インタビュー ここから「料理人・西芳照」 2014.12.23


(実況)今度は本田入ったチャンスになった!そのまま決めた〜!本田決めました!世界への挑戦を続ける…選手たちの戦いを支え続けている人がいます。
おいしい。
10年間選手のために料理を作ってきました。
誰でも作れそうな普通の料理。
しかしチームを勝利に導く勝ちメシなのです。
いい結果を持って帰ってきてほしいという思いがあります。
歴代の代表監督も西さんの腕を頼りにしてきました。
西さん?最高ですよ。
違うんですよ。
(取材者)そうですか。
その味が。
僕が食べても分かるぐらいですから。
あの一員になる価値があるというかあの人がいてくれたおかげというのも間違いなくありますね。
福島県にある日本代表が合宿していた施設。
西さんはここで腕を振るってきました。
しかし東京電力福島第一原発の事故が発生。
西さんが働いていた施設は原発事故を収束させるための前線基地として使われました。
日本代表が練習した天然芝のピッチは資材置き場や駐車場になりました。
今はねまるっきり変わってしまいましたけども特別なピッチでしたから。
代表専用のピッチでもありましたけども。
ここで新たな勝ちメシを作る。
あの時を境にここから始まった西さんの闘いに迫ります。
福島県葉町。
太平洋を望む小高い丘に建つ施設があります。
町のシンボル…サッカー日本代表の合宿が行われてきたこの施設の中に1つのレストランがあります。
ここで15年前から総料理長を務めてきたのが西芳照さんです。
合宿に訪れる代表チームに料理を提供してきた事がきっかけで専属シェフに選ばれました。
今年6月ワールドカップブラジル大会にも帯同。
西さん自身3度目のワールドカップでした。
これは…メニューが書いてあるやつです。
ブラジル大会のメモ。
選手の力を引き出す料理が書かれています。
試合当日は消化のいい温野菜が中心です。
キヌサヤジャガイモ…。
本当はもっとこの先も書きたかったですね。
そうですね。
しょうがないですねこれは。
まあでも次がありますから。
次みんなで力を合わせて…ロシアを目指したいと思います。
僕自身集大成という意味を込めて今まで以上の成績を残して帰ってこようと。
選手の皆さんもそうですけど全員がそういう気概を持って挑んだ訳ですけど。
まあ…予想外の結果で。
本当に申し訳ございませんでした。
西さんはこれまで70試合以上の海外遠征に帯同してきました。
遠征先ではホテルの厨房にたった1人で乗り込み現地の料理人をまとめます。
中でも対戦相手となる国のホテルでは厨房も戦いの場となります。
調理場もアウェーの状態です。
例えばレバノンに行けばその国のシェフたちがいます。
その人たちにとっては自国のチームに勝ってほしいという。
でもそれだと向こうのシェフたちも手を抜くというかね適当でいいだろうと。
日本には負けてほしいからとかね。
そういうふうになると思うんですけどもそういう所に行ってもなるべくこう…日本のために料理を作ってもらいたい。
それはやはり自分の方に引き込まないとやってくれないというかね。
どんな事するんですか?遠征でそれこそそのスタッフたちと要は初めて仕事をするような局面ですよね。
だから最初は調理場入ると皆さんこう…「ハロー」とか言ってくる。
「おっ何だ?どんなやつが来たんだ?」みたいなチラッチラッとね視線は感じますから。
例えば1日前に僕が入りますからそこで入った時にそのホテルのスタッフと一緒にパーティーならパーティーの料理のちょっと手伝いをしたりとか。
自分の実力を見せるといったらいいんでしょうかね?同じ料理をしてればどれぐらいのレベルなのかは分かりますから。
「ちょっとはできるんじゃないかな?」ぐらいでもいいんですけどもそういうふうにしながら何でしょう片言の言葉でコミュニケーションを取っていく?一番難しいところでもありますけども一番やりがいのある。
そこからスタートしないとね。
遠征での料理を西さんはある時から変えました。
選手たちの様子に気付いたからです。
僕が気になったのは出した料理に残食が多いといいますか。
残してしまう?はい。
例えばヒレステーキを50グラムで…通常50人ぐらいいますから選手スタッフ合わせて。
その中で…2〜3切れしか食べてないとか。
どうしてもホテルですからほかでも宴会をやってたりオーダーが来たりしてどうしても1時間ぐらい前に作っちゃうという事があります。
