ハートネットTV リハビリ・介護を生きる「秦万里子の歌う介護」(1) 2014.11.19


・「中年になった私たちの」女性たちへの応援歌を歌う…秦さんは現在母親の介護に取り組んでいます。
・「トレッキングにハイキング」私はカツラをつけるのを忘れていました。
(笑い声)5年前金髪のカツラをトレードマークにメジャーデビュー。
女性たちの身の回りに起きる出来事を歌にしてきました。
主婦の間の日常の感情としては子どもがこういう事をやってきたどうしようとかそれからお母さん倒れちゃったどうしようとか犬が病気どうしようとかそういう感情が日々動いているのにそういう歌が何もないっていう事に気が付いて作り始めたのがきっかけです。
愛や恋など歌いません。
半径5メートルの日常の出来事を歌う音楽家。
家事や子育ての悩み仕事や夫への愚痴主婦の本音をつづった曲は絶大な支持を得ています。
その秦さんも実生活では母親の介護に当たっています。
秦さんがメジャーデビューを目指して地道な音楽活動をしていた7年前。
ずっと応援してくれていた母親二葉さんが脳卒中に倒れたのです。
そんな悩みを吹き飛ばすかのように女性たちを元気づける歌を歌い続け介護も乗り越えてきた秦さん。
半径5メートルの音楽家「秦万里子さんの歌う介護」をお届けします。
今日と明日は「リハビリ・介護を生きる」。
タレントの荒木由美子さんとお伝えしていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日のゲストは本当に魅力的な方ですよね。
そうですね。
何かこうリズムがいつもと何かちょっと違って乗りながらこんばんはって言いたいぐらいですもんね。
ではこんな感じでご紹介しましょうか。
日常の出来事を歌う半径5メートルの音楽家秦万里子さんです。
どうぞ!
(拍手)うわ〜。
(拍手)何かもうスタジオの空気変わりましたね。
音楽家の秦万里子さんです。
今日はよろしくお願いします。
楽しみに参りました。
まさに即興演奏ですよ。
私たちの今のやり取りを聞いて曲をその場で作った。
だってねあんなに歓迎して下さったらもう応えたくなってしまいました。
そんな秦さんなんですがお母様の介護を7年されていたそうですね?はい。
母が倒れて7年になります。
一緒に歩いてきました。
でもお母様の介護をしながら音楽活動もやられてる訳ですよね。
そうですね。
でもねその事によって生まれた歌もあるしその事によって迷った事もあるし全て人生経験ですね。
昭和31年秦さんは音楽好きの家に生まれました。
ピアノを始めたのは3歳の時。
5歳の頃には即興で演奏し発表会では自分の作った曲を披露するほどだったとか。
母はね全然専門家でもなくてそれでただ私が小さい時にピアノを習っていた。
その先生の言われるとおり「おうちでこれをやって下さいね」っていう事を私に「『これをやって』って言われたからやりましょう」っていう事は言ってたんですね。
母がやった一番大きい事は私を自由にした事だと思います。
学芸会で音楽が使われるとか何かコンサートで私がピアノを伴奏するとか伸び伸びとさせた結果娘が生き生きしてるっていう事は母にとってはうれしい事だったんじゃないかなと勝手に思っています。
個性豊かにすくすくと育った秦さん。
その陰にあって家庭を支えたのは母の二葉さんでした。
洋裁や手芸に秀で秦さんと妹はほとんど既製服を着た事がないといいます。
若い頃から洋服とか縫い物とか作る事が好きだったので私たちの小さい頃からの洋服はほとんど今アルバムを見てもほとんど母が作ったもの。
私大学の時にみんなで大学になったら「ごはん食べよう」って外でするけど私よく1人で帰ってきてた覚えがあります。
家のごはんがおいしいからうちで食べるって。
そのぐらいごはんもおいしかったですし良妻賢母でとてもよく出来た嫁であり母だったと思いますよ。
中学高校時代には絶対音感と持ち前の表現力で大好きなアーティストの曲を聴いてはその完全コピーを繰り返し音楽大学のピアノ科に進みます。
