がんが終末期を迎え治療が難しくなった時。
せめて痛みだけは和らげたい。
そして自宅で穏やかに最期を迎えたい。
そんな願いに応える医師がいる。
(笑い声)この道25年になる男はどんな時でもあえて明るく笑顔で向き合う。
この男を信頼し最期を託した人は2,000人に上る。
全然!何?人生の最期に灯を。
2人でいつも泣いているの?アハハ。
それが今夜のプロフェッショナル。
その男のクリニック兼自宅は東京・墨田区にある。
(取材者)お邪魔します。
在宅ホスピス医のパイオニア川越厚は起き抜けから仕事をしていた。
すぐに患者30人全員の容体をチェックする。
妻の博美さんは看護部長として共に働いている。
いつも患者について議論になってしまう。
駄目になるよって言ってる。
それはね僕は気付いたけれど…。
おはようございます。
川越はこの在宅ホスピス専門のクリニックで医師や看護師など20人を率いている。
患者のほとんどはもはや治療ができないがんを抱えている。
川越のホスピスケアの最も重要な仕事はその痛みをいかに緩和するかだ。
この日川越は初めての訪問となる患者のもとに向かった。
お邪魔します。
どうも。
いいえこちらこそ。
大腸がんが末期まで進行し激しい苦しみに襲われていた。
(せきこみ)5か月前通っていた病院から「手術しても治療の効果は期待できない」と告げられた。
そしてホスピスケアに切り替える事を勧められた。
ちょっと脈を診せてね。
當さんを励ましながら触診をし話を聞き状態を把握していく。
アーンってして…。
はいOK。
いいよ。
川越が痛みの緩和に使う薬はモルヒネなどの医療用麻薬だ。
がんは進行するにつれ痛みがどんどん強まっていく事が多い。
川越はその痛みの変化を的確に予測し薬の量を調整していく。
川越はかつて東大で執刀していたがん専門医。
その微妙な量を見定める技術がずばぬけていると言われる。
川越はあえて明るく遠慮のない語り口で話す。
相手の懐に飛び込み本音を引き出していく。
當さんは自宅で最期を迎えたいと願っていたが家族が重荷に感じていないかと気に病んでいた。
はぁ〜よくやってくれるね。
ありがたいね。
川越は家族の思いを代弁し當さんを元気づけていく。
安心したよね。
だから大丈夫だからね。
四半世紀患者の最期に寄り添ってきた川越。
在宅ホスピスという医療の本質をこう捉える。
川越の処方で痛みが和らいできた當さん。
残された家族との時間を楽しむ余裕が少しずつ生まれていた。
この日息子が當さんのふるさと奄美の曲をかけてくれた。
翌日當さんの病状が更に進行したという知らせが入った。
こんにちは。
當さんは自力で薬をのむ事が難しい段階に入った。
川越は最期まで痛みを感じさせないよう皮下注射に切り替える。
家族に余命を告げ心の準備を促していく。
(川越)そんな感じでね。
その日の夜だった。
當さんが亡くなった。
先生本当にありがとうございました。
いい最期が迎えられて本当にありがとうございました。
(川越)いえいえいえいえ。
當さんは亡くなる1時間前まで話ができ最期の瞬間も苦しむ事はなかったという。
自宅で最期の時を迎えたい。
川越は當さんと家族の希望に応えた。
余命僅かと分かった時どこでどのように療養生活を送るか。
その選択肢の一つとして自宅を希望する人を支えるのが川越さんが取り組む在宅ホスピスだ。
まずクリニックで患者本人や家族と病気の状況などを話し合うところから始める。
この日在宅ホスピスを希望してきたのは甲状腺の末期がんを抱える古藤田さん86歳。
在宅ホスピスは医療保険が適用されるため70歳以上の場合最大でも月4万4,000円ほどで受けられる。
制度的にもそして医療技術の面でも在宅ホスピスは今現実的な選択肢になりつつある。
だが日々の介護を担う家族の負担は決して軽くない。
そうした家族に寄り添い気持ちを支える事も在宅ホスピス医の大切な役割だと捉えている。
この夏川越はある身寄りのない一人のがん患者と向き合っていた。
看取る家族のいない患者の最期をどう支えるか。
(川越)お邪魔します。
(看護師)こんにちは。
末期の腎臓がんが全身に転移し痛みが強く出ていた。
これまで鈴木さんは生活保護を受けて暮らしてきた。
数日前定期的に通っていた病院から「鈴木さんが来なくなった」と川越のもとに連絡が入った。
3日後川越は鈴木さんのもとを再び訪ねた。
