先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) トップは発想せよ!「伊達政宗」(後編) 2014.12.23


さあさあ皆様今宵も居酒屋「知恵泉」開店です。
この間仙台に行ってきたんですけどもね宮城っていうとおいしいものたくさんありますよね。
(伊達)いっぱいありますよほんとに。
お土産買ってきましたよ。
ありがとうございます。
笹かまぼこ。
ベタですね。
ほんとに。
お土産といえばこれですけれどもこれ実は伊達政宗にゆかりがあってこれ伊達家の家紋なんですけど竹に雀。
この笹から来てるんじゃないかというふうに言われているんですよね。
まあまあ言われてますけどね。
それからもう一つねはいずんだ餅。
あらあらほんとにベタなの買ってきましたね。
これも政宗にゆかりがあると言われてるんですよね。
一説には陣中で太刀で豆を潰した陣太刀それがなまって「ずんだ」となったという説があるんですけれどどうですか?ほんとなんでしょうかね。
いや〜分かりませんね。
疑り深いな。
まだもう一つ。
これは…よっ。
あらはらこ飯。
はらこ飯。
宮城で取れましたシャケとそしてイクラをふんだんに使った。
これも政宗がこれはおいしいと太鼓判を押したって…。
これも政宗ですか。
言われてるんですね。
は〜すごいな。
あの…そのように言われているという事で確かめようがないんですけれどもね。
ほんとかどうかっていうのはまあ別にしてですよいかに仙台で愛されてるかという証拠になりますよね。
確かにそれはそうですね。
ただ愛されるまでにはただお殿様としてふんぞり返っていたわけではなくてさまざまな苦労を経てそしてあの仙台の町を築き上げていったわけですよね。
今日はそんなところから知恵を頂いていこうかと思っています。
今宵は独眼竜伊達政宗の後編。
仙台藩主として繁栄の都を築き上げた知恵に迫ります。
生き馬の目を抜く戦国の世。
政宗は秀吉や家康など強大な権力者たちと渡り合い62万石の領地を築き上げます。
ところがそこは戦乱で荒廃した貧しい土地が多く伊達家の経済はひっ迫していきます。
更に追い打ちをかけるように大きな震災が仙台藩を襲います。
(蝦名)慶長奥州津波の…。
数々の困難に直面した政宗。
仙台藩のトップとして発想力を生かして状況を打開していきます。
そこに秘められた政宗流の知恵とは?政宗の知恵を読み解くのは…去年4月にお目見えした五代目歌舞伎座や特徴的な素材を生かした建築など卓越した発想力で生み出された作品は世界的評価を受けています。
そして現在宮城県南三陸町の新たな都市設計にも携わっています。
その手はどんな未来を描き出していくのか?逆境をはねのけ仙台藩に大きな繁栄をもたらした伊達政宗。
世界的建築家隈研吾はその知恵をどう読み解く?今日は伊達政宗そしてお薦めはこちら…。
トップの発想力に着目していこうかなというふうに思うんですね。
政宗さまざまな逆境に直面しながらも仙台藩のトップとしてその発想力であの豊かな仙台をつくり上げた人ですよね。
佐藤さん政宗の町づくりというのはどれだけの困難を伴ったものだったんですか?政宗はたくさんの家臣団を抱えてましたから財政的にも非常に厳しいものがあって大変な状況だったんじゃないでしょうかね。
まさに逆境の中に身を置いていたという事ですね。
隈さんも非常に大きなプロジェクトの中でさまざまな逆境ってあると思うんですが例えばどんな事がありますか?まあね最近はいよいよ建築のコストが世の中急激にオリンピックと復興とか消費税とか全部が重なって上がってるのでもうみんなコストが合わない。
大逆境の連続。
歌舞伎座なんて日本中の人が見てるわけじゃないですか。
もうみんなね「私の歌舞伎座を取り戻して」って感じでいるわけだからそれを一度壊して新しく造るなんていうのは大プレッシャー。
かつてない大プレッシャーだったですね。
環境面であったり予算であったりそれからプレッシャーであったりさまざまな困難な状況下でもやっぱり発想力というのは大事になりますか?それはね楽しみながらやらないとやっていけないからやっぱり自分で発想を楽しむって感じでやってるんですよ。
