世界の村で発見!こんなところに日本人 ブラジルに金閣寺!99歳96歳92歳の三兄弟が 2014.12.05


今回の日本人探しキーワード
南米・ブラジルなのに金閣寺!?
なぜこんなところに?
日本を離れて80年
3人合わせて300歳に迫るブラジルで暮らす高齢の日本人兄弟がいた
日本からブラジルへは飛行機で中東・アブダビを経由して31時間
午後7時ブラジルの空の玄関口・グアルーリョス国際空港に女優・藤田弓子が到着
偶然にもこの日誕生日で日本人探し最年長となる69歳
そんな藤田が探し求める日本人は?
今回日本人は変わった建物にいるという情報を入手致しましたその建物の写真がこちらです
(スタジオ内騒然)どういったって京都の金閣寺ですよねどう見てもこれ
今回は京都にある金閣寺そっくりの建物を頼りに日本人を探していく
すぐにすいませんあの〜このね…近くだか遠くだか知らない?見たことない?こういう写真
すると花売りの若い男の子を目の前に藤田…
お花のプレゼントとはいかなかったがとりあえず祝ってもらえた
その後も聞き続ける
…が知っている人見つからず
ブラジルの金閣寺それほど有名じゃないのか?
ならばとサンパウロ市街地に行ってみることに
運転手さんに事情を説明しオススメの場所を聞く
うん日本人街ならブラジルの金閣寺について何か分かるかもしれない
空港から40分到着したのはブラジル最大の都市
人口は1,200万
南米経済の中心地の1つである
やっぱり経済的にはどんどん発展してきてるんですが社会にとって一番の弱点は治安の悪さ2年前のデータ昔見たんですけども例えば殺人事件の発生する割合を日本と同じ人口比で比べてみると34倍ブラジルのほうが発生しやすい強盗に至ってはですね315倍とかそんな数字が出てました
でも藤田のいるリベルダーデは比較的治安がいい場所だそうだ
日本みたいなんか
ここは世界最大規模の日本人街で昼間は多くの人でにぎわう
面積は3.7
東京駅周辺がすっぽり収まるほどの巨大な街
メインストリートは1kmにも及びレストランや商店が400店舗も建ち並ぶ
そもそもここリベルダーデが日本人街になったのには長い歴史があった
1908年以降多くの日本人が貧困からの脱却のため新天地を求めブラジルへ渡った
それがブラジル移民
その数は13万人ともいわれている
夢と希望を胸にやって来た日本人を待っていたのはブラジル奥地での広大な原生林の開拓と過酷な農作業だった
数年たつと独立して農地を持つ人もいれば農業に見切りをつけ大都市・サンパウロを目指す人も現れた
そうしてやって来た人たちが最初に住みついた場所がリベルダーデ地区だった
1920年代になると日本人向けの商店を始める人たちが増え戦後には邦画専門の映画館もオープン
さらに日本人が集まり巨大な日本人街が形成されていった
最初の移民から100年以上たった今もこの街はその日本人たちの子孫で活気づいている
ここでは違いますよ
サンパウロではその地区のランドマークが信号機に描かれている
初めて見ました立小便禁止昔は塀とか壁の…ねっ?今でもありますよ神社の大事な鳥居でしょだから鳥居の大事なところにしちゃいけないよっていう
日系人なら何か知っているかもと…
そもそもブラジルの金閣寺何一つ分かっていない
お寺なのか?それとも家なのか?
はたまたテーマパークのような施設なのか?
そしてそれがどこにあるのか?
