これらの教育政策については内閣総理大臣の諮問機関(2000年・教育改革国民会議、2006年・教育再生会議、2013年・教育再生実行会議など)のみで基本路線が決まってしまうため、多様な意見が議論されることはない。会議には有識者が選ばれてはいるものの、著者はその面子について「専門性に疑問があるだけではなく、新自由主義や新保守主義といった特定の思想に与する委員が目立つ」と書く。
委員の面子を確認すると、教育再生会議には小保方晴子をシッポ切りして利権体質を堅持した理化学研究所理事長の野依良治、人様への教育云々の前に自分の店の管理に目を向けるべきだったワタミ社長(当時)の渡邉美樹、教育再生実行会議には、各種の妄言・暴言でお馴染みの作家・曾野綾子(その後退任)や「つくる会」元会長の八木秀次らの名前が並んでいる。
著者が挙げる5項目のうち、最たる懸案事項は「道徳の教科化」だろう。2018年度にも道徳が「教科外の活動」から「特別の教科」に格上げされる。点数や段階評価はつけないものの、記述式で評価が定まることになる。現在、「道徳」の授業に使われている副読本も、教科として定まる以上は、当然だが「教科書検定」を受けることになる。
教科書検定についての見直しを示した「教科書改革実行プラン」では、「政府の統一的な見解や確定した判例がある場合」にはその見解や判例に基づかなければならないとある。第一次安倍政権下で強行採決した教育基本法の改定で、「我が国と郷土を愛する」という文言が加わったことを鑑みれば、これからはその手の愛国心が盛り込まれているものは道徳の教科書に採択されやすくなるし、先の池澤氏のようなテキストは「日本の伝統をないがしろにするもの」として淡々と弾かれていくのかもしれない。
「道徳」の教科化について、著者は「児童・生徒や保護者の間に、観察可能である表面的な行動や態度で評価されかねないことへの違和感・不信感や、恣意性に起因する不信感が生じる可能性がある」と警戒する。ましてや、生徒一人一人の「道徳」を評価しなければならなくなる先生は、様々な評価軸で生徒を見つめなければならず、ただでさえ多忙な業務が更に増えることが予想される。加えて、通知表に評価を記載するとなれば、その文言を気にかける親への応対も増えるだろうし、主観に過ぎない文言に端を発するトラブルも生じるだろう。
それにしても「教育の危機」はこの20年、常套句として繰り返されてきたが、一体何をどう改善したがっているのか。著者はその狙いが透ける典型例として2002年に文科省が策定した「21世紀教育新生プラン:7つの重点戦略」の広報パンフレット「危機に瀕する我が国の教育」にある4つの見出しを挙げる。