だからそれを何か苦しいとか追い詰められたってやってると逆に全然建築がつまんなくなってきちゃうからもうその苦境を反転するのが実は一番楽しい事だって一種の苦境をエンジョイするような性格に変わってきますね。
例えばその古い歌舞伎座をいろいろ調べていくと面白い事がいっぱい出てきたわけですよ。
例えば白い壁をどんどんめくっていくと…更にそれをめくっていくと真っ白なの元は。
でどのぐらいの…いろんな層が重なってる事が分かってどのぐらいの白にしたらいいかという事でそれだけでも大議論なんだけどね。
でも歴史を発掘する楽しみが出てきちゃうと…確かに楽しいですよね。
逆境の中でもそうやって発想を転換させると楽しみになっていくというような事なんですね。
今日は政宗の人生じっくり味わって頂きたいんですがちょっとね私創作料理っていうものにちょっとチャレンジをしてみましてね。
これは見た目豚カツですけどね。
そうですね。
実はこれなんです。
あっ!そうなんですよ。
へえ〜。
いやいや「へえ〜」って言ったじゃないですか。
いやいや。
あ〜笹かまかと思っただけです。
このままで召し上がって頂けると。
このままで?ほんとだかまぼこだ中。
へえ〜。
いただきます。
僕は豚カツの方が好きですね。
ヘルシーですねこれはね。
発想を褒めて下さい。
慶長6年政宗は自らの居城を移し領国経営に力を入れていきます。
城を置いたのは千代。
政宗はその字を「仙台」と改め町づくりをスタートさせます。
伊達家の領地は62万石。
しかしそこは戦乱で荒廃した土地や湿地が多く思うように生産力が上がりません。
そのうえ幕府は仙台藩に江戸城の普請など大きな経済的負担を強いてきます。
3万人とも言われる家臣団を抱える伊達家は家臣の給与である米の支払いにも困るようになっていきました。
伊達家の経済事情を物語る意外なものがあります。
多くの味噌は米を原料とする米こうじを使います。
米が貴重だった仙台では味噌に使う米こうじの量をなんと半分にまで減らしていました。
それだけ米を大事に使ったと思うんですよね伊達政宗さんが。
米を無駄にしないためにはこうするんだと。
そうですね。
今や名物の仙台味噌ももとは苦しい台所事情が生み出したものだったようです。
政宗はこの厳しい状況を打開するため新田開発に乗り出します。
しかし新田開発は大規模な土木工事や防風林などの整備を伴い多くの労働力を必要とします。
そこで政宗はある秘策を打ち出します。
「家臣にあれ地をばい与えて開発させたらどうだろうか」。
仙台藩では家臣に給与として米を現物支給していました。
しかしこれでは大勢の家臣団に米が払いきれません。
そこで政宗が考えたのは米を与える代わりに荒れ地を経営させその利益を与える事。
しかも本来の2倍にあたる土地を任せたのです。
4〜5年の間は労役を免除し新田開発に力を集中させます。
その結果家臣たちは本来の倍の米を収入として得る事になります。
家臣にとっては所得倍増藩にとっては支出抑制となる相乗効果の仕組みを生み出したのです。
仙台藩内では急速に新田開発が進み宮城を代表する米どころ大崎平野もこの政策によって生まれていきます。
政宗は更に藩の枠を越えて相乗効果を生み出していきます。
宮城県の太平洋沿岸に今も残る…政宗はこうした運河や河川港の整備を急がせ各地で取れた米を石巻の港に集積させます。
その米の行き先は江戸。
幕府が開かれ人口が急増していた江戸では食糧供給が追いつかず米の需要が高まっていました。
政宗が持ち込んだ仙台の米は一気に広まり後に…新田開発で米を増産しそれを江戸に売り込み財源を得てまた土地の開発を進める。
まさに相乗効果。
この仕組みで仙台藩は江戸時代中期に実質百万石の石高を実現していきます。
政宗はこの相乗効果を生む仕掛けを発想する事で仙台藩の繁栄の礎を築いていったのです。
やっぱり「米どころ宮城県」と言われるようになったゆえんが今の事ですもんね。
ちゃんと受け継いで今も田んぼ大事にしてやってますもんね。
隈さんはこの荒れた土地でも家臣たちの所得も増やすそこを開墾して藩の財政も豊かにする。