(川越)テレビは見れる?薬の処方で状態が落ち着いてきたのを見計らい川越は今後について聞いていく。
(川越)それもあんまりない?鈴木さんが訴えたのは「このまま家で過ごしたい」という事だった。
家族の支えがない鈴木さんのこうした思いに応えるにはさまざまな連携が不可欠だ。
4日後。
鈴木さんの容体が急変したという知らせを受け看護師が急行した。
鈴木さんに意識の低下が見られ始めていた。
薬を自力でのむ事も難しくなっている。
看護師は飲み薬をやめ皮下注射に替える事を川越に伝えた。
川越のもとで働く看護師たちは通常医師が行う判断も状況によっては自ら行う事ができる。
川越が事前に必要となる薬や注射を見立てその情報を共有しているからだ。
これで失礼しますね。
お邪魔しました。
(せきこみ)鈴木さんはたんが頻繁に詰まりそれが苦しさの大きな原因になっている。
川越はその場にあった道具でたんの吸引を試みる。
これまでに50人以上の身寄りのない患者の最期に寄り添ってきた川越。
その経験は今一つの信念になっている。
この日あと1日と見立てた川越たち。
見守る態勢を更に手厚くする方法を探る。
ヘルパーの事業所に掛け合い昼夜見守る態勢を整えてもらった。
こちらの気持ちと向こうの気持ちがピッタリ合って。
あちらもすごい気になるからできるだけ立ち会いたいと。
気持ち…やっぱり通じますね。
それから10時間後の事だった。
介護ヘルパーたちが寄り添う中鈴木さんは穏やかに最期を迎えた。
自宅で最期の時を過ごしたいというあらゆる人のために。
川越の日々はこうして続く。
もういっちょいきますか。
患者が亡くなっても川越さんの仕事はまだ終わらない。
一周忌を迎えた遺族たちに声をかけ互いに語り合い悲しみを癒やす会を定期的に開いている。
今この道のパイオニアとして知られる川越さん。
しかしかつては全く違う道を疾走していた。
看護師だった母親の影響で医学の道を志した川越さん。
東大病院でがん専門医として研鑽を積み年に500例の手術を行った。
「どんな病気でも治す」。
他の病院では難しいとされた手術を次々に成功させていった。
だががむしゃらに走る日々は39歳の秋突然終わりを迎える。
結腸がんが見つかった。
手術と抗がん剤治療で何とか一命を取り留めた。
初めて命の境をさ迷う患者の立場になった川越さんはある事に気付いた。
「自分はこれまでがんという病だけをみて患者をみていなかった」。
2年後今までのように働く体力が戻らなかった川越さんはやむなく大学病院を辞めた。
42歳になっていた川越さん。
新たな職場は患者の家々を訪問して回る小さな診療所だった。
医療の第一線で活躍していたかつての日々。
心の空白はなかなか埋まらなかった。
2年後の事だった。
川越さんは一人の患者と出会う。
末期の乳がんを抱え主治医から余命1年と宣告されていた。
谷川さんは「最期は自宅で夫や子供と過ごしたい」と願っていた。
自分と同い年で同じがん患者の谷川さん。
「今度こそ病ではなくその人自身をみよう」。
だが病院でのホスピスケアすらほとんどなされていなかった時代。
在宅の人に薬を処方し痛みを抑える事は決して簡単ではなかった。
それでも川越さんは海外の文献を徹底的に調べ症状をコントロールし続けた。
更に家族を残し一人去っていく寂しさにさいなまれる谷川さんを励まし続けた。
そして夫にも協力を求め谷川さんに薬をのませ話し相手になってほしいと訴えた。
やがて谷川さんと家族の間には穏やかな時間が流れるようになっていった。
そしてある時の事だった。
谷川さんは川越さんに涙ながらにこう言った。
それから2週間後の事だった。
谷川さんは自宅で息を引き取った。
2日前まで話しかける事に応じ最期は心なしかほほ笑むような表情だったという。
川越さんの中で進むべき道がはっきりと見えた。
それはこれまでとは全く違う患者が穏やかに人生を終えるための医療。
川越さんは在宅ホスピスの専門医となり数々の患者そして数々の家族と向き合っていった。
そして25年。
2,000人の患者を看取った川越さんは今一つの事を思う。
この日川越は最も気にかけている患者のもとを訪ねた。
通常川越の患者はサポートを始めてから1か月ほどで最期を迎えるケースがほとんどだ。
その中でこの家は5年半の長きにわたって在宅ホスピスが続いている。
