おうつしかえ

ブヒブヒ言ってるだけです。誰も恨んでいません。

ちゃんと書こうと思えば思うほど書こうと思ったあれは遠くへ行ってしまうことがある。

今週のお題「2014年のお別れ」〈2014年をふりかえる 3〉

 

寝ながらあれこれと考えていたのですよ。

 

あれも書こう。

そうだ、こんな事も書こう。

 

そんな断片を抱えて、

さー書くぞ!

 

って思ったら、書きたかったあれは、するんとどこかへ消えていくわけです。

 

あれれ?

何を書く?

 

・・・

 

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あーそうだった。

あれだよ、あれ。

あれを書きたかったんだった。

 

で、あれについてあれこれ思うと、

うーん、だから何?って感じだなぁ、って思ったり

それ、結局何が言いたいわけよ?

で、どっちなの?

 

と、どうにもまとまりがつかなく。

 

公開するには、ちゃんと論旨を、とか、オチを、とか、オブラートに包んで、とか思うと、あれれ?何か違うぞ?と、止まってしまうこともあるわけです。

 

一応気を遣っているわけです。

そこは。

わたしなりに。

 

なので、まとまらないものには仮タイトルつけて下書き保存に。

または破棄破棄します。

ハキハキハッキハキ

 

 

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ブログは日記のようなものだから、思ったことを思ったように書いていいんだよ、と言う人もいるし、わたしもそう思いたいけど、いや、やっぱりそうでもないよね。

 

インターネットを通じて不特定多数の人に読まれる可能性があるわけで。

 

特にはてなの場合は、どかーんとそれが意図せずに多くの人の目に触れて、読んだ人に嫌な思いをさせたり、こっちの魂がすり減ったりすり減ったり。

 

特にこちらが被害者だったり弱っているときのことを、まだ傷が癒えないうちに整理つかないうちに書いて、それにたいして辛辣なブコメとか言及ブログを書かれたときの破壊力って、想像をはるかに上回る強烈ダメージ。

 

現在進行形だったり、まだ傷が癒えていないことを書くのは本当にしんどいと思います。

 

整理したつもりのことだって、自分の一番弱い部分や傷つく部分をあれこれ書かれると、やはりチクッとするわけで。

 

だから、勇気を持って赤裸々に書かれたものには、それはほんのちょっとした日常のことでも、勉強のことでも、仕事のことでも、子育てのことでも、敬意を払いたいと思ってるし、敬意を払っているつもりでいます。

 

ブログに書かれているのはほんの一部だから、本当のところの全体像はわからないわけです。ですから、言葉尻をつかまえて非難したり、プロフィールから非難する材料を持ってきたりすることはしたくない。ブログを書くのが自由だったら、それを批判するのも自由だけど、プロフィールや、他の媒体での発言も合わせて非難するのは、ちょっと違うんじゃないかなーと思っています。

 

でも以前そんなことを思ったときに「じゃあ公開するな」とか「ブログに書かなきゃいいじゃん」に反論する言葉が見つからなかった。うん。それはごもっとも。でも、うーん。そんなときに傷ついちゃった人にかける言葉は「キニスンナ!」しかなかった。

 

そんなときにこれを書いたんだった。

自分に投影した一種のエール。

いまでも、あーだし、こーだし、と思うと「ブログなんて一面でしかないから」「あなたの評価=ブログ、じゃないから」で、

 

結局「キニスンナ!」しか、かける言葉はないんだけど、あれから少し平和な感じがしています。あれからって言っても、何となく「あれから」なんですが。

 

一部では今でも火の手があがっていたり、手斧が飛んだりしているけれど、誰彼かまわず火の粉が降り注ぐようなことは減った気がしています。

 

元気よく自分の思ったことをさらけだして、いろんな人にいろんなことを言われて、傷ついてブログをやめてしまったり、停滞させてしまった人にこっそりと「今ならちょっと平和だから戻ってきてみたら」と言いたいなー2015年、とかひっそりと思ったりしています。

 

ああ、全然書こうと思っていなかったことにまとまってしまった。

今日はここまで。

 

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