全行程1,400km。
八十八か所の聖地を巡る四国遍路。
弘法大師空海が四国で霊場を開いてから今年で1,200年を迎えるとされています。
今も続く「祈りの道」はなぜ生まれたのか。
空海の時代にまで遡ると険しい山道に切り立った崖のと〜んでもないルートが浮かび上がってきました。
うわ〜最高だ!江戸時代に巻き起こった一大「お遍路ブーム」。
きっかけを作ったのは一冊の本でした。
後に「おもてなし文化」をも生み出す事になるその驚きの内容とは?1,000年以上続いてきたと言われるお遍路の道も戦争によって途絶えてしまいます。
そんな中復活の夢を乗せ走りだした一台のバス。
それは戦争で傷ついた人々を支える明日への希望となったのです。
生きてるからこそこうして八十八か所を巡る事ができる。
ありがたい。
1,200年の時を超え受け継がれてきた祈りの道四国遍路。
その知られざる旅路へ御案内しましょう。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今宵は四国にある八十八か所の霊場を巡る四国遍路のお話です。
お遍路と言えばこの格好。
白装束に杖と笠。
四国遍路を巡っている人は「お遍路さん」と呼ばれ…1,000年以上続くとされているこの四国遍路。
一体どのようにして始まったのでしょうか。
四国徳島県にある…ここはお遍路をする人が最初に訪れるお寺。
今年は1,200年の記念の年という事もあり境内はお遍路さんで大いににぎわっています。
お遍路グッズ売り場もこの人だかり!手ぶらで来ても誰もが気軽にお遍路さんに変身する事ができます。
有名な方?え?テレビで有名な方?いえそんな事ないです。
見た事があるように思うんですけど…。
ほんとですか?今回お遍路の歴史をたどるのは旅好きの俳優松田悟志さん。
お遍路を回るのは松田さんにとって初めての経験です。
初心者本がありまして。
ここにですね「般若心経」が書いてあってこれを読むみたいなんですよね。
「佛説摩訶般若波羅蜜多心経…。
観自在菩薩行深般若…」。
お寺に着いたら御本尊の前でお経を読みます。
お疲れさま。
どうも。
よろしくお願いします。
そのあとはお参りした事を示す「御朱印」を頂くのが定番。
お寺ごとに御朱印が異なるのでこれを集めるのも楽しみの一つです。
こうして八十八か所の霊場全てを巡っていくのがお遍路なんです。
四国遍路の楽しみは御本尊へのお参りだけではありません。
徳島県にある第三番札所金泉寺にはこんな不思議なスポットが。
境内にある井戸をのぞいてみると…。
水面に顔がはっきり映れば長生きするという御利益満点のパワースポットとなっています。
この井戸には言い伝えがあります。
はるか昔地元の人々が日照りで困っていた時一人のお坊さんがやって来て杖を地面についたところ不思議な事に水が湧き出したちまち田畑が潤ったとか。
このお坊さんにまつわる伝説は他にも。
お遍路最大の難所と言われる第十二番札所焼山寺までの山道。
この遍路道の中程に小さな水飲み場があります。
ここでも同じお坊さんが山中で一休みする際に杖で地面をつくと水が吹き出したという話が伝わっています。
このお坊さんこそ日本を代表する名僧弘法大師空海です。
実は四国遍路の始まりは若き日の空海が抱いたある悩みと深い関わりがありました。
今から1,200年以上前の延暦10年。
18歳の空海は日本で唯一の大学に通っていました。
当時の大学は朝廷の役人を育成するためのもの。
お経や漢文をひたすら暗記しては試験を受け合格しなければ即退学。
その過酷さに空海は焦っていました。
心の声ここを追い出されたら苦しい暮らしが待っている。
そんなのはごめんだ!空海の身分は他の同級生に比べるとはるかに下。
勉強で良い成績を修めなければ出世は望めません。
心の声とにかくものを覚える力をつけなければ。
そのためにはどうすればいいのか…。
空海は思い悩みます。
待て。
そなた悩んでおるな?空海は一人の僧侶から声をかけられます。
よい方法があるぞ。
「虚空蔵求聞持法」じゃ。
