カタンカタカタンギィカタンギィー…。
お化けもののけ怪しい気配。
人知を超えた摩訶不思議。
(雷鳴)「見えないもの」は「怖い」。
カランコロン…。
クリンクラーン…。
「怖い」ものは「見てみたい」。
「恐怖」をテーマに22年間観客を魅了し続けてきた伝説の舞台がある。
たった一人の朗読劇だが痛快無比。
見えないはずの登場人物が踊りだす。
白石加代子の「百物語」がいよいよ最終公演を迎える。
22年間の集大成である。
それ!人間の目には羽衣を着た…鶴に見える!ここに獅子がいる。
お祭礼だと思って騒げ!「見えないものが見えてくる」。
心ざわめく瞬間に立ち会って頂きたい。
白石加代子72歳。
ふだんの穏やかで飾らない人柄から舞台での爆発は想像できない。
夫の深尾は白石のマネ−ジメントを取りしきる。
当人以上に白石のコンディションが分かっている。
早稲田小劇場で出会った二人は今も二人三脚で演劇に精魂を傾けている。
死ね!死ね死ね死ね死ね南無阿弥陀仏!死ね死ね!死ね死ね!死ね!死ね!死ね!さあ…お抱きなさい。
私の体を。
如法暗夜の墓の船。
いつかいつですか。
ゆうべか今夜か前世でしょうか。
現場で会うとほんとにこれうそ偽りなくもう泣いちゃうぐらい。
ああ加代ちゃんみたいな。
ふとほんとの自分が出てほんとに向き合える人。
変身…ウフフッ。
パワー。
お色気。
フフフフッ。
いろいろある。
まずあのダイナミズム。
他の人にはできないわね。
胸がすく。
フフフフッ。
演出家蜷川幸雄は白石を「日本的な技術を武器に世界の共演者をあっと言わせる女優」とたたえる。
私が今感じているのは歓喜!そう!大いなる歓喜!どうすれば心の中って見えるのかしらねえ。
しゃべればしゃべるほどなんか全部その場で消えてってうそになっちゃうようなそんな気持ちがするから。
でもお客様の前に舞台に立ってる時っていうのはどう言えばいいんですか…正直です。
正直で一途です。
だから舞台にいる姿を見て頂くのが一番分かりやすいかなとは思いますけど。
「百物語」の稽古が始まる。
今回の舞台のシンボル獅子頭が初日から稽古場中央に鎮座する。
ああすごい。
(一同)おはようございます!「百物語」は白石が22年間続けてきた文字どおりのライフワークだ。
こちらです。
柱の陰にすいません。
おはようございます。
お久しぶりです。
兄弟があそこにいます。
誰誰?先生のご親戚?アハハッ。
できれば血管なんて描きたいんだよ。
血走ってるっていうのあるじゃない。
演出家の鴨下信一は「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」など人気ドラマを手がけたテレビ界の大御所。
題材選びもほとんどが鴨下の選択眼だ。
「取ってさしあげようと存じまして花を…」。
「百物語」最後の作品は泉鏡花の「天守物語」。
稽古はいきなり熱を帯びる。
白石は「天守物語」でなんと一人で17の役を読み分ける。
「私の命をあげましょう。
あなたお帰りなさいますな」。
「殿に金鉄の我が心も波打つばかり悩乱をいたします。
が…」。
「御意にござります」。
「これは…」。
「岩代国会津郡十文字ヶ原の辺りにまかりある」。
「うれしいそこだ。
御家老が肩衣をはねましたよ。
大勢が抜き連れた。
あれ危ない。
えらい!図書様抜き合わせた。
一人腕が落ちた。
胴切り。
あらかわいそうに首が飛びます」。
アハハハハッ。
絶対笑うんだけど。
おかしい。
「似たもの。
オホホホホッ」。
「いりませんそんなもの」。
