SWITCHインタビュー 達人達(たち)「角幡唯介×塩沼亮潤」 2014.12.06


ブリザードが吹き荒れる北極。
この日の気温はマイナス30度。
風速20メートル。
雪と氷に閉ざされた世界を自らソリを引きながら徒歩で1,600キロ旅してきた男がいる。
極限の世界を旅する男が会いたいと名前を挙げたのは…。
千日回峰行と呼ばれる究極の荒行を達成した僧侶である。
塩沼に与えられた称号は…奈良県南部にある霊峰大峯山は1,300年前に修験道が始まった地として知られている。
大峯千日回峰行とは往復48キロ標高差1,300メートルの山道を一日で歩きそれを1,000日間続ける荒行である。
塩沼は1999年この荒行を31歳で達成した。
大峯山では史上2人目の事である。
塩沼は現在ふるさと仙台に寺を開き住職として暮らしている。
探検家角幡唯介はなぜ塩沼に会いたいと考えたのか。
僕別に宗教に…興味ある訳じゃないしそんなに…。
別に本とかそんなに読んでる訳じゃないですけど…宗教の最初の成り立ちの部分ってこういう冒険に近いような行動…。
神話の中の話だとかを読んでも似たような背景があるんじゃないかなとかという事をたまに考えてたんですよ。
ぼんやりと…。
角幡が塩沼の寺を訪れたこの日は護摩祈祷が行われる日曜日だった。
人々の願いが記された護摩木を真言を唱えながら焚き上げ不動明王に届ける。
千日回峰行を成し遂げた大阿闍梨は信者にとって生き仏に等しい存在。
全国から人が集まってくる。
(読経)こんにちは。
どうも初めまして。
初めまして。
どうも角幡です。
塩沼です。
今日はようこそ。
よろしくお願いします。
さっき護摩出てくれた?はい。
初めてなんですけど護摩の法要を見たのが…。
こんな言い方をしていいのかどうか分かんないんですけど…そうですか。
小僧の頃からやっぱり鍛え上げてきたんで。
一日ではねなかなか…。
何年ってこう積み重ねが大事なんでだんだんああいう声になっていったんです。
あの声がまず何かびっくりしましたね。
こんな声が出るようになるんだ…。
探検家と修行僧。
それぞれに極限状態を経験してきた2人。
その時何を見たのか?ガ〜ッて激流が流れてて泳ぐか野たれ死にするかみたいな…。
本当に自分は死ぬんだなというようなのが半分…。
最後に追い詰められてった分ものすごく何か死を身近に感じたというか。
宙を舞うようにして…何かこうフワ〜ッとしたものに包まれているような感覚でそれで目をつぶったら…厳しい修行を通してつかんだ心を正す極意とは…。
あれ?ちょっと…間違いなく…今度は逆で…食べ物なんかはどんな物食べるんですか?ステーキ500グラム食べるとかそういう事はできない訳ですね?それは2回ぐらいやりました。
うそです。
ハハハ…!角幡は塩沼に会う2週間前霊峰大峯山を訪れ千日回峰行の一日の行程を自分の足でたどってみる事にした。
深夜11時半。
行者はまず滝場で滝に打たれながら般若心経を唱え身を清める事になっている。
9月ともなると水は驚くほど冷たい。
滝場から500段の階段を上がり蔵王堂へ向かう。
午前0時。
この蔵王堂が出発点だ。
ここがスタートと…。
目指すは24キロ先の山上ヶ岳頂上。
山では野生のクマやシカイノシシにも遭遇する。
クマよけの鈴を鳴らしながら進む。
うっそうと茂る木々。
月明かりもほとんど届かない。
行者はこの山道を提灯の明かりだけを頼りに歩くのだ。
女人結界の門が現れた。
大峯山はここより上への女性の立ち入りを禁じている。
道中に点在する祠。
その数59。
千日回峰行は祠ごとに往復118回般若心経を唱えながら歩く決まりになっている。
疲労がピークに達したところで山頂付近に鎖場が現れる。
古来この険しさが修験者たちを鍛えてきた。
鎖場を登り切ると視界が開ける。
ようやく山上ヶ岳頂上の蔵王堂に到着。
いや〜着きました。
いや〜。
だがまだ一日の行程の半分だ。
その日のうちに麓の蔵王堂まで戻らねばならない。
下りの方が大変ですよね。
同じぐらいの時間かかりそうですよね。
