなくて(=能力のあるあなたには釣り合わぬ、つまらない仕事かもしれなくて)申し訳ないけど、これこれの役目を引き受けてくれないかしら」と使うのが正しい。つまり、「役不足」とは、自分の能力がその「役」には「不足」している、という意味ではない。自分の能力がその「役」では不足している、という、正反対の意味である。
もう一つの例として、「少女趣味」という言葉も最近は「ロリコン」の意味に誤解されることが多いが、実際には「少女が趣味」ではなく「少女の趣味」、つまり少女的な甘美でセンチメンタルな、いわゆる“リボンとフリルの世界”に憧れる、そんな趣(おもむき)のことを指すのである。
「役不足」という言葉の意味を誤解していることに気付いた人は、自分の知識の無さを恥じて「これからは正しい意味で使おう」と思うものだ。しかし、「障害者」という言葉の意味を誤解することに関しては、“そんな言葉を使うべきではない、誤解しやすい言葉だから悪い”とでも言うのだろうか。ふざけた話だ。それは“責任転嫁”という。しかも、実際にそんな誤解をしている人など、先に挙げた極端な人以外には、ほとんどいないというのに。
参考資料・書庫
■参考資料
いわゆる“差別表現”問題や“差別表現”言い換え問題等について扱っている本を紹介します。
■〈放送禁止歌〉 森達也 著、解放出版社 発行。
「竹田の子守歌」「イムジン河」「ヨイトマケの歌」など、放送禁止歌になった歌は、テレビ局の過剰な自主規制に原因があったことを暴く。当時放送禁止になった歌のリストあり。
■〈徹底追及 「言葉狩りと差別」〉 週刊文春 編、株式会社文藝春秋 発行。
マスコミの自主規制語リストあり。また、主立ったものに関する解説と反論あり。筒井康隆、安岡章太郎、井上ひさしも寄稿。
■〈『ちびくろサンボ』絶版を考える〉 径書房 編、径書房 発行。
言わずと知れた「ちびくろサンボ」絶版問題に関し専門に扱った本。絶版までのいきさつや、絶版に関する賛否両論を掲載。ヘレン・バナーマンの原著も掲載。
■〈差別表現の検証〉 西尾秀和 著、講談社 発行。
差別表現問題についてマスメディアの視点から扱う。「差別語」という言い方を極力避けて「差別表現」と言うよう心がけていることは私も同意する。だがその一方で幾つかの言葉をはじめから「明白な差別語」とレッテルを貼っている二重基準(ダブル・スタンダード)には注意されたし。しかしながら、マスメディアでの様々な事例が載せられているため、差別表現問題研究者にとっては役立つ資料。
■〈差別語からはいる言語学入門〉 田中克彦 著、明石書店 発行。
筆者は差別表現糾弾そのものは支持するものの、もっと質を向上させよという立場。漢字は覚えるのが困難な反民主主義的「めいわく文字」だ、という左翼的発想は私には引っかかるが、しかし、大和言葉を俗っぽく、シナ語や英語を洗練されたものと勝手にみなして、大和言葉の《差別語》をシナ語や英語に置き換えていくのはどうだろうと疑問を差し挟んでいるところには私は同意する。
「片手落ち」の「片」は「片隅」や「片田舎」と同じ「欠如詞」(一揃いの片方が欠けていることを表す接頭辞)であるという説や、略語がイデオロギー的意味を持つ事があるという例、「殺す」「ほふる」「屠殺」の違いなど、興味深い内容が多い。
■主要マスコミ「言い換え」用語集
読売新聞の『差別表現・不快語・注意語要覧』を中心に、新聞・放送各社の「言い換え用語」を抜粋した。ランク付けは読売新聞の場合で、それぞれ「A…使用しない」「B…特別な場合意外は使わない方がよい」「C…文脈によっては使わない方がよい」の意。
■(部落・身分差別関連)
特殊部落…A 同和地区、未解放部落、被差別部落
部落…A 集落、地区
部落民…A
穢多(えた)…A
非人…A
新平民…A
士農工商…A 身分社会、階級制度(「士農工商・代理店、その下の○○」のような表現は絶対不可)
興信所…B 調査会社、民間調査機関(結婚、就職などの文脈では言い換え語の使用も要注意)
落人部落…B 落人村
不可触民…B ハリジャン
家柄…C (結婚、就職の条件にするような表現は不可)
