ご機嫌いかがですか?「NHK短歌」司会の濱中博久です。
第三週の選者永田和宏さんです。
どうぞよろしくお願い致します。
亀がうらやましくて作った歌ですか?今日のテーマは「老いる」なので亀の歌多いんですよね僕ね。
亀見てるとのんきそうでいいな〜。
年取ったらあんなふうになりたいなという。
もううつらうつらしてますけどね。
どこかの池でご覧になった?これはね京都の後宇多天皇陵の池ですね。
うつらうつら…永田さんもするのかな?もうしてますよ。
さあ今日の「NHK短歌」にお迎えしたゲストをご紹介致します。
ノンフィクション作家の後藤正治さんでございます。
どうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。
後藤さんはスポーツや医療人物評伝など幅広いジャンルのノンフィクション作品を発表しておられますが永田さんとの接点はどういう事でございましょう?最初に名前を知りましたのはむしろ医学者化学者としての仕事の方だったんですね。
それで歌のお仕事もされてきて二足わらじは大変だろうなと思ってたんですけど共に一流の仕事をされてきてねずっと畏敬の念を抱いてきました。
どうもありがとうございます。
永田さんは後藤さんは?僕は一番最初後藤さんの作品を読んだのは「ラグビー・ロマン」という新書の同志社大学のラグビー部のお話なんですね。
それとてもよかった。
それからいろいろ読ませて頂いてね最近ねこういう本をお出しになったんですね。
「天人」というんですが深代惇郎さんという朝日新聞の「天声人語」を書いておられた名コラムニストとして知られてる方のまあ一生を追われたものでとてもたくさんの人に会われて綿密な仕事ですごく強いメッセージがありましてね今の時代ジャーナリズムとかメディアってとても大事になってるんだけどそれが本当に生き生きとして機能していた時代に対するある種のノスタルジーでもあるし今こそそれが大事なんだというそういうメッセージも伝わってくるとても印象深い本でした。
是非ご紹介しようと思って持ってきました。
こういうお仕事の後藤さんでございますがお迎えしたゲストにはいつも短歌のイメージを短い言葉にして頂いております。
後藤さんはどんな言葉になりましたでしょうか?はいご紹介下さい。
「短歌を作りたくなるとき」という言葉を選ばせて頂きました。
どういう時に短歌を作りたくなるか?これは永田さんもどんな時なのかなと聞きたくなりますね。
作りたくない時もあります。
後ほどお話をお聞かせ下さい。
どうぞよろしくお願い致します。
さあそれでは入選歌にまいりましょう。
題が「肌」または自由でございました。
永田和宏選入選九首です。
一首目。
後藤さん早速伺いましょう。
自分自身昨晩もそうだったんですけど酔うているけれどもまあそれでいいんだろうというやや自虐的というかユーモアな感じもして大変私の好みの歌です。
「それでいいのだ」という結句は赤塚不二夫さんの「天才バカボン」の有名なセリフですけどね。
自分でそれでいいのだって言い聞かせてるわけですけどある程度年も取ったし毎晩のようにこうして酒にほろほろ酔うてるけどそういう自分も許してやろうじゃないかという歌ですね。
では次二首目です。
クレヨンで「肌色」という色がなくなったという歌がとてもたくさんあったんです。
人はいろいろな肌の色があるから「肌色」というのはやめようという事だと思うんですがこの作者はそれに対してしょうがないと思いながらちょっと違和感を持っている。
括弧でくくってあるでしょ「薄だいだい」。
薄だいだいを夕空の色として塗ってるけどやっぱり薄だいだいじゃないよなと思いながら塗っている。
そこがねとてもいい歌になったと思いますね。
では三首目です。
後藤さん伺いましょう。
この歌読んで「もったいない」という言葉が浮かぶんですけどかつていろいろなものを我々大事にしましたよね。
肌着でさえ繕っていたようなそういう母の姿がふっと浮かびましてね時代を感じさせる歌ですね。
我々3人みんな同世代だから大体こういうのよく分かる。
繕って使っていた。
これは本当にそうなんだけどもう一つ上の句の「新しき品は手付かず」にも意味があって新しいのはもったいなくて使えないという本当にもったいなくて使えなくて結局一度も着ずに残っていたと。
いい物は取ってあるんですね。
ある意味でいうと悲しい歌ですね。
では四首目です。
これも後藤さん伺いましょう。
