苦難に耐えて生きるかそれとも立ち向かって相果てるか。
父を殺した叔父への復讐の結末は…。
シェイクスピアの傑作「ハムレット」。
気高さを求める若者の姿を描き出す。
特別ゲストは狂言師の野村萬斎さん。
かつて舞台でハムレットを演じた事があります。
「無常の風はいずれ吹く。
覚悟がすべてだ」。
「100分de名著」「ハムレット」第4回はハムレットがたどりついた悟りの境地を見ていきます。
(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあ前回は「ハムレット」の女たちその愛し方というのを見ていきましたが。
何か自分の女性に対する考え方そのものを発表してるようで震えますね少しね。
はい。
第4回今回最終回ですが今回はハムレット悟りを開くという。
…みたいですね。
指南役ご紹介いたしましょう。
今回も東京大学大学院教授でいらっしゃいます河合祥一郎さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
悟り!はい。
ついに悩みを脱して悟りへ。
それはいかなる悟りなのか。
今日謎が解けると思います。
楽しみです。
よろしくお願いします。
さあそして今回はもう一方ゲストをお迎えしております。
狂言師の野村萬斎さんです。
どうぞ!
(一同)よろしくお願いします。
舞台映画ドラマと幅広く活躍する狂言師野村萬斎さん。
2003年には河合祥一郎新訳の「ハムレット」を上演。
注目を集めました。
またシェイクスピア作品を狂言にアレンジし上演しています。
萬斎さんこれまで何度かハムレットを演じてらっしゃいますけれどもこのハムレットというのはどういう人物だと思われますか?演じてる経験で言いますとねとにかくやっぱり長いですね。
長い。
長い!やっぱり最後に至るまでのそのプロセスというものが非常に長いしまあ演じる役者さん皆さんおっしゃいますけど命懸けになるというか。
悩み続けなきゃいけないですよね。
独白まあ独り言ともいいますけどそこでうじうじというかね逡巡しながら最後の行動に至るまでにどれだけ辛抱するかというのが演じてみての感想としては一番言える事ですね。
芝居は本当に生き物として変わっていくという事をよく言いますしお客さんの中でも何回も萬斎さんのハムレットを「今日で10回目です」みたいなそういうお客さんもいらっしゃったんですよ。
そうすると萬斎さん自身は今日のハムレット今日の俺ちょっと違ったな昨日とという感じにはなる?ありますね。
しかもやっぱりハムレットはいろいろやればやるほどかめばかむほどというかいろんな発見があってまあこの膨大なセリフの中に隠れるいろいろなものを探し出す楽しみ苦しみでありながら楽しみもあるというところでしょうかね。
さあ私たちの「ハムレット」まだ終わっておりません。
終わってないんです。
そうですよ。
復讐を果たしておりません。
最終の第五幕はどのようになっていくのか。
そうですねクローディアスがハムレットのお父さんの先代の王を殺してしまったわけですがその事をハムレット王子に気付かれたとそのクローディアスが分かると何とかしてこのハムレットを亡き者にしようとはかるわけです。
クローディアスに命じられイングランドに向かうハムレット。
家臣の持っていた密書を盗み読むとなんと自分の殺害命令が書かれていた。
その時船は海賊に襲われる。
海賊たちは身代金目的にハムレットをデンマークに送り返すのだった。
このところで何が起こったのかが非常に重要なんですね。
つまりハムレットが何を考えて帰ってきたのか。
多分その海賊とやり合うというような形で命のやり取りをしたかもしれないし。
それからもしイングランドにそのまま着いてしまったら命がないという事も経験してますのでそれまでの頭の中で考えてきた死と違って本当の本物の死をいわばちょっと実感したという事があるんです。
その最終幕のポイントとなるのがこの死を実感すると。
デンマークに帰ってきたハムレットは更に「死」を意識する。
墓堀りが2人穴を掘っているのを目にするのだ。
取り出されるいくつものしゃれこうべ。
その一つは王に仕えていた道化師ヨリックのものだという。
「哀れヨリック。
俺はこいつを知ってたんだ。
ホレイシオ。
際限なく冗談を言う男ですばらしい想像力の持ち主だった。