「あげません」。
大変だねだけど。
声かれるかも。
一人で17役。
ほとんどが妖怪。
22年間やってきて最も難しい挑戦となった。
3日も公演やるのは無理だね。
2日ぐらいにしてほしい。
1日でもいいかな。
「私にも持ってきて下さればよいものを」。
「ははっ。
姫君より…」。
これって朱の盤坊と舌長姥同じような声になっちゃうね。
いやそうでもないよ。
あのね台詞が全く違うから。
「衛門之介も針が抜けてよみがえってしまいましょう」。
「いかさまな…」。
いやこれはね朱の盤坊。
百戦錬磨の白石でも思わずつまずく。
「針が抜けてよみがえってしまいましょう」。
「いかさまな」。
「百物語」22年間で上演されてきたのは当代人気作家の小説や「怪談牡丹灯籠」などの古典加えてオリジナル作品まで多彩な出し物だ。
電話帳を読んでも怖いっていう事をね言ってた時期があってほんとに白石さんだったら電話帳のね「郵便番号250…」みたいな感じで読みながら読むだけでね怖いんじゃないかと思った事があったんだよね。
記念すべき第一夜の演目から「如菩薩団」をご覧あれ。
「生きていたい…!生きていたい!」。
涙とよだれで顔をべとべとにし女中は声をからしてひいひいと泣いた。
「まだ生きる〜!」。
「諦めきれないようですわね」。
彰子はしかたなく片岡夫人と伊勢夫人にうなずきかけた。
「お願いいたします」。
片岡伊勢の両夫人がロープの両端を力任せに引っ張った。
女中の顔は鬱血して赤黒く風船玉のように膨れあがり額と肉の厚い鼻の横に静脈が太く浮き出た。
口からはぼってりと驚くほど分厚くなったピンク色の舌が飛び出した。
彼女は眼球が落ちそうなほど目を大きく見開き背をのけぞらせた。
二人の主婦はロープを引き続けた。
女中はけたたましく放屁し下品な音を立てて脱糞した。
「百物語」最後の出し物になる「天守物語」は99話目に当たる。
えっ百じゃない?それにはわけがある。
白石の稽古が始まったちょうどその頃東京の下町・深川でとある集まりがあった。
毎年恒例の…怖い話の愛好家たちだ。
パッと閉めたら障子から手がバッと出てきたんですよ。
全部の障子から一斉に手が出て目のところまで来た。
まつげに触れた感触があった。
(女性)1話終わるごとにここの中に目を入れてまいります。
昔ながらの作法に沿っておよそ10時間代わる代わる不気味な怪談話をひねり出していく。
白い手が真っ赤なマニキュアのついた白い手が映っていた。
ただ普通に本当に自分の顔にあるんだったら視線を塞ぐはずなんですけれど…。
室町時代の頃から日本には怖い話不思議な話を持ち寄って語り合う「百物語」の楽しみがあった。
始めに100本の灯心に火をともし1つ話が終わると1つ消す。
99の火が消えたら座はお開き。
100本目を消してしまうと本物のお化けが出てしまうという言い伝えだ。
今に至るまで「百物語」という器に盛りつけられた話は数知れず。
物語を育む揺りかごとなってきた。
「半ば面を覆いたる美しく気高き…」。
こちらは白石加代子の「百物語」。
本番と同じセットで立ち稽古が始まった。
「出迎えかえ」。
「天守物語」は泉鏡花戯曲の最高傑作と呼ばれこれまでも歌舞伎や舞台映画などで演じられてきた。
姫路城の天守閣に魔物が棲むという伝説をもとに鏡花は妖怪・富姫と鷹匠・図書之助の恋物語を描いた。
図書之助は殿様の鷹を探して天守に迷い込み富姫と出会う。
たちまち二人は惹かれ合う。
「そしてあなたはお勇ましい。
明かりをつけてあげましょうね」。
図書之助がいるのは窮屈な武家社会。
