(田中)これはちょっと…
その島はかつて人の波であふれていた
黒光りしてるのがこれが石炭です。
その島はかつて男たちの…
あちょっとほらテレビ!テレビがあります。
その島はかつて…
何とも言えない気持ちになりますね。
その島は40年前歴史の幕を閉じた
今日は長崎にやって参りました。
来ましたねぇ。
これ船があるんですけど我々これから。
ここから船で神戸へ行くの結構なもんですからね。
ここから船に乗って…あ〜今話題の。
そうです。
今回目指すのは長崎港の南西19kmに浮かぶ孤島端島。
その形から「軍艦島」と呼ばれる廃虚の島だ
外から近づく感じのあれ見たいよね。
ホントに軍艦みたいな形の。
(太田田中)こんにちは。
ようこそ長崎へ。
紹介いたします。
島で生活されていた加地さんとおっしゃいます。
待っていたのは…
そして島を管理する…
いざ出航!
港を出ておよそ40分
あれだ!
(田中)あっ!そうですよ。
うわ〜これか!
(田中)ああすげえわ。
思ったよりホントに軍艦だね。
この異様な姿はある伝説を生んだ
戦時中アメリカの潜水艦が島を襲った。
これは運搬船を攻撃したのだが人々は「島を軍艦と勘違いしたに違いない」とささやき合ったという
今あまりにも奇怪なこの島に新しい光が当たっている。
5年前一部が一般公開されるや年間15万人もが訪れる大人気スポットとなってしまった。
だが今回は特別に…
知られざる軍艦島の秘密に迫る
うわ〜来た!すっごい。
うわここから上がっていくの?「立入禁止」って書いてある。
(田中)立ち入り禁止なんですね。
そういうとこなんですね。
ちょっとこちらで待ってて下さい。
今日特別にここ開けますので。
(田中)ふだんはここは行かない場所なんですね。
ふだん入れませんので。
開いた開いた。
学術研究調査の時だけここを使ったりします。
すげえ!うわ開いたよ。
うわ〜すごい!うわすげえ!これはちょっと…これすごいね。
あこれ学校?学校結構高いですね建物としてね。
普通3階建てぐらいじゃないですか。
それが病院ですね。
ここ病院で。
ひしめき合う巨大な建造物。
だがなぜ?
実は軍艦島には江戸後期から昭和まで良質な石炭が採れる炭坑があったのだ
昭和49年エネルギー政策の転換により閉山。
以来40年間人の手が入ることなく取り残されてきた
近年になって日本の近代化を物語る貴重な遺構として注目され現在国が来年の世界遺産登録に向け動きだしている
ここでミッション
あこれ石炭ですよね?こういうのは石炭というよりもどちらかというとボタに近い石炭ですね。
この黒光りしてるのがこれが石炭です。
間にこういうのが入ってるのがここだけは石炭です。
これ光ってるのね。
(田中)艶があるとこね。
とやたら詳しい加地。
それもそのはず。
実は元炭坑マン。
閉山まで23年間軍艦島で汗を流してきた
(田中)この何か立ってるこれ何なんですか?製品になった石炭をここで貯炭するわけですね。
そのコンベヤーの土台になってるんですこれが。
じゃこの上を石炭が運ばれて?ベルトコンベヤーの上を石炭がずっとこう来てここに石炭を落として貯炭しておったわけです。
それからここに石炭がたまったのをこういうふうに船に。
そこにたまった石炭を船に入れるわけですね。
かつてはこのベルトコンベヤーで年間41万トンもの石炭を運び出した
石炭は運搬船で八幡製鉄所などに運ばれ日本の産業を支えたのだ
続いて向かったのは地下につながる採掘現場への入り口
うわ〜すごい。
ここは竪坑跡。
垂直に掘られた穴で坑員や石炭を運搬していた
これが実際に使われていたころの映像。
やぐらに取り付けた巨大な滑車を用いて一日に何度もエレベーターを動かしていた
機械を巻き上げてる運転手の方にこれで合図をするわけです。
ここに合図のボタンがあります。
あこれ。
ホントだ。
これです。
これをあそこに「六」とか「七」とか「三ノ三」とかって。
これで123456って押せば運転方のほうにこれが行くわけですね信号が。
今は埋められているがその終着点は海面下1,000m。
想像を絶する過酷な世界へ。
気温30℃。
常に爆発事故の危険と隣り合わせ
しかも一たび入れば8時間地上に戻れない
竪坑は坑員の命をつなぐ道だったのだ
地上に戻ってきた男たちの安息の場所が今も残る
タイルがそんな名残があるでしょ。
ホントだ!お風呂場。
あ〜すごい!ホントだ。
いくつもあります。
まだ使ってるんですか?