じゃあどっちかっていうと温かいものをというのではなくて作っておいたものを出してた?パサパサ感があったり…。
ああ。
見た目で「あっ食べたいな」と思える料理じゃない。
これはちょっといけないなと。
これじゃ駄目だなという思いがありましたね。
そこで考えたのが選手の目の前で料理を作る…コンロを持ち出し出来たての料理を食べてもらう事にしたのです。
めんたいクリームパスタ。
選手が好きなやつですか?そうですね一番人気かな。
西さんの前には選手たちの行列が出来るようになりました。
いろいろ話しかけられたりとか自分から「体調はどうですか?」とか「疲れてませんか?」とかそんな事をほんのちょっとした会話ですけどねそういうのを会話しながら「何か食べたいものありますか?」とかたまに聞いたりして食事作ってます。
選手を食べたい気にさせ最大限の力を引き出す勝ちメシが生まれたのです。
選手の皆さん毎日毎朝体重計に乗って自分の体重を量っています。
そうすると人によっては体重が落ちちゃう人も以前はいたという事なんですけどもライブクッキングをするようになってからはそういうふうな人もいないし皆さん結構食べてくれるようになったという事も言われますから。
その時は選手だったり監督から「よかったよ」とかそういう話は?南アフリカ大会の試合会場に行ってあの時は応援していましたからロッカールームに戻ってくる人たちに「西さんのおかげで勝てたよ」とかね何かうれしい言葉言われましたけど。
闘莉王さんとか阿部ちゃんとかね試合…ピッチから戻ってきた時に握手しながら言われた思いはありますね。
これ料理人冥利につきますね。
日本代表のエンブレムが入った特製のシェフコート。
選手たちのアイデアで西さんに贈られました。
コートに刻まれた24という数字。
代表選手23人と共に戦う仲間だと認められた証しです。
10年日本代表のシェフされてきてそこで得た「これが勝つためのごはんだ」西さんにとってどんなものですか?何だろう…選手の精神まで届くような料理。
スポーツ栄養学に沿って料理が並んでたと。
やはりそれだけじゃ駄目でその上には思いやる心。
例えば温かさであったり冷たさであったり作る人のぬくもりが伝わる料理。
それが選手の皆さんの心を豊かにし試合でいい結果を残すようになるんじゃないでしょうかね。
2011年3月。
この時から西さんの料理への考え方が変わりました。
西さんが働いていたJヴィレッジには300人を超える人が避難してきました。
炊き出しを始めた西さん。
しかし料理人の役割とは何かを突きつけられたのです。
12日の夜ですか。
カレーを出して次から次へ来る人のカレーのルーはあったんですけどもお水が無くなった。
給水車が来るという話だったんですけども11時ごろになっても来ないというんでとりあえずじゃあやめようと。
でもおなかすかせて「何かないですか?」って来る人もいらっしゃいました。
それは本当に申し訳ない気分でいっぱいですね。
食べたいっていう人にも満足に提供する事ができないと。
料理人としての気持ちっていうのは…。
それは一番のショックじゃないですか?今まで生きてきた中で。
料理をする事を生業としている身ですからね。
なおさらそういう情けない自分に向き合って…。
だからなるべくそういうふうな思いはもう二度としたくないと。
Jヴィレッジは原発事故を収束させるための前線基地になりました。
天然芝のピッチはアスファルトで固められ作業場所になりました。
大量の防護マスクが置かれた床で大勢の作業員が寝泊まりしていました。
ここから福島第一原発へと向かっていきました。
中では作業員の皆さんが裏階段の踊り場で段ボールを敷いて仮眠をしてたりそういう人がたくさんいてすごい寒い中だったんでね。
毛布もない状況ですごい大変な過酷な環境の中で皆さん収束作業に向かってるんだなと。
食べるものも本当に缶詰とか…。
サンマの缶詰焼き鳥の缶詰そんなものしかなかったですからね。
この人たちに頑張ってもらわないとどうしようもないっていう…。
だからここからフクイチに行ってる人たちはみんなそういう気持ちで当時は行ってたと思いますよ。
いつ死ぬか分からないどういう事故になるか分からない何があるか分からない。
厳しい環境と闘っている作業員たちに自分は何ができるのか。
原発事故から半年後西さんはJヴィレッジでレストランを再開しました。
はいおはようございます。
おはようございます。
ここで作業員のための勝ちメシを作り始めたのです。
