すれ違い
「勇者!? 勇者ってメイヴィス様だろう? メイヴィス第三公女」
まだ騎士学校の中が不案内だというレティシアを、彼女が住むことになった上級貴族専用の女子寮へと送っていく道中――ウィンはレティシアに、自らが『勇者』であるということを告白されていた。
「うん。私のことだよ? レティシア・ヴァン・メイヴィスって」
「そうなのか? ……知らなかった」
ウィンは自分の隣を歩いているティシアの顔をまじまじと見つめてしまう。
まさか、あの街で噂になっていた勇者が、自分の親友のことだったとは。
「初めてあった時から貴族だろうなって思っていたけど、レティの本名は聞いたことがなかったし。どこの誰とかも気にしたことなかったからな。それに、俺が街で聞いていた勇者の名前はメイヴィスだったから」
ウィンも、『渡り鳥』亭の酒場で働いていた時に、客である行商人たちや冒険者たちが、旅に出た勇者の話題を頻繁に話していたので、何度も耳にすることがあった。
街の子供たちの間では『勇者メイヴィスごっこ』が流行し、木剣を振り回している光景はどこでも見ることができた。
街から街を旅する行商人や冒険者、さらには旅芸人や吟遊詩人たちはこぞって勇者の活躍を大衆に披露してみせた。
ある国では石にされた王子を救うために、呪いを掛けた邪悪な魔物を討伐して見事その呪いを解いてみせたこと――。
別の国では邪神復活のために、毎夜生贄を捧げていた邪教の神官を倒して、囚われていた人々を救い出したこと――。
また、ある街では原因不明の病気が蔓延し、その事件を解決すべく人跡未踏の古代の森を探索し、貴重な薬草を採取。
街を救った後には、その病の原因が街の近くにある洞窟を住処にしていた竜が生み出した瘴気であることを突き止め、その竜を討伐。
浄化してしまったこと――。
勇者の出身がこの帝国の上級貴族、メイヴィス公爵家が隠していたとされる第三公女であることが伝わると、帝国の民たちは自らの国がこの偉大なる勇者を輩出したことを誇りに思い喝采を上げた。
帝国もまたメイヴィス第三公女の活躍を大々的に宣伝したものだ。
ウィンもまた、幼い頃から読んできた憧れの騎士たちの英雄譚を地のままに行く勇者の活躍に胸を躍らせていた。
成長した今では、英雄譚に出てくるような騎士は実在しないことはもう知っている。
しかし、『勇者』という存在は、英雄譚に出てくる騎士たちが決して夢物語ではないことを教えてくれた。
勇者のような活躍はウィンには無理であろうが、その十分の一でもいい――力なき者を守れる騎士となろう。
憧れと共に強く思ったものだ。
その憧れの対象――メイヴィス第三公女が、まさかレティシアであるとは思いもしなかった。
隣を歩くレティシアをそっと見る。
あの頃と同じように自分の隣を歩く親友がいる。
二つ歳下の、身長もウィンの肩までしかない華奢な体つきをした女の子。
魔王とその配下である魔族、そして魔物たちとの戦いは、話に聞くよりも過酷なものだったはずだ。
――できるだけ、早く帰って来れるように頑張るからね!
四年前に交わした約束――きっと果たされることはないと思ったあの言葉。
しかしいま、彼女はその言葉の通り自分の横を歩いている。
「頑張ったな、レティ」
ウィンの口からぽつりと漏れたその言葉に、レティシアは一瞬足を止めかけ、そのため少し距離が出来てしまったウィンに慌てて追いつくと――
「うん」
嬉しそうな、輝くような笑顔で頷いた。
四年前――レティシアは、ウィンに自分が公爵家の人間であることを明かすことができなかった。
貴族であることを知られることで、ウィンが自分から離れて行ってしまうことが怖かったから。
帝国騎士団では原則、個人を呼ぶ際には家名を使用しない。
建前上、騎士団の中ではその位階を優先させるため、宮廷内での序列を持ち出さないようにするためだ。
それはこの騎士学校においても適用されており、例えばウィン・バードであれば『バード騎士候補生』ではなく『ウィン騎士候補生』、ロックであれば『マリーン准騎士』ではなく『ロック准騎士』が正式な呼び方となる。
もしも一貴族の姫君のままであったなら、レティシアは家名をウィンに名乗ることはなかっただろう。
しかし、自分から望んだわけではないにしろ、彼女は有名になりすぎてしまった。
『剣の神姫』『神に限りなく近づきし者』――『勇者レティシア・ヴァン・メイヴィス』として。
帝国貴族メイヴィス公爵家第三公女として。
レティシアは横を歩いているウィンの顔をちらりと盗み見る。
四年前、最後に会った時の彼の身長は、自分とほぼ同じだった。
しかし今ではレティシアの頭はウィンの肩までしかなく、彼の体つきもまた少年っぽさが抜けしなやかな筋肉のついた、たくましい体付きになりつつある。
今朝、剣を交えた時――ウィンは彼女の記憶にある四年前よりも数段強くなっていた。
『剣の神姫』とまで呼ばれるレティシアの剣技の源流は、間違いなくウィンにある。
レティシアが初めて一人で街に出た際に出会い、そして魅了されてしまったその剣技。
あの頃よりも一際冴え渡らせたその剣技は、条件さえ満たせば彼を上回るものは恐らくこの学校においても少ないだろう。