(田中)使ってない。
雨水。
ホントだ。
雨水がたまってるんだ。
大浴場。
大浴場だよ。
景色はいいしね。
海は見えるし。
(田中)だってこれホントに普通に温泉だったら…露天風呂だ。
海が見える風呂だよ。
8時間ね炭坑で作業をやっていや〜上がってきて入る風呂っていうのは相当気持ちいいですよね。
ゆっくりたばこをする。
命を懸けて日本の近代化を支えた男たち。
その流した汗が荒れ果てた炭坑跡に今も染みついていた
軍艦島は坑員たちが快適に働けるよう「職住一体」の島となっていた。
職場である炭坑と居住スペースが島内で隣接。
家族とも一緒に過ごすことができたのだ
ここでミッション
今から案内する所は…住んでた場所ですか?ここに住んでた。
閉山で出る時にここの…
加地がかつて暮らしたこの65号棟。
軍艦島最大の収容数317戸を誇るマンモスアパートだ
歩いて6階を目指す
ハハハハ!パチンコ。
何でもそろってる島で。
パチンコ屋はあった?あったんです。
パチンコ屋は向こうにあった。
パチンコ屋さんあったんだ!好きな人がどこからかもらってきたんでしょうね。
ああれだね。
手打ちのね手打ちのこれ。
ここで田中がある物を発見
最後の時のですね。
もう最後のほうだね。
(西田)ここにありますよ新聞がまた。
丸紅事件です。
ヤミ米買い占め。
(田中)ピカソ死去!?昭和48年の4月ですね。
48年の4月10日です。
(西田)少しずつ人が移動したのではなくて1月に炭坑をやめてすぐその3か月後には一気に皆さんが退去せざるをえなかったから多分生活の名残が残ったりしてるんですよね。
(田中)そのままいなくなった感じがね。
廃虚となって40年。
軍艦島の時は止まっている
(西田)ここですか?はい。
(田中)ここが…ただいま〜。
お邪魔します。
どうぞどうぞお上がり下さい。
ここ4畳半と6畳ですね。
2つあったんですねお部屋が。
一応床の間もこういうふうにあってですねそして…ここにピアノ置いたりしておったんです。
贅沢な暮らしじゃないですか。
ピアノまであったんだここに。
軍艦島で生まれ軍艦島で伴侶を得た
一人娘もここで育てた
これは?そのままいろんなのが。
ちょっといいですか?赤ちゃんの時かな?
(西田)お嬢さんの。
でもきれいな状態で。
よく40年ももってますよね。
(田中)何か当時の感じ分かるわこれ。
アップリケの。
職場であり生活の場でもあるという不思議な島
自然に島民の間では連帯感が育った。
島全体が一つの家族。
「一山一家」の絆があった
大波が来て台風っていうと食べ物が無くなるように船が欠航するわけですね。
そうすると隣に「ちょっと米を貸して下さい」とかしょうゆみそをですねお互い融通し合って助け合って生活したということですね。
軍艦島の暮らし。
それは鉄筋コンクリートの中に花咲いた「20世紀の人情長屋」だった
最盛期5,300人が島内に密集した軍艦島。
人口密度は東京の9倍に達した。
狭い敷地を有効活用するため建物は高層化。
屋上も無駄にはできない。
保育園はアパートの屋上に作られた
またある時は子供たちの遊び場に。
ピッチャー転がした!打った!転がった転がった。
投げた!アウト!軍艦島では屋上こそが人と人とが触れ合う場所だった
(田中)いやこれホント急ですね。
一行も屋上を目指す
あの橋怖いね。
その木の。
あそこ渡りたくないね。
あれ最悪ですね。
絶対渡ったらいけませんよ。
(田中)でもなんか全部これ…。
(田中)なんかもう登山みたいになってますね。
あきれいな景色が。
(田中)うわ〜最高ですねこれ。
上が無いです落ちて。
(田中)上が無いですね。
端島神社が下に。
あここは最高だ。
うわ〜!ここが軍艦島の高い所というかね。
これが見えてたんだなさっき。
なんと神社までもがこんな場所に
島民たちが心のよりどころにしていた端島神社だ
炭坑や海の神様を祭る「山神祭」は全島を挙げて盛大に行われた
拝殿やご神体は失われたが加地たち元島民にとっては大切な場所であり続けている
ここで初詣をしてですね…そして子供の時からここはいい遊び場だったんですよ。
走って上がってきてね。
ここは気持ちいいですもんね。
まあ若い人のデートのスポットというか誰にも見えない。
ところがどんどん上のほうに高いのが出来ちゃって。
(田中)昔はね無かったからね。
あそこが一番のデートの。
高い所高い所ね。
人目につかない所へ行くからね。
だが思い出詰まったこの島を去る日がやって来た
閉山が決まった時っていうのはどういう気持ちだったんですか?もういつ来れるかなというのがあってそれはもう…それともうやはり覚悟していたとはいえこういうふうに…
この島を訪れる者はそれを「廃虚」と呼ぶ
だがそこはかけがえのない「ふるさと」なのだ
探検を続ける一行
これ下無いんだ。
下が無い。
あ〜そういうことね。
(西田)1年前までぐらいは。
(田中)1年前までは?
