大迫さんこんにちは。
今日カメラの人来てるけど。
ヒマだ?あなた。
がんを患う男性。
自宅で最期を迎えたいと最近退院してきました。
とはいえまだ死なねえ人を埋葬できねえもん。
訪れたのは…悦堂さんは臨床宗教師。
死と向き合う患者の声に耳を傾けます。
…という思いも強く出てきますし和尚さんとかに来てもらって…それが原点なのかなと思いますね。
黙とう。
臨床宗教師は一人の医師の思いから生まれました。
死と直面する患者の心を受け止めるには専門の宗教者が必要ではないか。
長年の緩和医療の経験からの発想でした。
難しいですけども最近思うのは「自分の命って誰のものなの?」という事を常に感じてて…。
限られた命を生きる人々との心の対話。
若き僧侶の1年を追いました。
あとは自殺の危険性がある場合なんですけども…。
今から2年前臨床宗教師の養成講座はここで始まりました。
仏教キリスト教神道など全国からさまざまな宗教者が集まります。
今私たちの生活の場から死は遠くなっています。
病院で亡くなる人は8割。
宗教者といえども人の死に触れる機会はほとんどありません。
研修はそれぞれの宗教の死生観を学ぶ一方病院実習で余命宣告を受けた患者たちと対話を重ねます。
末期のがん患者さんのところに行かせて頂いたんですが…。
日々死と向き合う患者からの切実な言葉に自分の宗教観だけでなく生き方そのものを問い直す事が求められます。
つらくてもう…。
そしてあと皆さんにもお聞きしたいんですがその場で…ちょっとだけ。
一つは涙を流す事も含めてなんですけどそもそも今自分がこの患者さんなら患者さんの前でやってる事は誰のためなのかという事をちゃんと自覚できてるかどうかが一番大事なとこなんです。
「自分が楽になりたいから」なのか「相手を楽にするためなのか」でだいぶ違うんです。
もう一つは何をもって合格とするかみたいな話ですがそもそも…この臨床宗教師研修の目指してる事は…
(谷山)駄目な事は駄目だこうした方がいいよというのはあるけども…単純な話なんですよ。
そうする事が多分臨床宗教師の原点なんだろうと思いますね。
物事自体は実は解決しないんです。
例えば死という事に関すると死そのものは解決しないですね。
そこから逃れる事はどうしてもできない。
ですけどもでも死ぬ事は避けられないけどもなんとかして生きていかなきゃならないわけで…その時に例えばお祈りをするとかお経をあげるという事もあったりするんですね。
その分は臨床宗教師ならではの部分です。
3か月にわたる研修が終わりました。
この日修了証を受け取ったのは15人。
宮城県の僧侶橋悦堂さんはその中にいました。
「修了証書橋悦堂殿」。
ご苦労さまでした。
ありがとうございます。
いよいよ医療の現場での実践が始まります。
悦堂さんが臨床宗教師として活動を始めたのは2013年7月の事でした。
病院は在宅緩和医療が専門。
自宅で最期を迎えたいという患者を医師看護師ケアマネージャーたちがチームで支え年間300人を看取ってきました。
お嫁さんとかは別の仕事してて無理。
臨床宗教師の仕事は担当する患者の日々の情報を医師や看護師と共有する事から始まります。
この日は在宅医療を始めて間もない患者の元へ一人向かいました。
1年前に肺がんと診断され病院で治療を行ってきましたが最近自宅での緩和医療に切り替えました。
余命10か月と宣告されています。
悦堂さんが訪ねるのはこの日が2回目。
熊倉さんからよく出るのは仕事の話です。
ほんとにねこんな事ね思っていなかったですよ今まで。
現場一筋でね技術屋で設計屋ですからねあれだから…パソコンの生産設備の設計を夜の夜中までやってほいで工程管理だ品質管理だあれだこれだっつってね大騒ぎしてねもうほんとに暇なしでね犠牲はすごかったね。
家族女房。
女房は何にもなしだ。
お正月もお盆も。
・母子家庭だったって言って。
熊倉さんが工作機械を扱う会社の経営を始めたのは46歳の時。
70歳になるまで現役を続けてきました。
来た途端からねもう仕事はバンバン。
金は個人には儲からなかったけど生活にはそれほどほんとにひどく困るって事はないし。
今熊倉さんはどんな気持ちで毎日を過ごしているのか悦堂さんは思いを巡らせます。
長い時間でしたね。
ねえ。
でも決して長くないんだけどね。
楽しかったですよ。
私は「ありがとうございました」と言わないんですよ。
「ありがとうございます」なの。
過去形は使わないというのが原則なんだけどもうそろそろ過去形だね。
多くの方ががんになって死ぬという事に対して非常に後ろ向きで暗いイメージを持ってるけれども自分はそうじゃないんだという事を言われてましたね。
前向きで残された命でお孫さんや息子さんたちに何を伝えるかっていうのをやはり一番大事にされてたんじゃないかなというふうに思うんで。
1週間後熊倉さんが見せてくれたのは戒名。
普通は亡くなったあとに授けられますが菩提寺の住職に頼み付けて頂いたというのです。
(熊倉)私も大体…強い?