つまりWIN−WINの関係ですよね。
例えば建築造る時も建設会社めちゃめちゃいじめるとかそういうふうにやると向こうだって人間だからやる気なくなってまともに造るかよっていう感じになってくるから造る人も大事にする。
ほんとに造ってる職人さんたちともコミュニケーションしてその人たちを乗せるというのがすごい大事で。
結局そうしないといいプロジェクトにならないんですよね。
だからよく建築家なんていうとものすごい上から目線というかよく大先生ってイメージあるけどそういう人が造ってると実際はいい建物にならないんです。
政宗はどういう思いで仙台の町をつくり上げていこうと思っていたんですかね?政宗のね先生虎哉和尚。
有名な虎哉禅師がいるんですが虎哉和尚が仙台の事を「東国の洛陽城」というふうに漢詩で歌っている。
そういう言葉があるんですね。
奥州に新しい都をつくろうと。
そういう気概で仙台の町づくりを進めた。
やっぱり天下への夢っていうのはやはり政宗は持ち続けていたんじゃないか。
そんな感じを私はしてるんですけれどもね。
志は高いところに持っていたという事なんですね。
でも佐藤先生政宗が軍人というか武将ではない政治家の側面というのを見たような気がするんですけど。
統率力とか統制力がすごいですよね。
あまり不満を持ってなかったんですかね?政宗に対して家臣は。
いやそれは一概には言えないと思います。
ただやっぱり政宗はトップとしてやはりまさにこの配慮気配りそういう事は非常に気を付けていたと。
政宗が率先してそういうアイデアとか知恵を出すだけじゃなくて…こういう柔軟性というのがあったように思いますね。
この発想の転換発想力によって大きなピンチを乗り越えた政宗。
仙台の町が繁栄していくわけですけれどもやがて大きな困難に立ち向かう事になるんですね。
慶長16年仙台藩のトップとして采配を振るっていた政宗は予期せぬ事態に直面します。
伊達家の歴史書にその記録が残されています。
「政宗領内大地震津浪入る」。
「死者千七百八十三人」。
仙台藩を大きな地震と津波が襲ったのです。
東北大学の蝦名裕一さんは当時の震災が奥州全体に深刻な被害をもたらしたと考えています。
当時の古文書の記録に基づいて浸水域を塗ってみたものです。
青に塗っているのが東日本大震災の浸水範囲なんですが1611年慶長奥州津波はもっと内陸部の千徳の方まで波が到達したという記録があります。
この1611年…農民の中には農地を放棄して土地を離れる者も現れます。
当時農地の放棄は重罪。
農民にとっても命懸けの逃亡でした。
被害を受けた藩内をどう立て直していけばよいのか。
政宗はリーダーとして復興という課題に取り組んでいく事になります。
去年仙台藩の復興の様子をうかがわせる地層が発見されました。
宮城県岩沼市の海岸近くの地層です。
こちらが慶長16年の津波が運んできた砂の層です。
それを境に上下の地層の色が変わっています。
津波以前は湿地。
津波以降は人の手が入り耕作地になっている事を示しています。
(蝦名)この跡なんですが例えばこういうところ人の足のサイズになっています。
つまり慶長奥州津波があったあとにこの辺りを人が歩いて田んぼにしていった時の名残ではないかというふうに考えられます。
政宗は津波で被災した海沿いの地域を積極的に開発し復興を進めようとしていたのです。
またさまざまな理由で土地を放棄した農民に対しても…立て札で呼びかけ領内の経済を安定させようとしました。
更に政宗はこの石巻で全く新しい事業を立ち上げ復興への道を模索していました。
その記録が残る市内の普誓寺です。
海岸から程近く東日本大震災でも大きな津波の被害を受けました。
津波が南の方から本堂に向かって入ってきてこの線がねずっと…津波が来た状況ですね。
先代の住職が寺に伝わる江戸時代の史料を書き写したものです。
(鈴木)「この浜辺に…築いて釜を置いて塩を焼きしむ」と書かれております。
仙台藩のもう一つの復興事業それは海沿いの被災地に塩田を築く事でした。
当時仙台藩は製塩に適した海岸があるにもかかわらず近隣の藩から塩を高値で購入していました。