いろいろ考えながら歩いていると…
お年が分かっちゃうけど…
奇跡の出会い!遠い遠いブラジルで同じ誕生日の人としかも当日に遭遇
聞けばお住まいはこの辺りではなく首都のブラジリア
サンパウロに住む娘さんと誕生日の食事に来ていたという
同じ誕生日聞きたいことは山ほどあるが…
時間がないご様子なので本題へ
金閣寺みたいでしょう?うん違うの?でもねこれなんか違うらしいんですけど
長年ブラジルにいる人でも知らないという金閣寺
謎は深まるばかり
奇跡の出会いとお別れ
その後も写真を手がかりに聞いて回るが…
知っている人が見当たらない
…と辺りには日本食のいい香りが漂っていた
気付けば9時
今日の日本人探しはこれぐらいにして腹ごしらえ
ここに入ってみようこんにちは〜よいしょ
藤田が選んだお店は…
雰囲気は日本のファミリーレストランといったところか
あっあのオススメオススメはなぁに?あとは?あとは?
あの〜さっぱりしたものって言ってるんですけど
お魚だってこれこれは…違う違う冷凍で送ってくる?
であれこれ悩んだ結果…
えっ?
ちょいと藤田さん
さっぱりでもご当地ものでもなさそうですけど…
とりあえずビールが
69回目の誕生日異国で一人で乾杯
冷たいビールでやっと一息
と思いきや…
どうやら藤田ジッとしていられない性分のようでやめたはずの聞き込みを再開
こちらの女性は日系4世だという
聞き込みしてよかった!
ブラジルの金閣寺はイタペセリカ・ダ・セーハという町にあるらしい
地図で見てみると…
ここリベルダーデからイタペセリカ・ダ・セーハまでは30km
バスで行けるようだ
しかしみんな行ったことがないらしくどんなところなのかは分からなかった
でも目指す場所は分かって一安心
ちょっとお高めだがなかなかのボリュームの焼き鳥で空腹を満たし明日へと備える
翌朝レストランで教えてもらったバス停へ向かう
あっ!
目の前にバスが!
藤田軽やかにダッシュ
ありがとうこれだこれだ…
これで安心
厳重だこと
午前9時まずはイタペセリカ・ダ・セーハに向かうためサンパウロ市内を出発
車内はガラガラ
あとはのんびり乗ってるだけと思いきや…
するとこの揺れを利用して…
こういう時でもね
なんとも
バスの揺れもエクササイズに
しかしブラジルの金閣寺の正体は本当に何なのか?
サンパウロ市内から1時間
ブラジルの金閣寺がある町イタペセリカ・ダ・セーハに到着
うわっ!かなり上ってきましたわよ
サンパウロ州南部の町
人口15万
市街地へ通勤する人たちのベッドタウンだ
はて日本人がいる金閣寺はこの町のどこに?
ボンジーア
どうやらこの建物はお寺のようだ
やっと正体が分かった
これ?これ…分かりましたどうもありがとう
またまたバスに乗らないといけないらしい
しかし探し続ける日本人へと確実に近づいている
そこにいる日本人はどんな方なのか?
そしてなぜそこにたどり着いたのか?
バスは丘陵地帯を抜け奥へ奥へと15分
慌てて準備をしてお寺近くのバス停で降りる
すると…
「KinKaKu−ji」
そこには「KinKaKu−ji」と書かれた標識
名称も日本と同じ金閣寺のようだ
湿度は低いが気温は28℃
日ざしが強くかなり暑い
またあった!
どうやらこの標識をたどっていけば到着するようだが…
人通りのない静かな山道をひたすら歩いて10分
少し不安になり人がいたので…
こんな下ったり上ったり?はい
男性の言うとおり上ったり…
下ったり…
そしてまた上ったり
だが30分歩いてもただひたすら長〜い道が続くだけ
金閣寺どころか建物なんてない
もはや人の気配もなくなり気力も体力も限界か?
いやいや藤田弓子はとんでもない69歳だった
さらに厳しい上り坂にもかかわらず…
こんなおちゃめな一面や…
歌を口ずさみながら進んでいく
すごいですね
そしてずーっと笑顔さすが大女優
年齢を全く感じさせない
「KinKaKu−ji」
標識だけを頼りにひたすら前へ前へ突き進む
なぜその日本人の方は人里離れたこんな山の奥にいるのだろうか?
