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(一同)わっしょ〜い!番組では「未来への芽」で取り上げる若者たちの活動を募集中!皆さんどんどん応募して下さい。
詳しくは番組ホームページを見てね!宮城県石巻市の…自宅に近所の人たちを集め助け合って避難生活を乗り切りました。
あの日仕事の出先で地震に遭った須賀さん。
急いで会社に戻ろうとしたところで津波に襲われます。
流された車はもみの木にぶつかって止まります。
須賀さんは枝につかまって九死に一生を得ました。
翌朝須賀さんはがれきをかき分け8時間かけて自宅に戻ります。
1階部分は頭の高さまで浸水しましたが家族は2階に避難して無事でした。
須賀さん家族は母親のキクさんが高齢だったため避難所での生活に耐えられないと判断し自宅にとどまる事にします。
しかし自宅避難には大きな問題がありました。
食料は避難所ごとに届けられるため自宅避難者まで回ってこなかったのです。
そこで須賀さんは同じように自宅避難している人々に声をかけみんなで食料を持ち寄り分け合う事を提案しました。
限られた食料で生き抜く工夫もしました。
冷えて硬くなったお握りはごはんとのりに分けます。
ごはんは蒸して温めのりはしょうゆで煮てつくだ煮にしました。
朝と夜の食事には多い日は20人以上が集まるようになりました。
須賀さんの家には情報を求めて更に人が集まり自然と助け合うようになっていきました。
震災後須賀さんは自分の経験を役立てたいと観光客や子どもたちに語り部活動をしています。
人と人とのつながりが震災を乗り越える大きな力になった事を伝えたいと思っています。
子どもたちから送られてくる感想文が須賀さんの宝物です。
須賀さんは今でも時々当時の食事を作ります。
この日は餅と練り物を使ったカレーです。
今日の舞台は東京築地市場。
2014/11/17(月) 23:20〜23:25
NHKEテレ1大阪
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県石巻市 

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