歴史秘話ヒストリア「秋の京都にでかけよう〜華のみやこ 千年の秘密〜」 2014.11.19


ちょっとできないかな。
井上さんは?
私はやはり、セクハラやじですよね。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
いよいよ秋の行楽シーズン到来。
皆さんはお出かけの御予定がおありですか?こちらはアメリカのセレブ向け旅行雑誌が今年発表した世界の人気観光都市ランキングベスト10です。
…と世界の名だたる都市がランクイン。
注目のトップ3は…。
(ドラムロール)第3位…イタリアルネサンスの中心地として栄えたこの美しい中世の街は芸術の宝庫。
世界遺産にも登録されています。
第2位…ここはイギリス植民地時代の歴史的町並みを今に伝える都市。
南北戦争の火蓋が切られた地でもありアメリカ史を語るうえで欠かせない場所です。
そして堂々の第1位は…。
京都といえば四季折々の美しい景観とおいしい料理やスイーツのおもてなし。
長い歴史の中で育まれた京都の洗練された文化は…「見てよし食べてよし」。
そんな京都の町の知られざる物語を御覧下さい。
秋深まる京都。
燃えたつような紅葉に彩られたいにしえの都はみやびでありながらどこかはかない雰囲気。
「あぁ…今年こそ行ってみたい!」そんな方も多いはず。
実は今の京都の景観を形づくった功労者が…かつて秀吉は京都の町に巨大な城聚楽第を築きました。
その幻の豪華天守閣がCGでよみがえります。
京都が日本の都となったのは今を遡る事…平安京誕生の陰には恐ろしい怨霊のたたりがありました。
都に隠された驚くべき怨霊封じの仕掛けとは?明治の世京都は史上最大の試練に直面します。
なんと天皇が東京へ。
首都の座を奪われてしまいます。
起死回生の切り札は外国人もはまった脅威のおもてなしパワー。
今宵は今世界が称賛する千年の都京都に秘められた取って置きのドラマです。
平安時代初めに創建された京都でも有数の古刹…その紅葉の圧倒的な美しさはいにしえより多くの詩歌に詠み込まれてきました。
こちらは南禅寺。
室町時代将軍家によって最高の格式を与えられたこのお寺も紅葉の名所。
色づいた木々と水辺の織り成す庭の風景はいくら眺めていても飽きる事はありません。
そして近年紅葉スポットとして大きな人気を集めている…京都は本当に美しい風景で満ちていますよね。
しかし戦国時代京都の華麗な景観は度重なる戦乱によって焼け野原になってしまいました。
そこにやって来たのが天下を手中に収めた関白・秀吉。
秀吉は荒れ果てた町を天下人の都にふさわしい町へとよみがえらせるため大改造に乗り出します。
突然登場もみじちゃんです。
私から説明しましょう。
京都の町を歩くとあちらこちらで秀吉様の影響を見る事ができます。
例えば町の名前。
こちらの地域は「如水町」。
もともと秀吉様の御家来…その官兵衛様が名乗っていた「如水」という名前にちなんで付けられたんですよ。
他にも越後の上杉景勝様の位にちなんだ「弾正町」や会津の蒲生氏郷様の位にちなんだ「飛弾殿町」など。
天下人となった秀吉様は大名たちに京都の町に立派なお屋敷を建てるよう命令。
そしてそこに大名の奥さんを住まわせ人質にしました。
こうすれば町も立派になりますし秀吉様に逆らう不届き者も出てきませんよね。
更にこの時代京都の町にこれまで見られなかったものが登場します。
こちらは秀吉様がやって来る前に描かれた町の様子。
おうちは平屋ですよね。
そしてこちらが秀吉様の時代。
見て下さい。
2階建てにバージョンアップされています。
町なかのおうちも2階建てになってメインストリートが一気に豪華になりました。
さすが秀吉様!秀吉の「京都大改造プロジェクト」。
その総仕上げともいえる事業がありました。
それはお城造り。
秀吉の城といえば大坂城が有名ですよね。
でも都にもやっぱりお城が欲しいと思ったのか…その名も…ちなみに「じゅらくだい」と覚えた方もいらっしゃるかと思いますが最近の教科書では「じゅらくてい」と読む事が多いようです。
さてその聚楽第について宣教師ルイス・フロイスはこう書いています。