何百回とおんぶしてもらった。
それが今では…思っただけで吐き気がしそうだ。
さあ貴婦人の部屋へ行ってわめいてこい」。
「そう言って笑わせてこい」。
「なあホレイシオ一つ教えてくれ」。
このしゃれこうべを手にして死を思うというこの構図はルネサンスによくあったイメージなんですね。
そのイメージの中にシェイクスピアはハムレットを入れてそして人間は死ねばこうなるんだという事をつくづく実感させると。
今までずっとハムレットにいわば頭の中にずっとあったお父さんの亡霊というのが一切登場しなくなってきてそして死ねば人間は死ねばたとえアレクサンダー大王のような英雄でもこうなるんだなという言い方をしてるんですね。
もうこのあたりで要は悟りを開くという事なんですね。
そうだと思います。
考え方がこう広くなった少し大人になったような。
この最終幕に来ると一気に大人になるんですね。
やがて死ぬんだという。
それまで死はずっと遠い所にあったような生き方をしていたハムレットが…いやこれ興味深いのはまさに萬斎さんいて下さってよかったと思うのはこれ軽くやった方がいいんですかね?重くやった方がいいんですかね?いやまあある種もう突き抜けちゃったらばどうでしょうかね。
(伊集院)面白くもできますよね。
だってしゃれこうべと語ってるわけでしかもそれにこんな冗談言ったらどうよって言ってるわけだから。
かといってあんまり軽すぎても大事な場面じゃないですか。
そうですね。
何かすごい興味深いですね。
墓堀りをやる役者が道化役者という設定になっているのですごい面白い事をいっぱい言うんですね。
なのでここはちょっと「コミックリリーフ」と言ってそれまでの悲劇の緊張をふっと解きほぐしてくれる笑いの場面でもあるんです。
先ほど笑いでできますよねっておっしゃった。
すごい鋭い事を。
いやどっちにするのがいいんだろうっていう。
さあもう一つですねハムレットの気持ちを表すセリフがあります。
これ読んでみましょうか。
これむしろ萬斎さん…。
お願いします。
はい。
すばらしい。
この「なるようになればいい」というのが原語では「letbe」っていう英語なんですね。
これあの「tobe,ornottobe」の「tobe」とよく似ているように思えるんですが実は大きく違いまして。
「tobe」の方は一人の人間が自分の力だけを信じてどうすればいいんだってあがいていた時にとにかく耐えてそのまま続けていこうというのが「tobe」だったんですがこの「letbe」の場合はそうではなくて自分一人の力だけを信じていてもしょうがないと。
もっと何か大きな運命とか自然とか神様とかに身を任せてそして自分の身を委ねようというのがこの「letbe」なんですね。
もう今私萬斎さんの「なるようになればいい」で涙出ちゃった。
何かもう何ていうか決意という…決意のようなすごい強さを感じましたけどあのひと言に。
今までのセリフの中には何か自分の思ってる本心に反発するから強く言うとかあえて言うみたいなものが多かったような気がするんですけどこれは何かとてもほんとに萬斎さんの読み方も相まってなんですけどとても素直に言っているという感じがするんですけど。
それまではやっぱり自分にかせをかけたというこうでなければならぬというその縛りに対してここまでまあ行き着くというところでね。
ある意味それまで演じる方も力みばしるような必死になって演じるところからここからは少しね体の力が抜けて演じるような。
実際にはこのあとまたファイティングシーンがあってレアーティーズと戦わねばならんのですけれどもね。
だから全てを諦めるという意味ではないわけなんです。
つまり人事を尽くして天命を待つという事でつまり人間の力だけでは何もかもできないけれどもとにかくやれる事はやろうと。
あとは神に委ねようというそういう悟りなんですね。
もはや自分が神になるなどという事は…。
もうそんな事はできない。
思ってないんですね。
自分はどうせ肉体を抱えてるんだから土にかえるんだと。
もうヘラクレスにはなれないんだからだから人間としてやれる事をやるしかない。
物語は結末へと向かってまいります。
最後はそのハムレットとレアーティーズの剣術の試合の場面でございます。
ハムレットとレアーティーズの剣術の試合。
実は王が仕組んだ罠だった。