殿様から切腹を命ぜられる。
富姫は愛しい男を命懸けでかくまう。
「お覚悟をなさいまし」。
ただのラブシーンではない。
妖怪と若侍の熱情だ。
「舌を噛み切ってあげましょう」。
ううん違う。
まずさこう考えなよ。
一番大事なのはこういって「舌を噛み切ってあげましょう」ってのは相手の顔見て言ってるから舌をねばっと抱いちゃったらダメ。
「是非もない。
それでは私がご介錯。
舌を噛み切ってあげましょう」。
そう。
「天守物語」を貫く泉鏡花のこだわり。
それは「見えないもの」への憧れだ。
泉鏡花は妖怪や怪談に特別の思いを寄せた。
怪談会を主催しては自らを「お化けの隊長」と称してご機嫌だった。
鏡花の描く見知らぬ世界は芥川龍之介柳田国男ら文壇の仲間を夢中にさせた。
釈迦の生母・摩耶夫人を生涯を通して信仰した。
鏡花の奔放な想像力はふるさと金沢の歴史遺産と深く結びついていた。
(戸の開閉音)町のどこにでもある暗がりや先人の匠が形にした獅子頭は「見えない世界」へといざなう案内役だった。
(雷鳴)
「見えない世界」なんて迷信でしょ?…って思ってやしませんか?えっ私が誰かって?私は獅子頭。
一種の魔よけですな。
稽古場に登場した獅子頭のまあ生みの親です。
「見えない世界」が見えるかどうかはあなた次第ですけど…
17の登場人物を浮かび上がらせるために鴨下から白石に細かい注文が出る。
亀姫になる亀姫になる。
「ご勝手」。
そうそう。
振りだと思ってくれる?1・2・32・2・33・2・3って振りです。
こっちにいますよね富姫。
隣にいます。
鴨下は後見いわゆる黒子さんを利用して目線方向や動きを決める。
17人一人一人の個性を色づけし立体的に演じきる。
すると見えないはずの登場人物が観客の想像の世界を飛び回るのだ。
見えてくるのである。
「もぉ〜!」。
妖怪・朱の盤坊がふざけて童たちを怖がらせている場面。
童たちがどこにいるか見えてこないというのだ。
ちょっと誰かやって向こうの女の童の。
そうしたら自分で分かるから。
出てきた。
こう来た。
こう来るから脅かすのは真っ正面なはずなんですよね。
「かちかちかちかち。
歯を噛み鳴らす音をさす。
女の童ら走り近づく時もぉ〜」。
そうそうそう。
だからその向きだよ。
さっきこっち向いたり向こう向いたりしてたけど舞台平行山台平行。
人物が見えてこない。
鴨下のいらだちが募る。
右足が前いってて左足いってるんだよね。
おかしいなちょっと…。
誰…。
ちょっと今映さないでくれよ!17のキャラクターへの挑戦。
まだ物語の中盤にさしかかったばかり。
「百物語」に欠かせない要素。
それがなんと「笑い」だ。
怖そうですねえ。
大丈夫ですよ。
コメディーです。
(観客笑い)伴蔵さ〜ん…。
わ〜怖い!うわっびっくりした!そんじゃさあ飛ぶからな〜。
27話「五郎八航空」も大爆笑の出し物だった。
操縦席に大きな尻を据えた。
それからぎこちないくせに乱暴な手つきでがちゃがちゃがちゃギッギッ。
あ〜!飛び上がらないよ!ある劇場では笑いすぎた観客が椅子から転げ骨折した。
これ本当の話。
機体がまたバウンドし俺たちは天井近くまで飛び上がった。
「五百里はあろうねえお年寄り」。
何が始まるかってお客は喜んでるに決まってる。
「御意にござります」。
そうそうそう。
笑うように。
今回の「天守物語」の原作に笑い出す場面は見当たらない。
しかし白石と鴨下は諦めない。
こうやって出てくりゃいいじゃん。
どうやって?手ついてこうやって。
「ぺろぺろぺろぺろ…」。
そうそうそう。
