電波犯罪と超科学

電波犯罪を告発する。98年ネットで日本初の告発。被害は20年。彼らの手口を詳しく解説。また最先端の精神世界を紹介する。

格差解消(正社員と非正規)を公約にしていた安倍政権

2014-12-29 11:35:16 | 電波犯罪
こんにちは
 曇り。小雨もふっている。冬の天気だ。昼に日光がさしこんだ。

年末には、来年の予測を書くつもりだ。

賃上げ促進税制 ヤフーニュースより
 一歩ずつ経済改革を進める、という安倍政権の強い意思を感じさせる。税金軽減分を賃上げしろ、社員に還元しろ、という民間への要請だろう。大企業の内部留保に対して、共産党は批判するだけだった。彼らは何も具体的な提案をしてなかった。が、安倍政権はもう実行にうつした。自民党は政策(解決)が早い。共産党がしゃしゃり出る幕はない。

格差論に情報操作がみられる
 1-2年前は、老人が金持ちで若者が貧乏だった。格差は老人対若者だった。東京対地方という格差も大きかった。それが、今や忘れ去られて、議論されるのはもっぱら「資本家対庶民」、「正社員対派遣・アルバイトなど非正規」という構図。いつのまにか、格差論が民主党や労働団体の都合のよいものに、すりかわっていた。

 「資本家と庶民」の格差は、アベノミクスで恩恵を受けるのは、株を売買できる小金持ちで、庶民は物価高で苦しい、という民主党など左派の主張。「正社員と非正規」の格差は、正社員は保障が手厚く、非正規は給料が低く生活が苦しい、という労働団体の考え。これは「派遣法改正」を阻止キャンペーンの中で、組織的に叫ばれる。

 世論は社会問題を正しく認識すべきである。一部、圧力団体(労働団体、政党)によって、過度に一面が強調されてはいけない。そんな偏見を信じると、人々の認識がゆがむ。すると、その社会問題を正しく解決できなくなる。問題は正しく認識すると、正しく解決できる。それが一番よい。

 格差論は現在、困窮している若者層、ワーキングプア、シングルマザーをどう救済するか、ということが焦点になっている。これは社会問題である。誰々の主張だから、偏っているということはない。社会問題には、真摯に向き合わなくてはいけない。
 それは、資本主義をやめれば解決する問題ではない。資本主義を放棄すると、さらなる混乱を招く。社会主義化して、日本経済は壊滅して、立ち直れない。日本総貧困時代というどん底に落ちる。

 アベノミクスをやめたら、解決することもない。マクロ的に景気はよくしていかなくてはいけない。現在、アベノミクスで失業率は下がっている。それは非正規だろうが正社員だろうが、関係なく、路頭に迷う人が減っていることを意味する。この流れは止めてはいけない。

 解決法は、それら貧困層に焦点を当てて、彼らを救済することだ。資本主義やアベノミクスというより大きな構造的な問題からくる貧困ではないからだ。問題は限定しなくてはいけない。彼らが貧困であること。給料が低いこと。行政の支援策が少ないこと(貧困の範囲を広げること)。それを解決すればよい。

 労働団体や民主党の反アベノミクス・キャンペーンに、すぐ危機感をいだくのは、社会問題を正しく理解してないからだ。すぐにそんなのに利用されてしまう。これは貧困の救済だから、経済システムの問題だが、資本主義の問題ではない。資本主義の中で解決されるものだからだ。社会保障(社会福祉)の問題である。そういうアプローチをしていかなくてはいけない。

 以前の格差はどうなった?
 老人と若者の格差があった。貧乏なのは若者だった。これは、老人のお金を若者に回すという解決法がとられた。自民党は、この格差を解消するために、老人の貯金が若者に流れるように、緊急に処方した。相続税を改正した。生前贈与もしやすくした。孫の教育費のために、孫に教育資金を贈与できるようにした。それで、老人の金が子供に回るようにした。これでどう状況が改善されたか。それは報告書待ちだ。

 ただ、これだけでは不十分だ。根本的に、若者の職場や給料が高くならないと、収入は一時的なものにとどまる。現在、残った格差(ワーキングプア、シングルマザー)などの対策が急務である。