山盛りのごはんとおかず。
しかも食べ放題。
採算度外視の500円の定食です。
作業員の皆さんがおなかすかせてるんでね定食として魚が1品肉が1品野菜が1品副菜が1品と。
あとごはんみそ汁漬物。
それを食べ放題で500円で始めた訳です。
作業員の皆さんもおなかいっぱい食べられたらこれほど幸せな事はない。
それで始めました。
西さんが作ったその定食に皆さんどんな様子で…。
食べ放題ですから。
それは笑顔で…「うわ〜っ何これ!?」みたいな感じですね。
笑顔でらっしゃったんですか?ええ。
今までは考えられない事ですから驚きと笑顔。
中には落ち込んでる人もいて「何で俺がここでこんな仕事してるんだろう」と。
「でもこういう温かい料理食べてみんなの笑顔を見てまた頑張ろうと思った」とかね。
そういう事を言ってくれたお客さんもいました。
日本のために頑張って下さいとそれしか言えないですよね。
どうですか味は?味?味はいいね。
旅館で食べるよりおいしい。
仕事の元気になりそうですか?なるね。
これ食べたら昼から頑張れる。
温かいごはんを食べられてどうですか?本当感謝してます。
いいですね。
最初の頃は弁当しかなかったから。
きちんとしたごはんって食べた事なかったから。
今いいですね。
作業員のための勝ちメシを求めて連日のように行列が出来ました。
西さんは食べる人の心に届く料理をこれまで以上に目指すようになりました。
ここから不安いっぱいでフクイチに行って作業しなくちゃいけない。
そういう皆さんの少しでも心が和らぐように僕の作ったこういう料理を食べて疲れを癒やす仕事の活力にしてもらう精神を安定してもらう。
そして何よりも一日も早く収束してほしいという思いで料理を作ってました。
今西さんは地元の農家を精力的に回っています。
新たな勝ちメシを作ろうとしているのです。
こんにちは〜どうも。
この農家は3年前農業を再開しました。
しかしせっかく作った米や野菜は思うように売れませんでした。
西さんは地元の食材をふんだんに使った福島を支える勝ちメシを作ろうとしているのです。
野菜作ってもね使って利用してもらわないと作っても駄目なんですよ。
西さんがいるから使ってもらわれるからこっちは張り合いがあって作る事ができるんです。
楽しみにしてこれ作ったらこれこれ作ったらこれっていうような感じで毎日やってます。
(ホイッスル)この日町の特産品を売り出すイベント会場に西さんの姿がありました。
西さん今日何作るんですか?広野で今取れたてのもち米使ってお米を売ります!振る舞ったのはあの農家のもち米を使った特製のおこわです。
(笑い声)料理の味で勝負して地元を支える。
今西さんが作る福島の勝ちメシです。
うまい。
うまい?ちょっと硬いかな。
ここに震災後戻ってきて生活していくとそういうおじいちゃんおばあちゃんたちが作った作物野菜お米などなるべく多く使いたい。
僕料理しかできないんで。
少しずつですけど味覚で少しでも作った野菜が売れてそれで生活していけるような環境に早くするのが僕の役目ですね。
この町の復興のために少しでもこの地に戻ってくる人が増えるようにね地元の食材をたくさん使った真心の籠もった料理を作っていきたいと思います。
おいしい料理を?そうですねはい。
2014/12/23(火) 06:30〜06:53
NHK総合1・神戸
インタビュー ここから「料理人・西芳照」[字]

サッカー日本代表専属シェフ・西芳照さん。“勝ちメシ”で勝利に貢献してきた。今、原発事故に苦しむ福島のため、新たな“勝ちメシ”を作り始めた。西さんの思いを聞く。

詳細情報
番組内容
西芳照さん。52歳。福島県楢葉町にあるサッカーのナショナルトレーニング施設「Jビレッジ」でレストランの総料理長を勤める傍ら、日本代表専属シェフとして3度のW杯に帯同。選手を元気にする“勝ち飯”で勝利に貢献してきた。今、原発事故の対応拠点に姿を変えたJヴィレッジで、収束作業に向かう人に腕をふるう。自身の料理で復興を後押ししたいという西さん。“原点の場所・Jヴィレッジ”で福島・復興へのおもいを聞く。
出演者
【出演】サッカー日本代表専属シェフ…西芳照,【きき手】栗原望

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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