一度観客を笑いで暖めすかさず凍りつかせる。
恐怖の破壊力を堪能してもらいたいのだ。
「むさいぞのやれうまいぞあむあむあむ…」。
「お年寄り」。
「お年寄り」って言ったら…。
面白くて怖い「おもこわい」。
求める演技は実に奥深い。
白石加代子さんから蝮さん。
「蝮さん…」。
こういう言い方でお呼び願いたい。
どうぞお願いします。
はい。
ヒューどろどろどろ…。
蝮さ〜ん…。
「なんだね加代子…。
お前に会ったが百年目…。
思い晴らさでおくべきか…」。
お上手。
フフフッ。
「ほんとにね声聞いただけでね」。
怖くないでしょ。
「幽玄の世界に行くなあ」。
それはうまい。
それはうれしい。
「そうでしょ?なんか世阿弥の心境ですよ。
そう幽玄ですよ」。
ありがとうございます。
「どうもどうもお元気で」。
ありがとうございます。
お元気で〜…。
「また会う日まで〜…。
魂魄この世にとどまりて恨み晴らさでおくべきか〜…」。
そんな怖いのはやってません。
(一同笑い)
(女性)「百物語」ファイナルです。
ファイナルです!稽古も2週目に入りここからが正念場。
今日は本番用の衣装かつらをつける。
鴨下は天空の世界をイメージさせたいと京都の友禅作家井上造氏に特別注文した。
いや裏がねこうだったから。
うろこ模様じゃない!見て先生これ。
(井上)竜やし。
(女性)妖怪だから。
誰が!?色っぽい。
ねえきれい。
「明かりを」。
そういって…。
「皆めくらに…」。
もうちょっと方向が変わった方がいい。
こっち向いて…。
鴨下の細かなダメ出しが始まった。
こっちあれして「皆目が」センター向き。
「まあ奥様!奥様!」。
「もういい」。
「ええもういいではございません!」。
白石はなるべく止めず先に進めたい。
気持ちをつなげて演じたいのだ。
「小田原修理山隅九平」。
「小田原修理」で見えてくるんじゃなくて「討手どやどやと入り込み…」。
立ち上がるタイミングや体の向き次々とダメが出る。
前に進めない。
稽古はぶつ切れだ。
今「小田原修理」で合わせたけど「討手」で合わせて。
「人妻なればと否むを捕らえて手取り足取りしようとしたれば舌を噛んで真うつむけに倒れて死んだ」。
ちょっとごめんね。
倒すきっかけなんだけど「真うつむけに」って張ってくれる?それに合わせてパーンとやるから。
ちょっと鉛筆ちょうだい。
書いとかなきゃ分かんなくなる。
早く早く。
「真うつむけに」で合わせるんだね。
こっちが落ちるんですね。
うん強めてくれれば。
「人妻なればと否むを捕らえて手取り足取りしようとしたれば舌を噛んで真うつむけに」。
そう!おい何やってんだお前ら!合わせろよ!「真うつむけに」。
22年間いつも決まって生まれる凍りつく時間だ。
「舌を噛んで真うつむけに倒れて死んだ。
その時にな」。
「宮へ隠れたのを…」。
「世にもあでやかなる女の」。
ちょっと待った。
ちょっと待った。
せっかくだけどちょっと待った。
舌をそれだけ間があって噛み切ってるんですか?それはちょっとねフレーズの作り方違う。
「やっぱりうれしそうに…」。
いやいやそうじゃないでしょ。
一番最初が富姫で「恥ずかしそうに見える」。
「こんな姿を恥ずかしい」。
「むう…見える恥ずかしそうに見える」。
今度こっち。
「きまりの悪そうに見える」。
センター。
「うれしそうに見える。
ハッハッハ!」。
え〜お目こぼしを。
フフフフフッ。
まだまだね。
フフフフッ。
もうちょっと頑張ろうかな。
お勉強してきます。
白石の息抜きの空間がある。