(洋子)「勝つ」っていうのがか?どんなふうに解釈すればよろしいでしょう?この字というのは「勝つ」「負ける」というふうな二極の対立ではなくてほんとに「優れている」というような意味があるわけなんです。
だから勝ち負けというところではなくて繁さんが生きてきた御自身の人生をどのように見られているのかという事を最後のこの「勝」という字に表しているというふうな。
(洋子)「勝る」だもん。
あっ枕経ですね。
「枕経」とは人が亡くなってすぐにあげるお経の事。
ところが熊倉さんはそれを体験したいと言うのです。
で枕経というのは今ですとね亡くなったすぐ直後に…。
何で…いやいや枕経って亡くなったっていう事でお坊さんがすると思ってたからなんで生きてるうちにするのかなって思ったの。
いや俺はなそれは練習。
言っちゃいけないけど。
こうですか?手は合掌はちょっと難しいからこうして…。
(読経)
(洋子)ありがとうございました。
スーッと寝てなかった?ありがとうございました。
全然寝てないよ。
一生懸命聞いてた。
(洋子)やっぱりお坊さんらしくいい声ですよね。
ほんとにすばらしいですね。
でもほんと繁さん無理なさらないで自然体でいいんですからね。
はい。
ほんと自然にゆっくりとね。
いや楽しみですよ。
(洋子)楽しみにしてたみたいです。
驚くほど死を前向きに受け止める熊倉さん。
担当医師との議論が始まりました。
2週間後。
私も不思議なんですけどそういう世界が分からないので…。
熊倉さんはベッドの上で過ごす時間が長くなっていました。
やっぱり体がねだるくてねこんなになるもんですか?なるもんですか…う〜んそうですね。
やっぱり皆さん最期は動けなくなってきたりとかっていうふうにしますね。
この日は夢の中に亡くなった両親が出てきた話から始まりました。
濁流なんですか?「お〜いお〜い」って言って…でもまだ川は濁流なんですね。
でもねこの話が通じるんだよね。
普通の人通じないのよ。
悦堂さんなら分かってくれる。
やがて熊倉さんは死と向き合う心境を話し始めました。
死なない人間はやっぱりいないわけででは死が不幸だって言ってしまえばあらゆる人が不幸になってしまうわけですよね。
でもやはりそうじゃないんじゃないかなと思うし。
人間の目から見ればいろいろあるかもしれないけれどももっと大きな仏様の視点とかから見ると一つの大きな命の流れの中だからというふうな事になるんでしょうね。
でもその中でやっぱり悲しい事つらい事苦しい事ってあればあるんでいいんですよ。
それも全く仏教でこう言ってたから悲しんじゃいけないとか苦しいと思っちゃいけないというのはやはり違う事だしそこはそこでほんとに出来事として起こった時の感情はそのままあっていいと思うんですよね。
熊倉さんに何かを伝えたい。
しかし心に届く言葉はなかなか出てきません。
ゆっくりゆっくり向き合い進んでいくのがいいのかなと思います。
ほんとにねまだまだ時間あるうちは来ますからね。
熊倉さんの死を前にした堂々たる生きざま。
臨床宗教師として自分は何ができたのか。
熊倉さんも他の方もそうなんだけどやっぱり…実際亡くなる瞬間とか亡くなるまでの…というのに触れてきた事ないから。
坊さんとはいえそういう確固たる死生観があるかと言われるとう〜ん…正直弱いところはありますよね。
