100分de名著 ハムレット 第3回「弱き者、汝の名は女」 2014.12.24


シェイクスピアの傑作「ハムレット」。
主人公をめぐる女たちも作品の魅力の一つ。
王妃ガートルードは夫を殺害した男と結婚した女。
ハムレットの狂気に翻弄される。
「え?罪人を産みたいのか?」。
え〜っ!?自分勝手な。
そうですよね。
女性の意見を…。
「100分de名著」「ハムレット」第3回は作品を通して愛する人との向き合い方を見つめます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあシェイクスピアの名作「ハムレット」を見てまいりましたが前回主人公ハムレットがより気高く生きるためにはどうしたらいいんだという悩み抜いていく姿を見てきましたけれど。
本人は神に近づきたいという話ですもんね。
畏れ多くも。
第3回はですね「ハムレット」に登場する女性たちを見ていきたいと思います。
指南役今回も東京大学大学院教授でいらっしゃいます河合祥一郎さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
「ハムレット」に登場しますのは女性こちらです。
ちょっとこれ見て頂きましょう。
ハムレットのお母さんデンマーク王妃のガートルードそして恋人のオフィーリアと。
ガートルードは自分の夫が亡くなってすぐにその弟と結婚してしまいました。
そういう女性でございます。
オフィーリアはまあハムレットに恋人に振り回されて正気を失って亡くなってしまう。
これは初回申し上げた事ですけれども「ハムレット」という作品を読み解く時には…いろんな事が分かってくると。
当時女性というのはどういうふうに見られていたんですか?「聖書」の中にも「女は弱き器である」という表現がなされていたりあるいは「妻たるものは夫に従うべし」という事まではっきり書かれていたりするんですね。
このオフィーリアにしても現代では考えられないほど箱入り娘として描かれている。
なのでお父さんのポローニアスに「ハムレット様と言葉を交わしてはならん。
命令だ」というふうに言われるとなんと「はいお言葉どおり」にと素直に従ってしまうわけなんですね。
かわいすぎる。
ガートルードという人はどういう女性なんでしょうか?何かハムレットの様子がおかしくなってしまったから幼なじみの友達たちに様子を見てやって下さいと。
ところが一方ハムレットはお母さんに対して執拗にお母さんはお父さんを忘れたのはいけないと言って責めて責めて責めまくってハムレットはちょっとマザコンなんじゃない?といういわゆる精神分析批評というのがなされたりもするんですね。
俺自分自身のとこで言うと母親につらく当たった時期とかあるんです。
なくはないんです。
うるせえなってなった時期とかありますけどあとはその度の問題ですよね。
ハムレットはどれぐらいの度でそれをやってるのかちょっとまず知りたい。
ハムレットはほんとに母親を執拗に責めたてるのでございますがその理由がこちらです。
「たったひとつきでニオベのように涙にかきくれ哀れな父上の亡骸を墓場まで追ったその靴も古びぬうちにその母上が」。
「神よ理性がない獣でさえもっと長く嘆くはずだ。
それが叔父と父上の弟と結婚した。
父上とは大違いの男だ。
俺がヘラクレスと違うほどに。
ひとつきもたたぬうちにうその涙で泣き腫らした目もまだ赤く腫れているというのに結婚した」。
子供っぽいっちゃあ子供っぽい。
「邪悪な早さだ」。
まあひとつきは早いかなとは思うものの…ぐらいですね。
河合先生ハムレット何歳ですか?30歳!それは子供ですね。
30歳にしてはものの考え方が子供だなってちょっと思いますけどね。
そうかもしれない。
純粋…かなり純粋なところありますね。
時代の設定としてカトリックという宗教的な概念があって結婚というのはカトリックにおいては秘蹟サクラメントの一つとされているので神との契約になるので離婚ができない。
ガートルードのように夫と死別をすれば再婚は許されるんですけれどもハムレットにしてみればそれは早すぎると。
お母さんは心の中でお父さんを殺してしまったというふうに思う。
これどうなんですかガートルードまあ王妃の立場にしてみると何というかほんとに無邪気にというか。
そうなんですね。
ガートルードのセリフを吟味していくと私は何も悪い事してないわと。
ただ好きなんだからクローディアスと一緒になったわと。
やましい事はないと思っている。
やましい事は何もない。
だから後でハムレットがいろいろ「お母さんはどうして忘れたんだ」って責めてくると「何の事?」って最初全然分かんないんですね。