「深い堀と石壁で取り囲まれたその建物は豪華絢爛」。
なんとも秀吉らしいど派手なお城だったようですが…豊臣家の混乱によって築城から僅か8年で破壊され史料もほとんど残されなかったため幻の城と呼ばれてきました。
ところが近年京都市内で聚楽第の実像に迫る手がかりが地中から大量に発見されました。
600点にも及ぶ瓦です。
よく見ると一面金箔で覆われており失われた聚楽第の豪華さをうかがう事ができます。
贅を尽くした天下人・秀吉の城聚楽第。
残された屏風絵や発掘の成果をもとにその姿を再現してみましょう。
協力をお願いしたのは広島大学の三浦正幸さん。
これまで全国各地の城郭復元を手がけてきたお城のエキスパートです。
三浦さんは同時代に描かれた聚楽第の屏風絵に他の城には見られないユニークな特徴があると言います。
実は…確かにその時期の姿をとどめている岡山城や広島城は黒。
秀吉が築いた大坂城も黒でした。
それにもかかわらず秀吉は白い漆喰で聚楽第を覆ってしまったのです。
こちらがよみがえった幻の聚楽第の姿です。
日本で最初に造られた白亜の天守。
天守からは都じゅうを眼下に収める事ができました。
随所に用いられた黄金の飾り。
瓦には金があしらわれシャチホコも金。
この秀吉らしい壮麗な天守は紅葉に染まる秋の都でもひときわ輝いていた事でしょう。
天守のすぐそばには秀吉が政務を執った御殿がありました。
中に入ってみましょう。
こちらは…部屋を囲むのは秀吉が大好きだったという狩野派の襖絵。
更に三の間は柱までもが金箔で覆われ美しい内装を反射させて輝いています。
そしてこちらは…御殿の再現にあたっては残された内部の設計図や秀吉が築いた他のお城の内装を参考にしました。
聚楽第は天下人にふさわしい豪華絢爛なお城だったようです。
秀吉はこの聚楽第に時の天皇まで迎え全国の大名に自らの絶対的な権威を知らしめたのです。
しかし聚楽第の栄華も長くは続きませんでした。
天正19年聚楽第は関白を退いた秀吉からその甥の豊臣秀次に譲られます。
ところが間もなくその秀次に謀反の疑いが浮上。
(秀吉)秀次め許せん!更にその住まいになっていた…それは聚楽第の完成から僅か8年後の事でした。
豊臣家がその威信を懸けて築いた聚楽第は都から姿を消してしまいましたが…学問の神様菅原道真を祭る…実はここも豊臣家とゆかりの深い神社である事ご存じですか?こちらに秀頼公のお名前がございます。
秀頼とは秀吉の跡取り息子。
現在の北野天満宮の本殿は秀頼の名の下にその母である淀によって建てられたものです。
また五重塔で有名な…その境内にある…更に紅葉の名所である真如堂や南禅寺など秀頼や淀は秀吉の死後も積極的に京都の寺社の修復を行っています。
秋深まる京都。
その美しい景観には戦乱で荒廃した町をきらびやかによみがえらせようとした豊臣家の人々の思いが込められているのです。
さて秀吉の時代の京都を見てまいりましたがそもそもどうしてここに都がつくられたのでしょう?「歴史秘話ヒストリア」続いては…
(お囃子)京都に秋の訪れを告げる時代祭。
都の歴史を彩った華やかな装束が時を遡るように現れます。
この地に都が移されたのははるか1,200年前。
時の桓武天皇は新たな都をこう名付けました。
「平安京」平らかで安らかな都。
そんな願いを込めたのは桓武天皇を取り巻く環境がまさに平安ではなかったからでした。
京都府南部の長岡京市。
ところが…。
ある夜…徹底的な捜査によってたちまち数十人が逮捕されます。
そして浮かび上がってきたのは…なんと暗殺事件は桓武天皇を退位させるクーデターの一環だったのです。
しかもそこに関わっていたのは実の弟である早良親王でした。
まさか弟が…。
しかし…それでも桓武天皇は弟を許しません。
そして…すると間もなく長岡京を立て続けに災いが襲い始めます。
日照りが続き大飢饉が発生。
疫病も大流行し多くの民が命を落としました。
(鳴き声)不幸は桓武天皇の身内でも。
当時の記録です。
一体どうして不幸が続くのか。
原因を突き止めるため占わせたところ驚くべき結果が告げられました。
桓武天皇の弟早良親王が怨霊となり都にたたっているというのです。
