げんばるマン「全員が助かった」 2014.11.20


でもそれだとあんまりニュースにはならないかもね。
そっか…。
ただしめずらしいものがニュースだから泰我君の家族の中では大ニュースかもよ。
それもちょっとびみょうな気分…。
現場に出かけ現場で学ぶ「げんばるマン」!はい。
ということでですね本日は岩手県の釜石市にやってまいりましたけども。
ここもかなり大きなひがいをうけたところなんですけども。
たてものがものすごいことになってますよ。
東北沖の太平洋でおきた大地震と大津波で岩手県釜石市では5,000い上のたてものがこわれ900人近い人がなくなった。
ところでですね金田くん。
…バンッ!どういう小学校なんでしょうか?うんてん手さん唐丹小学校までおねがいします。
釜石市の中心ぶから車で15分今回の現場唐丹小学校には20mをこす津波がおしよせた。
うわ〜学校だこれが。
唐丹小学校ですか。
ほね組みだけみたいな感じだ。
阿部先生ですか?あはい。
よろしくおねがいします。
子どもたちを避難させるじん頭しきをとった。
すごいですよね。
これはかいだんがもう丸見えですけども…。
(阿部)いやもう…かべがすっかりなくなってるじょうたいですね。
津波は学校をかん全にのみこんだ。
しかし74人の子どもたちは全員学校から避難してぶじだった。
今回げんばるマンのミッションはどのような行動が命をすくったのかしらべることだ。
だってすなとかがものすごいのこってるもんね。
ふつうありえないよね。
教室にすななんて…。
津波が学校をのみこんだのは午後3時22分。
地震がおきてから36分間しか避難できる時間はなかった。
当時先生はどこにいらしたんですか?ここが体いくかんなんですけれどもここで456年生でそつぎょうしきのれんしゅうをしてました。
地震がおきたとき高学年は体いくかんでそつぎょうしきのれんしゅうをてい学年は下校するじゅんびをしていた。
はげしいゆれで体いくかんの天じょうが一ぶくずれしょう明が落ちてきた。
子どもたちのしょう言を聞いてみよう。
立っていられない…でした。
いすの下に頭をかくしました。
ないたっていうわけじゃないけどさけんでたっていう感じの人もいました。
パニックっていう。
「早くにげろ」みたいな感じで。
ジャンパーとかはきないででふつうの今きてるようなふくそうでにげていたのですごく寒かったです。
先生の誘導でじどう全員がすばやく校庭に集合した。
地震発生から4分日ごろのくんれんのせいかが出た。
先生はどんな心きょうだったんですか?やはり目の前でおこってることが現じつのものとして感じられなかったですね。
やっぱりパニックじょうたいになってたんだと思います。
この時点で津波けいほうはまだ出ていなかった。
けいほうが出てから避難することになっていたので全員校庭にたいきしていた。
そこへさけびながらやって来る人がいた。
津波が来るとかん全に来ると。
それはむかしからのつたえでゆりかえしって言ばがあるんですけど1回目が小さくて2回目が大きくなったときにはかならず津波は来るって小さいころから聞いてたんでまちがいなく津波が来るっていうことでそれから小学校に走っていったら子どもたちが校庭で体いくすわりでもやるんですよ。
「何やってんだこの!早くにげろ」ってさわいで。
じつは釜石市はこれまでにもたびたび大津波をけいけんしている。
そこから学んだ教くんが生かされたのだ。
校庭に集合してから5分後。
避難場所になっているじん社へむけて全員が移動をはじめた。
ふだんからしんけんに避難くんれんを行っていたため子どもたちは高台にあるじん社への道はよくわかっていた。
子どもたちが避難した道をげんばるマンもたどってみる。
ここでようやく海が見えますね。
そうですね。
波が見えてきますね。
どういうじょうきょうかっていうのが。
もう…みんなは上行ってるけどもやっぱりふりかえってしまいましたね。
海を気にしながらも前にすすんだ。
けどチラッと見てもうやばいなっていう感じがしてそのまま。