政宗は自ら抜擢した長州出身の浪人川村孫兵衛を製塩事業に当たらせます。
孫兵衛は瀬戸内の赤穂で盛んに行われていた入浜式と呼ばれる最新の製塩技術を導入します。
入浜式製塩は潮の満ち干を利用して海水を大量に引き込みそこから塩を抽出する方法です。
塩を効率的に生産できるうえ地域に多くの雇用を創出しました。
製塩が行われた地区には塩を焼くための大きな釜が置かれた事から今も「釜」という地名が残されています。
政宗は各地でこうした塩田を立ち上げ津波から50年後の沿岸部の地図には「釜」とつく地名が点在しています。
製塩業が地域の産業として定着していったのです。
例えば…こういった仕事が出来た結果…政宗は困難な状況でも粘り強く新たな可能性を模索し復興への道を切り開いていったのです。
政宗の復興策ですよね。
佐藤さん政宗は被災地のリーダーとしてどんな思いを持ってこの復興に当たっていったんでしょうか?いずれ豊かな国造りというのは政宗目指していたわけでそういう中ではやはりこの震災からの復興というのはやっぱり懸案だったと思いますね。
家臣の支倉常長を遠く欧州まで派遣する慶長遣欧使節というのを政宗は派遣してますけれどもこの使節を派遣したのが実はこの慶長震災の2年後なんですね。
慶長遣欧使節の目的というのは外国と当時メキシコとかスペインと貿易をしようと。
国際貿易をしてまさにこの国を豊かにしよう豊かな国造りをしようという事だったわけですけれど当然この震災からの復興という意味も当然併せて持っていた。
隈さんは今の政宗の政策ですね適した場所に適した政策をやるんだというような政宗の思いというのはどうご覧になりましたか?そうですね…歴史的に見て。
それは政宗の例だけじゃなくて例えば18世紀にリスボン大地震って1755年に起きるんですけどリスボンの町あの時6万人ぐらい亡くなるんですよ。
当時としてはとんでもない大災害で。
それがきっかけになって広場を大きく取ったりとか道路を整備したりするっていうパリの19世紀の計画というのはそれが大きな転機になって発想したっていう説もあるんですよね。
今の政宗の聞いててね新しいアーバンデザインを彼はまさにその地震と津波で思いついたわけですよね。
そういうのを感じましたね。
隈さん今まさに南三陸町で町のグランドデザインを作ろうというところですよね。
どういった思いで当たられているんですか?ある意味では町っていうものがより強くなるためのきっかけとしてめげないで絵を描こうと思ってるんですね。
最初は皆さんこんな専門家にそんな事言っていいのかなっていろんな遠慮とか何かあるんですけど…そういう雰囲気をうまく作ってやるとねどんどんどんどん意見が出てくるんですよ。
僕南三陸でもそういう場を何度も体験して。
さんさん商店街ってあるじゃないですか復興商店街。
あれが僕行ってむちゃくちゃ楽しかったんですよ。
それでただのプレハブの…プレハブというかコンテナか。
コンテナが並んでてもね要するによその人が来てくれてるのが楽しいんですよ。
よその人が来て地元の人が集まるって新しい観光の在り方はあそこにあるなと思ってああいう観光ってもしかしたらさっきの言い方で言うと現代の塩田かもしれないと思った。
そういうような交流する事の観光みたいなものがあるとあの町の再生の一つのきっかけになって現代の塩田になれるかなってひらめきましたね。
行ってみてこういう事だと。
行ってみるまで分からなかった。
行ってみてあそこのさんさん商店街の中でいろんな食べ物を食べられてね。
おいしいんですよいろいろあるから。
でも別に高級な食材でも特別手の込んだ食材でもないですが楽しいじゃないですか。
ああいう感じが取り戻せたらあの町の復興の大きなきっかけになると思いましたね。
各地に復興商店街あるんですけどさんさん商店街いつもお客さんいますもんね。
魅力があるんですよだから。
この震災の復興に対して尽力した政宗ですけれども実は今この現代にもその思いというのは脈々と受け継がれていました。
仙台藩の繁栄の礎を築いた政宗。
その目は常に自分の何世代もあと未来を見据えていました。