(西田)ここを通っていた気がするんですがそこが無くなったから。
(田中)どんどんそういう場所が。
落ちちゃったっていうことか。
(田中)落ちちゃったってことでしょ。
空爆された町並みみたいに。
今軍艦島に風化の危機が迫っている
もともと島は海からの大波に絶えずさらされてきた
それは時に島をものみ込んでしまう
厳しい自然環境と40年の歳月がここにある
…の30号棟って言われてるんですけど加地さんここですよね。
はいこれです。
これが日本で最初に。
(西田)これが日本で一番古い鉄筋コンクリートの建築ですね。
(田中)これがそうなんだ。
実は日本最古の鉄筋コンクリートアパートはここ軍艦島にあったのだ
この30号棟は日本の近代建築の幕開けを伝える貴重な建物となっている
あ〜ホントだ。
あ〜すごい。
でもホントに最初に出来た鉄筋の建物でもうこんな…すいませんね。
これはもう大正5年の建物で最古だから…
そう実は30号棟劣化が最も深刻な建物の一つ
ラジコンヘリでその現状を偵察することに
(田中)あ〜すごいねやっぱね。
今2階から3階にかけて。
築98年。
内部は激しく損傷している。
柱のコンクリートは剥げ落ち鉄筋の腐食が進んでいる。
いつ倒壊してもおかしくない
今この中入れないからですね同じようにこういう…歴史的なものだから今後これをどうやって強度的にもつかもやっぱりそういう調査を人が入れないからハイテクの機材で経年変化を観測してます。
皮肉にもこうした現状が建築界に大きなヒントを与えている。
コンクリート建造物がこれほど手付かずの状態で放置されている場所は世界でも類を見ない。
さまざまな研究機関が塩分や湿度温度による劣化のメカニズムを調査。
今後に役立てようとしている
一方現在進む島の崩壊にはいまだ手が打たれていない。
波で土がさらわれ基礎がむき出しになった建物
ここは今もう相当浸食が進んでもろくなってるでしょこれ多分。
そうですね今はもうこうなって。
(田中)これいずれここがガシャンと落ちそうですね。
ここを早く埋めないと落ちてしまうんですね。
(田中)ねこれね。
軍艦島はこれからも生き残れるのか?
ここに来ればどうしてこの建物があるんだろうと。
それは……という事実をこの歴史と文化を残さなければいけないと。
…というふうなことをやっぱり知ってもらいたいと思ってます。
ホントに要塞ですよね。
まだまだ見きれないです1日じゃ。
見きれない。
今日は特別に建物の住居の跡とか全部中を見さしてもらってやっぱり生活の何かこう…。
ここに人が住んでたんだなというね。
生々しいものが。
しかもワーッとものすごい数の人がいたわけでしょ。
でにぎわってたわけでしょ。
その様子をちょっと見てみたいよね。
見たいですよね。
(オープニングテーマ「GLORYDAYS」)2014/12/06(土) 01:55〜02:20
NHK総合1・神戸
探検バクモン「伝説の廃虚 その名は軍艦島」[解][字][再]
40年前に閉山し廃虚となった炭坑島、「軍艦島」の非公開エリアに潜入する。坑員の家族が住んだ高層アパートや若者がデートを重ねた神社。人情味あふれる日々をたどる。
詳細情報
番組内容
伝説の廃虚「軍艦島」(長崎市)に上陸!40年前に閉山した職住一体の炭坑島が、いまや世界遺産候補に。今回は特別に非公開エリアに潜入。高層アパートでは置きさられたテレビに冷蔵庫、アイドルポスターにピカソ死去を伝える新聞を目撃。高台には若者がデートを重ねた神社を発見。人情味あふれる日々が浮かび上がる。一方、風化の魔の手も。崩壊著しい日本最古の鉄筋コンクリートアパートには、ラジコンヘリで空中踏査を試みる!
出演者
【司会】爆笑問題(太田光・田中裕二),【語り】木村昴
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
バラエティ – 旅バラエティ
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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日本語(解説)
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