去年もいろいろ天災がありましたけどね山肌無残な姿も今も浮かぶんですけどそれでも春になるとたんぽぽが咲くよという時の移ろいをしかもまた早く春よ来てくれという願いを込めた歌のような気もしますね。
結句はそういう願いですよね。
自然というのは非情な残酷な面もあります。
それと共にそれを自然に癒やしてくれる優しさもある。
その両方を持ち合わせている自然に頼むところがあるというそういう人間の暮らしというのが浮かんでくる歌ですよね。
いい歌だと思いますね。
それでは次です。
五首目です。
じんべい鮫のあの模様を「水玉」っていうのはちょっとすごいですよね。
水玉ってこんな小さいじゃないですか。
でも言われてみるとなるほどじんべい鮫は水玉模様だなと思わせるところが…。
この歌ねいいのは「水槽の外側巡る」ってこれいいですね。
鮫の感じがよく出てますけどゆったりと外側巡ってる。
そういう鮫を見ているいい歌ですね。
面白いですね。
六首目です。
お〜そんなもんかなと思ってびっくりしたんですけど肌色っていろんな肌色があるんですね。
いわゆるお化粧のファンデーションでしょうね。
暗い肌色と普通の肌色それを今日の私の一番ふさわしい肌色に混ぜるってところがねさすがに女性の歌だなと思ってまず感心しましたね。
無知だから肌色にそんないろんな肌色あるって知らなかった。
さあそれでは次にまいります。
七首目です。
ちょっとシャンソンみたいな感じで気持ちのいい歌ですよね。
秋の公園でふっと欅の幹に触れてみたらあっちょっと温かいなと。
ちょうど今吹いてる風の体温みたいなちょうどそれが木に体温があるような感じがしたという気持ちのいい歌ですよね。
大きな木に触れるとほんとに何かこう感じる事がありますね。
気持ちがいいなというね。
命を感じる事も…。
聴診器を当てて水流を聴くという人もいますね。
それでは八首目です。
ありますよねこういう事ってね。
あるよな〜。
あいつと目を合わせたくないってもう読み終えたんだけどずっと読んでるという。
「肌合いの合わぬあいつと乗り合わせ」「合」が3つも続いてるのもそれも面白いところですね。
ちょっとした機微を詠んでいる歌ですね。
こんな事あるなという思いがある歌ですね。
さあそれでは最後の歌です。
よく分かる歌だな。
これ高校生の歌なんですよね。
「話したい触れたい見たい隣にいたい」みんなしたい事なんだけどどれもできてないですよね。
そういう消極的な自分はもう今日でやめにして明日からもっと積極的になりたいそういう歌ですね。
「たい」「たい」「たい」ってとてもよく分かるし応援したくなる歌ででも無理かもわからんな消極的なのかもな…。
歌で決意表明しましたがうまくいったかどうかですね。
以上が入選九首でした。
それではこの中から永田さんの選んだ特選三首の発表です。
まず三席からです。
三席は山上秋恵さんを選びました。
続いて二席です。
二席は森本恵子さんです。
ではいよいよ一席の発表です。
一席は太田宣子さんを選びました。
自分の気持ちにぴったりな肌色はどんなもんだというのをいろんな肌色を合わせて調整するというのは新発見だったんですけどもう一つの意味は多分ねそういう今日の肌色にして私を奮い立たせるみたいな自分を励ますようなそういう意図もあるのかもわからない。
なかなか面白い歌ですね。
女性ならではの歌ですよね。
以上が今週の特選でした。
今日ご紹介しました入選歌とその他の佳作の作品はこちら「NHK短歌」テキストにも掲載されます。
是非ご覧下さい。
それでは「うた人のことば」です。
「浄土」と言ったので仏教的な意味にとられそうですけれどそんなもの忘れるぐらい桜って美しいと思いますね。
それともう一つやはり戦争がありましたので桜というのは戦争中は兵隊さんとか陸軍とかの象徴だったもんですから何だか桜の歌って作れなかったんですね。
それが50年ぐらいたって桜だけで一冊の歌集にまとめた事がありましてその中の一首です。
花のいろんな姿を見てきて心を尽くして見てきた。
心を尽くして生きてきたなという感じ。
これはまあ年が行ってからの歌と言えるかもしれません。
続いては「入選への道」のコーナーです。
ご投稿作品の中から一首永田さんが取り上げて手を入れられます。
さあどんな歌でしょう?今日はこんな歌です。
よく分かりますね。
雨蛙を握った時の感じで。
体のやわらかさと緑の感じがいい歌ですねこれ。