 自民党は『非正規と正社員の格差』の解消に動きだした
 自民は現在言われている格差について、公約で以下の解決法を示し、動いている。自民が経営者側に立ち、何もしてないように思っている人は、野党の選挙キャンペーンにだまされている。自民党は左派が言うような無策な政党ではなく、国家の問題に果敢に立ち向かう保守である。公約に解決法は書かれていたのである。

 『パートタイム労働者、契約社員、派遣労働者等の雇用形態で働いていて、正規雇用への転換を希望する方々のキャリアアップ等を図り、正規雇用への転換を果断に進めます(正社員実現加速プロジェクトの推進)。』

 『長時間労働を美徳とする働き方を見直すことにより、メリハリの効いた働き方を実現するとともに、仕事と家庭の両立支援を推進し、一人ひとりがワーク・ライフ・バランスを実現できるようにします。』

 『未来を担う若者全員が希望する仕事につけることを目指し、就職活動から入社後までの一貫した支援・若者を応援する企業の支援、ジョブカードの活用推進のための法的整備を行います。』

自民党重点政策 2014年度

 正社員を増やすよう諸策を講じるようだ。若干、具体的な解決策、実施する制度が不明確だ。が、積極的に政府は、非正規社員を減らし、正社員にするよう、取り組む。それを、公約で明言した。

 これらを実現させて、どこまで格差が解消されるか。自民を与党として国民は選んだ。国民は、自民の政治手腕を後押ししたり、信認したり、見守ることになる。なお、これら解決策を実施して、状況が改善された時は、自民はうまくやったといえる。不十分な時は、さらなる改善を求めることになるだろう。
 自民党は、何ヶ月で実効的な制度を実施してくれるだろうか。楽しみである。

 本日の被害
 後ろの首筋に軽い痛みがある。音声送信を受けて、検閲のような文言をきかされる。
コメント

「格差」の正体とは -- 巷の格差論は嘘くさい

2014-12-27 11:58:16 | 電波犯罪
こんにちは
 晴れ。
 ユーチューブでハーバード大学の講演を英語で聞いている。数ヶ月英語を聞き流して、やっと単語を聞きわけられるようになった。が、意味はさっぱり。なぜ聴衆は笑っているのだろうか? 一つわかったこと。知的な人と鈍い人は、区別できる。鈍い人は、ありきたりな議論を言うだけで、何か重要なことをしゃべった顔をする。知的な人は、その程度では満足しないで、さらに優れたことを言おうとする。

 古市氏の名をタイトルに書いただけで、アクセスが1.5倍。彼のネームバリューを感じた。

 「格差」の正体とは 巷の格差論は嘘くさい
 川西の紀伊国屋で経済学書を探すと、格差をテーマにする本がいくつか。が、日本の格差論は政治に利用されている。左派の扇動文句の一つなので、真に受けにくい。それで、「格差」について今までじっくり考えなかった。アメリカの動向をもとに考え直した。

 アメリカでは格差が大きい。ニューヨークの証券取引所に「格差解消」を求めて、デモが起きたこともある。アメリカでは、0.1%のスーパーリッチ(55000人)や上位1%(136万人)がアメリカの富の何割かを所有する。それがアメリカの国内問題である。何が許せないのだろうか。私にはよくみえてない。それで、調べた。

 日経の記事によると、2010年度では、アメリカの上位1%以上とは所得が36万9000ドル(3700万円)以上の人。トップ10%以上の所得は11万6000ドル(1200万円)以上。下位50%は、所得が3万4000ドル(340万円)以下の人だ。

 問題視される米国のトップ0.1%は、年収1.7億円以上だ(2011年)。これは低い。なおトップ400人の収入は77億円以上(2010年)。これは多い。

 やっと、わかったこと。年収は米国では、たかだか1.7億円以上がスーパーリッチであること。社会運動家は、彼らが富を永遠に独占して、その他は中間層や貧乏のままにとどまる、と心配する。直感的に、社会運動家の主張はどこかおかしい。何がおかしいのか。検証してみたい。

 格差が何をもたらすのか?
 格差の本質をよく考えてみたい。金持ちについて、貧乏人は過剰な思い込みや偏見がある。彼らは、豪華な家に住み、いい服を着て、食べ物もよく、いい車にも乗る。うらやましい。自分とは圧倒的な差がある、と。本当の金持ちとは何だろうか。