(読経)宮城県の寺の長男に生まれた悦堂さん。
仏教系の大学を出て副住職を務めています。
臨床宗教師を志したのはある医師との出会いがきっかけでした。
2011年の東日本大震災。
悦堂さんは火葬場で遺体を供養するボランティアをしていました。
被災地の過酷な状況の中宗教者に何ができるのかを考え続ける日々。
その時臨床宗教師の提唱者である岡部健医師と出会います。
岡部医師は呼吸器専門の外科医で長年病院に勤務していました。
しかし自宅で最期を迎えたいと願う患者が多いと痛感し在宅緩和医療専門のクリニックを設立します。
う〜んこの病気な薬の調整だからな。
看取った患者は2,000人以上。
ところが大きな疑問がありました。
患者が死と向き合う現場になぜ宗教者がいないのか。
医療だけでは人の死について答える事はできない。
「私は何々宗です」って言って患者さんのとこに行くんじゃなくて「臨床宗教家ですけれども伺っていいんでしょうか?」って言ったらかなりの人ね「来てくれ」って言うんだろうと思うの。
多くの宗教者に会い議論を重ね臨床宗教師の実現に向けて動き始めます。
ところが岡部さんを病が襲います。
胃がんが見つかり余命10か月と宣告されたのです。
その時だから今までずっと緩和ケアやって人の事いっぱい看取ってきてるのに自分が死んでいくのにちょっと準備不足だよねっていう感じはかなり強く受けましたよ。
まるっきり見えてないわけですよ。
臨床宗教師の未来を次の世代に託したい。
岡部さんが呼び寄せたのは震災ボランティアで知り合った若き僧侶悦堂さんでした。
「ありません」って。
「僧侶ってものはそんなんじゃ駄目なんだ」って。
…というふうに言われたのが最初でしたよね。
悦堂さんを自宅に泊まらせ少しずつ弱っていく自分の姿を見つめさせたのです。
どんどんどんどん痩せていって目はうつろでどこ向いてるか分かんない状態で。
聡明で弁舌巧みだった先生がもう話せなくなり動けなくなり枯れ木のようになっていく姿というのはほんとにもうそばで見てるしかないんですよね。
やっぱりまだまだやりたいやり残した事はあったでしょうけれどもそれにある意味の諦めとか後進に託す気持ちってものはやっぱりもうその時は出来てたと思うんで。
刻々と迫り来る最期の時。
岡部医師と悦堂さんの間には静かで穏やかな時が流れ続けたと言います。
ご自宅の緑を鑑賞されるのが好きでほんとに毎日車椅子で息子さんに乗せられて出ていたんですけどもその時に息子さんに「お父さんたばこ吸うか?」って言ってで口元に持っていってあげたりとかして。
その時に「楽しいね」って…。
言ってましたね。
臨床宗教師として患者と向き合う時悦堂さんの心には岡部医師と過ごした濃密な時間が流れ続けているのです。
岡部医師の志を継いで臨床宗教師の姿を模索し続ける悦堂さん。
こんにちは。
門間さん。
悦堂さんが向き合うのは余命を告げられた患者だけではありません。
あっでもこれ新しくなりましたね。
そう。
買ってもらったもんですけど。
30代で神経性の病気を発症。
首から下が麻痺して動かす事ができません。
10年以上寝たきりの状態です。
あぁこれきれいですね。
ベッドの周りのコンピューターは門間さんが口で操作できるようになっています。
大半の時間をインターネットやメールをして過ごしています。
子供は22歳を頭に3人。