行者は山頂でごはんとみそ汁の質素な食事をとると再びスタート地点までの24キロを歩く。
行を行うのは毎年山が開山している5月から9月までの120日余り。
その間は雨が降ろうと台風が来ようと決して休んではならない。
これを9年間合計1,000日に達するまで続けるのだ。
甘葛切り餅アイスが食いたいっすね。
「明日もう一回行ってくれ」って言われても勘弁してくれっていう感じですよ。
午後3時麓の蔵王堂に到着。
ようやく千日回峰行の一日分が終わった事になる。
今回こちらに来られる前に大峯山に登られたって聞きましたけれども。
そうですね。
どんな世界なのかなっていうのがやっぱりありましたんで一度同じルートを同じ時間に登ってみて…どうでした?一日ならある程度体力があれば行けるなとは思ったんですけど…地震が来ても…これが一体どういう世界なのかっていうのがなかなか…。
大体ね行が始まって1か月ぐらいすると…それであと3か月目になると気温が全く春とは違いますので40度超えますのでねそうすると極端に体力がガタッと落ちますので…血のおしっこですね。
でそれが1週間ぐらい続くと一定の体のリズムが整ってくるのか…。
でも体力がそこから先はないですね。
なおかつ標高差…全部ですね…アップダウンありますから2,000メートル分ぐらい登って下って登って下ってという…まあそういう上手にこの体を山の上に持っていってでまた下ろしてくるというそういう世界になりますね。
僕もよく山登りはするんですけれども…ものすごい世界だと思うんですよね。
台風が直撃するととんでもない事になると思うんで。
そういう時っていうのはどんな感じになるんですか?まず極端な話ですけども…足の置き場が僅か数センチ違っても谷底に落ちるような場所もあるしマムシとかそういう危険性もありますから。
でも草むらがこうやって夏になってくると覆ってきますけれども「ここにマムシいるかな?」とかいちいちこう確認して歩いたらもう行って帰ってこれませんので。
そうですね。
あとはもう嵐とかが来るともうここで止まるかとかここは行くべきかとかというのは瞬時に判断しないといけない。
同じじゃないですか?やっぱりそういう探検してやる事…。
まあ僕今北極圏歩く事が多いんですけどテント結構立派なの持っていく訳ですよ。
11万円ぐらいするやつを。
三重構造で重さも…どれぐらいあるのかな?ポール入れて10キロぐらいあるような特注の極地用のを持っていってるんですね。
やっぱりブリザードが来たりとかするじゃないですかどうしても。
そういう時はやっぱりテントを立てて当然休むんですね。
テント立てちゃったらもう家にいるのと同じではないですけど基本的には風から身を守れるし基本的には安全だと。
だから…例えば台風の時に行かなきゃいけない訳じゃないですか。
この行の特徴でね…一歩でも踏み出したら一日48キロですから合計で4万8,000キロ。
4万8,000キロを歩き通さなければならない。
でもし…この短刀で腹を切る。
あるいは…死に出る紐って書いて…「死」ですのでこうやってほどくと4つに分かれてるんですこういうふうに。
これで首をくくるかどっちかにしなさいという事なんですね。
どうぞ。
これを腰に巻いてね…。
これがあるからできるっていう事でもあるんですね。
でもお守りみたいなもんですよね。
塩沼が千日回峰行で身に着けた装束を見せてくれた。
これを全部ほどくと…これが上半身ですね。
これを着けて行くんですねこうやって。
触ってみて下さいどうぞ。
これだとでも雨降ったら寒そうですね。
寒いです。
寒いですよね。
これを見るだけでも大変な感じがしますね。
服装ってやっぱり重要だから。
この上にこういうのを着けるんです。
これは…?これはね…これは首からこう掛ける。
前に4つ後ろに2つあるんです。
仏教の教義では菩薩道は六波羅密を修行せよ。
まあ難しいこういう教えがあるんだけどこの前の4つは転んだ時に内臓を守ってくれます。
で後ろに転んだ時には背中を守ってくれます。
途中で挫折した時には自ら命を絶つ覚悟で臨む行。