 事実、金持ちがいくら大勢いようと、中間層が多い日本では、経済になんら偏りは生じない。実際は、金持ちと中流は生活にあまり差がつかないことを説明したい。

 車
 日本の良い車はプリウス。それ以上の高級車は、装飾がたくさんついた、高級材使用のベンツや、スポーツーカーだ。それらは大人のおもちゃ。高くても、せいぜい2000万円。そんなに特別ではない。そんな値段が高い車に乗っても、まったく生活の質に差はない。お金をいくら積んでも、プリウス以上によい車はあまり買えない。日本では、車で生活を差別化できない。

 家
 家はぴんきりだ。ここは差がつく。家は何億とかけることができる。広い敷地と広い庭をもつ家に住める。金持ちは広い家で都市部に住める。別荘や都市部にマンションも持てる。パーティー用の大部屋があれば、楽しいかもしれない。が、それらは物置や来客用にしか使わない。大きな家に住むと、さびしくなるし、管理が大変で、暖房費用もかさむ。
 しかし、人間が住むのに使う空間は、4人家族で80平米あれば十分。中流の家がベストで、それ以上広い家に住むのは無駄である。それ以上広いものを所有したら、維持費が大変な上に、さびしい。生活の質は広すぎる家では下がる。

 金を出して、地価の高い駅前に住むの便利だ。が、生活環境としてみると、あまり駅に近いのは猥雑である。適度な距離に住宅があればよい。中流でも、そのくらい離れていたら家が買える。なお東京は除く。

 食べ物
 金持ちは毎日、外食して、高値の食材を用いられる。金持ちは、よい食べ物が食べられる。中流はほどほどのものが食える。贅沢はできないが、貧粗ではない。食材は一定額を使うとかなり十分なものがそろう。それ以上の高級品は、あまり差がない。が、生活の質は、美食家でなければ、母親や妻の料理がおいしければ、十分だ。生活は、ここであまり差がつかない。毎日、コックの料理を食べるのと、母(妻)の料理を食べるのと、どちらが幸せか、という問題である。

 病院
 金持ちは個室に入院して、金に糸目をつけずに先端治療を受けられる。日本では中流は少し無理すると、それなりに高度な治療を受けられる。そもそも医療技術自体に、最高レベルと中間レベルにあまり差がない。だから、金持ちだけがよい治療を受けて、長生きすることにはならない。医療はあまり差別化しない分野である。

 服
 私が大学時代に、毎月服に5-10万円かける、という医学部の女性がいて、たいへんと思ったものだ。私は半年に2万円も使わなかった。贅沢の権化、イメルダ婦人は、一度着た服は二度着ない、という強者。服はお金かけて、ブランドものをそろえてもたかが知れている。衣服は必ず、着ている服の値段ではなく、ファッションセンスが評価される。金持ちが、ブランド品や高い服を着ているからといって、ファッション性で優れているとは限らない。中流でも、センスがある着こなしはできる。また衣服は安い。せいぜい一着50万円だ。服で金持ちはあまり差別化できない。

 教育
 これは本人の才能による。金持ちだからといって、東京大学にゆけるわけではない。せいぜい私立にゆく程度。ただ、学生生活で、下宿やクラブなどでは差がつく。金持ちは金を使って、楽しい遊びができる。が、学問では、才能の有無しか問われないから、差がつかない。

 テレビゲーム
 金持ちは、どんなゲームでも買ってもらえる。中流はこづかいの範囲で買う。差はそのくらい。できるゲーム自体は売っているものが限られているから、金持ちだから特別なゲームが手に入るということはない。

 まとめ
 金持ちは、多少よい暮らしができる。が、中流と差がつかないところもある。生活で、中流と金持ちは、あまり差がつかない。日本人は。

 というわけで、金持ちがさらに金持ちになる、と中流階層がひがむ必要はない。金持ちはお金をいくらもっていても、服、車、食べ物、医療など、商品のほうに上限がある。彼らはそれ以上のよい暮らしはできない。中流でも、かなりよい生活ができる。実質、生活は金持ちと中流では、あまり差がつかない。

 彼らの暮らしは、多少派手でも、散財が多くても、海外旅行が多くても、せいぜいそのくらいだ。彼らは意識が高いわけではない。また教育は同じ学校にゆくから、実質、中身は中流とあまり変わらない。

 私が本当の資産家を知らないから、こういうのんきなことを言えるって?