血筋…C (結婚、就職などの文脈では要注意)
氏より育ち…C 「育ちより氏」は不可(人間の性格の場合も、案外遺伝の影響が大きいかもしれない)
カエルの子はカエル…C 「子は親に似る、親以上になれない」「凡人の子は凡人だ」の意味がある
家系…C 「適性は家系と深くかかわる」などは不可
がっぷり四つ…C がっぷり
四つ(足)…C (被差別部落を遵相やさせる文脈では不可)
四ツ辻…十字路(テレビ朝日)
血統…C (結婚、就職などの文脈では要注意)
毛並み…C (比ゆ的表現、結婚、就職などの文脈では要注意)
サラブレッド…C 比ゆ的表現に注意
令嬢…C 不必要な所に使うと逆差別になる。娘
■(職業差別関連)
屠(と)殺…A 解体、食肉処理
屠殺場…A 食肉処理場、屠場(とじょう)
屠殺人…A 食肉処理場職員、屠場(とじょう)従業員
犬殺し…A 野犬捕獲員、狂犬病予防員、衛生作業員
河原こじき…A (芝居の)役者
土方…A 建設作業員、建設労働者 ★それでは「浮浪者」はどうだろうと迷う人が多い。問い合わせがあったときは、迷うなら使わない方がいいと答えている(朝日)
人夫…A 労働者、作業員
農夫…B 農民、農業、農家
漁夫…B 漁民、漁業、漁船員、漁船乗組員
掃除夫(婦)…B 清掃作業員
線路工夫…B 保線区員
保線工夫…B 保線区員、保線作業員
工夫…B 作業員
鉱夫…B 鉱員、鉱山労働者
坑夫…B 坑員、坑内作業員
潜水夫…B 潜水員、潜水作業員
百姓…B 農民、農業、農家
踏切番…B 踏切警手、踏切保安係
小使い…B 校務員、用務員 →校務主事、校務員(テレ朝)
女工…B 女子工員、女子従業員
あんま…B マッサージ師、あんま師
沖仲仕…B 港湾労働者
おんぽう…B 火葬場従業員
拡張団、拡張員、拡張団長…B セールスチーム。セールススタッフ(セールスマン)。セールスチーム代表(セールスチームマネージャー、セールスチームリーダー)(読売のみ)
給仕…B ウエーター、ボーイ、ウエートレス、事務員
くず屋…B 廃品回収業(者)
小僧…B 店員
産婆…B 助産婦
女給…B ウエートレス、ホステス、(女子)従業員 ★かつては禁止語だったが、人々が使わなくなって、死語に近くなった(朝日)
女中…B 家事手伝い、お手伝いさん、(女子)従業員
職工…B 工員、労働者
でっち…B 店員
どさ回り…B 地方巡業
ドヤ街…B 簡易宿泊街
ニコヨン…B 日雇い労働者 自由労働者(テレ朝)
馬丁…B 馬手、厩務(きゅうむ)員 乗馬クラブでは馬取り扱い者(テレ朝)
浮浪者…B ホームレス (言い換えに)あまり適当な言葉はないようです(テレ朝)
浮浪児…B ホームレスの子供
坊主…B 僧、坊さん 「坊主刈り」…僧職の家族から「やめてほしい」といわれたことはある(朝日)
ぽん引き…B 客引き
郵便夫…B 郵便集配人、郵便配達人
寄せ場…B (「人足寄せ場」の意。特定の地区の形容に使うのは不可)
労務者…B 労働者
代書屋…B 行政書士
タコ部屋…B 窮屈な作業員宿舎
バタ屋…B 廃品回収業(者)
床屋…C 理髪店、理髪業院(テレ朝) 八百屋→青果商、魚屋→鮮魚商、パーマ屋→美容院(テレ朝)
芸人…C 芸能人
こじき…C
町医者…C 開業医
獣医…C 獣医師
〜嬢…C 電話交換嬢→電話交換手。「うぐいす嬢」など愛称は別
スラム(街)…C
出稼ぎ(作業員)…C 季節労働者
飯場…C 作業員宿舎
日雇い…C
貧農…C 貧しい農民
レントゲン技師…C 診療放射線技師、診療エックス線技師 (現在は前者が大多数。後者は旧制度の資格で、持っている人は少数)
■(心身障害者関連)1・身体障害者
あきめくら…A
おし…A 口のきけない人、言葉の不自由な人 ろうあ者、口が不自由な人(朝日)
かたわ…A 身体障害者、身障者
つんぼ…A 聴覚障害者、耳の聞こえない人
業病…A (悪業の報いでなった病の意味がある)→難病
植物人間…A 植物状態、植物状態患者
びっこ…A 足の不自由な人
ちんば…A 足の不自由な人、左右不ぞろい
いざり…A 足の不自由な人
せむし…A せき柱後湾(症)体の不自由な人、身体障害者、ねこ背、亀背(テレ朝)