その厳しさの裏にはどんな意味があるのだろうか。
我々は修行を志してその…もちろんやらなければならない事はあります。
じゃなぜ修行をするかというとお釈様が……と言われたからなんですね。
比叡山開かれた最澄さんが「どんな最下鈍の者も12年を経れば必ず一験を得ん」と。
…という事を言われたんですね。
初心っていうのはすごく情熱にあふれててもう「行くぞ行くぞ頑張るぞ」って。
それが3日たち1週間たちつらい事苦しい事があると情熱って消えてくる場合ありますよね。
それが失ってしまったんだったら悟る可能性は全くないと言うんですね。
だから「初心忘るべからず」っていう言葉もあるとおり…そのために同じ事を繰り返すんですね。
5月初め山頂にはまだ雪が残っている。
梅雨が過ぎ夏になりその年の行を終える9月過ぎには冬の気配が漂い始める。
往復48キロ標高差1,300メートル。
それを9年間繰り返す中で行者は悟りに近づこうとするのだ。
一番きつかった時…死に近づいた瞬間っていうのは489日目から体調を崩して…数百メーター行っては下痢。
数十メーター行ってはまた下痢とかどんどんひどくなってきてお医者さんにもかかれないしどんな事があっても駄目だ。
もう持っていた市販の飲み薬をのんでもどんな薬をのんでも効かない。
熱も下がらない下痢も止まらない。
490日91日って続いていってとうとう494日。
494ですよ。
この日が一番きつくてもう何も食べれない。
頬もこけてきてあばら骨が見えてきて一気に10キロぐらい。
…で師匠も「もうこいつ危ないんじゃないか」って心の中で思いますよね。
思っても「もうやめなさい」とか「もう危険だから」とか言えない。
師匠がその時どういうふうな事を言ったかっていうと「どうや体調は?」。
そこで「もう大変です」って言うと心配かけるので「はいぼちぼちです」って言ったんです。
「そうか。
しっかりやりや」って言って「ありがとうございました」って言ってご挨拶をしてそれで着替えをする部屋に戻ってきた瞬間には全身…うお〜っとあふれる涙が出てくる。
でもその涙っていうのは…「ごめんね」って言って。
俺がこんな激しい行厳しい行をするっていうからだからこんなに負担かけてごめんねって。
ごめんねって自分で自分の体に謝ってる。
塩沼は千日の間毎日欠かさず日記をしたためていた。
「腹痛たまらん。
体節々痛くたまらん。
道路に倒れ木に寄りかかり涙と汗と鼻水垂れ流し」。
「でも人前ではきぜんと」。
「俺は人に夢と希望を与える仕事。
人の同情を買うような行者では行者失格だと言い聞かせやっと帰ってきた。
何で48キロ歩けたんだろう」。
次の日…朝パッと目が覚めると1時間寝坊してたんです。
1時間寝坊するっていう事はもう大変な事で。
それでもうパッと目が覚めた瞬間に「あっ山に行かないと」と思って体こうやって起こそうと思うんですけど起き上がらないんです。
それをもう這うようにして滝に行って滝で打たれて身を清めてそれで階段500段まで上ってきた辺りから…2キロぐらい行って気付いたのは持っているべき杖も持っていない提灯持ってない編み笠持ってない。
という事で両手にたくさんのお水持ってたんです。
無意識のうちにペットボトルに入ったお水。
だんだん暗くなってくるんで提灯もないからとうとう4キロ行った所でつまずいて…でも痛いとかつらいとか苦しいとかそういう感情全くないんですね。
それで目をつぶったら…あれ本当ですね。
幼い頃からの記憶が全部見せられるんですね。
ああ小さい頃こうやったな。
母ちゃんとばあちゃんと手をつないでね散歩に行ったなとかごはん食べるのも大変な時にみんなおいしいもの持ってきてくれてその時のコロッケの味とかメンチカツの味とかが思い出してくるんです。
そしてどこで終わるかというと出家する朝。
19歳のちょうど5月の6日の朝。
母がですねごはんを食べ終わると…背中を押してくれて。
その砂をかむような苦しみというそういう言葉が耳に聞こえてきてそれで私はハッとなって…ここで朝を迎えれば短刀で腹を切るしでも死に対しての怖さって全くない。