弟さんが経営する居酒屋だ。
あ座って座って。
おいしそうね光ちゃん。
みんなおいしそうなやつばっかだから。
ちょっと量が多いかなと思って。
いや7人もいるんだから。
厳しい稽古を共に耐えているスタッフも一緒だ。
どうも〜。
(一同)お疲れさまで〜す!いやほんとにお疲れさま!光ちゃんありがとう。
頂きます。
(一同)頂きま〜す!白石は昭和16年真珠湾攻撃の翌日に東京・麻布で生まれた。
5歳の時に父を亡くしそれから弟妹の面倒をよく見た。
小学校上がる前ぐらいまで夜寝る時にお話かなんかしてくれて。
優しいお姉さんだったですね。
・「笛にうかれて逆立ちすれば」その頃ちまたで流行ったのが美空ひばりのこの歌だった。
・「ふるさとの」・「私しゃ孤児」「越後獅子の唄」は白石の十八番である。
・「今日も今日とて親方さんに」・「芸がまずいと叱られて」
(一同笑い)泣けるな〜。
アハハハハッ!「昼間に出てる月がどうのこうの」って歌詞が続くのよ。
・「空を見あげれば泣いているよな昼の月」っていうんだね。
とんぼ返りの越後獅子たち。
演じる事を生業にしている芸人たちが幼い白石には輝いて見えた。
白石は多感な子供だった。
道端で突然踊りだす。
体の中から突き上げてくる何か過剰なものを抱えていた。
母親のフサは日本舞踊を勧めてくれた。
母子家庭の厳しい家計から精いっぱいの愛情で包んでくれた。
高校を出て港区役所に就職。
7年で退職し25歳の遅咲きで演劇の世界に飛び込んだ。
やっぱり私の早瀬さん。
それだから…。
なお未練が出るじゃありませんか。
それは自分勝手だからです。
それはやっぱり自分がとっても…。
そういう人なの自己顕示が強くって。
やっぱり自分が一番大事でっていう人だと思います。
だからずっと母を助けてね区役所にも長く7年ぐらいいたんですけど。
まあそういうのはあの…。
大体そういうタチでね思い切る時はズバッと。
何でもそういうタチでね。
自分でもそういうところはちょっと怖いんですけども。
今日はね両方通す予定なんですね。
まあ途中で止まんないといいけど。
「夫人の姿を見てやや驚く。
躊躇の後決然として進む」。
「誰!?」。
「お天守は殿様のものでございます。
いかなる事がありましょうとも」。
「お待ち。
この天守は私のものだよ」。
「帰したくなくなった」。
今日は朱の盤坊のくだりはすごく面白くてまああのぐらいやってから金取れるなあ。
ただ後ろの方が全然行き先がチェンジになっちゃった。
演出の鴨下から重大なダメが出た。
主役の妖怪・富姫の表現である。
やっぱりはっきりしてないんだよねイメージが。
はっきりはしてないのよ。
うん。
夫人がやっぱり難しい。
難しいよ主役だもん。
主役だもん。
私主役はできないよ。
大丈夫だよ。
主役ってやった事ないんだもん。
んな事ない。
(一同笑い)まずね基本はもっとね富姫って突発的なんだよ気持ちの動きが。
女王様が惚れるって芝居だからこれは。
単純な事を言えば天下無敵の女王が若い男に惚れましたなぜだかは分かりませんって言ってんだよ。
天下一の美女なんだよ。
自信持ってやらないと。
すみません。
プライドが傷つけられると途端に「お待ちこの天守は私のものだよ」みたいな事言うんだよね。
主役の富姫は複雑な二重人格だった。
女王様の傲慢さと恋する乙女の純真さを別々に持ち合わせている。
演じ分けるキャラクターがまた1つ増えた。
は〜…。
鏡花は難しいのよだから。
非常に難しいの。
久しぶりの稽古休み。