母と息子の決定的なすれ違いの場面を見てみたいと思います。
王妃はクローディアスに対する態度が悪いとハムレットをいさめるそんなシーンでございます。
ガートルードの部屋に呼び出されたハムレット。
母にたしなめられると彼は逆上し罵倒し始める。
更に部屋に隠れて様子をうかがっていたポローニアスを刺殺。
おびえる母を更になじるハムレット。
するとそこに父の亡霊が現れる。
しかし…。
母には父の亡霊が見えていないのだ。
何も見えないし何も聞こえない。
父は確かに戸口のところに立っているのに。
「おまえの頭がつくり出した幻です」。
現代の僕の価値観で見たらお母さんの言ってる事の方が全然合ってるという感じ。
あなたがつくり出してるでしょうという。
お父さんの亡霊息子のハムレットには見えてお母さんのガートルードに見えないというのはこれは何かそこには訳があるのですか?シェイクスピアがこのお芝居の中で「心の目」という事をもう何度も言ってるんですね。
「Mind’seye」という言葉を.「真実」を見る目というふうに言いかえる事もできる。
ありのままにそのまんまという事にはなるんですけれども事実とは違ってその人にとってほんとに大切なものの事を多分真実…例えば「真実の愛」なんていう事を言いますけどもその人生がよって立つようなよりどころとするようなものを真実とこういうふうに言うと思うんですね。
ハムレットにとってはその何が大切かというのが見えてると。
どうしてお母さんにはその大切な事が分かんないんですかと。
事実はある程度一つだと。
ある程度のカメラアングルはあるものの一つだろうと。
真実の方はそうするとこのケースのように…だって母親にとっての真実はもういもしないお父さんという真実だし。
そうなんです。
そのとおりなんです。
だから人によって真実は実は違うんですね。
非常に主観的なものなんです真実というのは。
ハムレットはものすごく母の事を責めてますけどハムレット自身も自分の弱さを認めてすごくこう心の中で葛藤して闘ってる途中ですよね。
どうやったら気高く生きられるかという事で苦しむわけですけれどもしかしハムレットにとってみるとやはり人間である以上は肉体を抱えているのでさまざまな欲望が肉体の中にあるわけですよね。
どうしても例えば食欲があったり性欲があったり自然といろんな欲望が出てきてしまう。
だから僕ねそこがすごくお母さんを責める事と関係があるというか。
やっぱり自分が母親とうまくいかなくなってた時期は恐らく性の目覚めの時期なんですよ。
ああ伊集院さん自身が?僕は。
多分やっぱりそういう事でクラスメートとかに対してエロい事を感じたり感じちゃいけないんだという自制心とかとすごい闘ってる時の方が多分おふくろとかがたまに香水つけただけでもなに色気づいてんだよみたいな。
ドラマみたいドラマみたい。
それハムレットじゃないですか。
ハムレットでしたね〜!もしかして男の子全般の事?いや〜タンスの中にエッチな本をいっぱい隠したハムレットでした。
いやだけどねほんとに僕と同じ人が視聴者に多ければいいなと思いますけど思春期の男子はその気高さもすごいんだよ。
自分への厳しさこそが多分母親への厳しさだと思うんですよね。
こちらがですねそのオフィーリア。
イギリスの画家ミレイが描いた有名な作品。
これはハムレットと別れたあと正気を失ったオフィーリアが誤って川に落ちて死んでいくというそのシーンです。
悲しい絵ですねとても。
ねえそうですよね。
オフィーリアが好きだと思えば思うほど「お前は近づくな」というふうに遠く突き放さなければならない。
「芸のためなら女も泣かす」の世界だとするとちょっと和風になりすぎですけど。
いやそれぴったりなんじゃないですか。
復讐のためには女も泣かすというそういう話ですよね。
ましてや神に近づくためでもあるわけだからそうなっちゃうという。
だからすごい好きなんだと思うんだよな俺。
ちょっとそのシーン見てみましょうか。
お願いします。
オフィーリアは父に話す。
ハムレットが部屋を訪れた時の事を。
「とうとう私の腕を少し揺するとこのように三度頭を上げ下げして哀れな深いため息をつかれました。
まるで体全体が崩れて消え入るように。
それから私の腕をお放しになると肩越しにこちらを見据えながら進む先など見なくとも分かるかのように後ずさりなさりながら出ていかれました」。
何も言わずに見据えながら後ずさりして去っていくってこのシーンはどういうふうに捉えればよろしいんですか?まあ謎と言えば謎なんですけれども私の解釈ではこれはハムレットがオフィーリアに別れを告げに来た場面なんじゃないかなと思うんですね。