あとは前だけ見てからそのまま行きました。
じん社へとむかうさか道はいつもとまったくよう子がちがっていた。
くんれんはしてたけどいつもと…地めんも割れてたり道ろにもちょっとひびが入ってたからだから…どうやればいいのかもわからないままただむがむ中にそのまま走って。
さか道上ったりして電線とかも落ちてきたりそういうのもありました。
学校を出発してから5分避難場所に到着した。
このときまだ学校に津波は来ていなかった。
避難くんれんではここまで来ればあん全だとそうていされていた。
しかし先生たちは気をゆるさずさらに高台を目ざした。
大災がいのときには気をゆるめずよりあん全な場所をさがすのがてっそくだ。
オホッ。
これもう全ぶ見えますからね。
じん社からさらに上った広場。
ここで子どもたちは津波が学校をのみこむしゅんかんを目にすることになる。
何どもおしよせてくる津波を子どもたちも先生もただ見ているしかなかった。
こわかった。
津波が来るのを見てで自分の船がながされるのを見ました。
木とかもたおれてから防はていもそのままくずれてっていうのを見てからないた人もいたしさけんでた人もいました。
これはもうおわりかなっていう感じがありました。
引き波のときに防はていがね石ころのようにころがってるんですよ。
そのときに全員が「防はていさんがんばって」と子どもたちが言ってたのが耳にのこってました。
ホントに子どもたちもめちゃくちゃこわかったと思うんですよ。
ホントにがんばりましたよね。
そうですね。
いちばんがんばったのはやっぱり子どもたちですね。
雪がふる中74人の子どもたちは…その後助けにきた車でとなり町の…現ざい唐丹小学校の子どもたちは中学校のグラウンドにたてられた仮設校舎で学んでいる。
大地震から1年い上たった今しんじられないほどたいへんなけいけんをした子どもたちにも明るいひょうじょうがもどっている。
げんばるマンのふたりは子どもたちが防災のじゅぎょうをうけていると聞いてやって来た。
(小声で)いましたいたいた。
(みんな)「大きな地震がおきたらどのように避難すればよいのだろう」。
あの地震のけいけんをもとに何がひつようかを自分たちで考えている。
教室出て避難する前にすばやく何するんだと思う?たとえば何?避難した場所で何分いなきゃならないかわからないですよね。
人間がよそうできない災がいはかならずおきる。
大切なのは自分の命は自分で守ろうという気持ちだ。
お〜い!こんにちは〜!
(みんな)こんにちは!おれらのコンビ名わかるかな?せ〜の…。
はんにゃはんにゃはんにゃ。
日ごろからのくんれんとてきかくなはんだんが74人の子どもたちの命をすくった。
みんなもいざというときにどうすればよいのか考えてみないか。
2014/11/20(木) 09:50〜10:00
NHKEテレ1大阪
げんばるマン「全員が助かった」[解][字]

大津波の被害を受けた岩手県釜石市。げんばるマン・はんにゃが、校舎が全壊したにも関わらず、ひとりの犠牲者も出さなかった釜石市立唐丹小学校を訪ね当時の話を聞く。

詳細情報
番組内容
今回、げんばるマン・はんにゃは、東日本大震災で大津波の被害を受けた岩手県釜石市立唐丹小学校へ。地震発生後、11mの防波堤を越えてきた津波により、3階建ての校舎は全壊したが、学校からは一人の犠牲者も出なかった。昔からの言い伝えや熱心な訓練が、子どもたちの命を救ったのだ。先生や子どもたちの証言で当時の様子を振り返るとともに、仮設校舎で防災授業に取り組む子どもたちを訪ねる。(2012年制作)
出演者
【出演】はんにゃ,【語り】難波圭一

ジャンル :
趣味/教育 – 幼児・小学生
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
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日本語(解説)
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