 本日は、スーパーリッチは論じてない。アメリカの上位1%の下限、年収3700万円の人物を金持ちと想定した。そして、私の経験から、金持ちの生活と中流の生活を比較してみた。

 私は言いたい。金持ちの暮らしはたいしたことないのだ、と。マリーアントワネットやイメルダ夫人のように、国を傾け、国民の暮らしを圧迫するほどの贅沢は、日本の資本家達はしていない。そして、このままでは、格差が広がって、大多数の国民はますます貧乏になる、という主張は嘘っぽい、と知ってほしい。
 
 資料 格差大国・アメリカの後を追う日本 (日経サイトより)

 今日の被害
 軽く頭がだるい。電波で朝から、眠くなる。また執筆中に体がだるくなり、眠くなる。昨日は、ソファに座るとよく眠らされる。それは毎日のようにある。また口の中の歯ぐきを刺されることも、歯をやや削られることも続く。小さな魚を飼っているが、それは数ひき殺された。寒さで死んだとみせかける手口だ。
コメント

『だから日本はズレている』(古市憲寿)の感想

2014-12-26 11:44:52 | 電波犯罪
こんにちは
 晴れ。
 書物に記されてない新しいアイデアは、どうも文章が乱れるようだ。翌日には直すつもりだ。それで、同じものも後日に読みやすくなる。何度か読み直してほしい。少しずつ表現を変えているから。もちろん、被害記録は変えないが。

 プーチンはマネーゲームをしている
 サウジが原油の減産を拒絶。すると、原油の大幅安になった。ロシアは原油価格が高くないと、もたない国だ。
 そんな折、ウクライナ問題などで、ロシアへの経済制裁が強化。ルーブルが大きく値下がりした。プーチンは会見を開いて、ロシア銀行の対処は適切だ、と余裕しゃくしゃくだった。
 彼にとって、ルーブル安は予定だったようだ。つまり、原油が多少安くなっても、それ以上にルーブル安になると、収入は上がるわけだ。
 プーチンは国家財政を保つためには、うまくやっていたようだ。経済制裁を受けることがロシア政府にとっての最重要事項、ルーブル下落の要だったらしい。プーチンは戦争だけでなく、マネーゲームもやっていた。

 『だから日本はズレている』(新潮新書 2014年 )古市憲寿
 これを立ち読みした。古市氏はNHKの深夜ニュースで顔を見た。彼は温和で、左派よりも右。先進的なことにはついてゆけないようだ。が、埼玉出身でなかなかいい若者に見えた。

 私は友達いないから、左派批判ばかりしていたら、同志は自民党支持者や、産経、保守、アメリカの学者ばかりになってしまう。見込みがあるのは褒めておかない、と。

 私が立ち読みするのはお金ないから。私は実家にいる。地震予知を仕事にする。その寄付でなんとかやっている。本を買う金はない。寄付して頂けると、もっと詳しく分析できるのだけど。

 彼は社会学を専攻とするから、おおらか。経済学者や左翼みたいに論調が55年体制の論調をひきずってはいない。新しいネット上でのありきたりな左翼論調でもない。そこが新鮮で、いい感じ。

 さっと読んだ印象
 彼は、日本にリーダーがいない、という。関東ではみかけないかもしれない。大阪は必ずリーダーが集団をまとめる文化だから、いる。
 これは日本文化の性質とすることはできなくて、単に現代の風土といえる。織田信長、秀吉、聖徳太子などリーダーが出る時は、出たのだから。しかし、世界的な人物は、過去にいない。
 ただ、世界的なリーダーは、その国の最盛期後、文明が衰退し始めた時に、その文明の象徴のような人物(天皇ではなく、その文明らしい才能)が現れる。日本は90年代に日本的システムのピークだったから、そろそろだ。彼はここまで言及していない。

 彼は、最後に未来を描いた。それはベーシックインカムが整った社会で、極貧もなく、みながのどかに生きていける、という。古市氏は若いのに、ベーシックインカムに目をつけるとは、なかなか目のつけどころがよい。
 若手で保守は、渡辺善美、橋下徹、それから私とベーシックインカムが実現すると、思っている。並べてみたら、変な感じだが、日本の格差を解決するために、何が必要かは、若手はおよそ一致する。彼は、そのベーシックインカムの制度は、彼なりにわかりやすく、明るくイメージしやすいものに描いていたのには、感心した。