死に追いやってしまった弟。
そして呪われた都長岡京。
桓武天皇は大きな決断を迫られます。
そして…。
都を遷すのじゃ。
苦しみの末…二度と怨霊にたたられないために桓武天皇や都の人たちが苦心した跡が今の京都にも残されています。
再び登場!もみじちゃんです。
突然ですが皆さんは「鬼門」てご存じですか?だから京都の北東には怨霊を防ぐための仕掛けがいっぱい。
まずは京都の北東にそびえる…ここに建てられたのが巨大寺院…延暦寺が第1の防波堤となって都を襲う怨霊を追い払います。
その延暦寺をくぐり抜けてしまった怨霊に対しては比叡山の麓で迎え撃ちます。
それが京都市の中心部から5kmほどのところにある…それはお猿さん。
怨霊が「去る」というわけではないのでしょうが…そしてここも突破した強力な怨霊に対しては最後の砦御所の塀を使って食い止めます。
御覧下さい。
そもそも鬼門をなくしてしまえばどんなに強力な怨霊でも御所の中に入るに入れません。
これでもう安心ですね!更に…こうした怨霊対策が功を奏したのかその後平安京は日本の政治や文化の中心地として長く栄えていく事ができたのです。
怨霊への備えに万全を期した平安京。
実は都には人々を災いから守るため怨霊対策のプロフェッショナルもいました。
陰陽師といえば有名なのが…その仕事は天文や暦時刻占いなどの知識を駆使して…例えば晴明はある年木星の不可解な動きを発見。
その安倍晴明を祭った神社があります。
この神社には平安時代から伝わる厄除けの神事があります。
平安時代は「ひとがた」を鴨川などに流す事で…こうした風習が今も大事にされているところも京都の魅力の一つですよね。
平安京誕生以来1,000年以上都として栄えてきた京都。
しかし時が移り明治の世になると思わぬ試練に見舞われます。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
京都の危機を救ったものそれは「おもてなし」です。
明治初め京都に衝撃が走ります。
それは思いもかけぬ遷都。
天皇が東京に行く事になってしまったのです。
古いしきたりやしがらみにとらわれた京都から天皇を引き離し…しかしそれは平安京誕生以来1,000年以上日本の都として歩んできた京都の歴史をひっくり返すようなもの。
人々は猛反発します。
例えばある公家は天皇の行列を追いかけてこう述べます。
しかし訴えは聞き入れられず行列はそのまま東京に。
しかし事前に情報が漏れあえなく御用。
(鐘の音)天皇を失った京都は間もなく深刻な危機に直面します。
御所は織物や焼き物などさまざまな産業の得意先にもなっていました。
こちらは創業以来御所が唯一の取引先だったみそ屋です。
みそは地下水や蔵についた麹菌などその土地の風土が品質を大きく左右するため天皇と一緒に東京に行くわけにはいきませんでした。
新時代がやって来たのに大ピンチになっちゃった京都。
でもここから奇跡の復活劇が始まります。
京都の命運を懸けてあるグループが作られました。
その名も「博覧会社」。
京都で博覧会をやろうという実行委員会です。
しかもそれまで立ち入り禁止とされていた外国人を京都に呼ぼうというもの。
ちょうどこのころヨーロッパでは「ジャポニスム」と呼ばれる空前の日本ブームが巻き起こっていました。
きっかけは江戸時代終わりにフランスで開かれたパリ万博。
このブームに乗って外国人を呼べば京都は再びにぎやかになるかも…。
という事で町をあげて博覧会開催に走りだしたので〜す。
会場は人がたくさん入れるようにと大きな建物がある西本願寺や知恩院建仁寺にお願い。
そして肝心の展示品は町の人たちに声をかけ外国人が喜びそうなお宝を集めました。
更にやって来る外国人のために英語のガイドブックまで作っちゃったんです。
嵐山や金閣寺などの名所の他に織物で有名な西陣についても丁寧に解説。
これなら京都中を見てもらえそうですね。
ねらいどおりさまざまな国の人たちが京都の文化に触れようとやって来ました。
展示されたのは…甲冑や西陣織の着物京都特産の焼き物などがズラリと並びます。
中には一風変わったものも。