そしたらもうこんな事してられないって逆にね。
それで前に向かって歩いて歩いて次走ってそしたらちょうど到着が山頂が8時半。
いつもと変わらない時間だったんです。
8月の中ぐらいですから山も暖かいですけれども頭のてっぺんから足の爪先まで全部この指からも湯気が出てたんですね。
その年の修行を終えたんですけどね。
塩沼亮潤は1968年仙台市内に生まれた。
父は家庭を顧みず後に離婚。
母と祖母の手で育てられる。
暮らしは貧しかったが明るい母と祖母親切な近所の人々に見守られて育った。
小学生の時たまたま見たテレビ番組が塩沼の人生を変えた。
比叡山で千日回峰行に挑む酒井雄哉氏の姿を追ったドキュメンタリー。
40歳を過ぎて出家し厳しい行に打ち込む姿に一瞬で引き付けられたという。
こんな行者になりたい。
そして人を救う仕事がしたい。
高校を卒業後塩沼は迷わず修行僧となった。
角幡さんは何か…僕の場合は…2回は雪崩なんですけど。
雪崩。
ええ。
それは北極で?それは日本ですね。
日本の国内で冬山登ってて湿雪雪崩っていって春先の湿った雪が上からバ〜ッて落ちてきたんですね。
そしたら一気に苦しくなっちゃって酸素が多分なくなって叫んだら駄目だっていうのに気付いて…。
叫ぶのやめてあともうやる事ないんですよね。
重くてですね雪が。
動けないんで…だんだん息苦しくなってきたなとかあと何分で俺は死ぬんだ。
こんなとこで死ぬのかとかっていろいろ…。
その時やっぱり真っ暗ですか?真っ暗だったと思いますね。
光入んないですから。
…でやっぱりお母さんごめんなさいとかそういう事を思うんですけど当時僕新聞記者をしててですね……で10分ぐらい埋まってたらしいんですけどたまたま隣にいたやつが完全には埋まってなかったみたいで自分で…雪崩が収まったあとに自分で這い出してスコップを奇跡的に見つけてそれで掘り返してくれて助かったんですけど…。
やっぱり死そのものだと思うんですね。
死によって規定されてるような死が満ち満ちている世界というイメージなんですね。
だけどそこに飛び込むというかその中に入り込んで…生の輪郭がこう何となく…まあ生きてるなっていう事なんですけれどもそういうのを求めて…結局のところそういうのを求めてやってるんだと思うんですよ。
冒険家とか登山家とかっていうのは。
それってあの〜塩沼さんがやってらしたようなその行。
そういうのとその冒険行為っていうのは結構重なってるのかなって…。
なぜに私たちは修行するかっていうとまあ恐らくね例えばこっち側が三度三度のごはんがあって屋根があってお風呂がある。
全て満たされているっていう環境だとしますでしょ。
自分自身が…これを使うとここにいる。
ちょっとわがままになったり気ままになったりすると思うんです。
でも例えばこの修行って厳しいですよね。
厳しいので厳しい厳しい厳しいって厳しい方向に行き過ぎると簡単に命を落としてしまうんですよ。
ポロッと。
そうですね。
私はいつもここにね日常満たされている生活の中で見えない感じ取れないものがあるんだと。
そのために山に入って自分自身を厳しい環境に置くと。
置いた時に初めてここに来ると…いつも言うんですね。
ここにいたんではものすごい高性能の望遠鏡とか双眼鏡使っても絶対見えない。
それをまた行というのはある一定の期間がありますのでその期間が終わったら里に戻ってくる。
ずっと山いたら仙人になってしまいますから。
…でまた里に下りてきてそして自分の環境とかそういう人間関係の中で自分がそれを実践していく。
内面から今度得たものを具現化していく。
言葉は難しいけども内面から優しさとか慈悲とかっていうふうなものを里において表現していくのがお坊さんとかそういう宗教者の役目なんじゃないかなって思うんですよね。
なるほど。
そっか〜。
僕は全然そこまで限界まで到達してないって事ですね。
そんな事ない。
優しさと慈愛がないって言われ続けてるんで…。
そうなの?ハハハハ…。
でも何かすごいいい雰囲気だよ。
いや〜テレビ用ですね。
テレビ用?