ここもう今台所お野菜が届いたから大急ぎで片づけてたんだけど間に合わなかった。
いつもなら好きな料理作りに向き合うがこの時期はそうもいかない。
今日から本番用の台本作りである。
「百物語」はやっぱり不思議な感じを最初に印象づけようっておっしゃって…。
怪しい効果を出すために観客から見て普通と逆のめくり方になっている。
演じやすさより効果が優先だ。
ここのものの次がここになりますから。
ちょっと難しくない?こういくわけだからここに来たもの次はっていうとここに来なきゃいけない。
キャラクターが変わるごとに色分けする。
例えばきれいな女性は赤やピンク。
妖怪は紫。
白石だけが分かる色使いだ。
簡単な言葉にもふりがなを振る。
演技に集中していると突然頭が空っぽ。
空も海も読めなくなる。
22年間易しい演目は1つもなかった。
舞台で溺れかけた白石はこの本番台本にしがみついて生き延びた。
命綱である。
衣装のぬくもりに体が突き動かされた事もある。
第35話「破約」で身につけた着物だ。
17歳の誕生日に母が買ってくれた宝物である。
呉服商からそれもね月賦で買ったって記憶してます。
それで途中払えなくなってそのおじいちゃん怒ってね。
母がね「必ずお支払いしますからもう少し待って下さい。
これは是非この子に着せたいと思いますので」って謝ってた姿がね玄関のところで思い出すんですよ。
横座りにお座りになってねおじいちゃん。
「お支払い頂けなければ品を持って帰ります」っておっしゃってた。
いくらしたんだろう?張り込んだんだと思いますけどね。
母なりに。
ない時にね。
白石が遅咲きながらも役者の道にたどりついたのは母の後押しがあった。
母親のフサは歌う事や演じる事の値打ちを知っていた。
そのフサさんも3年前に他界してしまった。
晩年は認知症との闘いだった。
・「小さい時からいいなずけ」って「お母さんに教わった歌よ」って言って歌ってあげたらちょっとうっすら涙を浮かべてあの…うなずくんだけど「ここが変なのよ」って。
「ここが変だから分かってるけれど一緒には歌えないの」って。
言葉がもう言語をちょっとやられてたから。
うなずいてうっすら涙目でここがダメだから歌えないっていう表情をしたの。
それが愛おしかったわね。
最終的には自分が大好きな芝居のために母はもうほんとにほったらかしにね。
妹や弟が頑張って見てくれたけれど最後は認知症だったわけですからね。
それはそれで大変だったと思うけど私はもう自分の事で精いっぱいで。
いつもいつも周りからは助けて守ってもらうだけで好き勝手をしてきた人間。
懺悔です。
フフフフッ。
私こそが母を守ろうと思ってたのに全くそういう事ができなかったわけで後悔のまま死んでいくんだなと思ってますけど。
「百物語」最後の公演に挑む白石は改めて着物に見入る。
なぜこの派手な着物を無理して買ってくれたのか?あるいは母には娘の行く先に何かが見えていたのかもしれない。
女優へと膨らむ思いが手に取るように見えていたのだろうか。
親と子が紡いだ不思議な縁を噛みしめる。
(一同)おはようございます。
本番まであと4日。
稽古場での練習はこの日が最後である。
白石やスタッフの疲れはピークに達している。
「この私も一思いに」。
(ドラの音)「天守物語」の大詰めは老いた職人・桃六が登場する。
神懸かり的な力を発揮し妖怪・富姫と図書之助の恋を成就させる。
「待て!泣くな泣くな!工人近江之丞桃六六十じばかりの柔和なる老人」。
「そ〜れ!」。
(ノミを打つ音)「それ〜!」。
(ノミを打つ音)人間社会を見下ろして見えないものたちが勝利を謳歌する。