あふれる才能を発揮する秦さん。
そして母はいつも優しい母でした。
28歳の時家族の反対を押し切ってアメリカの音楽大学に留学します。
その後結婚して双子の子どもを授かりますが間もなく離婚。
育児のため音楽活動を減らし子育てに専念しました。
娘たちが小学生になったのを機に秦さんは音楽活動を再開。
子どもを預かり秦さんの仕事を支えたのが母二葉さんでした。
ここまで音楽をやってそれでまあ…それで食べていくそれからそれで世の中に認められていくっていう事をすごく応援してたと思います。
だから何かが決まる度に「よかったわねよかったわね」って言ってとても応援もしてくれたし励ましてもくれましたね。
神奈川県藤沢市の病院。
母の二葉さんは入院していました。
前の日の夜二葉さんは転んで大腿骨を骨折してしまったのです。
夜中におトイレに起きてちょっとね転んだっていうか尻餅ついたのかな。
それでちょっと骨折をしてそれで今病院にいますけど。
二葉さんが脳卒中で倒れたのは2007年。
秦さんのメジャーデビューの2年前の事でした。
一番最初に倒れた時の事はあんまり覚えてないんだよね?そう。
だって全然意識がなかったから。
そうよね。
意識なかったもんね。
死ぬとこだったから。
死ぬとこだったからね。
意識を取り戻しても二葉さんは自分の名前も言えませんでした。
重度の右半身まひが残りました。
7か月に及ぶ入院生活を送りますが日常生活には介助が必要でした。
母が倒れるっていうシナリオがなかったんです。
うちは大丈夫ってどこかで思っていた事が母が倒れるっていう事でその何て言うのかしらね時計で言えばぜんまいが壊れるみたいなね。
そこ壊れちゃったら全部分解しちゃうでしょっていうような事が起きた事。
しかもそのころ子どもたちが広汎性発達障害の一つアスペルガー症候群だった事が分かりました。
音楽の仕事と母親の介護そして子育てにも追われる事になったのです。
その秦さんを一番近くで見ていた子どもたちはこう感じていました。
私たちがその時は中学校の一番大変な時期真っただ中で思春期もあって。
祖母の事で私たちに負担をかけないように一生懸命してたっていう事。
やっぱり私がその時の母で一番覚えているのは私たちへの気遣いが一番心に残ってますね。
あの時の事を思い出すと何かもう頭の中が全部紺色一色になっちゃって。
色を決めてるのはその時の母の状態って多分言ってもおかしくないぐらいなのでその時の事を思い出すと本当に紺色なんですよね。
秦さん一人では介護は無理。
協力を申し出たのが家を離れ東京でドッグシッターをしていた妹の典子さんでした。
仕事を減らし介護のため同居を決断したのです。
二葉さんの介護を典子さんは週5日秦さんは週2日に分担しました。
母の細かい部分は私がケアしてだけど時々ドカ〜ンと姉の介護みたいなのが刺激になる事もある訳ですから時々刺激を与えてもらってっていうのでそれはそれでうまく回ってたと思います。
なるべくできる事は自分でやる。
典子さんは右手が使えない母のために工夫を凝らします。
これは木製のおもちゃのゴルフパター。
車椅子に座っていても左手でカーテンの開け閉めができます。
ベッド周りの工夫です。
孫の手の部分にゴムを張りました。
寝たままでも左手で照明のスイッチのオンオフもできるようにしました。
もちろん大切にする気持ちはあるけれども甘やかすのはやめようと思ったんですね。
ですから食事も最初はスプーンで母は左手で左手しか使えないですからスプーンで食べてましたけどそのうち介護ばしっていうピンセットみたいになってる握りやすいのがあるんですけど「お母さんお箸で食べた方が食べた気がするでしょ」って言ってお箸を使うようになりそれが介護ばしから普通のお箸になりっていう。
もう今は左手で普通のお箸で食べられますのでね。
今だって行った所の割り箸とかで平気で食べてるでしょ?うん。
同じだよね左手ね。
左手は利き手の右手と同じくらい器用になりました。
倒れてから始めた書道です。