 ベーシックインカムでどう変わるか?
 これは私の考え。食うため、生きていくために働け、という労働強要主義がなくなる。また生活費を得るために、人々は危ないこともしなくなる。食うものに困って、強盗する。わずかな金を稼ぐために、犯罪に手を出さなくなる。スラムなど荒廃することはなくなり、社会の秩序は乱れにくくなる。
 労働者が減ることはないだろう。無理に働くようなことはしなくなる。ただ、給料がほしいがためにするきつい仕事、スーパーの店員や3Kはアルバイトの確保に困るだろう。仕事を面白くする工夫が必要だ。

 現在も飢えている人はごくごく少数。彼らは生活保護に置かれている。よって、日本は大方、8-9割がたはベーシックインカムが整った社会とも考えることもできる、と少し前に私は書いた。少し付け足そう。

 ベーシックインカムになると何が変わるか?
 お金がない時に、必死になって、稼ぐこと、他人から借りることはなくなる。親から生活費を受けとるために、頭を下げることがなくなる。サラ金に手を出す人も減る。貧乏だから大学行けないことも、奨学金の返済で苦しむことも、金銭を得るための面倒な役所通いもしなくてよくなる。貧乏人は金を得るために、今まで過剰ともいえる手間をかけていた。そういう社会的な無駄はなくなる。それが変わる。

なによりよいのは、浮浪者がなくなることだ。社会が清潔になる。

 古市氏は2058年? 頃かな、『健康薬』を飲む、書いていた。精神を明るく快活にするための薬を飲むそうだ。向精神薬のような。彼は、一般の人が仕事をしなくなると、憂鬱になる。それを防ぐため、とした。

 彼は、失業者を念頭に置いたようだ。彼は、仕事がないふつうの人々の暮らしを知らない。その代表は主婦や引退老人だ。昼間長く、スーパーに顔を出したら、彼女達の生活スタイルは把握できる。彼女達は普段から明るい。彼女達にそんな精神薬は必要ない、とすぐにわかるだろう。このあたり、彼は精神医学の専門ではなく、彼の社会学にも穴があるようだった。

 確かに、未来ではより健康管理は重要になる。判断力を高く維持するために、頭の働きをよくする薬は欠かせないだろう。安全なものは、薬というよりは、嗜好品である。日本人は、茶を飲んでいるし、紅茶、コーヒーも飲む。これは昔の人が見たら、薬だろう。だから、現在は、薬としても、よいのである。が、仕事がなく、退屈な日常を過ごす憂さ晴らし。そのために薬を飲むわけではない。

 彼は明らかに虚構の未来を描いていたわけではなかった。ベーシックインカムと精神薬を飲むこと。悪くはないとしても、あまり鋭くはない。他は? 疲れていたから覚えてない。彼は全般的に、新しい世界観をうっすら、と示していた。若いのになかなかのものである。

 今日の被害
 音声送信はある。検閲してくる。そこはあかん、とか、違うとか。
コメント

トマ・ピケティの予測を上方修正すると

2014-12-25 11:49:18 | 電波犯罪
こんにちは
 晴れ。メリークリスマス。イブに川西アステで歌が聞けたし、今年はさびしいけど、まぁよしとするか。

 第三次安倍内閣始動
 昨日、24日に首相が安倍に決まり、同日彼は内閣を作った。自民の公約の達成を期待したい。
 私は地震予知をしている。役不足と思えるのは、山谷えり子防災担当大臣だ。東京-仙台間で大震災を2015年冬に私は予知する。彼女は、大震災に対して、経験不足で頼りない。どうやら安倍首相が、救助、復旧、復興を主導することになるみたいだ。大震災の時は、防災大臣をあまり使わないで、首相が率先して動く。そういう危機管理体制とみた。

 ピケティの理論に欠けるもの
 私は本屋で二冊も立ち読みした。中身が薄く、長たらしい本なので、読む気はしない。まとめたものを斜め読みした。資本家の成長率が5%で、国家は2-3%。それで、資本家に富がしだいに集まり、格差が広がるという。格差が進むと、金持ちと底辺に分かれ、まるで19世紀の暗黒社会に戻る、という。