旅の間に様々な敵と戦った。
何度も死を身近に感じたし、覚悟もした。
だが、レティシアは最後まで諦めることなく戦い続けた。
魔力が底を尽き、仲間たちが傷つき倒れても彼女の剣と心は折れることなく、数多の魔を切り裂いてきた。
ウィンから教わってレティシアの中で昇華されたその剣技こそが、彼女にとっての最大の武器だったのだ。
だから――
「頑張ったな、レティ」
「うん!」
ぽつりと漏れたウィンのその言葉に、レティシアは心の底から喜びを覚え、そして安堵したのだ。
例え『勇者』であっても『貴族の姫君』であっても、自らを導いてくれた『師匠』とも言うべき、ウィンとの関係はこれからも変わらないのだということを。
だからこそ不思議でならない。
なぜ、ウィンが准騎士へと昇格できていないのか。
並んで歩きながら、レティシアはウィンを見上げた。
その疑問の答えを見つけるべく質問する。
「ねぇ、騎士学校ってどんな勉強してるの?」
「授業は大まかに言えば、実技と座学の二種かな。実技は剣術や体術、槍術なんかの実技戦闘術学科。斥候術や隠密術、野外生存術などの野戦学科。それと魔法戦闘学科の三種に分かれてる。座学は戦術や戦史はもちろん歴史や紋章学、後は言語学とか幅広いよ」
「お兄ちゃんはどんな授業取ってるの?」
「まあ、戦闘術学科では剣術と体術は必須だから、あとはナイフ術などの近接戦闘。学科は歴史関係を勉強してるかな。」
「ふぅん、そうなんだ」
「レティはどうするんだよ?」
「私は戦闘術関係は今更だから、学科を中心に勉強するつもり。あ、でも魔法関係の授業は選択しようかなって思ってるよ」
「学科中心ね」
「レティは身体を動かすことは得意でも、頭を働かすことは苦手だったもんな」
「だって、十歳で旅に出されたんだよ? 旅してる間は勉強なんてできなかったし」
むくれるレティシアの頭をぽんぽんと叩くウィン。
「なぁ、ウィン。レティシア様」
「どうしたんだ、ロック?」
不意に背後から声を掛けられた。
先程からロックもまた一緒に歩いていたのだ。
ロックは傍から見てもおかしいほど、背中を丸めて周囲をキョロキョロと見回しながら歩いていた。
「どうしたんだよ、腹でも痛いのか?」
「違うわ!」
友人の青ざめた顔色にウィンは心配そうに声を掛けたが、帰ってきた返事はロックの声量を抑えた叫び。
「お前ら、これだけの注目を浴びていて、よくも平気な顔で歩いていられるな!」
周囲を見回すといつの間にか、ウィンとレティシア(ついでにロック)を中心にして、教室へと向かう学生たちが遠巻きにして彼らを見ていた。
「お、おい。あれ、レティシア様だよね?」
「うん。昨日の入学式で見たけど、こんなに近くで見れるなんて!」
「てか、レティシア様の傍にいる男二人誰だ? 夜会とかで見たことないよな?」
「あ、あの隣の男はおれ知ってるぜ。ウィン・バードだろ? 確か、三年連続で試験失敗した」
「マジで? そんな奴いるのか? 俺なんて、親父にお願いしたら楽勝で准騎士になれたぜ?」
「おれもおれも」
「だよな? 試験なんて形式として受けるだけなんだから、金で買っちまえばいいのに」
「あいつ、平民だろ? そんな金も払えないんだと」
「はあ!? そんな奴が騎士になろうなんて思うなよな」
「ハハハ」
ウィンは急に背中に冷水を浴びせられたような気分になった。
ロックに言われるまでもなく、気がついていた。
だが、あえて気にしないようにしていた。
下唇をぐっと噛む。
これまでもそうだった。
身分違いなのは、自分が一番よくわかっている。
ここに通う生徒たちは貴族や騎士、もしくは富裕層の子女ばかりである。
ロックにしてもそうだ。
本来、彼が相応の生活を送っていれば知り合うことはなかっただろう。
それに――
彼らの言うとおり、准騎士の資格は金で買える。
正確にはコネと金で。
「ウィン、あいつらの言うことを気にするなよ?」
ロックが肩を叩いてくる。
「何であんな貧乏人がレティシア様と一緒に歩いてるんだ? 身の程知らずにも程があるだろう?」
彼らの言葉が胸に突き刺さる。
――『勇者』レティシア・ヴァン・メイヴィス第三公女。
四年前と変わらずに接してしまっていた。
あの頃は知らなかったから。
あの頃はまだ、彼女も偉大なる勇者ではなかったから。
しかし、子供ではなくなってしまった今――知ってしまった。
彼女もまたウィンとは本来、別世界で生きて行くべき人間なのだ。
すぐ隣にいるはずのレティシアが、急に遠い存在になったような気がした。
「お兄ちゃん?」
レティシアが心配そうに顔を覗き込んでくる。
本来であれば、平民であるウィンが言葉を交わしていい相手ではない。
『レティ』という呼び方も、何も知らなかった子供であれば許されたであろう。
だが、もう子供ではなくなってしまった今は――
「ごめん、レティ……レティシア様、ロック。ちょっと先に行く」
顔を伏せ、二人に表情を見せないようにして走り出すウィン。
あとに残されたレティシアとロックは、ただその背中を見つめたまま立ち尽くした、
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