用意されたのは毒薬入りのワインそしてレアーティーズの剣の先には毒が塗られていた。
しかしハムレットの代わりに王妃がワインを飲み干し剣の毒はハムレットだけではなくレアーティーズも傷つける。
死の間際レアーティーズは全てを打ち明ける。
自身も毒が回ってきたハムレットだが…。
「さあこの近親相姦の人殺しの呪われたデンマーク王めこの毒を飲み干せ。
お前の真珠だろ母のあとを追え!」「もうだめだホレイシオ哀れな妃よさようなら。
君たち青白い顔をしてこの出来事に震えているのはまるでこの芝居のだんまり役か観客だな。
時間さえあれば」。
すごいラストになりましたね。
そうですね。
形的にはようやくハムレットは復讐を成し遂げそして王妃も王もみんなハムレットもみんな死んでしまうという。
最初に思ってた復讐って何でしょうね自分が天の役割をする感じ。
自分が天になる復讐をする事で。
天に代わって復讐をする。
…という事だけど何かそれともちょっと違う。
違いますね。
ほんとはもう復讐劇だったら「父の敵!」と言って殺すのがいわば定番なんですがそのセリフがなくて「母のあとを追え」と言って殺しますのでその復讐をしたという殺し方ではなくなってるわけです。
死すべき人間を死に追いやったという終わり方になっているかなというふうに思うんですね。
萬斎さんはこの終わり方というかどう思われますか?そうですねほんとにあがいてあがいてあがいた。
最後にまあ沈黙まで至るわけですけども何かその最後には爽快なある種の爽快な死のようでもありでも見てる方からするとやっぱりやっと成し遂げた。
ここで亡くなったら何のために成し遂げたのだという事もありながらまあ演じてる人間とすると一つ成し遂げた事にある種の達成感を感じてるような気もいたしました。
萬斎さん「ハムレット」の作品を通して非常に印象に残っている場面言葉があるそうですね。
これは「ハムレット」という作品というよりもこの文章自体に非常にやっぱりシェイクスピアの演劇的哲学というものがあるような気がしていて。
それはとにかく芝居というものが世の中に対して鏡を掲げる事自然に向かって鏡を掲げる事だっていう部分。
これはもうほんとにシェイクスピアに限らずある種演劇とか芸術の基本なのではないかなという。
では萬斎さんにその部分を朗読して頂きます。
何か師匠にお説教されてるぐらい完璧な演劇論ですねこれね。
そうですね。
でもまあつくづく人間が劇場やら映画館やらいろんなものに足を運んで鑑賞するといった時にはもちろんその演者であったりミュージシャンを見るのかもしれませんけどやっぱりそこに自分を映すという事でもある。
何かその劇場の鏡面構造鏡の構造というものをまさしく端的に言い表しているしいい鏡にならなければならないというふうな私たち送り手というか作り手もですね。
その鏡の部分だけじゃなくてもほんとにいつも思いますけど…やりすぎると…というのだけはまあ分かりますよ。
だからといって力抜きすぎても見抜かれるみたいな。
まあ我々は型があるので型に従って演じますけどやっぱり心が無いと形だけになってしまいますしね。
そういう意味で言うとまあ人間を磨くしかないんだという気がしますけれどね。
2003年「ハムレット」の上演にあたって野村さんは河合さんに新訳を依頼。
翻訳は2人の共同作業だったといいます。
僕が狂言自体出身だとすると言葉に非常に抑揚があったり日本語の美しさというものへの自負があったりするという時にシェイクスピアにも本来英語としての音律というものがある。
それをやっぱりどう生かして日本語にするかという事を非常に話し合いましてね作りましたね。
一行一行全部声に出して読んで頂いた。
ハムレットのセリフだけではなくてもう墓堀りからオフィーリアから全部のセリフを声に出して読んで頂いて響きを全部確認しそしてなぜその場面はこういうふうな訳になっているのかいちいち吟味なさって。
なるべく漢字を使った熟語よりも大和言葉というか平易な言葉にしましょうとかいう事にもこだわって。
本当に時間をかけて萬斎さんとすごい貴重なぜいたくな時間を費やしてこの台本を作ったわけなんですね。
その日のうちに終わるはずがやっぱりてっぺん越えてね次の日になって。
しかも集中力がおありになって。
私はその時自分かなり頑張れる人間だって自負してたんですけどかないませんでした本当に。