(笑い声)大峯千日回峰行を終えた翌年塩沼は四無行に挑んだ。
9日間にわたって断食断水不眠不臥。
すなわち飲まず食べず寝ず横にならずを続ける危険な行だ。
3日目に入ると塩沼の体から死臭が漂い始めたという。
体が衰弱するのと反比例して五感は異様に研ぎ澄まされていく。
線香の灰の落ちる音がはっきりと聞こえ扉を開けただけで誰が来たのかにおいで分かったという。
5日目からはうがいが許される。
水の入ったおわんと空のおわんが渡された。
うがいをしてわんに戻した水の量が元の量と同じでなければその時点で行は失敗と見なされる。
うがいが許された晩に塩沼が書いた1文字。
5日ぶりに水を口に入れた時の感覚は生涯忘れられないという。
9日目塩沼はついに四無行を達成。
「ふだん私たちはいかに幸せでしょう。
ごはんも食べる事ができない人たちが世界にどれほどいるでしょう。
その苦しみ痛みから見れば私の苦しみなんて」。
僕がやっぱり求めてるのは…何て言うんですかね。
自分がこの世に生まれてまあ死ぬ訳じゃないですか。
ええ。
その間の…こう…山に行ったり極地に行ったりするっていうのは。
それを生きてる経験でっていうのはやっぱり…だからその死を取り込む…自分の生の中に死を取り込むっていう行動が自分には必要になってしまってるような気がするんですよね。
それってある意味…何て言うんですかね。
お話聞いてると…。
うんやっぱりね…それはやっぱり無理な事であって…。
でもさこういう事思った事ない?例えば私たちは時折厳しい環境に身を置いて大自然の中に挑んでいきますよね。
でも実際は毎日小さな船で…我々が修行しました探検しましたっていうより何かそういうおじいちゃんおばあちゃん見ると体からすごいこう…オーラって言っていいのかな。
何かこう雰囲気が漂ってて…それは非常によく分かる話で冒険行って自然を感じるっていうのは結局のところ例えば今おっしゃったような漁師さんだとか農家の人でもいいですけど…冒険に出て1か月どっか行きましたとか2か月どっか厳しい場所を歩きましたって言っても人為的に僕…そこで終わり。
永久には続かない訳ですね。
だけど例えば漁師さんだとか農家の方…そういう生活が本当に生きる活動であって…やっぱり…そこを手を抜いてたら「何だ俺たちの方がもっと命懸けで毎日生きてっど」なんて田舎のじいちゃんばあちゃんなんかに言われそうなんで。
後半は舞台をスイッチ。
人はなぜ探検に向かうのか。
角幡唯介が初めて出したエッセー集「探検家、36歳の憂鬱」にはこんな心情がつづられている。
北極を探検する自分も皇居の周りを走る若い女性ランナーも結局求めているものは身体性の回復という点で同じだと角幡は言う。
翌朝角幡と塩沼は原生林に場所を移して再び語り合った。
昨日角幡さんにお会いしてから初めて1晩で本1冊読みました。
ありがとうございます。
うれしいです。
なぜ冒険…早稲田大学時代に冒険家になろうっていうかそちらの方にいったのかなと思ってねもうちょっと深く聞きたいなと思って。
ちょっと話が長くなるかもしれないんですけど…北海道でしたね?そうです。
北海道でスーパーマーケットをやってまして…別に「後継げ」とかっていう事は明確には言われなかったんですけど何となくそういう雰囲気みたいなのを感じてて…避けたい気持ちがあってとりあえず大学は東京に行きたい…。
でもそのころって体は丈夫だったの?いや大した丈夫じゃないです。
今も丈夫ではないです。
あそう。
体はもともと虚弱体質とまではいかないですけど…今も風邪ひきやすいんですけど病気にもかかりやすいし…。
何か鉄人のようなイメージばかりが。
コンニャクみたいな感じですね。
コンニャク?ハハハハ。
全然鉄人じゃないです。
体も弱いしけがも多かったし。
よく学校を休む子どもっているじゃないですか。
体が弱くて。
そういう体の弱さみたいなのってコンプレックスになるじゃないですか。
ああそうか。
なると思うんですよ僕は。
で中学生の時も体の成長が遅くて。
ああそう。
成長が遅いっていうのは例えば身長とか体重?どのぐらいだったの?中3ですね。
中3で。
へえ〜。
卑屈?