電気工事の仕事をしていましたが今は妻と両親が生活を支えています。
門間さんの介護と子育てを続けて10年余り。
妻の疲れはピークに達していました。
門間さんは妻に休んでもらうため一時的な入院を決断。
しかし慣れない環境に行く事が不安でなりません。
入院中の門間さんを支えてほしい。
それが医療スタッフからの悦堂さんへの依頼でした。
今のままだと…なかなかその…よくこういう活動をすると「共感する」っていうのが大事だって言われますけどもなかなか共感できるようなものでもないんですよね。
やっぱり手足が動かない人の気持ちがよく分かるのかっていったらそりゃ分かりませんとしか言えないから…悦堂さんだけが頑張るわけでもなくて僕らも頑張るし変な話介護職の人も頑張るしこうやっぱりみんなでやっていかないと。
門間さんの入院は2週間。
こんにちは。
門間さん失礼します。
悦堂さんが訪ねたのは2日目の事でした。
どうですか?2日いて。
でもどうでしょうね。
門間さんが今いないっていう家の状況って想像してみると。
うん。
そうか。
自宅を離れた門間さんは改めて病気になった当時の気持ちを語りだしました。
その時はでも随分じゃあショックだったんでしょうね。
長い沈黙のあと悦堂さんは自分の事を話し始めました。
友人と臓器移植について話し合った事があるというのです。
その時に自分自身でどう考えたかっていうと俺はそういう状況になったら臓器の提供とかもう拒むつもりはないので是非やってもらっていいと思う。
ただ俺がこういう状態でも生きててほしいっていう人が例えば両親がまだ悦堂は体も温かいから生きてるんだから死なさないでほしいんだと言ってくれるんだったら俺はもう意識も何もなくても植物状態でもいいから生かしててほしい。
難しいですけども最近思うのは「自分の命って誰のものなの?」という事は常に感じてて。
不思議な事に世の中には…何ていうかな自分以上に自分の命の事を考えてくれる人がいたりするんですよね。
時にはおせっかいで要らぬ世話みたいに思う時もあるけど時にすごくありがたかったりとか。
愚痴とかそんなんばっかりだったでしょ。
いやでもどんな話でもいいんだと思います。
「大変ですね」でも違いますよね。
「つらかったですね」そりゃつらいなと思うし。
言うなれば門間さんにしか分からない気持ちや体験なはずなんで…その中でもどれだけそういう気持ちに寄り添えるのかまたはこちらから思いを寄せれるのかっていう事になると思うんですけど。
今まで臨床宗教師講座を修了した宗教者はおよそ80人。
日本基督教団遠州栄光教会の…その中には死と向き合った自分自身の経験を生かしたいと参加した人もいました。
13番の五辻と申します。
浄土真宗大谷派の本浄寺という寺の住職をしております。
私の参加動機と申しますと個人的には…
(読経)五辻さんは岐阜県の僧侶。
がんを患ったのは6年前。
自分の経験を患者と共有し共に向き合いたいと考えていました。
多分みんなそういう死の恐怖とかそういうものを抱えておられると思うんですけどもそういう事ですね何か一緒に共有し合ってそういうものを乗り越えていくような集まりとか何かそういうものがあればそういうところに関わっていけたらなあと前から思っておったんですけども。
この日は実習です。
地元で協力を得た医師と共に患者の元を訪れます。
(立神)こんにちは。