それは厳しい大自然の中で…心の声よし!このやり方で俺はエリート街道を突っ走るんだ!空海は大学を休み修行の旅に出ます。
向かった先はいまだ手つかずの大自然が残る四国の地でした。
高知県最御崎寺の近くにある洞窟御厨人窟です。
ここにいてもすごくこうひんやりとしてぴんと張り詰めた空気が伝わってきますね。
今にも落ちてきそうな大きな岩。
それは…本当にどれだけ厳しいものだったのかというのは想像もできないんですけれどもね。
でもじゃあ例えば僕が今この場所で今日と明日この中にいて下さいと言われても…きっとちょっと変になっちゃいますよね。
到底自分にこなせるはずはないなと。
更なる修行のため四国各地を転々とする空海。
こういうふうな海岸線をずっと通りながら…。
ここを通ったんですか?はい。
え!ほんとに険しいですね。
いや〜しかし…いや〜しかしこれはほんとに途方もないですね。
ある時は飢えに苦しみながらも険しい山に登りまたある時は崖の上でお経を唱え続けました。
こうした修行を重ねるうち空海の心にある変化が。
空海は自分のやるべき事を悟ります。
今まで…人々を救いたい。
空海はその手立てを求めて中国・唐に留学。
当時仏の教えとして最先端だった「密教」と出会います。
そして帰国後高野山を拠点として「真言宗」を開き全国の人々へ救いの手を差し伸べたのです。
やがて空海の修行の原点となった四国は「聖地」としてたたえられ多くの修行僧がこの地を巡るようになります。
それが八十八か所の霊場を回る「四国遍路」の元となったのです。
(鐘の音)四国遍路の原点。
それは僕らと同じように一人の人間として悩んで苦しんだ空海の修行にあったんですね。
空海が四国に「聖地」を生み出し後の僧侶たちが道を築き上げていった四国遍路。
それは命懸けの修行の道。
お遍路をしていたのもほとんどが修行僧でした。
今のように一般の人々が気軽にお遍路を巡るようになったのは江戸時代から。
きっかけは一冊の本でした。
空海ゆかりの地香川県の高松にその本は保管されています。
300年余り前江戸時代前期に出版されたお遍路の案内書です。
書いたのは宥辯真念というお坊さん。
自らも四国遍路を20回以上回るほどのいわば「お遍路マニア」でした。
そのすばらしさを全国の人々に知ってほしい。
そんな思いから「四國禮道指南」を書き上げました。
という事で僕も真念のガイドブックを持って実際に巡ってみる事にしました。
まずは…金泉寺のページを見ると…御本尊の釈如来像が描かれています。
その御本尊を特別に見せて頂きました。
金泉寺こちらの仏様ですよね。
そうですねはい。
すごく穏やかなお顔をされてる…。
はいありがたいね。
こうした情報が記されているおかげでお寺ごとに何をお願いすればいいのかが分かります。
「四國禮道指南」に載っているのはお寺の事だけではありません。
皆さん知らない分かれ道に来たらちょっと困りますよね。
櫛渕椎茸組合…。
そんな時もこのガイドブックが役立つんです。
「くしふち村しるし石有」ってここに書かれてます。
村の名前の下に「しるし石有」。
この「しるし石」って一体何?あるんじゃないですか?ここの草の中にある。
あれじゃないですか?本当に「しるし石」がありました。
「右」と書いてあります。
「わきみち」とかですかね。
「左」こっちが「左」。
右と左が今これがどこを指す事なのかが分からないんですけれども。
え?あっそういう事か。
こっちが脇道。
こっちが遍路道という事ですかね。
なるほど。
更に真念のガイドブックにはこんなお役立ち情報も。
三十七番札所と三十八番札所の間は80km以上歩きで3日はかかる長〜い遍路道。
そんな道に限って途中大きな町などはありませんでした。
これについてガイドブックには「道の脇に真念庵あり」。
「真念庵」その名のとおり…こうした宿が方々にあったと言われています。
現在は祠としてここにもお遍路さんがお参りします。
たとえ真念庵がないところでも大丈夫。
それには訳がありました。
長年四国の人々に布教活動をしてきた真念。
布教では常々次のような事を語っていました。
真念が勧めたこの考え方は今でも地元の大切な文化として受け継がれています。
あっこんにちは。
ここに座ってもらったらねえ…。
地元の人々が食べ物や飲み物を無償で提供してくれるお遍路名物「お接待」です。
こうした真念の教えは更に発展。
うまいです。
お遍路の大きな手助けとなっていた真念さんのガイドブック。
そこに記されている中で僕が是非行ってみたい場所がありました。
うわ〜最高だ!落差70m。
弘法大師空海がここで修行を行ったという言い伝えもあります。
いや実はここでねすごく楽しみにしてた事があるんですけれど。
「五色の雲」だから…虹は昔から「仏様が降臨したしるし」と言われてきました。
お遍路を皆さん大変な思いをして回っていくわけですよね。
八十八か所を巡ってその御利益を得るという。
その御利益というのはじゃあそれは果たして…楽しみながら願いをかなえる旅。
そして旅人への地元の人々の心遣い。
真念のガイドブックはそうした「お遍路のスタイル」を作り上げていった。
そう実感した旅でした。
真念が作ったガイドブックを機に庶民の間で定着したお遍路。
しかしいっとき途絶えてしまいます。
太平洋戦争中空襲によって四国各地が焼け野原となりました。
社会は混乱し食糧不足が深刻になる中とてもお遍路に出る余裕などなかったのです。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
戦後四国遍路は復活ののろしを上げます。
それは一台のバスからでした。
愛媛新聞に次のような記事が掲載されました。
すなわちお遍路バスです。
企画したのは地元の観光会社。
戦争で打ちのめされた人々の心を新たな娯楽で盛り上げたい。
そこで考えついたのがバスを使ってのお遍路復活でした。
うわ〜楽しみにしてたのよ。
ありがとうございます。
よろしくお願いします。
新聞に載ってから10日余り後…参加者は24人で満員御礼。
その中の一人岡崎忠雄さんです。
岡崎さんはこの旅の様子を日記に克明に書き残していました。
「お四国を巡りたい。
今まで実現することができなかったが幸せだった」。
戦後の混乱に疲れた心もいっとき忘れられるこのバス旅行。
岡崎さんは胸を躍らせていました。
気楽な旅…となるはずでした。
「第五十二番太山寺。
途中飴と餅の接待があって受けた。
初日から心が落ち着く気分だ」。
しかしその直後のんびりした旅気分は吹き飛びます。
それは第五十四番札所延命寺に到着した時の事でした。
「お寺の前に到着。
すると軍人墓が同じ型で十数基建っているのに気づく」。
中には遺骨が戻ってこないまま建てられたお墓もあったと言われます。
更に次の札所第五十五番南光坊では…。
「戦災に焼かれ本堂がない」。
「相当荒れている。
荒れて淋しく特に目についた」。
気楽だったはずのバス遍路に待ち受けていたのは今なお癒える事のない戦争の傷痕でした。
重苦しい気分のままバスへ戻った岡崎さん。
ふと周りを見渡すと参加者の中にも戦争に傷ついた人たちがいる事に気付きます。
親しい人を戦争で失い慰霊のために参加したと思われる人。
苦しい時代を生きる中心に病を抱えた女性も父親と共に参加していました。
「娘の病気快復を祈ってお遍路に加わった。
この旅でご利益を得られるものかどうか」。
更に…。
(急ブレーキ音)どうしたんだ?え?山の中で草木が生い茂りバスが通れない道に出てしまいます。
すいません。
すいません。
急遽歩く事になった参加者たち。
すぐに足は痛くなりバスで優雅に参拝するつもりだった人々は戸惑います。
その日ようやく宿で一息つけたのは夜の11時過ぎ。
皆さん今日はお疲れさまでした。
あしたの出発なのですが7時半でお願いします。
7時半?こんなに疲れているのに明日も朝早く出発しなければならない。
しかし2週間で回りきるためにスケジュールを変える事はできません。
「行けども行けども植林の山」。
「蔦に抱かれた岩は高い」。
「道はだんだん険しくなるばかりだ」。
そして…。
もうたまらんわ!昨日も今日も夜までかかったこんな旅先が思いやられる!あなた…。
バスでの遍路はもう無理かもしれませんねえ。
参加者の不満が爆発します。
お遍路バスの一行は疲れきりいらだっていました。
するとそれを見た…皆様本当にご苦労さまです。
さぞお疲れの事でしょう。
しかしこれこそがお大師様と共に歩む道。
すなわちつらい思いをしてでも皆さんの願いをかなえるための祈りの道なのです。
目の前の大変さに気を取られていた参加者たち。
「なぜお遍路を巡るのか?」。
親しい人の供養。
そして傷ついた心の回復。
皆それぞれにこの旅に参加した意味を顧みていました。
次の日一行は最大の難所にさしかかります。
八十八か所霊場の中で最も高い場所にある雲辺寺。
標高911m。
山の上のお寺までは5kmもの曲がりくねった獣道が続きます。
うっかり道を間違えたりしたらもうこの旅は終わりだ。
誰もがそう不安になった時…。
皆さんちょっとお待ち下さい。
程なく…。
皆さ〜んこっちです!何度も走っては引き返すその姿を見て誰一人不平を言う事なく登り続けました。
さあ私の肩につかまって。
大丈夫ですか?ありがとう。
「お互いに励まし合って行を進めた」。
そして4時間後。
一行は無事雲辺寺にたどりつきました。
(読経)参拝を終えお寺の高台から麓を眺める参加者たち。
そこには戦争の時代を乗り越え懸命に復興の道を歩もうとする町の姿がありました。
長年苦労した日々を思い出しながら今この地に立てる喜びをかみしめる一同。
ありがたい。
生きてるからこそこうして八十八か所を巡る事ができる。
お父さん私全部巡りたい。
「その娘は四国を巡るうち見違える程の快復を示した。
父と娘はとても嬉んでいた」。
戦争が終わって8年。
これからの一歩を踏み出すそのきっかけをみんなこの旅に見いだしていました。
この旅を皮切りに四国遍路は昔のにぎわいを取り戻し新たな時代へと歩み始めたのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は四国遍路の今とそれを支える人々。
そんなお話でお別れです。
お遍路さんを導くこの看板は一人の人物が立てたもの。
持病を治そうとお遍路を始めた愛媛県出身の男性です。
宮崎さんがお遍路をした昭和54年ごろ。
いにしえより続く祈りの道を絶やすわけにはいかない。
宮崎さんは車に寝泊まりしながら四国中を走り回り手作りの看板を立てていきました。
しかし4年前宮崎さんは道半ばで亡くなります。
このまま途絶えてしまうかに思われた遍路道の看板。
今宮崎さんの活動に共感する他のお遍路さんが設置を続けています。
空海の時代から1,200年。
昔も今もそしてこれからも。
人に願う心がある限り四国遍路は「救いの道」として受け継がれていくのです。
2014/11/19(水) 00:40〜01:25
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「四国八十八か所霊場 1200年の物語」[解][字][再]
今年で開創1200年とされる四国八十八か所霊場を巡る四国遍路。なぜ人はお遍路へと旅立つのか?そこには、空海の時代から続く、悩み、そして祈りの物語があった。
詳細情報
番組内容
「お遍路」として老若男女に人気の四国八十八か所霊場巡り。長い歴史の中でターニングポイントとなった場所を訪ねてみれば、四国遍路の知られざる魅力と秘話に出会うことができる。“四国遍路”誕生の裏側にあった若き空海の悩みとは?庶民にお遍路ブームを巻き起こした江戸時代のガイドブックの驚きの中身とは?そして戦後人々の心の支えとなった“お遍路バス”誕生秘話など、魅力あふれるお遍路1200年の物語をお届けする。
出演者
【出演】松田悟志,【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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