目録によれば聖徳太子が書いたお経。
珍しい魚や鳥。
更には寒天干し大根などの食品まで。
とにかく外国人が喜びそうなものは何でも集めたようです。
京の伝統工芸品が一堂に展示されたこの博覧会に外国人も大喜び。
これに気をよくした京都の人々は…博覧会に訪れた外国人たちはガイドブックを手に京都の町へ飛び出します。
そこでもこんな気配りが。
当時まだ珍しかった外国人はどこへ行っても人々の注目の的。
町を歩くとすぐに周りを取り囲まれてしまいます。
そこに現れたのは…。
邪魔だから道を空けなさい!なんと…このガードマン京都の町ごとに設置されその数なんと1,000人。
常に外国人に寄り添い人力車で移動するとその横を走ってついていくという鉄壁のガード。
隣の町に来るとバトンタッチ。
道に迷ったり体調を崩したりした外国人も丁寧にお世話しました。
まさに至れり尽くせりです。
一方町の人たちも初めて接する外国人へのおもてなしに奮闘します。
観光とくれば欠かせないのはおいしい食事。
こちらは室町時代から続く老舗の料亭。
当時食材や料理法など試行錯誤しながら外国人向けにフランス料理のフルコースを作ったのだそうです。
これがその時のメニュー。
一番上のランクでお値段は1泊3食付き4円。
公務員の初任給より上とかなりのお値段でした。
どんな料理が出されていたのでしょうか?再現してみました。
前菜は魚のサラダ。
湯通しした魚に彩りよく旬の野菜を添えました。
生の魚が苦手な外国人もこれならおいしく食べられたはず。
二皿目はチキンチョップ。
じっくり焼いたひな鳥の肉です。
トマトソースで召し上がれ。
そしてメインディッシュは豚のローストビーフ!「豚」なのに「ビーフ」?メニューを見ると他にも豚のビーフステーキや羊のビーフステーキとあります。
当時の人は「ビーフ」の意味がよく分からなかったのかもしれませんね。
案内書には次のように記されています。
京都のおもてなしは外国の人たちの心を捉えるものでした。
こうして京都は長い歴史の中で育まれた文化や景観に加えて細やかなおもてなしの心によって世界を虜にする魅惑の町へと生まれ変わったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は京都の美しい秋の風景はいにしえより日本人の心を捉えて離さなかった。
そんなお話でお別れです。
平安時代の人たちは燃え上がるような都の紅葉に自らの心を重ねこんな歌を残しています。
「あの人が恋しい時には美しい紅葉を見てしのぼうと思う。
山から吹き降ろす風よお願いだから紅葉の葉を散らさないでおくれ」。
「秋の風に散りゆく紅葉よ私も同じようにどこへゆくとも分からないそんな悲しみを抱えています」。
「あのころを恋しく思って流す涙の色は私の袖に散りゆく紅葉のように赤く赤く染まっているのだ」。
古都・京都の秋。
どこかさみしげでしみじみとした気持ちになるこの季節。
いにしえの人々に思いをはせ京都を訪ねてみませんか?2014/11/19(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「秋の京都にでかけよう〜華のみやこ 千年の秘密〜」[解][字]

いよいよ紅葉シーズン到来!京都SP。世界が称賛する京都の美しい風景やおもてなし。そこに人々のドラマが秘められていました。見てよし食べてよし、秋の京都を大満喫。

詳細情報
番組内容
いよいよ紅葉シーズン到来!京都スペシャル。世界が称賛する京都の美しい風景やおもてなし。そこに人々のドラマが秘められていました。平安京を築いた桓武天皇には、最強の怨霊との知られざるバトルがあった?戦国時代、天下人・秀吉が威信をかけて京都に築いた幻の豪華天守閣とは?さらに明治の世、天皇が東京に移ったあと京都の町はどうなった?千年の都、京都。その華麗な秋をお楽しみいただく、とっておきのガイドです。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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