東京・神田駿河台の明治大学で、発禁本の展覧会が始まった。主に戦前、政府に販売を禁じられた本がずらりと並ぶ。労働詩集あり探偵物あり恋愛話あり。華厳の滝に身を投げた藤村操が生きており、その苦悩を記したとの珍本も。当局の「目配り」の細かさには驚く。
▼読書それ自体が禁じられた社会を描くSF小説が、先日亡くなったレイ・ブラッドベリ氏の「華氏451度」だ。焚書(ふんしょ)という仕事に疑問を持つ主人公に、上司が言う。「国民を不幸にしたくなければ、すべての問題にはふたつの面があることを教えてはならん」。悩まず生きるには、多様な考えに触れる本は邪魔だと説く。
▼単純な「権力対民衆」という話にしなかったのが作家の見識だ。人々は大型テレビを持ち、耳には常に小型イヤホンを装着。スポーツやお笑いに興じ、歴史、哲学、文学、社会学から離れ、流行歌の詞や州都の名など、さまつな記憶力を競いプライドを満たす。なぜ、という問いを捨てて幸福に暮らし、読書家を告発する。
▼出版は1953年。非難と密告が飛び交う米国の赤狩り時代だ。晩年のインタビューをまとめた「ブラッドベリ、自作を語る」(晶文社)で「いまの状況と似ている」と述べる。みんなが何か腹を立てる相手を探している、と。これは米国の話だが、日本ではどうだろう。多様な本が、多様な目をはぐくんでいるだろうか。
明治大学、春秋