先駆者・橋本治の傑作評論から35年
お菓子研究家の福田里香、マンガ研究家で明治大学日本文化学部教授の藤本由香里、マンガ家のやまだないとの共著による『大島弓子にあこがれて』(ブックマン社)が出ました。
これはほんとうに素晴らしい本で、全編に大島弓子という稀有のマンガ家への敬愛の気持ちが脈打っているうえ、これまで大島弓子について書かれた評論のなかで、橋本治の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』以来、35年ぶりの最もすぐれた成果ではないかと思うほどの説得力をもっています。
とはいえ、こうした「研究書」としては珍しく、巻頭に「大島弓子コレクション」というまるで少女マンガ誌のような美しいカラーページがあり、そこに登場するイラストや生活エッセーや雑誌付録のラインアップを一瞥し、短いながら確かな歳月の蓄積を感じさせる福田里香のコメントを読んだだけで、大島弓子の世界にいやおうなく拉(らっ)し去られてしまいます。
そんなわけで、かつて私も大島弓子に夢中になったことをつい思いだしてしまいました。それは私が最初の大学が嫌になって、3年間、親をだまして大学に行くと見せてプータロー同然の無為な日々を過ごしたのち、心をいれ替えて2番目の大学に通いだしたころのことです。
きっかけは、前述の橋本治の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(前・後編、1979年刊)の巻末に収録された「ハッピィエンドの女王――大島弓子論」を読んだことです。
橋本治はすでに長編小説『桃尻娘』でデビューしていましたが、私は日活ロマンポルノとして製作された竹田かほりと亜湖主演の映画(小原宏裕監督のユーモラスな佳作ですが)を見てしまったせいで、原作も毛色の変わったポルノ小説だろうと思いこみ、あまり興味は湧きませんでした。
ところが、あるマンガ好きの友人が、橋本治の第2作(評論第1作)である少女マンガ論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』をいち早く読んで、「なんだかよく分からないが、なんだか凄い本だ」と興奮して教えてくれたので、こちらを先に読んだのでした。そして、実際の作品に接する前から、大島弓子という途方もなく重要なマンガ家がいることを知ったのです。
『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』はまさに「なんだかよく分からない」、しかし独特の執拗なスタイルで書かれた文章でしたが、いらいらする気持ちを抑えて何度か読みかえしていると、大島弓子のマンガに出てくる人物たちは、自分が分からなくなってしまったことで病み、迷い、さまざまな葛藤を経たすえに、自分と世界を受けいれ、受けいれることによって分かるようになっていく。分からないことが分かるようになるのだから、それはハッピィエンドなのだ、というのが橋本治の主張だと分かりました。
こういうとまったく当たり前のことのように思えますが、作品の実際に即しながら執拗にこのテーマを反復し、論じていく橋本治の呪文のような文章には、大島弓子というマンガ家が独創的かつ比類なく哲学的なマンガ家であると確信させる力が漲っていました。
ちょうどそのころ、1976年に創刊された小学館文庫から大島弓子の『雨の音がきこえる』『鳥のように』といった作品集が刊行されていて、たまたま橋本治が絶賛していた『バナナブレッドのプディング』が出たところだったのです。私はさっそくこれを買って読み、完膚なきまでに大島弓子の世界に圧倒されました。そこでさかのぼって、小学館文庫で出ていた短編集5冊を読み、さらに大島弓子のほぼ全作品を読むという長い道に出たのでした。
その結果、人からいちばん好きなマンガ家は? などと聞かれると、大島弓子と答えたりすることもあるファンになってしまったのです(気分によっては楳図かずおとかウィンザー・マッケイとか答えることもありますが)。
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