本当にいい歌ですがこれでいいようなものなんですけど結句が「初夏の雨よぶ」この「よぶ」というのが蛙だから「初夏の雨をよぶ」という発想になると思うんだけどちょっと言い過ぎの感じがあってここを削ってしまいたい。
こんなふうにします。
「初夏」でもいいんですけど気持ちのいい言葉なんですが和語にして「初夏」とする事で歌がやわらかくなるというのが一つとせっかく「雨蛙」って「雨」で始まっているので「雨」で終わるのもいいんじゃないか「初夏の雨」。
「雨をよぶ」という事よりも今雨が降っているんだというやわらかい雨が降っているってそれで十分歌としてはいいので。
「呼ぶ」というまでもう言い過ぎなんですね。
ちょっと言い過ぎですね。
歌は言い過ぎない事がとても大事ですね。
結句の大切さですね。
どうぞ皆さんも参考になさって下さい。
それでは皆様からの投稿のご案内を致します。
さて続いては選者のお話。
永田さんの「時の断面あの日、あの時、あの一首」今日は「老いの実感」というお話です。
山本さんはね90いくつまで生きられた長生きだったんですけどねその90年を振り返ってみて兵としてあった3年。
彼は16年から3年ほどソ満国境で工兵として働いたんだけど90年という途方もない時間の中でたった3年がそれに匹敵するぐらいの重さを持っているという歌ですね。
時間というのは決して均一に流れていくものではなくてあるところは非常に密度の濃い時間になる。
あるいはとてもつらい時間になる。
そういう人生の時間というものを考えさせてくれる歌だと思います。
選者のお話でございました。
さて今日お迎えしているゲスト後藤正治さんにもいろいろお話を聞かせて頂きましょう。
まずはお好きな歌を一つご披露頂けますか?はい分かりました。
こちらですね。
これ小野茂樹さんの歌なんですけれども以前にこの歌をたまたま知りましてねこれは記憶の中の自分の青春を詠み込んだ歌だというふうに思ったんですけどとても何か感じるところがあって時々口ずさんでいるような時もあるんですけれどもね。
愛唱歌でいらっしゃいますね。
これ選んでもらったのとてもうれしいですね。
僕はね現代短歌の中の恋歌のベスト3に入れてもいい歌でとても好きな歌なんですよね。
僕は恋歌だと思ってて恋人同士となって一緒に過ごしていろんな表情見てきたんだけどあの一瞬のあの時の表情をもう一回してくれという歌だと思ってね。
ちょっと無理な注文ですね。
それが若さというものですね。
永田さんの本にもねそういう解釈されて書かれておりましてそのとおりだと思ったんですけど私は勝手にね自分自身が純粋だった青春の一瞬みたいな事を含めて何か読み取ってきた。
だから勝手にそういうふうに解釈してしまった。
短歌ってありますよね?あっそうか。
自分の表情ですか?自分が純粋だったピュアだったあの時ってそんな意味ですかね。
自分に銘じてるわけね。
あ〜なるほど。
それはちょっと新発見だな。
初めてそういう…。
勝手な解釈ですけれども。
歌っていろんな読み方があっていいんですよ。
先ほど短歌についてのイメージ短い言葉にして頂きましたがもう一度ちょっとお見せ頂けますか?こういう言葉になりました。
「短歌をつくりたくなるとき」という事でございますがあえてこの言葉にされたのはどういう思いからでしょうか?人の人生の中でふっと短歌を作ってみたい。
そういう時って誰にもあると思うんですね。
特にいろんな困難に直面した時表現が自分を救ってくれるというかねそういう時があるような気がするんですけどね。
近作の中でも何かこういう事を思われるような…。
先ほどご紹介頂いたんですけど「天人」というこれは朝日新聞の名コラムニストの一生を書いた評伝なんですけどたまたま深代さんが若き日に横浜支局に勤務しておりましてその時の上司だった人に会う事ができたんですね。
イトウナガトさんという方に会ったんですけどもう90代に入っておられたんですけど取材が終わりましてふっと私家版の歌集を手渡されたんです。
それでいつごろから短歌を作っておられるんですかと聞いたら実は80代の半ばになって趣味で始めたんですよと聞きましてねちょっとびっくりしましたね。
何かきっかけあったんですか?自分の人生歩んできた歩みを何か書き残しておきたいと。
短歌というのが最もふさわしい表現じゃないかと思って始めましたとおっしゃってましたね。
