ものみの塔との格闘記(エホバの証人、jw.orgで何かあったら書きます)

JW研究生の妻と3人の子を養う非信者です。
(未信者ではありません!)
妻は研究生々活13年の大ベテラン、「永遠の研究生(?)」

組織の疑問点を小出しにしながら、「その日」が来るのを待っています。

それまでは、勉強、勉強、また勉強(←本当か?)


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彼が私の記事について書いているようなので、いくつか。


兵役拒否にしても第二次世界大戦のドイツの話だけで論を展開している人もいますが、今現在世界中のJWは兵役拒否です。そういう部分も考えなければなりません。実際どうなんでしょうか。湾岸戦争でイラクに爆弾を落とすことに加担した人にカトリックやプロテスタントの教会員は一人もいないのでしょうか。今どうなんですか、いま世界中の軍隊にカトリック信徒は、プロテスタント信徒はいるんですか、いないんですか。いまJWは兵役拒否をやめたのですか。それを論じないで何を言っているのか、と思いますね。


 私は、彼が書いた「JWのナチス政権下におけるその様は凛とした態度は立派な模範だと思います」への反証と、ものみの塔がナチ政権に反抗したことの賛美への評価を書いたまでです。

なんで彼が考える全てを私が論じないといけないのか? わけが分かりません。


 が、現在のJWのことを論じていらっしゃるので、ちょっと書きます。


兵役拒否の思想/明石書店

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 宗教的兵役拒否は16世紀~17世紀の宗教戦争中に派生したキリスト教分派、再洗礼派、クエーカー派、ブレズレン派などに確認されています。彼らは殉教も辞さない拒否の態度を示しました。

 アメリカ独立戦争では、彼らの宗派に兵役免除が講じられました。1791年の合衆国憲法第一条(信教の自由)には、ジェームスマティソンによって「兵役拒否権」が提案されましたが、採択にはいたりませんでした。


 第二次大戦中のアメリカでの動きは、前記事「ホロコーストとJWとWTについて(その7)」に書いた通りです。


 上記の本には、戦後の兵役拒否運動の典型的な事例として、冷戦下の東ドイツ・西ドイツの兵役拒否運動の歴史が詳述されています。


 東西に引き裂かれた両国の兵役拒否を認めさせるための運動は、「キリスト教会」によって道筋を付けられました。ホロコーストを防げなかったキリスト者たちの強烈な後悔が、その背景にあったことは想像に難くありません。ソビエトの圧力が強い東ドイツですら、粘り強い交渉がなされ、権利としての兵役拒否を法律として勝ち取ったのです。


 両国の動きは、ヨーロッパ各国の模範とされました。


 エホバの証人は、現在の兵役拒否の権利化に(少なくともドイツでは)何の役割りも果たしていないのです。



 宗教改革以前のキリスト教では、何が正しい良心であるかは、教会が決定していました。

個々人は、自らの良心について考える必要はありませんでした。(ものみの塔は今でも自分で考えることを否定していますが・・・)


 しかし、宗教改革以降は、個々の信者が直接神と対話して決定すべきことであるという考えが広まりました。神の前にすべての人が平等とされました。つまり、何が正しいかは個々人の内面の問題であって、いかなる権力(教会であれ、社会・政治であれ)も介入すべきではないという考えが一般的になったということです。


 そして同胞を開放するため自らの生命を賭して働きたいと願う英米のキリスト教の人々は「自分の良心」に従って戦場に赴いていったのです。


以上。エホバの証人が語る兵役拒否が内向きにしか通用しない理由です。


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(同じ記事から)

リコールの車の喩えを得意げに使っていましたが、クルマの一部が故障し暴走した場合、その車が販売できないのは確かですが、全否定というのはその車で使われたテクノロジー全部を否定することを指します。

私が全否定しないというのは、確かに故障個所が改善されないなら、売ることはできないとは言うものの、その部分以外でもし先進テクノロジーがあるのならばそれはそれで活用すればよいという余裕を持った見方が大事だということです。


 私は、JWリコール対象車に、JWのみが兵役拒否をしているという主張はその車の低騒音性能に例えました。

 そのリコール対象車JW)特有の低騒音性能JWのみが兵役拒否をしているという主張)は、評価対象にならないと言ったのです。

 しかし、彼が言うテクノロジーその車特有のものではありません。


 テクノロジーを例えるなら聖書の教えです。

リコール対象車JW)が採用しているテクノロジー聖書の教え)は素晴らしくても、その車JW)は評価できないと言っているのです。


 なぜなら、上記で説明たように、兵役拒否という聖書の教えJW独自のものではないからです。


 そのテクノロジー聖書の教え)を否定はする必要はありませんが、それは他のキリスト教会も持っていることだからです。


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最後に、もう一つ。

断っておきますが、私は過去のブログから何度も何度も何度も何度も何度も言っていますが、もし仮に神の裁きが来るならば真っ先に統治体に来るだろうと思っています。だから冒涜集団統治体というカテゴリーも作っています。



しかしそういう私の過去記事を記憶から消失させたのか、私が如何にも組織擁護者と思っているさまは思考力も記憶力もないのかなと思います。そういう思考能力だから、ああ、もうそれこそ議論はできないなと思いますね。



これって、論点にするのも馬鹿馬鹿しいのですが・・・

私の記憶にあろうがなかろうが、関係ないじゃないですかねえ。

一つの記事でも危険なものは危険なのです。

ましてや、最近はものみの塔賛美を量産していますから。



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