「どうだの?それ見えよう。
ハハハハハッ!」。
「天守物語」の舞台姫路城。
この天守の番人が私獅子頭です。
天守の高みから見下ろすと人間はいかにも愚かですなあ。
掟だ決まりだ欲得野心。
みんな娑婆に沸き立つ泡ですよ
見えない世界の豊かさに気づけば実に愉快です。
戦なんてえのはもっての外。
こちらは毎日がお祭りですよ
(戸の開閉音)一筋縄では捉えきれない「天守物語」。
稽古場での鴨下からの注文もほぼ出尽くしてここからは白石だけの孤独な闘いとなる。
これから本番まで連日深夜2時3時まで台本と格闘する。
二重人格・富姫。
演じきるにはただ声色を変えればいいというものではない。
「それはほんの吹き降りの…」。
要は富姫そのものになりきる事だ。
うわべのキャラクターに振り回されては表現が軽くなる。
「一里塚の」。
「遠出をした鷹狩りが遠出をした姫路野の一里塚のあたりをお見いなお見いな」。
目指すのは演じている事さえ忘れてしまうほどの無我の境地。
台詞が無意識に口をついて飛び出してくるまでひたすら繰り返す。
ひたすら繰り返す。
こうなると稽古ではなく修行だ。
「姫路野の一里塚のあたりをお見いな。
闇夜のような黒い雲まばゆいばかりの稲光恐ろしい雹も降りました。
鷹狩りの連中…。
鷹狩りの連中は…。
降りました」。
「鷹狩りの連中は荒野の松の根に澪に寄った鮒のようにうようよたかってあぶあぶして笠が泳ぐやら陣羽織が流れるやら。
野袴の裾を端折って灸のあとを出すのがある。
ほほほ…おかしい。
五百石三百石千石一人で…。
おおおかしい。
五百石三百石千石一人で食むものが。
食むものが。
千石一人で千石一人で」。
(雷鳴)稽古の場はいよいよ劇場へとやってきた。
舞台の感触を手探りで確かめる。
ここへきて照明が勝負となる。
白石の手元に延びる明かりは台本を追い恐怖の演出にはあくまで暗闇がベースだ。
闇の中の明かり。
明かりの中の暗がり。
(白石と鴨下のやり取り)長い長い稽古が終わっても白石はしばし富姫から抜け出せない。
本番を迎えた。
開幕直前夫の深尾が妻の疲れを揉みほぐす。
台本を持ち続ける腕の凝りが尋常ではない。
は〜いどうもありがとうございました。
はいありがとうございます深尾ちゃん。
ありがとう。
すっきり。
元気になりました。
22年間欠かした事のない夫婦二人のこれまた「百物語」である。
大丈夫。
今日は夜しっかり踏んであげるからね。
(拍手)思いがけない客席からの登場で幕開け。
(拍手)こんにちは。
こんにちは。
ようこそお出かけ下さいました。
こんにちは。
長年白石の「百物語」を追いかけてくれたご常連も多い。
たくさんでお出かけ下さってありがとうございます。
昔港区役所に勤めておりました頃…。
(観客笑い)皆様あれから20…いや50年も昔の事ですからなんかもう…まるで…。
(観客)おめでとう!前世の事のように思えます。
(観客笑い)ようこそお越し下さいましてありがとうございます。
今回の最後の99本目のあのご存じでございましょう。
「百物語」で100全部読むと本物のお化けが出るというのが昔からの言い伝えでございますね。
出ました。
(観客笑い)いよいよ「天守物語」。
やれるだけの稽古はやりきった。
暗闇の中を仲間たちに支えられて舞台袖につく。
22年間一歩ずつ一歩ずつ積み上げてきた白石加代子の「百物語」。
伝説の舞台の最終章。
見えないものは見えてくるのか。
(鼓の音)泉鏡花「天守物語」。
時つまびらかにせず。
晩秋。
日没前より深更にいたる。