(笑い声)卑屈なガキでした。
ああでも子どもだからね。
そういう気持ちがあるかもしれない。
大学の構内でたまたま見かけた一枚のビラが角幡の人生を変えた。
そこにはこう書かれていた。
「世界の可能性を拓け!」。
迷わず探検部の門をたたいた角幡。
国内外を旅するうちまだ誰も足を踏み入れた事のない未知の場所を探し求めるようになる。
チベットのある場所が若き角幡の心を捉えた。
世界最大の峡谷ツアンポー峡谷である。
すごい興味が湧いたんですけど。
全然誰も行った事がない地域だったんですか?その地域は。
ちゃんとした地図なんかも出来上がってなかったんですか?そうですねその時代は。
そこに行ってみたいっていう気持ちが…チベットの奥地に位置するツアンポー峡谷。
19世紀から謎の峡谷として探検家たちの関心を集めてきた。
あまりにしゅん険なため21世紀になっても誰も踏破した事のない空白地帯が5マイルおよそ8キロ分残されていた。
角幡は2009年たった一人でこの空白地帯の踏破を目指した。
その体験をつづった「空白の五マイル」。
大岩壁に阻まれ深い谷底で獣道さえ見失い食料も尽きかけた。
24日間の彷徨。
最後の10日間はまさに生死の境に立たされた。
でもそのつらい事苦しい事も楽しさと思えるからこそ生きるっていう事がありますよね。
ああそう。
楽しめなかった?後悔とかはしないですよ。
やんなきゃよかったってのは思った事ないですけど楽しいと…「楽しいな〜この探検楽しいな」と思った事は多分ないです。
でジワジワジワジワ追い詰められてって体も衰弱してって…そういう時に…僕今まで死ぬ時っていうのは壮絶な総括みたいな最後の…。
総括?自分の人生ってこれこれこういう事だったんだというふうに納得して…納得する瞬間が来るのかなって漠然と思い描いてたんですよ。
思い描いてたような気がするんです。
今考えたら。
死ぬ瞬間というのはそういう偉大な瞬間っていうのは訪れないんだなというのが分かったんですよね。
それを体験した事によって…その辺にあるどうって事のないものというかありんこ踏み潰してありんこが死んじゃって「おお〜」って嘆く人がいないのと同じように自分の死もその程度のものなのかなとかってちょっと思ったんですよね。
その時に?ええ。
だから何て言うんですかね…ただだからといって別に自分が死ぬ事を受け入れてる訳じゃないんですよ。
全然そういう事はないんですけど何かそういう考え方が変わったというか…。
もう一つ僕聞きたい事があって…死ぬのはね全く…ただ生きられるうち精一杯生きようという気持ちですね。
もう自分の力を十二分に発揮してこの世で終わりたいなって思うんです。
ああそう!ええ怖いです。
特に最近…そうか!そうだよね。
子どもの人生を長く見届けたいもんね。
今までそんなに僕死にそうに…さっきみたいに雪崩で死にそうになったとかあと滑落で奇跡的に途中で止まって死ななかった事とかあったんですけどそういう目に遭っても何か…うん。
死ぬ時ってこんな感じなんだとかっていうのはあったんですけど死んだらどうなるのかという事に対してのリアリティーが多分なくてそれが子どもが出来た時にこの子と一緒にいれなくなるんだっていうところにそれが妙に怖くなって…。
ああそう。
ええ。
すごく日常は楽しいんですよ。
楽しいし充足感みたいなのもあるんですがでもそれに何て言うんですかね…それは何で怖いかっていうとその…何となく満足のできる充足した日常を過ごす事によって自分の生のかたちみたいなのが曖昧になっていくような怖さがあるんですよ。
うんなるほど。
かちっとしたものをその場に行ったらつかみ取れるような気がするというか…。
だから今でも非常に厳しい北極の場所に行って自分の体…寒さとか風とかに自分をたたかれて何か生きてるかたちみたいのを感じたいというような気持ちがやっぱり非常に強いですね。
角幡は再び北極を目指そうとしている。
しかも今度は冬の単独行。
最も厳しい本当の北極を生身で感じたいという。