というのはハムレットは神に代わって復讐しようというふうに誓うわけですけれどもそのためにはオフィーリアの愛を諦めなければならない。
しかし同時にその事を仮に言おうとして近づいても亡霊と会ったとか大義を果たすんだとかそういう事を言えないからただ彼女の腕をつかんで大きなため息をつくという事しかできなかったんではないかと。
僕はすごいなと思うのはあんだけ名ゼリフがいっぱい残ってたりとかするお芝居の脚本なのにもかかわらずここに言葉がないという。
これは舞台の上ではオフィーリアがお父さんに話すセリフとして描かれているんですね。
はぁ〜。
こうだったんですという事なので実際その状況を観客は目にしてない。
…という事が時々あるんですね。
そう考えるとこのセリフはとても大事ですね。
そうですね。
ず〜っと見て身動きしないと。
ちょっと手を揺すって何か言おうとするのかな。
でも言ってもしょうがないと思って頭を三度上げ下げして。
これが別れなのかな精いっぱいの。
だからこの場面からハムレットがいかにオフィーリアを愛していたかというのが伝わってくるような気がするんですね。
ハムレットが正気を失った原因は何なのかクローディアスとオフィーリアの父ポローニアスがオフィーリアを使って探るというシーンがこの次に出てくるんですね。
ポローニアスは娘オフィーリアに対してハムレットが恋い焦がれておかしくなっちまったなというふうに理解するわけなんです。
僕の中でまだ理解できない事がいっぱいあるな。
だってハムレットあんな決意で別れていったのにねえだましちゃう事になるわけですよね。
そうですね。
それだけお父さんがすごい強い存在で…ああなるほど。
そこか。
ちょっとそのシーンをご覧頂きたいと思います。
その辺頭に入れながら見てみましょう。
こちらです。
父とクローディアスのたくらみに使われるオフィーリア。
ハムレットを待ち伏せこれまでもらった贈り物を返す。
別れを告げ反応を見るのだ。
「甘いお言葉も添えて贈り物を掛けがえのないものにして下さった。
その甘い香りがうせました。
お返しいたします」。
「さあどうぞ」。
「ははあ!」。
「殿下?」。
「どういう事でしょう」。
「信じてはいけなかったのだ。
美徳を古株に接ぎ木したところで古株の穢れは消えぬ」。
「とすれば私は思い違いを?」。
「俺だってかなり誠実なつもりだがおふくろが産んでくれなければよかったと自分を責める事だってある。
うぬぼれ強く復讐を狙う野心家であまりに多くの罪を抱え込んでいる。
その罪を思いつく頭も具体化する想像力も実行に移す時間も足りないほどだ。
俺のようなやつが天地の間をはいずり回って何になる?俺たちは皆ならず者だ。
誰の言う事も信じてはいけない。
尼寺へ行け」。
「ドアをしっかり閉めておけ。
家の外でばかなまねをせぬようにな」。
「ああ神様この方を助けて!」。
これ陰から見ているという事はハムレットは分かってあのような事を言ってるんでしょうか。
大抵分かってる気付いているというふうに演出する事が多いんですね。
ハムレットはオフィーリアに裏切られたという思いはあるんだけれどもそれはどこで気付くかというと実はあるセリフの中にそのヒントがあるんです。
はいこのセリフ。
このセリフですね。
ここで変なのはこれは翻訳家の松岡和子さんもおっしゃってる事なんですがオフィーリアが自分の事を「気高い心」というふうに言うのは何か変だぞと。
変です。
なに急にとちょっと思いました。
ああすばらしい。
セリフだと。
はい。
自分の本心じゃなくて。
そこに気付く。
そこにハムレットは気付いてこの次の瞬間ハムレットが「ははあ!お前は誠実か?」honestかという事を言うんですね。
誠実かと。
急に。
これで逆上して「尼寺へ行け」と。
そうなんです。
ただなぜ尼寺なのかというのはいろんな議論があるんです。
男をたぶらかすようなやつはもう禁欲生活を送れという事じゃないですか。
オフィーリアというのはハムレットの弱点であって自分の情欲をかきたてる存在であるから彼女がいてくれると自分の中に肉欲という非常にあってはならないものが出てきてしまうからお前は消えろって言いたいわけなんですね。
しかしつまりそれは自分の正しさを保つためと同時に彼女の清純さを保つという意味で尼寺に行けというふうに解釈する事ができる。
しかも「俺を忘れてくれ」っていうんじゃないんですね。
つまり俺のものでいてほしい。
だからどこにも行かないでただ清いままで尼寺でいてほしいと。
なんて事なの!え〜っ!?自分勝手な。
そうですよね。
女性のきたんない意見を。