で結局1時間以上歩き…
お寺らしき建物の入り口が見えてきた
あのすいませんテレビでこういうところに日本人が住んでらっしゃるっていう…そうですか
日本人はオオハタさんという方のようだ
この奥に探し求めたブラジルの金閣寺がある
日本出発から50時間半
うっそうと茂る木々の中をひたすら下っていく
うわっうわうわ…
すると…
日本人がいるというブラジルの金閣寺が目の前に
それにしても一体なぜこんなところに?
あれずーっと写真見て京都の金閣寺のほうが先ですよねもちろんブラジルのW杯サッカーの頃にちらほらと紹介されたりしたみたいでかすかに覚えがあるほんまにね草野さんこれやっぱり普通のお坊さんなんですか?さぁどうでございましょうこれは見てのお楽しみでございます
ブラジル・サンパウロ郊外の町
そこにある金閣寺と呼ばれる場所に探し求めた日本人・オオハタさんがいる
建物の正面を目指し歩いていくと…
え〜っと…こっちから見るんでしょうね正面ね
そこにはお坊さんの姿が…
テレビ番組で今は何歳でいらっしゃるんですか?こっからね金閣寺と…あぁはいはい
これぞブラジルの金閣寺
(藤田)もう少し安っぽいものだと思ったらすごく立派なもんですね
(藤田)貼ってないんですか?
(大畑)貼ってない
(藤田)あれは私1人じゃないですあれはね
アメリカ人が40年以上前になぜこの地に金閣寺を建てることになったのか
大畑さんはもともと僧侶ではなかった
この地に来て40を過ぎて出家
その理由は?
奥さんや家族・兄弟は?
いくつもの疑問が浮かぶもののまずは金閣寺の中を見せてもらう
日本の金閣寺には一般の人は入れないがここは誰でも入ることができるというのも…
建物の地下1階から地上3階までの全てが納骨のためのスペースに
そしてお寺なのに十字架も
そうですかそれはすごい
国民の65%がカトリック教徒だというブラジル
ここには宗教の隔たりなどなく多くの魂が眠っている
ブラジルの金閣寺完成以来大畑さんは供養を続けている
(読経)
それではいくつもの謎を順にひもといていこう
そもそもいつどのようにしてブラジルへたどり着いたのか?
大畑さんはもともとはそういうきょうだいですそもそもそのブラジルに来たのはね
当時は移民全盛期
年間2万人が貧しさからの脱却のため一獲千金を夢見てブラジルへと渡っていた
しかし大畑家はというと父親は海軍で比較的裕福な家庭だったという
にもかかわらず3歳年上の兄は海外移民者を養成する植民学校に通っていた
それは一獲千金を狙っていたわけではなく単に海外の生活に憧れただけだった
兄が選んだブラジルへの移住
その決断が16歳だった大畑さんの運命を変える
若さが大畑さんを突き動かし
今から80年前の
大畑さん兄弟を乗せた移民船は日本を離れブラジルへ
えっ?船で68日?うわぁ〜今31時間とかで行ける…
日本の裏側まで地球を半周
たどり着いた憧れの地
兄は農業協同組合に就職
そして16歳の大畑さんは兄と離れ一人…
それがまた
大畑さんは綿花の栽培で大成功を収めた
気付けば畑の広さは350ha
東京ドーム75個分の大きさになっていた
19歳で30人のブラジル人を雇い21歳の時同じく移民してきた日本人女性と結婚
子宝にも恵まれたまさに順風満帆だったのだが…
今年みたいなもんでねそれで
広げすぎた畑その分借金も膨らんだ
大畑さんは家財道具や家畜を売ってなんとか借金を返済したものの無一文に
ブラジルにやって来て12年がたった28歳の時だった
しかし大畑さんはくじけることはなかった
そういう気持ちになってねあれだけ360haあって