めきめき腕を上げました。
自分で努力してやればできるかなと思って「あなた左手なの?」って「左利き?」って言われます。
それはおばあちゃまが誰かに「やるといいわよ」って言われた訳じゃなくて自分からやりたいって思ったんだよね。
自分でやりたいなと思って。
二葉さんは歩行のリハビリにも前向きに取り組んできました。
3年前リハビリでお邪魔させて頂いた時はまだ屋外歩行の時に杖をつくんですけれども私たちの方で脇から支えて歩くのをお手伝いしていたんですが現在ではお外がちょっと坂があるので坂も含めて一本杖を使って見守り歩行でできるようになっています。
家族で乗り越えたそれぞれの人生の節目。
秦さんにとって介護とは?介護者っていうのは要するに介護をしてる方の気持ちですがそれが大変であるとかそれからきついとか腰を痛めるとかもうそういう事はもちろん肉体的な事もあるんですが精神的には本当にみんな親にはお礼を言いたいと思ってる。
親が自分にしてくれたほど自分は親に返せてるだろうか。
それに対してすごくジレンマが生まれるんですね。
(拍手)お母様すばらしい。
前向きだし。
そうですね。
「人に迷惑はかけてはいけない」。
「左利きですか?」って言われるほどの書道。
そのお母様なんですが今映像にもありました突然入院されたんですね?そうなんです。
もう実は取材の前の日にねこんなに元気にって思っていたらちょっと夜ね倒れて大腿骨を骨折して実はあのビデオはその手術の前の日なんですが。
今では手術終わりましてもう立ったり座ったり始まりまして。
まあ本当にねアグレッシブでございます。
普通は何かこうあの年齢で骨折をしたりするとちょっとダウンするんですよ精神的に。
気持ちもそうですし。
それが彼女はとても前向きだっていうところもありますしまあ若い男の先生が担当医なのでそれもひょっとしたらいい事かもしれませんね。
お母様拝見してると本当に手術の前のインタビューとは思えないですし秦さんたちとお話をしててもまだ自分は母親っていうその意識が見えましたね。
そうなんです。
それがまた妹と私と全然性格が違うので介護の方法も全然違うんですね。
妹は本当に母が困らないようにきちっきちっと時間もそれからスペースも一生懸命考えてお膳立てをしている。
それでそこで母になるべく自分でやってもらおうと思っています。
私はどちらかと言うとそういう方程式ゼロ。
寝たい時に寝る食べたい時に食べる。
もうそれを全く無視しているところで母は私といる時には私用の母妹といる時は妹用の母になってまだね使い分けができてるところがすごいと思う。
妹さんは何か「刺激的な」っていう…。
そうですね。
心配させる事も一つの親孝行かなって思っておりまして私。
あれを持ったかこれを持ったか一番下のボタン取れてるけど気が付いてるか。
母は…。
ハハハッ。
帳尻合わせますね。
そう。
ちゃんと申しますのよ。
それでもね右半身不随ですからなかなか不自由な部分ってあると思うんです。
弱音吐いたりしませんか?それがね彼女はまあもちろん落ち込む時はあるとは思うんですけどもそれを私が娘に心配させたくないと思ったのと同じように「また頑張る。
歩けるようになるから」っていうそういう感じなんです。
ただね一番最初のやっぱり倒れた時には自分の名前も言えませんでしたのでこんなに回復してくれると思いませんでした。
それで曲を作る中で今までと違って介護をしてから何か例えば曲調だったり詞だったり変わってきた事ってありますか?あのね母が倒れてから倒れた母の事もそうですけどやっぱり家族が一体どういう気持ちで介護をしてるんだろうとかこういう時はやっぱり私も困ったから皆さんも困ってるんじゃないかなってほかの方の気持ちに寄り添う事ができるそんな歌を作りたいと思うようになりましたね。
へえ〜。
私ちょっと1つお願いがあるんですけど。
はい何でしょう?秦さんのこの7年間の介護を歌にして頂くって事はどうでしょうか?とても難しい事を。
そうですね。
じゃあ7年一口でやってみましょう!すごい!