 西洋人は、未来を原始社会と描くケースがある。
 フランスは未来への希望がないのだろうか。だから、すぐに極度の金持ちと管理された庶民達という、安っぽい未来社会を描いた。
 かつてアメリカが世紀末が漂った時期に、未来を見出せないのに、未来映画を作った。最初、未来は科学が不幸をもたらすと思われ、それを捨て去った原始社会が理想というものが描かれた。アーミッシュのような電気も車も使わない。18-19世紀ののどかな風景の社会が描かれた。そんな退廃した世界だった。フランス人の彼はまだそんなレベルの不安にとらわれているようだ。彼は共産本を読み、左派が親なら、未来は暗くなるしかなく、希望ある未来を見出せないのは仕方ない。

 最近のアメリカ映画は次の段階に進む。未来は科学技術にあふれる。が、特権者と底辺の二階層に分離した社会になる。スラム側は中央管理者に洗脳されている。が、それを不可解に思ったスラム側の人間が中央管理者達と戦い、スラム側が勝利する。そして、解放する。
 金持ちが宇宙にユートピアを作り、暮らす映画もある。地上は、管理されていて、幻想の夢を見て、日々を幸せに暮らす。その金持ちや特権階層が住む宇宙基地に、地球の貧乏人側の者が、入り込む。そして、解放するものも。

 この手は西洋人がお好きなようだ。だが、これは、間違いである。現代社会で、極度に格差が広がる雰囲気はない。底辺はさらに貧乏になっていない。底辺は新しい科学技術をどんどん使い、生活を豊かにしている。

 映画ではなく、たとえ経済学で、そんな古来の退廃した未来社会を描きだしても、それは予測法に問題があるのであって、現実はそうはならない。

 彼は、金持ちに資本や富がどんどん蓄積して格差が極度に進む、ともっともらしく描く。しかし、実際は、異なる。アメリカのセレブはせいぜい3代までだ。新しいセレブは、女優や男優、音楽家新興の企業家である。それらが半数以上を占める。そして、それら才能のある者たちが、子々孫々にわたって、その一族だけに生まれ出ることはない。

 才能に富は集まる。また才能は分散する。よって富も分散する。日本では、もっと旧家の金持ちが少ない。資本家に富がどんどん蓄積するよりも、新しい人々にとってかわる割合が多い。富が遺産で継承されて、拡散しないというのは、彼の勘違いである。彼は経済学で、虚構を描いたにすぎない。

 資本家はどんどん増える
 また資本家が少数になるという仮定が、もっとも大きな間違いである。20世紀は、資本家が増加する時代だったといってよい。社会的な能力は教育されて、多くの人がもつことになった。

 金持ちは明治の新興成金や江戸の商家から始まる。それは少数だった。が、戦後、財閥は解体され、雨後のたけのこのように様々な企業が勃興した。そして、多くの社長が財をなした。資本家が、どんどん広がり、庶民の間にまで広がった。

 これは経営学の発展による。昔は、経営の才あるものは少なかったが、最近では経営学・MBAを多くが学べる。小学校で、経営の初歩も勉強する(仕事体験学習)。20世紀初頭では、経営はごくごく少数しかできなかった。が、いまや、誰でも経営者になれる教育を受ける。

 ベンチャーキャピタルという制度も登場した。インターネットでは、個人が起業することもより簡単になり、それで世界を相手に商売できる。資本家、経営者が、21世紀初頭よりも、現在は、人口比率で大きく増える。そんな社会制度も充実する。

 さらに資本家になるための制度も充実している。個人の証券投資も日本で推奨される。それは個人の資本家が増えていることを示す。

 これららによって、富が少数の社長や資本家に集まるのを防ぎ、多くの新規資本家に、分配される。

 資本家、社会的な才能は、簡単に身につけられる。その比率はどんどん高まる。多くが資本家になりつつある。よって、資本家そのものの比率が高まる。それで、資本家がごく少数で富を独占するという状況は、永続的ではない、とわかる。しだいに、社会的な才能を高めた市民(資本家のこと)の比率が高くなる。すると、富の分散化が始まる。資本家の得られる収入がしだいに小さくなる。それによって、資本家とその他との格差自体が小さくなる。富が分散することがみえてくる。

 社会の成長率は、資本家のそれにあわせるべきだ
 ピケティによると、資本家の成長率は5%。資本家は、教育によってその人口比率をどんどん今後高める。やがて国民全てが資本家(彼は社長・経営者、株主を資本家とみなしている)になる。すると、最終的に、国家の成長率が5%に近づく。彼はそう計算して、予測すべきだった。