シェイクスピアは研究すればするほど狂言の世界と本当にかぶさる所が多いというのが。
それは萬斎さんも思います?そうですね。
まず舞台構造を見るともう明らかなんですけれどもいわゆる能楽堂能舞台とシェイクスピアが実際やっていたグローブ座という劇場の構造をまず対比してみれば本当に明らかなんですけども両方とも張り出し舞台しかも裸舞台と。
グローブ座は私が撮ってきた写真なんですがこれを能舞台と比較するとどちらもどういうわけか…全く同じ構造なんですね。
しかもですねこの能舞台がこの形になってきたのが室町時代の後期というとちょうどシェイクスピアが生まれた頃なんですよ。
すごいな!時代も同じでどういうわけだか地球の東と西で同じものが出来上がっていた。
いずれにしろ…そうですね。
今は静かに皆さんご覧になりますけどグローブ座なんかもう割合ワサワサワサワサしてるんですよね。
そうすると例えば「ハムレット」の「誰だ」という言葉から始めるとかっていう言葉のいろんな脅しであったり急に小さい声になったりとか急に壮大にしゃべり始めるとかってそういうふうにこうやっぱりいろいろなテクニックを編み出してシンプルだからこそそういう音声のテクニックを使ったりするのも非常に似てるんだと思いますね。
萬斎さんもちろん能舞台お使いなんですけどグローブ座でも上演なさった事があるわけですよね。
「まちがいの狂言」というシェイクスピアの「間違いの喜劇」を狂言化したものをここのグローブ座に持っていって上演したりとか。
日本語で?日本語で。
「にほんごであそぼ」の「ややこしやややこしや」。
イギリスの方たちはどういう反応だったんですか?最後は皆観客のイギリス人の方も「ややこしやややこしや」ってやってくれましたけどね。
うわ〜力ありますね。
やっぱりその言葉のリズムというか。
そうですねリズムですよね。
これ「ハムレット」は狂言になさったり…?「ハムレット」はまだしてないですね。
どうですか?「ハムレット」もそろそろやってみたいななんてちょっと思ってますね。
400年も経ていまだこう私たちシェイクスピアというのに魅了されているこの理由は萬斎さん何であると思われますか?でもやっぱりそれは本当にシェイクスピア自身が語った鏡という構造でしょうかね。
やっぱり時代時代をそのまま映してくれるので本当に今の自分たちを映す作品として「ハムレット」だって解釈してまたやりたいしそれをまた今の人が見て感じる。
時代がそのまま映るというそこがやっぱりシェイクスピアの魅力かなという気がしますね。
懐がまあ深いと思うんですすごく。
それこそ全然舞台なんか見た事ないギャルが「あそこああじゃね?私だったら超ムカつくんですけど」って言ってるところが。
…すらも包括するものを持ってるという事に感心するし。
すげえなやっぱ古典すげえなとちょっと思っちゃうんですよね。
誰も彼もが見にくるというような面白いスタイルになるとまた面白いですね。
河合先生そして萬斎さん本当にどうもありがとうございました。
2014/12/24(水) 23:00〜23:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 ハムレット[終] 第4回「悩みをつきぬけて“悟り”へ」[解][字]
最後に「なすべきことを全てやりきった後は全て運命にまかせよう」という悟りに至ったハムレットの心境は?狂言師・野村萬斎が狂言とシェイクスピア劇の共通性を読み解く。
詳細情報
番組内容
近代人としての悩みを真正面から引き受けて悩み続けたハムレットは、最後に「なすべきことを全てやりきった後は全て運命にまかせよう」という悟りの境地に至った。第4回は、狂言師・野村萬斎と一緒に、「ハムレット最後の決断」の意味や、狂言等日本の古典とシェイクスピア劇との共通性を読み解き、「ハムレット」に秘められた普遍的なメッセージを明らかにする。
出演者
【ゲスト】狂言師…野村萬斎,【講師】河合祥一郎,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】川口覚,【語り】墨屋那津子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:464(0x01D0)