(大野)激動ですよ捨てたもんじゃないねっていう感じですね
このあとどのようにして大畑さんは僧侶の道を歩んでいったのか…
そして…
お兄さんが登場!さらに90歳を超える弟さんの存在が
16歳の時兄とブラジルに渡り現在ブラジルの金閣寺の僧侶・大畑天昇さん96歳
綿花の栽培で大失敗し無一文になった大畑さんはその後サンパウロ市内の知人を頼り日系の肥料会社に就職
少しずつ安定した生活を手に入れた
そしてブラジルに来て23年さらなる人生の転機が
それはふるさとに一人残っていた4歳年下の弟をブラジルへ呼び寄せたことから始まった
その時今はここに置いてありますがねもう亡くなられて…遺骨をね
大畑さんがブラジルへ渡った7年後の1941年母・ナツさんがそしてその3年後に父・亀吉さんが他界していた
移住を決めたあの日母に言われた言葉のとおり二度と会えなくなってしまった
せめて遺骨くらいはそばに置きたい
弟を呼び寄せるとともに両親の遺骨を持ってこさせサンパウロ市内にある寺に納骨した
まだ
ふとした誘いからだったしかし大畑さんはその話に飛びついた
実はずっと心に秘めていたある想いがあったのだ
それは肥料会社で勤めていた時のこと
この時になんとかねお経を知っておったらね
50年ほど前
奥地で亡くなっていく同志を日本人らしく供養する場所はなかった
大畑さんはそれをどうにかしたかったのだ
ブラジルに渡っておよそ25年40歳を過ぎた頃僧侶となった
サンパウロにある寺に入り呼ばれればどんな奥地でも足を運んだ
そして仏門に入って10年寺をある人物が訪ねてきた
その人物こそ金閣寺を造ったアメリカ人アロンゾ・バイン・シャトックさん
アメリカの方がどうして金閣寺をお造りになったんでしょうか?
当時ブラジルに住んでいたアロンゾさんは大の親日家だった
移民としてやって来た多くの日本人がサンパウロで暮らしていることを知り彼らのために小さな日本をつくってあげたかったのだという
日本と同じような金閣寺をブラジルに建てたい
その思いは大畑さんがずっと抱いていたものと一致した
すぐに日本から資料を取り寄せた
そして完成した金閣寺の傍らには…
(大畑)大畑家の…
(藤田)大畑家のお墓ですか書いてありますね「大畑」って
両親だけでなくすでに他界したきょうだいたち
そして7年前に亡くなった妻・吉子さんがここに眠る
今思うとね私のお母さんに対してねすまなかったなと思うんです
(藤田)だって今生の別れになってしまうかもしれませんもんねほんと別れちゃったんです日本出てから会ってないから
(藤田)だからそういうこともあって今おそばにいらっしゃるわけですね
ブラジルへ渡って80年長い人生で
大畑さんは今金閣寺から車で20分ほどの一軒家で暮らし平田さんという方が身の回りの世話をしてくれている
(藤田)ちょっと…どうぞ
週末になるとここから金閣寺に出向きお経を唱え供養している
(大畑)これが私の部屋でねこれは私の…
(藤田)お父さん・お母さん?これが私の父と母でね
今はどこにいても両親がそばにいる
お兄さまと一緒に行こうよって誘ってくれた
(藤田)お元気でいらっしゃいます?一番上の兄貴は7月に99歳ですじゃあ今の話だと弟っていったらなんか40歳か50歳っていうイメージで
80年前大畑さんをブラジルに連れてきた兄
そして日本から両親の遺骨を持ってきた弟
90歳を過ぎた2人もまたブラジルで元気に暮らしていた
翌日その3兄弟がそろうというので同行させて頂くことに
運転席には大畑さん96歳になった今も時折ハンドルを握る
このあと現在全員90歳を超えた兄弟の深い絆が明らかに!