末期の腎臓がんと宣告され以来治療は選ばずこうして自宅で過ごしてきた。
明さんはがんが膀胱にたまり強い痛みを感じる。
そのため毎日の洗浄が欠かせない。
明さんの介護は長年一緒に暮らしてきた77歳の姉悦子さんが行っている。
炊事洗濯からトイレや風呂の介助までこの5年半全て一人で行ってきた。
(川越)それで心配になっちゃったのね。
だがその日々も終わりが近づきつつあった。
ここ数か月で体力も食欲も極端に落ちていた。
5年半という長い時間の最期を迎えた2人をどう支えるか。
こんばんは。
お邪魔します。
この日看護師が飲み薬から皮下注射に切り替えるため明さんの家を訪ねた。
明さんは長年悦子さんに負担をかけている事を申し訳なく思っていた。
姉の悦子さんは介護がどれだけつらくても明さんにここで最期を迎えさせてあげたいと考えていた。
この家は自動車部品の仕事をしていた明さんと時計工場に勤めていた悦子さんがお金を工面し建てたという。
以来40年喜びも悲しみも2人の思い出が全て詰まった大切な家だ。
(悦子さん)何か1つだけ。
そりゃあ新築の時汚かったらさどうにもなんないじゃない。
しかし介護する悦子さんの体力はその気持ちとは裏腹に限界に達していた。
この日介護ヘルパーに入浴介助を頼んだ悦子さん。
その表情は終始浮かなかった。
よいしょ。
最期まで弟を見てあげたい気持ちと日々の介護のつらさ。
悦子さんはさまざまな思いを抱えながらふんばり続けていた。
3週間後の事だった。
担当の看護師から明さんのがんが一段と進行している事が報告された。
全然!何?
(川越)私のせいで?
(明さん)申し訳ない。
(笑い声)ここ数日明さんと悦子さんはいよいよ死期が近い事を感じ一緒に泣いているのだという。
(笑い声)川越はあえて軽口をたたき空気を和ませていく。
そして介護を続けている悦子さんをねぎらう。
2人と出会って5年半。
こここそが最も大事な時。
今2人のために何ができるのか。
この日川越がまた訪ねた。
明さんの意識がもうろうとし始め最期の時が近づいていた。
頑張ったもん。
よしじゃあ彼の顔を見て行きますわ。
川越先生よ。
分かってるよね神津さん。
分かってる?分かってるよね。
川越先生よ。
(悦子さん)よかったね。
その翌日明さんが亡くなった。
おはようございます。
あっ話をされてたの?あらいつものようないい顔されてる。
なんか笑って。
なんか仏さんのような顔してるよねえほんと。
明さんが亡くなって2週間が過ぎた。
ごめん下さ〜い。
再び悦子さんを訪ねる。
(川越)あららららららこれいい写真じゃない!
(悦子さん)いいでしょ。
(川越)超いい写真だ。
(川越)そのとおりそのとおり。
涙がいつか喜びの涙に変わるように。
川越はそう願い寄り添う。
(主題歌)前へ進む時後ろに退く時その事を熟知してですね。
進むべき時退く時を見定めて退かなきゃいけない時には勇気を持ってしかしさりげなく撤退する。
それがプロだと思います。
2014/11/17(月) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
プロフェッショナル 仕事の流儀「在宅ホスピス医・川越厚」[解][字]
終末期のがんを抱える人や家族の「最期を自宅で過ごしたい」という願いをかなえるのが、在宅ホスピス医・川越厚だ。2千人をみとった男の、笑顔にひそむ深い人間洞察とは。
詳細情報
番組内容
「人生の最期を、住み慣れた自宅で、静かに迎えたい」。終末期のがんを抱える人や家族の、そんな願いを支える医師がいる。在宅ホスピス医・川越厚だ。25年で2000人をみとってきた川越は、「人はどんなときも、希望を持って生きられる」と考える。単に痛みの緩和だけでなく、患者や家族がより充実した時間を過ごせるよう、「心のケア」にも力を注ぐ。深い人間洞察をもって「人生を退くための医療」に挑む、笑顔の医師の物語。
出演者
【出演】クリニック川越院長…川越厚,【語り】橋本さとし,貫地谷しほり
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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日本語(解説)
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