(拍手)
(3人)よろしくお願いします。
うわ〜!すばらしい!ありがとうございます。
本当に次から次に言葉も音もあふれんばかりに。
役に立ちたい役に立ちたいという思い思い続けさせてくれてありがとうって。
鳥肌立ちましたね。
はい。
そんな秦さんなんですが主婦の皆さんにも実は元気になってもらいたいとこういう活動もされているんです。
さてさて。
ここは東京・大田区の教会。
3年前から秦さんはここで週に1度女性たちにコーラスを教えています。
家の事仕事の事それぞれの日常に屈託や心配事を抱えたミドルエージです。
出るの早すぎ。
ダダダボ〜ン。
ダダダボ〜ンで出てくれる?・「ア〜」はい!感じはいいが顔がいけない。
顔がまだ緊張してる。
ン〜の人どこ?ン〜の人そこ?ン〜。
チクッ!
(笑い声)蚊じゃないんだからさ。
秦さんが母二葉さんのために作った曲「あなたが」。
コーラス隊の一人一人にもそれぞれのあなたがいます。
・「だいすき」家族の介護に当たっている人にも。
(野口)介護はやっぱり先の見えない事でどんどんよくなる事はなくて悪くなる一方なんですね。
それで自分でやっぱり自分の気持ちを切り替えていかないとどんどん自分も暗くなるし。
こういうコーラスに入ってその自分の気持ちの切り替えをここでやってるような感じですね。
・「あなたがだいっきらい」
(五十嵐)コーラスで関わる事によって気分転換もできますし歌からいろいろ元気をもらう事ができたのでそれでなんとか乗り越えてこられたっていうのはあります。
私の詞はね聴いて下さる方が自由にとれる詞が多いんですね。
家族の中に病気の人がいるとかそれから障害の人がいるとかそれから介護を必要としてる人がいるとか。
だからこそ一生懸命今生きてようっていう曲も増えたし優しくしましょうっていう曲もあるし。
だからこそじゃあ今を生きなきゃねっていう曲も増えたし。
だからただストレートに介護をする人たちとか介護される人たちにとっての曲が増えたというよりもだから今とかだからこれからを元気に生きましょうっていう曲が増えたと思います。
すばらしい!ありがとうございます。
やはり介護をどうしても避けては通れない年代に入っておりましてそれは大なり小なり皆さんどこかでそれは親の事を考えてる。
だって親から生まれたんですものね。
でもそれをやってあげたいけどその時間がないとか体が言う事をきかないとかいろんな事があるのでせめてあの歌ってる時間踊って歌って振りやってその時間だけでも忘れる事ができたらいいなと思ってます。
では最後にもう一曲秦さんに歌って頂きたいなと思っております。
はいそれでは。
よろしくお願いします。
お願いします。
母が倒れてから母が介護を必要とするようになってから出来た曲です。
母の事そして皆様のお母様の事お父様の事思って歌います。
「お返し」。

(拍手)「きょうの健康」です。
今週は徳島県小松島市の皆さんと一緒にお伝えしています。
テーマは…2014/11/19(水) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV リハビリ・介護を生きる「秦万里子の歌う介護」(1)[字]

「半径5mの音楽家」ごく身近な主婦の日常などをピアノで弾き語る秦万里子さん。いま母親の介護にあたっている。「できるだけ自分で」秦さんの前向き介護、歌う介護を。

詳細情報
番組内容
ごく身近なテーマで主婦の日常などをピアノで弾き語るシンガーソングライター・秦万里子さん(58歳)。「半径5メートルの音楽家」と呼ばれ、女性を中心に人気を集めている。秦さんは、これまで祖父と父を介護の末にみとり、そして現在は母親の介護にあたっている。「段取りはするけれど何でも自分でやらせる」がモットー、ほとんど右半身は動かないもののリハビリが奏功し、症状も軽減した。秦さんの「明るい介護生活」を聞く。
出演者
【出演】荒木由美子,秦万里子,【司会】山田賢治

ジャンル :
福祉 – その他
福祉 – 高齢者
福祉 – 障害者

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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