そしてそれを見た千原兄弟が…
お兄ちゃん
全員90歳を超えるブラジルに住む日本人3兄弟
兄と弟も妻に先立たれサンパウロ郊外で娘さんたちと暮らしているという
(大畑)こちら私の兄貴あっお兄さま藤田弓子と申しますこんにちは
(大畑)私の弟です92歳
(藤田)藤田弓子でございますよろしくお願い致しますわぁ兄弟3人そろった
日本で生まれた3人の兄弟はそれぞれの道を歩んできた
兄・義昌さんは60歳まで農協で
弟・昌さんは日系企業で勤め上げた
そして大畑さんはいろいろな苦難を乗り越え仏門へ
もとはといえばお兄さまがブラジルへ行くということをお決めになったええああそうですよそしてしばらくして今度弟さんが戦後こっちいらっしゃったという話を伺ったんですけどそうそう…お父さま・お母さまも亡くなられて…ラッキーもあるけれどもちろんお兄さんたちの手助けがあった…
共に助け合い支え合い生き抜いてきたブラジルの地
そこにあるのは90歳を超えてもなおずっと変わらない兄弟というかけがえのない存在
秘訣っていうのはないねぇちゃんとそれぞれを…私はね
(昌)世話にもずいぶんなったしお互いにね兄貴は兄貴で尊敬してるんですそれもこれもお兄さんが最初にブラジル行くって頑張ったからですね
10代という若さに任せ日本を飛び出しブラジルにやって来た兄と弟
その23年後兄たちを頼りやって来た末の弟
大畑さんが初めてこの地を踏んでから80年
今では…
(藤田)もうこの時点で3世?4世?
長い年月がたち家族の歴史は脈々と受け継がれ現在曾孫の代まで
本当にどうもありがとうございました大勢のご家族に囲まれて幸せなことがよく分かりましたお会いできてうれしかったです失礼します失礼します
ブラジル・サンパウロ郊外の小さな町そこには…
たくましく生き誇り高く生きそして心優しく生きてきた日本の男たち3人の兄弟がいました
(スタジオ内拍手)今回のVTRちょっとねあの3人の中入ったら…兄弟どうですか?この兄弟だから図式としては一緒ですよ10代の弟誘って吉本入ったんですからね
(スタジオ内笑い)やっぱり確かブラジルにはですね日系人の方が総勢で…
このあと世界不思議事情を草野が再び!
やっぱり確かブラジルにはですね日系人の方が総勢でおよそ150万人いるということらしいんですけれどもブラジルの社会の中でやっぱり色んな形でまぁ一目置かれるっていうか敬われる存在として皆さん頑張ってらっしゃるそれをさかのぼると106年前から始まってね移民をして苦労に苦労を重ねてそしてようやく上へ上へと上がってこられた皆さんのエネルギーの結集なんだろうと思う…大したもんですねすごいですね草野さん番組を代表して言わしてもらいます2014/12/05(金) 21:00〜21:54
ABCテレビ1
世界の村で発見!こんなところに日本人[字] ブラジルに金閣寺!99歳96歳92歳の三兄弟が

日本の裏側、南米ブラジルで“金閣寺”発見!そこに99歳、96歳、92歳の三兄弟が!“兄貴のためならいつでも死ねる”10代で移民し以来80年…波乱に満ちた激動の人生とは?

詳細情報
◇みどころ
世界には「一体なぜこんなところに?」と首を傾げたくなるような場所に住む日本人が多数いる。旅人となった芸能人が、自力で世界の僻地にいる日本人に会いに行き、そこにあるたった一つの人生ドラマをひもとく。
◇出演者
【司会】千原ジュニア
【旅人】藤田弓子
【パネラー】草野仁、千原せいじ、森泉
【データマン】大野拓朗
◇番組内容
番組最年長旅人の藤田弓子69歳が、南米ブラジルにある金閣寺にいる日本人を探す。サンパウロ郊外の森の中で突如その姿をあらわした、日本のものと瓜二つの金閣寺。一体誰が何のために造ったのか!?そして出会った99歳、96歳、92歳の三兄弟の壮絶な生き様とは?
◇おしらせ
☆『お願い!せいじおじさん』は
 番組HP
 http://asahi.co.jp/konnatokoroni/

ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz

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