折口信夫は「マレビト」論や芸能史を手がけた民俗学者として、あるいは『死者の書』を書いた小説家として一般には知られる。と同時に、アカデミックな論文作法から逸脱し、独自の学術語(折口名彙)を用い、いっときはコカイン中毒者であったという意味では、一種の奇人でもある。だが、なぜこういう異形の思想家が近代の日本から出てきたのだろうか?
本書はこの難問に真正面から取り組んだ大著である。そこでは、従来顧みられなかった「柳田民俗学との出会い以前の折口」が大々的に取り上げられる。
折口は国学院大学に在学中、藤無染という美男の僧侶と同居していた。藤無染はアメリカの仏教学者ポール・ケーラスを参照して、イエスとブッダの伝記を劇的に描いた。そのケーラスの助手を務めたのが若き鈴木大拙であり、大拙はアメリカで得た仏教思想を旧友の西田幾多郎に書簡で紹介するだろう……。藤無染を介して、若き折口の「知」は、日本の最先端の哲学的・宗教的動向とも共鳴していたのだ。
さらに、大学時代にモンゴル語を学んだ折口の思想には、金沢庄三郎の比較言語学や大谷光瑞のアジア探検との類縁性も認められる。アメリカの宗教学やプラグマティズムに加えて、国境を超える「比較」と「探検」の技法が、折口の「一元論的」な知と交差していた。こうした共鳴現象を手がかりに、本書の後半では、出口王仁三郎や西脇順三郎、井筒俊彦らが次々と召喚される。大正から昭和の思想界の怪人をありったけ詰め込んだ一大パノラマ!
折口は一見すると、日本の伝統文化に包まれた保守的な思想家に映る。現に、彼の関心は日本の文学や芸能がどうやって生み出され、何のために存在したのかという大問題に向けられていた。しかし、そのアナクロな外見に反して、彼の古代論は、実はめくるめくグローバルな知的交通から発生したのだ。ゆえに、折口を読み解くには「一元論的思考」を核とした新しい思想史が求められる。彼のテクストを介して、これまで盲点となっていた日本思想の系譜をも一挙に浮上させたところに、本書の最大の魅力がある。
むろん、すべてを取り込む一元論の「曼荼羅(マンダラ)」は、一歩間違えれば全体主義やオカルトに行きかねない。だとしても、この誇大妄想的な毒ゆえに、折口が比類ない思想家になりえたことも確かだ。本書は折口の毒を殺さず、しかもあくまで理性的な筆致によって彼を現代に蘇(よみがえ)らせた。近年稀(まれ)に見る力作である。
(文芸評論家 福嶋 亮大)
[日本経済新聞朝刊2014年12月21日付]
安藤礼二
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