オープンな議論をしても構わないのではないか

もちろん、人格攻撃なしであれば。

「いじめ」はクローズドな場所で起こる

学校や会社で何か事件が起こったとして、
それが「いじめ」「虐待」かどうかを見分ける基準の一つは、
私は、事件の内容をオープンにしても問題ないと関係者が思っているか、だと思っている。

よく、問題を公にするのはよくない、みっともない、と言い出す人が大勢いるが、本当にそうだろうか?

例えば、子供が親に虐待されていたとする。
それをその親に指摘しても、「いや、しつけをしてるんです」と言い訳するだろう。
組織での「いじめ」も同じだ。必ず言い訳をする。

であるならば、
では、個人情報をある程度隠していれば、カメラで24時間家の中を公開してもいいですね?
と親に提案できるとしたら、どうだろうか?

それでも、問題ないです、という親であれば、虐待の可能性は、その時点でかなり低い。
それか、もしくは相当狂っている人、つまり罪の意識さえない人だ、ということになるだろう。

基本的に、
後ろめたいことがある人、
もしくは、恥の意識が強い人は、
議論をオープンにしたがらない。

そして、後ろめたいことがある人は、その他人の恥の性質を利用する。
彼らは集団の性質を見抜いている。
だから、問題が明るみに出ない。

しかし、後ろめたいことがないのであれば、オープンにしてもいいのではないだろうか。

今回の件で齋藤氏が逆にクローズドに徹底した人であったら

それはそれで、その点に関しては商売人としては尊敬するが、
同じように内部で揉めていて、外部からの意見がまったく得られないのであれば、
それは単なるブラック、というかグレー?企業だっただろう。
もちろん、齋藤氏の理念や努力は認めるのだが。

たしかに、それは私にとって逆に辛かったかもしれない。

#これまで商売や仕事で酷い目にあったことは色々あるが、私は公に実名で非難はしない。
#申告しても、労務関係に取り合ってもらったことも一度もない。
#書くとしたら、匿名で内容をぼかしてさらっと愚痴るぐらいだ。それぐらいは許してほしい。

しかし、今の世の中、ネットで大なり小なり、会社の内部事情は漏れ出てくるだろう。
その流れを止めることができるだろうか?

#といっても、本当にブラックな零細なんて、苦情があってもみんな泣き寝入りしているだろうから、
#それなりに大きいところに限られはするだろうが。

ケツ毛バーガー事件と三鷹ストーカー事件を通して

これはかなり賛否両論が分かれると思うのだけど、
自分が女性で、ケツ毛バーガー事件や三鷹ストーカー事件の被害者?だったとして、
ストーカーに刺されたりするのは、ここでは考えないことにするが、
自分のあられもない姿を全世界に公開されてしまったとする。

もちろん、日頃から個人情報の管理に気を配ることは大事だが、
他人に見せたくない、自分の個人情報が公開されてしまったとして、その後どうするか?

もう、生きていけないのか?

自殺するしかないのか?

本当にそうだろうか?

愛し合った中であれ、金銭の関係であれ、
ラブホでM字開脚しようが、彼のをフェラをしようが、それを撮影しようが、構わないのではないだろうか。
少なくとも、犯罪ではない。
犯罪だったとしても、赤の他人に迷惑をかけてない。

公開さえしなければ、公序良俗に反しない。児ポ法違反でもない。
公開したのはウィルスや元彼であって、自分の意思ではない。

さて、自分が当事者の女性だったとすれば、自殺するか、開き直るしかない。

で、本当に後ろめたくない、もしくは、誰でもやっている違反行為だよね、
一定の同意が得られそうな行為だよね、と思うのであれば、
公開されてしまっても、サラッとしていればいいのではないだろうか。

もちろん、それが難しいのは分かっている。
仕事にだって就きにくいだろう。

でも、

私は変態です。
でも、みんなの中にだって、どうせやってる人いるんでしょ?

って開き直っていかなければ、このネット時代、逆に生きていけないのではないだろうか?

あと、気の迷いで書いたことが、ネットやメールに一生残るから、という人がいるが、

気の迷いにしても何にしても、そのときあなたが心の底から思った本当の気持ちでしょ?

その何を恥ずかしがる必要があるの?と思う。

なんというか、減点主義すぎる気がする。

その人間関係を断つ覚悟がすでにあるのであれば、もう好きに書いたっていいのではないだろうか。

まとめると

みっともないことも含めてさらけ出した、さらけ出されたとして、

それでもある一定の他人から同意や同情が得られるようであれば、

それを過度に恥じることなんてないよ、と思う。

どうせ、みんな、どっか、おかしいんだから。