 現代の国家に、何%の資本家がいるのだろうか。それらを数値化する。国家全体の成長率から、資本家の成長率を除いた分を割り出す。そうして、本当の非資本家の純粋な成長率を出すべきだ。

 そして、非資本家は教育と制度によって、次々と資本家になる。この変化も明らかにする。2010年には資本家は国民全体の何%とか。それにより、国の成長率がいくらあがるか。そういうことを予想すべきであった。これなら、国の成長率がいつまでも最低レベルにとどまる、という前提をもとに未来を予測しなくてすんだだろう。

 こちらは、より繁栄する未来を見出せる。しかも、こちらは現実に近い。そして、彼は非資本家にお金を回すだけではなく、資本家の育成に力を入れるようを提案すべきだった。国民総資本家の時代を目指して。

 トマ・ピケティの予測を上方修正すると、国家の成長率は5%になる。それがより妥当な未来ではないか?

 今日の被害
 昨日、ジャケットとセーターに生ごみ臭。部屋に置いていたらついた。誰も触っていないのに。また今朝は、目に圧迫感。それと頭部左中央が軽く痛む。音声送信は聞こえる。
コメント

資本主義は終わらない 左派・左翼経済学者を論破!!

2014-12-24 11:26:51 | 電波犯罪
こんにちは
 晴れ。メリークリスマス。

 最近、週刊ダイヤモンドやエコノミストを読むと、日本人のアベノミクス批判が目立つ。経済学者はともかく、経営者や財界がアベノミクスの活用法を知らないわけがない。どうして、そういう現代の為替変動期を生き抜く知恵が、取り上げられないのだろうか。海外は、アベノミクスに好意的だ。これは世界のふつうの見方。日本は迷っているようだ。

 資本主義は終わらない

 資本主義が終わった、という本が多い。共産主義を信じて、完全敗北した左派・左翼がわずかでも、反論してうっぷんを晴らしたいようだ。見苦しい。そんな左派経済学者のエセ経済論が雑誌に多々みられる。その間違いを論破する。資本主義は終わらない。

 日本人は現在の日本経済体制をすぐ「資本主義」と呼ぶが、それは正しい呼び名とは言いがたい。「自由主義経済」が、より正確だ。対するは「社会主義経済」である。自由主義とは、個人や組織が自由に売買する社会だ。社会主義は、国が全てを統制する社会である。

 よって、この経済体制の差、その本質は組織形態の差である
 組織形態とは、集権的組織、分権制組織、官僚組織などをさす。中央で全体を統御している組織は、集権的組織や官僚組織だ。各自がばらばらに動くのは小集団からなる組織。個人を単位とする社会は個人主義的な組織といえる。

 社会主義とは基本的に集権制組織をさす
 具体的に、独裁国家はトップの命令系統が下々にまで伝わるから、集権制組織だ。自由経済をもたない旧ソ連のような官僚国家は、集権的な官僚制組織といえる。社会主義経済とは、集権組織から官僚制組織で、個々の自由活動を認めない組織形態である。市場は認められないか、ごくずかで、配給社会である。社会主義とは、基本的に、国家が何もかも決定するから、集権制組織をさす。

 社会主義経済は民主主義がない全体主義だ。そこには集権制組織、分権制、官僚制組織がある。その順序で発展する。ソ連が、当初はスターリン独裁など権力者一人による統治だった。が、やがては東欧を独立させて、ソ連がそれらを支配する構図をとって、社会主義国はソ連を中央とする地域分権体制を完成させた。そのソ連は戦後に巨大な官僚組織となった。そして、92年に崩壊した。

 実は、組織形態では、社会主義の最終形は官僚組織である。そして、官僚組織の破綻とともに社会主義は終焉した。これは社会組織論の結論である。社会主義幻想はこのとき92年に終わった。

 自由主義は、小集団制組織、個人主義的な組織をさす
 資本主義では企業など小組織が自由に活動する。それらからなる日本やアメリカ、ヨーロッパのような国をさす。これは小集団制組織と分類できる。ソ連が終わると、民主化して多くは資本主義になった。中国は、国家の崩壊を避けるために、資本主義を導入した。これを共産主義の邪道という人がいる。が、組織の発展段階としては、資本主義は、官僚制度の次段階にある。そのため、正しい選択だった。