めくら…A 目の不自由な人、視覚障害者
文盲…A 字の読めない人、非識字者
足切り(大学入試の)…B 二段階選抜、門前払い
つんぼ桟敷…B 事情を知らされない、局外におかれる 仲間はずれ(テレ朝)
片目…B 隻眼、独眼、片方の目
群盲(象をなでる)…B (週刊誌の広告を掲載新聞社で削除した)
めくら判…B 確かめもしないで判を押す いい加減に押した判(テレ朝)
盲愛…B むやみにかわいがる
やぷにらみ…B 斜視、見当違い
寄り目…B 斜視
ライ病…B ハンセン病
どもり…B 吃音(きつおん)、言語障害のある人
不具…B 身体障害者
不治の病…B 治りにくい病気、難病
片足・片脚…C 片方の足
片腕…C 片方の腕
片手落ち…C 気配りを欠く、不公平
片肺(飛行)…C (比ゆ的表現の場合は要注意)→片翼
盲人…C 目の不自由な人、視覚障害者
盲目的…C 分別を欠いた、理性がない
特殊学級…C 養護学級、身障児学級
特殊学校…C 特殊教育学校(養護学校、盲・ろう学校などの総称)
■(心身障害者関連)2・精神障害者
気違い…A 精神障害者
気違いに刃物…A
精神異常…A 精神障害
低能(児)…A 学習障害(児)、学習困難(児)
白痴…A 知的障害者
〜きち…B 〜マニア、大の〜好き
狂女…B 正気を失った女性、精神障害者
狂人…B 正気を失った人、精神障害者 →知的障害者(テレ朝)
愚鈍…B
精薄者…B 知的障害者
知恵遅れ…B 知的障害
狂気…C
発狂…C
■(民族・国際差別関連)
毛唐…A 白人、欧米人
三国人…A (戦中、戦後の在日)中国、朝鮮人
支那…A 中国 東シナ海、南シナ海は使用可(テレ朝)
台湾政府…A 台湾当局
朝鮮征伐…A 朝鮮出兵、文禄・慶長の役
土人…A 原住民、先住民
トルコ嬢…A ソープランド(女性)従業員
トルコ風呂…A 個室付き特殊浴場、ソープランド
南鮮…A 韓国
北鮮…A 朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮 ★「朝鮮」を「鮮」と省略するのはすべて蔑称である。これは日韓併合以来の日本人の朝鮮人蔑視が根底にある(朝日)
鮮人…A 朝鮮人
あいのこ…B 混血児
外人…B 外国人
クーリー(苦力)…B 労働者
後進国…B 発展途上国、開発途上国
未開発国…B 発展途上国、開発途上国
支那そば…B 中華そば、ラーメン
支那竹…B メンマ
ニグロ…B 黒人
バカチョンカメラ…B 全自動カメラ
アイヌ…C アイヌ系漁民 →アイヌ漁民(アイヌ系はアイヌ民族に対する強制同化が生んだ言葉)
エスキモ…C イヌイット(カナダでの公式名称。「人間」の意味。「エスキモー」はインディアンの言葉で「生肉を食う人」の意味)
黒人…C 「黒人」と不必要な所につけない。黒人兵→米兵。黒人と白人がけんかしたときのように黒人と明記する場合は別
第三国(人)…C 中国・朝鮮の意味のときは不可
満州…C 中国東北部(旧満州) 満州事変…柳条湖事件
■(性差別・その他)
アル中…B (急性)アルコール中毒、(慢性)アルコール依存症
裏日本…B 日本海側
表日本…B 太平洋側
情夫、情婦…B 愛人
二号…B 愛人
めかけ…B 愛人
他力本願…B (本来の意味は仏の願力によって救われること。「他人任せ」の意味で使うのは誤用)
オールドミス…C 処女作→第一作、処女峰→未踏峰(朝日、テレ朝)
落ちこぼれ…C
皮切り…C 手始め
女傑…C 女流作家、女流画家…特に必要なとき以外は使わない (朝日)
滑りどめ…(学校の場合)併願、安全校
正妻…C 「正妻のポストを得た」など比ゆ的用法に注意
共稼ぎ…C 共働き
引かれ者…C
醜男(ぶおとこ)…C 器量の悪い男
父兄…C 父母、保護者
未亡人…C (故○○氏の)夫人
老婆…C 老女 老女…非常にいやがられる(朝日)
以上、参考資料⇒
“差別用語”と呼ばないでより重要な部分だけを抜擢してまとめさせて頂きました。
終わり
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