がれきに覆われた丘をのぼる男性。
向かっていたのは土石流に流された自宅の跡です。
この場所で命を落とした妻。
男性は今も遺品を探し続けています。
8月20日未明広島市を襲った大規模土砂災害。
1時間に100ミリを超える猛烈な雨が降り107か所で土石流が発生しました。
山裾に広がる住宅地で74人の命が奪われました。
10月に入り壊れた住宅の解体が進んだ被災地。
住まいを失った人や二次災害を恐れる人たちが次々と離れていきました。
その中で家族を失った遺族たちはさら地となった丘にのぼり続けていました。
1人暮らしの息子を失った父親。
流された家が建っていたのは自分が薦めた土地でした。
花壇を作り毎日通っています。
遺族たちは今どんな思いでこの丘を訪れるのか。
私たちは共にのぼり見つめる事にしました。
広島市の中心部から車で30分の所で起きた土砂災害。
最も大きな被害を受けた…土石流が襲ったのは戦後山裾に開発が進んだ住宅地でした。
10月この丘に毎日欠かさずのぼってくる遺族がいました。
(取材者)おはようございます。
おはよう。
77歳です。
ここは長男が1人で暮らす家があった場所でした。
(喜美徳)南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…。
48歳で亡くなった長男の…大学卒業後大阪で就職。
食品会社の営業マンとして働いていましたが17年前広島に戻り運送業の仕事に就きました。
務さんは多くを語りませんでしたが喜美徳さんは将来両親を支えるために帰ってきてくれたと思っていました。
この場所を息子に薦めたのは喜美徳さんでした。
通勤がしやすく実家からは車で15分。
眺めもよく手ごろな価格だった事から理想的な場所だと考えました。
8月20日土石流は住宅地の一番上に建っていた務さんの家を襲いました。
務さんの家を訪れた喜美徳さんと妻の孝子さんです。
務さんは家の前この車のそばで見つかりました。
異変に気付き逃げようとしていた途中に土砂にのまれたと見られています。
働きながら1人暮らしをしていた務さんに孝子さんは毎日夕食を届けていました。
務さんが食べ終わるのを見届けてから帰るのが日課でした。
一方父の喜美徳さんは務さんとほとんど話をする事がありませんでした。
心の中では自分たちの老後や務さんの将来の事など話したい事はたくさんあったと言います。
まともに話をしないまま息子を失ってしまった事を喜美徳さんは悔やみ続けていました。
廣藤さん夫妻にはもう一つ後悔している事がありました。
丘で暮らし始めたあとに務さんが大雨の度に不安を口にしていたのを思い出したのです。
山裾での住宅地の開発が広島で始まったのは昭和30年代後半。
高度経済成長による都市部への人口集中が背景にありました。
土地の価格が安い急しゅんな山林が次々と買われそこに住宅地が造られていきました。
務さんの家もこのころに造成された土地の一角に建っていました。
すぐそばには谷が迫っていました。
理想的な場所だと思って買った土地は危険地帯にあったのです。
喜美徳さんは務さんの家が解体されたあと花壇を作り始めました。
花の手入れがあれば毎日通う理由が出来る。
そう考え夫婦で作る事を決めました。
この日は色鮮やかなダリアやプリムラの花を植えました。
山の奥へと進んだ開発。
危険性に気付けなかった悔い。
ここに通う事でやり場のない思いと向き合う日々が続いています。
がれきに覆われた家の前で土を掘り返す男性がいました。
原田義明さん84歳です。
探していたのは土砂災害で亡くなった妻の遺品です。
妻のトシエさんです。
義明さんとは50年前にお見合いで結婚。
今年金婚祝の旅行に行こうと話したばかりでした。
土砂災害発生当日の義明さんの自宅を撮影した映像です。
トシエさんが寝ていた家の東側の部分は土石流の直撃を受け流されていました。
義明さんは建物が残る家の西側にいました。
土砂で体の半分が埋まりましたが自力ではい出し辛うじて助かりました。
あの夜義明さんは激しい雨の音で目を覚ましましたが寝ていた妻を起こすまでもないと考え声をかけませんでした。
その直後土砂が家に流れ込み気が付くとトシエさんの寝ていた場所だけが無くなっていました。
(すすり泣き)土石流に襲われた義明さんの自宅。
2か月たっても妻の遺品はほとんど見つかっていません。
義明さんを手助けしようとここへ一緒に通ってきている人がいました。
長男の和行さん50歳です。
和行さんは両親の家のすぐ隣に暮らしていました。
いつも近くで見守ろうと敷地の一部を譲り受け家を建てました。
土砂災害が起きた夜和行さんも激しい雨音に不安を感じていました。
しかし真夜中に両親を起こす事に気が引け注意を呼びかけませんでした。
近くにいたトシエさんを救えなかったと悔やむ原田さん親子にある事実が追い打ちをかけました。
災害から2週間後に広島県が行った会見です。
県は土砂災害の危険性が高い土地を調査で把握していたにもかかわらず住民には伝えていなかったと明らかにしたのです。
被害のおそれのあるイエローゾーン更に生命に著しい危険の及ぶおそれがあるレッドゾーンを行政は警戒区域として指定する事になっていました。
しかし調査結果が出たあとも指定せず住民への周知も行っていなかったのです。
警戒区域に当たるとされていた場所では今回66人が亡くなっていました。
義明さんの家もイエローゾーンの中にありました。
11月和行さんは土地を探していました。
今の家がある場所は危険だと考え父と引っ越す事を決めたのです。
しかし丘から離れた場所に家を建てるつもりはありません。
これからも家族でトシエさんが亡くなった場所と向き合う考えです。
なぜ行政は丘の危険性を伝えてくれなかったのか。
なぜ自分たちは気付けなかったのか。
複雑な思いを抱え丘へのぼり続ける2人です。
長男の務さんを亡くした廣藤喜美徳さんです。
この日も丘へのぼっていました。
今花壇に植えられている花は5種類。
春に花が咲くようチューリップの球根も植えました。
夫婦で花の手入れに通いながら務さんに決まった言葉をかけます。
父の喜美徳さん「今日も来たぞ」。
母の孝子さん「ごめんね」。
(孝子)お世話になります。
すいませんありがとうございます。
最近では花壇を見て話しかけてくれる人も出てきました。
黙々と丘に通っていた夫婦に少しずつ会話の機会が増えました。
いろいろありがとうございます。
来年はこのさら地を花で埋め尽くしたいと考えています。
(取材者)見に来ますまた。
深い後悔を抱えながらこの丘にのぼり続ける遺族たち。
その姿は戦後丘の上へと延びた宅地開発の在り方を問いかけてきます。
イギリスの名門…2014/12/07(日) 08:00〜08:25
NHK総合1・神戸
目撃!日本列島「きょうもあの丘をのぼって〜広島大規模土砂災害 遺族たちの秋〜」[字]
広島市で74人の命を奪った土砂災害から3か月。土砂の撤去がおわり、さら地が広がる被災地の丘に通い続ける遺族たちがいる。何を思い丘を登るのか。その日々を見つめる。
詳細情報
番組内容
8月20日、広島市の山裾に建てられた住宅地を土石流が襲った。『家族との幸せな暮らしを夢見て家を建てた丘は、実は危険な場所だった』。重い事実をつきつけられた遺族たちは、被災地が混乱から静けさを取り戻し始めた今も、家のあった丘へと向かっている。50年連れ添った妻の遺品を探し続ける男性。一人息子の亡くなった丘で、花壇を作る夫婦。彼らは何を思い、家族の命を奪った丘へ登るのか。秋を迎えた被災地で見つめる。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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