政宗は材木や薪の需要が増える事を見越して育ちの早い杉を植える事を指示します。
そしてこう言い添えています。
後の世代に向けてさまざまな遺産を残した政宗。
400年経った今も受け継がれているものがあります。
それが海岸林です。
政宗は海からの強風や塩害から領内の集落を守るため松の植林を命じます。
これが代々人々の暮らしを守り続けてきました。
しかしその海岸林は東日本大震災で大きく損傷。
被害面積は宮城県内だけでもおよそ1,800ヘクタールに上ります。
この名取市北釜地区も江戸時代以来海岸林に守られてきた町です。
この地区で生まれ育った…震災前はここで農業を営み生計を立てていました。
メロンとかトマトとかあとチンゲンサイを中心とした葉物野菜とか作ってたんです。
この松に守られた地区だった…。
そうだったんです。
根元から倒れてますね。
ええ。
これがもうここはびっしり生えてたんですか?そう。
もっともっと木多かったしね。
我々キノコ採りなんかして歩いたもんだねこの辺。
人がいっぱい入ってアミタケ採りなんかしたんですよ。
海岸林をもう一度取り戻すため高梨さんたちはある活動に取り組んでいます。
再び松を植林し海岸林を再生させる活動です。
植林予定地には3mの高さの盛り土をしています。
そうする事で松は自然と地中深くに根を下ろし津波にも負けない丈夫な海岸林が出来るのです。
高梨さんここは?これから海岸に持っていって松を植えようという。
ほんとにね…やっとここまで育ってくれたんですよね。
高梨さんたちは2年の歳月をかけて海岸林に適したクロマツの苗を育ててきました。
この春から10年かけて50万本の苗を植樹していきます。
一歩一歩だね。
これからですね。
これからだね。
かわいくてしょうがないですね松の木がね。
ほんとに本当に…我々も政宗公の遺志を心の底に置いて一生懸命とにかく仙台平野を守るためにもこれからも頑張っていきたいと思ってます。
一日も早く大きくなる事を祈ってます。
これはじゃあ希望の苗ですね。
そうですねほんとにね。
400年前政宗はこんな歌を残しました。
この土地を1,000年を超えて続く繁栄の地にしようと誓った政宗。
志は今も多くの人々の中に受け継がれています。
私高梨さんのところにお伺いさせて頂いたんですがもちろん高梨さんはじめあそこの方々は家も何もかも全て津波で流されてしまった。
あの松というのは燃料としても役立ってくれてほんとにあの松に守られた集落だったんです。
そこが全て流されてしまったんだという思いをお伺いしました。
で私写真を撮らせて頂いたんですけれども見て頂けますかねこれ。
石碑?これね愛林碑。
林を愛する碑文なんですよね。
実はあの松太平洋戦争の時も大きな被害を受けて高梨さんのお父さんの代の方々がまた復活させたものなんですよね。
それを記念した碑なんです。
実は周り何にもなくなった中でこの愛林碑だけが津波に流されずに残ったんです。
へえ〜。
この愛林碑を見る度にですね先祖の方々から大事に受け継いできたこの松の林これを自分たちが今度は子供や孫の世代に還元する番なんだって何か励まされてるような気がするというふうにおっしゃっていましたね。
隈さんも町づくりまさに先ほどの南三陸のお話ありますけれどもこういった次へっていう視点どうでしょうか?今の政宗の発想1,000代あとですよねそのあとに残すぐらいの気持ちで質のいいものをつくるっていうとこが大事だと思うんですよね。
そうやって焦らないでつくっていくとね町っていい感じになるんです。
焦ってつくった町は駄目ですから。
ただその一方で被災した方々にとっては待ったなしだっていう現状もありますよね。
それはねコルビュジエって建築家がいい事言っててね絵描いて「この町は何千年かかるかって分からないですよね」って言われたわけです。
絵があまりにもスケールが大きい。
そしたらね…明日からねどんどん始められるわけです。
でもその理想像は1,000代先でいいんですよ。
そういう気持ちで…そういう感じが僕は町づくりに必要だと思いますね。
遠くを見てすぐに始める。
うん。
まさに今足りない事なのかもしれないですよねこれはね。