許せない許せない。
そのやっぱり許せないの分かりますよ。
僕も大人だから47だから分かりますよ。
でもそういう面があったなって思う。
遠ざけるから嫌いになったんじゃないんだよなみたいのもあるし他の人とつきあってる話聞きたくないなとは思うのよ。
エゴなのはエゴなのは分かりますよ。
愛するって結局かなりエゴなんじゃないですか?自分のものにしたいという欲望が根本的になければそうやって結婚するとかないわけなんですからその気持ちを持ったまましかし俺の前からいなくなってくれというまあある意味で愛情表現と言えば愛情表現なんです。
何か僕ちょっとオフィーリアが利用されてたという考え方よりオフィーリアも知りたかったのかなって思いません?こうなってしまったらね。
思う思う。
だから知りたかったという…もちろんその当時のお父様の言う事は絶対という事ももちろんある。
それがゼロじゃないけども自分もこのままじゃ別れきれない。
どうしてこうなっちゃうのというのは知りたいからこの策略にはちょっと能動的に参加してる部分って。
あ〜なるほどそれは鋭い。
だって嫌でしょこのまま。
だって昨日まであんなに愛をささやいていてくれた人がこんなふうになるなんて信じられないですよ。
絶対それはうそだったんじゃないんじゃないかと思うからそれは私としても知りたいというオフィーリアの気持ちも分かる。
どう反応が来るかを知りたいというのはね。
私がそうする事によってもしかしたらこちらに戻ってきてくれるかもしれないという期待もあると思うし。
ハムレットもハムレットで冷静であろうとは思ってるけど気がついたら全く冷静じゃないみたいな。
オフィーリアの前ではもう冷静でいられないんだと思うんです。
深く愛してしまっているので。
かなり複雑な図式ですよねここ。
ほんと「尼寺へ行け」が何かとても切なくなってきますね。
このあとオフィーリアは自殺をしたというふうに扱われて。
キリスト教では自殺は禁じられてるんですね。
なのできちんと埋葬する事が許されないというそういう流れになります。
こうして見るとオフィーリアはほんとに悲劇のヒロインとして私たちの中に浸透してるというか描かれてますけれども本を正すと本当に気高く生きたい神に近寄りたいっていうそのハムレットに全てが原因があるというような。
ある意味特にオフィーリアとハムレットは幼いんだと思うんですね。
幼いと思うんだけどその幼さの中に自分たちがすれちゃったりとかうまく折り合いをつける事でなくしちゃった正しさみたいなものとかエネルギーみたいなものがすごくあって。
純粋さみたいな。
オフィーリアのこの死というのは私の考えではハムレットの死とやっぱり重なると思うんです。
ハムレットは「弱き者汝の名は女」と言うんですけれども最後の悟りの方では実は弱いのは俺だというふうに悟っていくという事になる。
そういうところでもハムレットはオフィーリアのある意味でコインの裏表みたいな非常に密接に結び付いてるところがあるかなと思うんですね。
いや〜今回もちょっと深く何かず〜んとくるものがありましたけれども。
第3回の「ハムレット」「弱き者汝の名は女」と。
この次は「悟り」でございますね。
「悟り」です。
第4回もどうぞ皆さんお楽しみに。
先生今日もどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2014/12/24(水) 05:30〜05:55
NHKEテレ1大阪
100分de名著 ハムレット 第3回「弱き者、汝の名は女」[解][字]

母ガートルードや恋人オフィーリアなどを通して、愛する人との向き合い方を問う「ハムレット」。「尼寺へ行け!」という台詞に込められた本当の意味とは?

詳細情報
番組内容
「ハムレット」には、母ガートルードや恋人オフィーリアなどを通してシェイクスピアの女性観が描かれている。「尼寺へ行け!」という有名な台詞は、憎悪を燃やして吐いた言葉ではなく、実は、醜い世界と縁を切らせオフィーリアを守ろうとした「愛の言葉」だった!? 第3回は、ハムレットが女性たちとかかわるシーンを振り返りながら、「愛する人との向き合い方」を考える。
出演者
【講師】河合祥一郎,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】川口覚,山崎薫,墨屋那津子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:355(0x0163)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: