ご機嫌いかがですか?「NHK短歌」司会の濱中博久です。
第三週の選者永田和宏さんです。
今日もよろしくお願い致します。
これはまた歌を詠まれる河野さんの情景でございますか?頬かむりですか?そうですね。
部屋を暖かくしたら歌が出来ないとか言って2階から下りてくると寒い部屋で頬かむりして台所のテーブルに座って歌書いてた。
「一体何者だこいつは」っていうそんな感じですね。
あまりねそんな現場を見られたくないんだと思うんですけどね。
振り返って「見たな〜」って言われませんでした?怖いですね。
さて永田さんの近況でございますが最近まとめていらした本が形になりました。
こちらでございます。
ありがとうございます。
「現代秀歌」これはまさに今の現代の歌ですね。
去年実はね「近代秀歌」というのを出しましてねその続編姉妹編になるんですけど現代我々は歌をみんな作ってるんだけど作るだけで終わっちゃったら駄目で今のいい歌を次の100年に残したいという気持ちがとてもあってそれもすごく大切な仕事だと思って今回わりと集中して書いたんですよ。
是非お読み頂いてこの中の一首でも二首でもいいから覚えて頂ければなとそんな気がしますね。
まさに今の同時代の歌という事ですね。
さて今日の「NHK短歌」にお迎えしたゲストをご紹介致しましょう。
ノンフィクション作家の梯久美子さんでございます。
ようこそお越し下さいました。
よろしくお願いします。
梯さんは代表作「散るぞ悲しき硫黄島総指揮官・栗林忠通」が2006年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
現在は同賞の選考委員でいらっしゃいます。
さて梯さんは短歌はよくお読みになるんだそうですね。
若い頃から好きだったんですけれども戦時中の事ですとか昭和史について調べるようになりましてから有名無名さまざまな方たちの日記ですとか手紙ですとか読む機会があるんですけれどもその中に非常にたくさん短歌が出てくるんですね。
文芸作品としての読み方プラス歴史の証言といいますかそういった読み方もできるんだなという事が分かるようになってきました。
資料としてお読みになる中にも歌がたくさん登場してくるという事ですね。
永田さんは梯さんとは?梯さんの今の代表作で「遺書」とか「ラブレター」とか「100年の手紙」とか勝手に手紙三部作と言ってるんですけど新書がありまして読ませて頂いてとても面白い。
それと共にご自身でも歌を作っていらっしゃって私の著書の紹介なんかもして頂いてるんですね。
梯さんご登場頂くゲストには短歌についてのイメージを短い言葉にして頂いておりますが梯さんはどんな言葉になりましょうか?時空を超えるという事でしょうか後ほど詳しくお聞かせ頂きます。
どうぞよろしくお願い致します。
さあそれでは今週の入選歌のご案内です。
題が「書く」または自由でございました。
永田和宏選入選九首です。
一首目。
面白い。
そうか私は燃えないゴミかと思いましたけど。
書き損じたあるいはどうしても書けなかった手紙を燃えるゴミにして出して燃えないゴミの私は今日これから新しい気持ちでその気持ちを振り捨てて生きていきますという歌ですけどね。
「燃えないゴミ」がインパクト強いですね。
「燃えるゴミ」でしょ?我々も。
まあそれも悲しいですね。
さあそれでは二首目にまいりましょう。
これは自由題で頂きました。
これまあ面白い歌ですね。
夫婦喧嘩してその夜はどっちもごめんなさいって言えなかった。
明くる日会社に行って弁当のふたを開けたら「ごめんなさい」って書いてあった。
でも弁当作ってもらえるだけいいよな〜これ。
普通弁当作ってくれませんよ。
あんまりお怒りであればね。
これは先に謝った方が勝ちでこれは奥さんの方が一枚も二枚もうわてですよね。
喧嘩は先に謝った方が勝ちですよ。
大体どうやったら喧嘩ってなくなりますかね?うやむやにしてますけど。
風邪が治るみたいなもんか。
そうかもしれませんね。
では次三首目にまいりましょう。
梯さんいかがでしょうか?これは好きな歌なんですけど一緒に行って一緒に怒って差し上げたいような感じがするんですけれども何となくユーモアみたいなのも感じられてきっとこの事を歌にしようと思った時にちょっと距離を持って自分の怒りを見られるようになってそれでユーモラスな感じになったんじゃないかなと思いました。
新築だしね汚すだけでもけしからんのにまして誤字…なんていう事だと!ほんとにけしからんですね。
引っ張り出して教えたい感じですね。
さあそれでは次四首目にまいりましょう。
これも梯さんに伺いましょう。
これもとてもいい歌ですね。
私はこの情景も浮かびますけれど「ゆつくり記す」というところがこのご夫婦で経てきた歳月の重みとか豊かさとかそういうものをかみしめながら書かれてるんだなという感じがとてもよく伝わってきますね。
もう最後に書くという。
そういう事でゆっくり味わいながらというか偲びながら書くという感じですね。
いい歌ですね。
では次五首目これも自由題で頂戴しました。
こういう時の歌って大体人事の歌が多くなるんですけどこういう叙景歌というのもとても大切だと思っていてできるだけ採りたいと思ってこれも気持ちのいい歌ですね。
すごくやかましく鳴いていた蝉がある時ふっと止めたと。
それと入れ替わるようにして夕立がダ〜ッと降ってきて木々の葉を打つと。
これも降り続いている雨だと木々の葉を打つという感じがしないんだけど降り始めた時が木々の葉を打つとそれがねとてもよく利いている。
いい歌だと思いますね。
では次が六首目です。
これはね〜。
笑っちゃいますね。
何かの拍子にあなた美人じゃないけどとても性格がいいよとかとても好きだよって書いたんです。
褒めたんですよ。
「ないが」の後に随分褒めた。
だけど奥さんは「美人ではないが」というところだけにこだわって折あるごとに「あんたそう書いたでしょ」と言うんです。
女性の立場でどうですか?やっぱりそういうところの方が覚えておいてしまうものなんですよね。
でもこれ多分大事にとってあるはずだと思うのでやっぱり愛があるっていう事だと思いますけれども。
そこをネタにして今でもその時のラブレターを思い出してるんですよね。
一番いい時の事を…いつも立ち返っていける。
それをつっこみどころとしてとっておいて今もいい関係にあるという事で。
やっぱり「美人ではないが」と言ったら駄目なんですよ。
女性はいつまでも忘れませんよね。
という事でございます。
では次は七首目。
これは今現代の風景をよく表しているでしょうね。
長い手紙をなかなか最初から書くのは億劫になってきて直したり何かするのでまずパソコンで打ってでもやっぱりパソコンの手紙を出すのは失礼だっていうのでもう一度自分で書くと。
そこがとても現代の世相を映して移り変わっていく手紙の感じがよく出てますね。
いいと思います。
それでは八首目にまいりましょう。
梯さんいかがでしょう?これはあっなるほどと思ったんですけれども書くという行為は紙とかパソコンとかだけではなくてこうして人間の体にも何かが書かれる事がある。
しかもショッキングですよね。
「ばってんを」って。
強い言葉が最初に来てますけれどそこでドキッとしてバツの形が目に浮かんで怖いような感じのする歌だなと思いました。
手術される時ってそれだけでも非常にナイーブになっているのにバツと書かれている。
ここからメスが入るんだという怯えがよく出ている歌ですよね。
最初の「ばってん」のバツと最後の「バツ」この2つがとてもよく利いていますね。
ではおしまい九首目です。
これはもろ私と同世代の人だと思いますけどね昔の大学にあった立て看板「立て看」と言ってましたけど必ずこの主義の略字が書いてありましたね。
こう書くのが進歩的な知識人というそういう自負とかあってそういう時代の事をよく覚えていてその字を出したのが成功ですしガリ版っていうのは若い人には全然分からなくなってるけど大変だったんでしょうねガリ版切るのはね。
鉄筆でね。
そうですね。
そういう時代の雰囲気がよく出ている。
それを今になって何十年かたって思い出しているというのがよく出ている歌だと思います。
以上入選九首でした。
それではこの中から永田さんが選ばれた特選三首の発表です。
まず三席です。
小永井節夫さんを選びました。
面白いですよね。
続いて二席の発表です。
新井由利子さんを選びました。
ではいよいよ一席の発表です。
青木良子さんです。
さっき梯さんも批評されましたが私も言ったとおりなんですが死亡届に妻という字を書く。
妻という字を書くのはもうこれが最後だと思いながら書くわけですよね。
妻というのは夫という存在があって初めて妻という存在があるんだけど…。
関係性ですね。
夫というものが亡くなると妻という自分の立場関係がなくなっちゃう。
自分は自分として生きてるんだけど妻という関係性立場がなくなるという事はどこか自分の存在が危うくなるような感じがする。
そこがとてもよく出ているそういう歌ですね。
悲しいけどいい歌だと思いますね。
以上今週の特選でした。
今日ご紹介しました入選歌とその他の佳作の作品はこちら「NHK短歌」テキストにも掲載されます。
是非テキストもご覧下さい。
それでは「うた人のことば」です。
「水行」というのは水の上を移動する事で僕の生まれ故郷の瀬戸内海をイメージして作った歌なんですけど古代から瀬戸内海は船でたくさんの人々が行き来したにもかかわらず海そのものは非常に平らな静かな光をたたえているわけですね。
そこに目に見えない人間の歴史の跡が見えると。
そういうつもりで作った歌です。
白さぎを見ていてそれが飛んで見えなくなったあと何も見えなくなった空にそこを過ぎ去っていった一羽の白さぎの体温を感じ取って作った歌ですね。
空を飛ぶ生き物も体温を持っていると。
寒い空を鳥というものは飛びながら生きているんだと。
では続いて「入選への道」のコーナーです。
お寄せ頂くたくさんのご投稿歌の中から永田さん一首取り上げて手を入れられます。
皆さんも参考にして頂きましょう。
どんな歌でしょうか?「卒アル」って何だと思うけど卒業アルバムなんですが卒業アルバムにみんなにサインをしてもらうわけですね。
その時に一番書いてほしかった人の字がない。
「意気地なし!」は書いてくれなかった相手に対して何で書いてくれないの?意気地なしって言ってるのと…。
相手をなじっているのと…。
相手に書いて下さいって言えなかった自分になんて意気地なしと言ってるのと両方とれると思うんですね。
書いて下さいと言いたかったのに言えなかった。
こんなふうに直します。
まず一つは…。
「卒アル」はいくら何でもまずいだろう。
こういう一つのメッセージは「卒アル」のような略字というか省略形をできるだけ歌では使わない。
「卒業アルバム」と言いたい。
最初に括弧があったと思うんですが話し言葉でどうしても括弧入れたくなるんだけどできるだけ括弧のようなものは取った方が歌としては良くなるのでそこを取りました。
こういうふうにしました。
気分がよく分かる歌ですよね。
どうぞ皆さんも歌作りの参考になさって下さい。
それでは投稿のご案内を致しましょう。
では選者のお話です。
永田さんの「時の断面あの日、あの時、あの一首」今日は「労働の日々」の2回目となりまして出勤退社の歌です。
通勤の歌なんですけどこの歌読みますとね「通勤の心かろがろ傷つかぬ」ここまで読むとですね自分の心は傷つかないような感じなんだけど実は「傷つかぬ」は「合成皮革の鞄」に係っていて鞄はいくら擦れ合っても合成皮革だから傷つかない。
ところがそれに比べて私の心はちょっとした事で人との軋轢で傷ついてる。
そういうある種ズタズタに傷ついた心をまた今日も職場に行かなきゃならないんだというそのズタズタになった心を傷つかない鞄に詰めて通勤するというところに非常にアイロニカルな自分の見つめ方がある。
松村さんは新聞社に勤めていた女性なんですけれども勤めながら自分の心をいつも傷つきながらも傷つかないところに収めながら動いているようなそういう雰囲気気持ちがよく出ている歌だと思いますね。
多くの働く女性がこういう気持ちを持って日々朝の通勤をしているのかと思わせるような歌で普遍性のある歌ですよね。
今日の選者のお話でございました。
さあそれではゲストにお迎えしている梯さんにもいろいろお話を伺ってまいりましょう。
まずは先ほどのキーワードでございますね。
短歌についてのイメージはこんな短い言葉になりました。
さあどういう時間の流れなんでしょうか?非常に短い31の音の中に感情を注ぎ込むという事を1,000年以上ずっとやってきたわけですよね。
日本人は。
ですからその1,000年前の人たちの今というのと現在の私たちの今というのがふっとつながる時があるような気がするんです。
なぜか短歌だとよく分かってしまう。
私の仕事に引き寄せて言いますと例えばつい近い過去の戦時中の兵士の気持ちなんかはちょっと近い過去であるにもかかわらず遠い過去よりもむしろ分かりにくいんじゃないかと思う時があるんですね。
実感としては。
それだけ戦争から遠くなったといえばいい面もあるのかもしれないんですけれども彼らが残した歌を読めばそれは別に名歌でもなく有名でもないんですけれどもフッてその感情に近づく事ができるという経験をしてきましたので遠い過去近い過去一瞬にしてそれを乗り越えられるタイムトンネルみたいだなと思いました。
タイムトンネルってよく分かりますね。
だって1,000年前でしょ?でもやっぱり今の我々と同じような感じで恋を歌ったりなんかしている。
とても不思議な科学文明は進化するけど感情は進化しないんだなと思いますけれどね。
梯さんはいろんな遺書も集めておられるし遺書についての本もあるけどみんな自分が死のうという時に歌を作る。
辞世の歌と言いますけどあれは何なんでしょうね?今まで歌などほとんど詠んだ事もないような…。
我々歌人は歌で一番気持ちを表せると思ってるけど一般の人が詠むんでしょ?詠むんですね。
例えば特攻に行った兵隊さん若い方なんかも歌を詠んでるんですよね。
それはなぜだろうと私もずっと考えてたんですけれどもあの死が個人の死というふうに考えるとあまりにもつらいですよね。
…というのは?歴史の中の死を死にたいみたいな気持ちが若い人にあったんじゃないかと思うんです。
歴史の中で意味があると思いたいと。
そうするとその時に長い歴史を持つ短歌の形といいますか器の中にその時の気持ちを吐き出すと。
それはオリジナリティーがなくてもいいんじゃないかと私は思っておりまして…。
個人として死ぬにはあまりにも自分がかわいそうだと。
だけどどっか公の歌で今おっしゃった歴史の中の一つの死であるという事を自分で認めたい。
そのためにある種公の詩型である歌を作るというそんな感じですかね。
長くずっと数え切れない人たちが詠んできた歴史がありますからその歴史の最後のところに自分も連なるといいますかそういう意識を持てるものが短歌だったんじゃないかというふうに思うんですね。
歌の善しあし文学的にいい悪いはあまり関係ないという感じかな。
つい文学的な芸術的な価値だけを捉えてしまいがちですけれどもそうではないものも確実に短歌というものにはあって何か歴史に参加するではないですけれども何とも言えない思いをとりあえず器の中に盛り込んでみる事でちょっと何かこう安心するといいますかそういう事があったのではないかなと思いますね。
それはとても面白いですね。
よく分かります。
今おっしゃったのはちょっと文脈違うけど僕もね歌っていうのはいい歌を作りたい。
文学的に優れた歌を作りたいとみんな思って作ってるわけなんだけど歌が一番幸せなのは日常生活の中に歌が思い出される瞬間というのがすごい幸せだと思うんですよ。
歩いていて例えばイチョウが葉っぱを散らしていて与謝野晶子の「銀杏散るなり夕日の丘に」がスラッと思い浮かぶ。
こういう瞬間って歌が一番幸せなんじゃないかと思います。
自然とか人を見る時に歌がちょっと思い浮かぶとそれだけ何か豊かになって自分の目と人の目があって共通するものと違うものがあって何か同じ時間でも重層的に生きられるような感じがします。
ただ毎日過ぎていく風景よりも自分がいつか一首思い出す事で風景が違ったふうに見えてくるという感じかな?私は永田先生にお会いしたら聞きたいと思ってたんですが歌というのは長く残りますよね?でもその歌を作る時歌う時は誰に向かって歌いかけるのかとかそういう後世の人の事とか意識してお作りになるのかななんていう事を思うんですけれど。
それは僕も聞きたいんだけどまず僕から言うとね歌ってあまり一般の人とか誰も思い浮かべないで作ってると分かってもらえないんじゃないかと思ってどうしても説明したくなっちゃうんです。
これは梯さんなんかと全然違う。
梯さんの場合ノンフィクションだと自分の考えてる事はきちんと文章にする。
それは考えられますよね。
歌って自分の一番言いたいところはあえて言わない。
これはぐっとこらえるという。
それはあなたが感じて下さいとそういうあれなんです。
そこがちょっと違いますよね。
言いたい事を言うためにいっぱい事実とか集めてきて言葉を尽くしてその結論まで行き着くというのがノンフィクションにはあるかもしれないですね。
そこはね散文を書くのと歌を作るのとは随分違って我々相手任せという感じですね。
相手に感じて下さいよというそんな感じですね。
一番言わなきゃいけないところは空洞にしておくようなそんなイメージがあるわけなんですね。
「それを言っちゃおしめぇよ」という寅さんふうな感じね。
今日はノンフィクション作家の梯久美子さんをお迎えして興味深いお話いろいろ伺いました。
どうもありがとうございました。
永田さん来月もどうぞよろしくお願い致します。
「NHK短歌」時間でございます。
ごきげんよう。
2014/11/18(火) 15:00〜15:25
NHKEテレ1大阪
NHK短歌 題「書く」[字]
選者は永田和宏さん。ゲストはノンフィクション作家の梯久美子さん。短歌はタイムトンネルという梯さん。昔の人々の心を知ることが出来る貴重なメディアだという。濱中博久
詳細情報
番組内容
選者は永田和宏さん。ゲストはノンフィクション作家の梯久美子さん。短歌はタイムトンネルという梯さん。昔の人々の心を知ることができる貴重なメディアだという。【司会】濱中博久アナウンサー
出演者
【出演】梯久美子,永田和宏,【司会】濱中博久
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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