冒険家とかっていうとどうしてもどんどんどんどん…どんどんどんどんハードルが高くなっていって…行きますよね。
冒険家が僕は登山家とか冒険家が…これって…自分自身の中の想像力が広がるという事ですか?そうですね。
何かを体験する事によって経験するじゃないですか。
一つの経験をすると自分の想像力を持てる範囲が広がっていってその想像力の範囲内ならできるって自分の中で自信というか確信が持てる。
またその過去よりももうちょっと先の経験をすると「あっここまで行けるんだ。
じゃあここも行けるな」というどんどんどんどん想像できる範囲が広がっていって自分の世界が広がっていくような感覚というか…あると思うんですよね。
だけど…想像力が広がっていくからできるできるってなって体力が落ちていってここの差が大きくなった時に死ぬんだと思うんですよ。
塩沼は自らの経験の意味について全く違う捉え方をしていた。
探検とか修行とかっていうのもどこか共通するものがあると思うんですけどね面白い話でうちの師匠が今の皇太子さまが私の修行していたお寺に来た時に…うちの師匠に尋ねられたんです。
そしたら…そうおっしゃった事が非常に心に残っていて…。
そこをあまり自分自身はクローズアップしないで自分の勉強のための期間なんだって心の中にしまってですねその中で体験の中で得たものを自分自身が後々人々のために表現していく自分の体を通して背中を見せて…そういう事が尊いんだよと師匠が教えてくれた気がしてですね。
そういう事を教えてくれましたね。
なるほど。
命のリレーというのは例えばここにもたくさんの木々がありますけれども…倒れて命がなくなっても…やがてその木もまた倒れてっていうこの命のリレー。
死というものが100としたら99のうち1ぐらい。
あと99は…なるほど。
はい。
…でやがていつか自分の体が朽ち果ててあの世に帰るただそれだけ。
来年また北極に挑戦されるという事で。
ええ。
是非また生きて。
そうですね。
元気に帰ってきて下さい。
挑戦という気はないんですけど…共存ですね。
またお会いさせて頂きまして今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
角幡は北極への単独行の準備を既に始めている。
冬の北極は昼間でも太陽が一切昇らない極夜が続く。
闇の中GPSも持たず星だけを頼りにソリを引く。
その距離1,200キロ。
かつてなく厳しい旅になるはずだ。
塩沼は海外からの招きに応じ海を渡って法話を行うようになった。
海外の人々は親しみを込めて塩沼をマラソン・モンクと呼ぶ。
千日回峰行を通してつかんだものを人々に伝えていく事がこれからの自分の仕事だと考えている。
探検家と僧侶。
2人の旅はまだまだ終わらない。
2014/12/06(土) 22:00〜23:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「角幡唯介×塩沼亮潤」[字]

地球最後の未踏地帯を単独踏破した探検家・角幡唯介と、千日回峰行という命がけの荒行を達成した僧侶・塩沼亮潤。極限状態を経験してきた2人による生と死をめぐる対話。

詳細情報
番組内容
チベット奥地の峡谷で食糧が尽き野たれ死にしそうになったり、雪崩で生き埋めになったり、幾度も死に直面しながら探検を続けてきた角幡は、千日の間1日も休まず48kmの山道を往復する千日回峰行、9日間飲まず食わず眠らずを貫く四無行などを達成してきた大阿闍梨のもとへ向かう。「過去の人生の映像が見える」臨死体験などをへて塩沼がたどり着いた境地とは?探検家と修行僧が、自然と己と対峙しながら見つめた「命の姿」とは
出演者
【出演】探検家…角幡唯介,僧侶…塩沼亮潤,【語り】吉田羊,六角精児

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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