後藤さんもよく歌の事もお書きになって頂くし僕の事も書いて頂いた事あるんだけどご自分では作られない?僕はノンフィクションという散文でさんざん苦労してますのでこれ以上もう表現はたくさんだっておなかいっぱいになってるという事はあるかと思うんです。
でも人の優れた短歌だけじゃなくて詩も好きですし俳句も好きです。
やっぱり自己表現したいという思いはあるわけですね?どなたでもあるような気がするんですね。
日本社会は五七五の形式になじんでますからふっとした時に何かそういうのが出てくる?そういうのが形式的に僕らしみこんでるのかもしれませんね。
ノンフィクションってある意味で言うと人の人生をたどったり軌跡をたどっていく事をされるわけだけどその中で自分をどういうふうに表現するというのはどんなふうに考えてますか?とてもいい質問だと思います。
私の場合あくまで他者他人を書いてるんですけど実はそれに込めて自分も合わせて表現してるっていうかね「行間を込める」って言葉がありますけれども人を書きつつ実は自身も語ってるというふうな気も致しますね。
そういう時に例えば僕ら道歩いててもある歌がちょっと思い浮かんだりする事あるんですけどいろんな人の人生をたどっておられる時にあっこれはこの歌にフィットするなとかリンクするなってそんな事ってないですか?人っていい言葉を欲しいものだと思うんですよね。
だからノンフィクションはノンフィクション短歌は短歌で自分のフィットするいい言葉を求めててそれがまた他人にも我が事のように感じられるそういう作品が実はいい作品かなという気がするんですけどね。
歌ってほんとにそうですね。
作者は自分の事を言ってるんだけれどもそれを読んだ読者がこれ俺の気持ちを言ってるというようなそんな気持ちになる時ってありますよね。
それは歌としてはとてもいいんじゃないかなと思いますね。
同じ物書き業として言えば口に出して言うのは気恥ずかしい言葉ってありますよね。
口に出したらおしまいだねというような言葉もあるような気がするんですね。
ところが書き言葉あるいは短歌なら表現ができる。
そういう機能も持ってるんじゃないでしょうか。
それはねほんとにいい事を言って頂いたと思う。
僕もね本当にそんなふうに思いますね。
日常の言葉ってね恥ずかしいんですよ。
改まった事ほど本当に言いたい事ほど口に出して言うのが恥ずかしい。
本当にありがとうと思ってる時に「ありがとう」って言いにくいです。
僕「ありがとう」という一番単純な言葉がね一応「ありがとう」と言う事ありますけど本当に改まってこの人に感謝を言いたい時に一番出しづらい言葉かもわからない。
そんな気はしますし私はうちの奥さん河野裕子が亡くなった時の体験からいって伝えておきたい事とか知っておいてほしい事っていっぱいあるわけだけどそれを面と向かってなかなか言えない。
でも我々の場合は幸いな事に歌っていうのがあってその時にね歌でなら言えるというそういう思いというのは何度もあったという気がしますね。
だから「抑制」という言葉がありますけれども短歌も非常に抑制的な表現形式かなと思うんですけど迂回して伝えていく。
その静かなそういう伝え方に実は本当にひそかな感情を受け取るというかそういう作用があるかなという気もしますけどね。
後藤さんのお書きになってるのを聞いててもそうだけど相手に感じ取ってほしいところは言わないというところで…。
興味深いお話尽きないところですがそろそろ時間でございます。
今日はノンフィクション作家の後藤正治さんをお迎えして興味深いお話を伺いました。
どうもありがとうございました。
永田さんまた来月もどうぞよろしく。
では時間でございます。
ごきげんよう。
2014/12/23(火) 15:00〜15:25
NHKEテレ1大阪
NHK短歌 題「肌(膚)」[字]
選者は永田和宏さん。ゲストはノンフィクション作家の後藤正治さん。取材を通じて、人生の半ばを過ぎて短歌を始める人の存在に気付いた後藤さん。その理由を知りたいという
詳細情報
番組内容
選者は永田和宏さん。ゲストはノンフィクション作家の後藤正治さん。取材を通じて、人生の半ばを過ぎて短歌を始める人の存在に気付いた後藤さん。その理由を知りたいという。【司会】濱中博久アナウンサー
出演者
【出演】後藤正治,永田和宏,【司会】濱中博久
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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