いつもありがとうございます。
今日はわざわざ来て頂いて。
2年前乳がんが見つかり骨にも転移。
今は自宅で療養を続けています。
(立神)自分としては良くなってきたなと思ってるんですけど。
ほんでこれ病院でお父さん買ってきて…。
ここはいいですね。
この桜の花が春ですと。
ここは環境もいいし空気もきれいだし。
看護師さん往診の先生主治医の先生いいお薬それからいい主人と息子に恵まれて「私幸せです」言って自分に都合のいい話ばっかしてるんですけど。
でもねよくそれだけ前向きに考えられるというのか…。
(立神)前向きかどうか知らないですけど後ろ向きの考えの人のは分からないって言っていつも笑ってるんですけど。
今から6年前にがんやったんですよ私。
まあもう6年たつんですけども。
私はやっぱりがんて宣告された時は「あぁひょっとしたら来春までおれるかな」とかねいろんな先の事ばっかりやっぱり感じましたですね。
(立神)同じです。
私も「一生」というのは…こういうコルセットとか歩いて行けないとかお風呂もシャワーしか浴びれないのはもう一生無理だなと思ってたらその「一生」は過ぎちゃってそれでここまで来たんですけど。
分かります。
私も…やっぱり死ぬという事は怖いから。
でも今日一日充実した日を送ってものすごく幸せだなと感じてます。
死が怖いという立神さん。
同じ不安を持つ五辻さんは一緒にその恐怖と向き合う事で乗り越えたいと考えていましたが…。
頑張って下さい。
はいありがとうございます。
先生足しびれてませんか?うまく言葉にできないまま終わってしまいました。
五辻さんは現場で感じた迷いをぶつけました。
いろいろと経験されてきた事を…。
(森田)ただね内容が内容だけに突っ込んじゃうと相手にすごく傷つけてしまう。
結局それは人によって全然違うんで。
今おっしゃった危険な部分もあるんでしょうけども…ただほんとにそれが安心につながるのかただ単にこちらの満足がそこに押しつけになってしまってるのかというところはぎりぎりのラインだと思うんですよね。
少なくとも…
(森田)もちろんそれは分かります。
だからここまで出かかってる言葉があるんだけどそれをぐっと飲み込んでそれでとりあえず聴くに徹するという形をとる。
その段階でそのあとほんとにこれは何かをお伝えした方がいいんではないかなというのが多分出てくると思うんですよね。
その時に初めて…というような。
これも難しいとこですけどね。
やっぱり何か本当に…なかなかその事も難しいんですけどもできる事かなという事を実習を通して経験させてもらったんですけども。
そういう事もやっぱり思うんですよね。
悦堂さんが臨床宗教師を始めて8か月がたっていました。
5月。
悦堂さんが担当する新たな患者が決まりました。
膀胱がんの治療を続けていた男性で最近末期の胃がんが見つかったというのです。
1年も病院に通っていながらなぜ早期に発見できなかったのか。
医療に不信感と怒りを感じているという話でした。
更に担当の看護師に様子を聞くと…。
病気の受け入れがいまだになってないようなところがあって…この日は初めて1人での訪問です。
失礼します。
お休みになってるかな。
こんにちは。
大迫さんこんにちは。
今日カメラの人来てるけど。
ヒマだ?あなた。
ハハハハ…。
うんうちのお寺ヒマだから。
椅子座っていがすか?