佐藤さんこの発想というのはどういうところから来たって言えるんでしょうか?私はずっと見てきてやっぱりこの前向きにそしてやっぱり夢を忘れないでというようなところが一番大きいんですよね。
夢っていうのはやっぱりかなわないかもしれないけどもやっぱり持ち続けるという事が重要でそれは常にやはり前向きな姿勢と結び付く。
夢ってねやっぱりね…だから夢はやっぱり僕描いた者勝ちだと思います。
今までのアーバンデザインの絵ってその絵描いた時は「え〜こんなの…」って必ず言われるんですけどでもね不思議な事に実現していくんですね。
政宗見てると何かそういう感じがするんですよね。
具体的には復興に対してどういう思いで取り組んでいこうと思われますか。
まずね…それがすごく大事な事です。
僕は建築とかアーバンデザインっていうのはネガティブな要素を拾ってきたらもう切りないんですよ。
でもその中でポジティブに何か絵を描いてみんなにそれを見せるとみんながそれをどんどん自分たちで直したり豊かなものにしたり深めたりしてくれる。
そういうような気持ちが一番大事だと思いますね。
絵を描くには具体的に描かないといけないですよね?絵はね必ずしも具体的じゃなくてもいい。
いいんですか。
絵は何しろ描いてるとね何も描かない白紙だと駄目なんだけど…それでねいいものになっていくんです。
だから僕ねいつも事務所の中でも言ってるのは「お前ね何か汚くてもいいからまず描けよ」って言うわけ。
そうすると何か描くと「これもうちょっとこうした方がいいんじゃないか」とかみんながどんどん言って絵がよくなっていくんだけどみんな割と恥ずかしがって描かないんだ。
何かね否定されるんじゃないかとかってもう今の学生なんかもみんな否定に弱いからね。
だけど「お前恥ずかしがらずに何でも描いてみろよ」って言って描かせるし僕も自分でもよく分かんなくてもこんな感じかなって描くとそうするとみんなが「あれそれじゃ収まりませんよ」とか何とかいろいろ言ってねどんどんいいものになって押し上げていくからね。
夢ってそういうものなんです。
伊達さんはどういうふうに味わって頂けましたでしょうか?やっぱり考え方ですよね。
その夢に向かってやってみる。
まずその最初の一歩を政宗がやってあとは周りの家臣だったり畑耕す人たちが付け加えていってたわけですから。
今の被災地もそうですけどもまず最初に誰かがやり始めないとなかなか復興も時間かかると思うんですよね。
だから今…
(笑い声)すごくいい教科書ですよ。
何かね復興のヒントがすごくたくさん詰まっていてちょっとビックリしましたね。
それでそういう政宗がまさに東北にいたって事はね何か巡り合わせのような気もして。
そうですね。
すごくヒントをもらったし勇気をもらったしそんな感じですね。
いや〜ほんと今日はいいお話を聞かせて頂きました。
ありがとうございました。
2014/12/23(火) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) トップは発想せよ!「伊達政宗」(後編)[解][字]

仙台藩のトップとなった伊達政宗。しかし領土は戦乱で荒れ果て、財政は火の車。さらに大津波が領内に押し寄せる。この逆境を大胆な発想力で乗り切った、政宗の知恵に迫る。

詳細情報
番組内容
江戸時代、仙台藩のトップとなった伊達政宗。しかし、領内は長年の戦乱で荒れ果て、家臣たちに十分な土地や米を与えられないほど、苦しい財政状況に追い込まれていた。このピンチを脱するために政宗がとった対策とは? また、領内に大津波が押し寄せ、沿岸地域が深刻な被害を受けたとき、政宗が行った復興策とは? 逆境を大胆な発想力で乗り切り、仙台藩を奥州で最も豊かな藩へと変貌させていった、政宗の知恵に迫る。
出演者
【出演】伊達みきお,建築家、東京大学教授…隈研吾,仙台市博物館元館長…佐藤憲一,【司会】井上二郎

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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