所播州姫路。
白鷺城の天守第五重。
登場人物天守夫人富姫。
(雷鳴と雨音)蓑を担ぎたる夫人の姿見ゆ。
片手に竹笠半ば面を覆いたる美しく気高き天守夫人富姫。
出迎えかえご苦労だね。
舞台は魔界の天守。
妖怪たちが舞い踊る。
かちかちかちかちかちかちかちかちかち〜!歯をかき鳴らす音をさす。
女の童ら走り近づく時もぉ〜!獣の吠ゆるまねして脅す。
やなおじさん!怖くありませんよ!・「毬はけりたし毬はなし」・「猫をかん袋に押し込んで」・「ポンとけりゃニャンとなく」
(観客笑い)お天守は殿様のものでございます。
いかなる事がありましょうとも。
お待ち!この天守は…私のものだよ。
それ!人間の目には羽衣を着た…鶴に見える!明かりをつけてあげましょうね。
いやお手ずからは恐れ多い。
私が。
いえいえこの燈は明星北斗星竜の燈玉の光も同じこと。
お前の手では蝋燭にはつきませぬ。
ははっ。
天守の主・富姫は若侍・図書之助に惹かれていく。
妖怪と人間の禁断の恋だ。
帰したくなくなった。
もう帰すまいと私は思う。
目を狙え!目を狙え!ヤァ!命懸けの恋も野蛮な侍どもが踏みにじる。
ああああ〜!目が…。
獅子が目を傷つけられ二人は視力を失う。
あなた!それは真実のお声か姫君!ええ何の。
そうおっしゃるお顔が見たい。
ただ一目。
千歳百歳にただ一度たった一度の恋だのに。
私ももう一目あの気高い美しいお顔が見たい。
前世も後世もいらないがせめてこうしていとうござんす…。
自分我が手で!切腹はいけません!あああ…。
是非もない。
それでは私がご介錯。
舌を噛み切ってあげましょう。
この私も一思いに!
(ドラの音)それ〜!
(ノミを打つ音)それ〜!
(ノミを打つ音)桃六の魔力で目が治り二人の恋は成就する。
どうだの?それ見えよう。
ハハハハハッ!最後は桃六の勝ちどきだ。
月の光あれ目玉。
世は戦でも胡蝶が舞う。
撫子も桔梗も咲くぞ。
馬鹿めが!ここに獅子がいる。
お祭礼だと思って騒げ!
(拍手)
「百物語」はこれにてお開き。
ところで見えないものは見えたかって?答えはハイこの万雷の拍手。
しっかりと見えましたよ
(拍手)皆様長い間のご支援ごひいき誠にありがとうございました。
(拍手)気をつけてお帰り下さいませ。
お後がアよろしいようで…
(戸の開閉音)2014/12/06(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集 アンコール「見えないものが見えてくる〜白石加代子の百物語〜」[字]
22年間観客を魅了し続けて来た伝説の舞台が今年夏、幕を閉じた。ひとり舞台の朗読劇で白石加代子のライフワーク「百物語」である。稽古の初日から本番までを追った。
詳細情報
番組内容
22年間観客を魅了し続けて来た伝説の舞台が今年夏幕を閉じた。ひとり舞台の朗読劇で白石加代子のライフワーク「百物語」である。番組は稽古が始まった5月後半から約1か月間、本番当日までの白石の姿を追いかけた。演出家との火の出るような稽古でのぶつかり合い、自宅での飾らない素顔や亡き母がくれた1枚の着物のエピソード、そして白石に様々な登場人物の魂が憑依(ひょうい)し、こん身の怪演が披露される本番。その全記録
出演者
【出演】女優…白石加代子,羽佐間道夫
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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