(ため息)撮られるのが嫌?今日は体調はつらくねえすか?熱とかだるいとか痛いとかは。
今日?うん。
うん普通。
何もそんな事じゃねえけど。
俺んとこさ3年も来てねえ。
おはようございます。
おはようございます。
出していいから。
どれ見せてもらうから。
自動車整備工だった大迫さんは45歳で独立。
30年にわたり工場を経営してきました。
お〜すげえっすねこのバイク。
自ら手を加えた自慢のバイクの写真です。
これは排気量的にはどんなもんぐらいあるんです?ホンダの1,500のっかってんだ。
一応6気筒だね。
あっこいつ。
すごいんだよ。
ほら。
あららららららら。
すげえ。
これ隣に奥さんが乗ってるの?でもこれうれしそうに乗ってるよ。
(大迫)これいつぐらいだったかな?寒かったんだ雨降るちょっと前だから。
掛けてるもんね何かね。
うん。
うれしそうだ。
大迫さんもう奥さんとはどれくらいなんでがす?うん。
50年?うん。
50年は何式って言うんだべ?アハハハハハ!そう思う自分でも。
俺もそう思う。
抑えるところを奥さんが抑えてくれた?うん。
どんな奥さんなんでがす?大迫さんにとっては。
なんでそこから…?保証人は最終的だったけどな…辰男さんだから貸すからって貸してもらったんでがすね。
二人三脚で歩んできたわけですもんね。
うん。
奥さんに迷惑かけんの一番つらいすか?今思い出話してました。
(せい子)思い出話?ビデオ見たり。
ビデオ見たりあれしたり。
9月で50年なんですか?ご一緒になって。
来年ね。
来年。
来年?今年でねえの?来年ですよ。
まだ。
よっこいしょ。
あ〜…。
俺もこっち…。
ここで食うの?寂しい?寂しい。
なんでここなの?うんここの方がいいがす。
すいません。
いいですか?こっちで。
(せい子)どうぞ。
坊さんだって寂しいよ。
交友関係の広い大迫さん。
このリビングには次々と大勢の友人が訪ねてきたといいます。
来ねくなったんすか?来ねくなったんだ。
(せい子)お酒飲めなくなったから来ないの。
違うよ。
(せい子)いやダメだなんて言ってないよ。
ダメだとは言ってねえけど。
(大迫)最終的にはな。
んでまた。
はい。
あいよ。
ハハハハハ!
(大迫)いいよ。
ここさ置いとくから。
分かりました。
楽しみにしてます。
ではまた。
はいご苦労さま。
自分の今までの人生を本当にああいうバイクや車というものに懸けてきて。
いろんな仕事してる人がいるけども俺も自分の仕事にはすごい誇りを持ってるんだって。
いや〜…結構ぐっときましたね。
やっぱりそういうふうな意味でああこの人ほんとに自分の仕事好きなんだなって。
ほんと学ばせてもらう事が多いですね。
ここまで覚悟を持って自分も僧侶として生きれたらすばらしいなって感じましたね。
その後も悦堂さんは時間を見つけては大迫さんの元に通いました。
足痛いの?いや痛くない。
んだな前見た時よりむくんでるな。
ふやらふやらって。
ふやらふやらってか。
このバイク乗ってまだ5年ぐれえでがすか?今回は受けねえの?車検。
だって乗れねえもん。
うん…。
今度絡んでくる保険も。
亡くなったのは10日後の事でした。
最後に訪問に行った時に何かのはずみで生まれ変わりの話になったんですね。
大迫さんは生まれ変わっても俺は俺でいいんだ。
ただ……というふうに言われてて。
いや特に何ていうか答えはないですよね。
答えなかったですね。
「ああそうか」って思って言葉に詰まりました。
大迫さんは大迫さんの思いや願いや祈りというか奇跡が起こってほしいというような思いを抱えて大迫さんとして逝かれたんだろうなと思うので。
ちょっと難しいですね。
なかなか自分の中でもまだまとまらない部分は多いです。
限られた命と向き合う。
臨床宗教師悦堂さんの出会いと対話は広がってゆきます。
いつになるかは分かんねえけどもねいつかは来なきゃいけねえ事だもんね。
いつかはね。
でもこの間「お父さんちょっとまだお隣に来るのは早いからね」って言ってきた。
門間さんこんにちは。
2014/12/06(土) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「臨床宗教師〜限られた命とともに〜」[字][再]
高橋悦堂さんは臨床宗教師を始めたばかりの34歳の僧。葬儀以外に人の死に触れた経験はない。余命宣告された人の心のケアのために、その魂と向き合い続ける1年を追った。
詳細情報
番組内容
終末期医療の現場で、医師や看護師と連携し患者の心のケアを行う臨床宗教師。高橋悦堂さんは活動を始めたばかりの34歳の僧侶だ。宮城県の寺の副住職である悦堂さんは、通夜や葬儀以外に人の死に触れた経験はほとんどない。悦堂さんが、余命を宣告され人たちに出会う日々、限られた命を生き、死と向き合う人々は、何を語り、悦堂さんはそれをいかに受け止めるのか。むき出しの魂と向き合い続ける、臨床宗教師の1年を追った。
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