 というのは組織成長論では、官僚制度は必ず破綻する。そして、次は小集団からなる組織に変化するからだ。これは純粋に組織成長として説明される。自由主義の組織とは、集団を内包する組織=集団制組織をさす。

 官僚制度は、その決定の手続きが煩わしくなる。あまりに巨大化するため末端のことがトップに伝わらない。新しい状況に対応できなくなる。これはいわゆる大企業病、官僚組織の弊害である。ソ連、中国もそういうものに陥った。トップと国民との間に大きな壁が出来て、トップは権力闘争にあけくれ、国民の声は聞かなくなり、両者は隔絶する。組織が大きすぎるという問題になる。

 このときに、多く経営者は何をするか? 官僚的な組織を解体する。そして、小さな組織を作りはじめる。分社化したり、プロジェクトチームを作ったりする。よほど全社的な問題でなれば、上の決定を必要としないようにする。権限をさらに下に与え、小さな組織が単独で活動するようにする。官僚組織は、そのように小さな組織に分割される。小集団を内に含む社会となる。つまり、官僚制組織が危機になると、組織は自らの意思で小集団制組織に変革する。

 自由主義(資本主義)社会は、数多くの企業が独自に動いて、社会全体を成り立たせる。これは小集団組織からなる大組織である。これは、資本主義社会だ。
官僚制度(社会主義の最終形態)破綻の先に、資本主義があるといえる。中国が資本主義を取り入れたのは体制の改革としては正しかったのである。もともと資本主義が社会主義より進んだ社会だったのである。

 資本主義社会が、組織形態をさす言葉、とわかって頂けただろうか?

 自由主義(資本主義)が最良の組織形態
 そして、社会主義から一段階先の社会形態だということも。よって、組織理論では、資本主義から、社会主義に後退することはけっしてない。なぜなら、組織の進化では、後退しないからだ。また社会主義組織の問題点を、人類は全て学んだからだ。誰も独裁体制、全体主義の暗黒を求めない。それらに希望を見出せない。同じ過ちを人間は繰り返さない。またそれは人類の退化であり、それをすると社会が破綻するか、暗黒化する。
 もっもと簡単な理由としては、資本主義が最良の組織形態であるからだ。自由主義体制こそ、組織形態の最終形だからだ。その組織形態において、自由主義の次段階はない。

 資本主義経済の終焉を論じる者はミスを犯す
 というわけで、経済指標をいじくりまわして、資本主義が終焉すると結論するのは、間違いだ。ソ連の体制がつぶれたのは、経済が悪くなったというのは一面にすぎず、ソ連型の官僚組織がおかしかったからだ。

 資本主義の問題を語るとは、組織形態を評価することだ。その時、資本主義の組織形態がなぜゆきづまるかを組織論で説明しなくてはならない。経済はその指標の一つであるが、全てではない。他に、命令系統、権限、創造性、問題解決の遅れ、組織内ネットワークなどの観点もいる。

 経済学で成長してないようにみえるからといって、組織形態そのものの問題だとするのは安直である。経済学は組織形態を分析する指標の一つだ。根本的には、組織形態の破綻の理由を、経済学が全て説明できるわけではない。組織論でしなくてはいけない。

 最近、経済学でうまく自由主義経済を分析できないケースが目立つ。例えば、科学は発展して、より技術が優れた製品を買っても、それが価格に反映されにくい場合。またベーシックインカムを未来予測に入れないで、社会が富の集中で荒廃するという安易な予測もみられる。より幸福な生活をしても、GNPは低いというブータンのケース。経済学が、文明の発展を正しく分析していない。が、経済学の手法そのものに問題があるにも関わらず、それは社会のほうに問題がある、と経済学は主張する。

 資本主義経済が終わったと批判する者は、私にはどうも、この手のタイプにみえてしょうがない。自由主義体制の終わりではなく、彼らアナリストが使う経済学的手法が終わりつつある(もう使えないか不適切)、と考えるべきだろう。


昨日と今日の被害
 セーターにやや異臭(生ごみ系のにおい)がついている。数回着ただけなので、洗濯もできない。またPC机に、もやもやする手触りのものがついていた。それをさわると、手がごわつく。顔に付着すると、かゆくなる。薬剤がしみこんだほこりやちりだ。
 音声送信は毎日ある。また口の中に、刺され傷がある。歯茎に。歯もざらつく箇所がある。
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