さあ今宵の「知恵泉」は悪党たちが恐れるあの「鬼」が登場!いや〜大石先生ね最近うちの店もだいぶ忙しくなってきましてね。
アルバイトでも雇おうかなと思ってるんですけど最近の若い子ってどうですか?昔よりも優しくなってます。
気遣いが。
一方で指示待ちで自分で主体的に動かないという弱点はありますね。
動かない?できるかぎり動いてくれる人がいいんですけれどもね。
古田さんは最近の若い子どんな事を感じてます?指示待ちっていうかね自分で興味がある事に関してはすごく積極的ですよね。
例えば「こういうトレーニングは肩の故障しないトレーニングですごく大事なんだぞ」って言ったらずっと一生懸命やってるとかね。
すごい苦痛な事でも自分にとってプラスになるなという事に関してはずっと一生懸命やるんでそういうところをくすぐってやらないと頭ごなしに「何とかやれ!」って言ったらやらないっていうのが今の人たちですね。
アルバイトを雇う参考にさせて頂きたいなと思うんですがいやまさにね今日はねテーマとして「人を動かす極意」という事を見ていきたいなと思うんです。
こんばんは。
お〜いらっしゃいませ。
来ましたか。
あら先週と同じメンバーですやんか。
常連ですから。
どうもどうも。
いらっしゃいませ。
今日はお薦めにね「人を動かす極意」。
これをねテーマとして掲げたんですが増田さんもほら相方・岡田さんを非常にうまく操縦して。
いやね最近言われるんですけど岡田がボケで僕がツッコミと。
ちゃいますからねもともとは。
僕がボケで岡田がツッコミですからね。
その突っ込んでる岡田をなんやかんやで滑らしてやってたら岡田は滑る事がおいしいんやと。
今岡田は自分でバナナ置いて自分で滑ってますからね。
でもそれは動かさなくても自分で動くようになったと。
まあ便利にはなりましたけどね。
やりづらいです。
今日は「人を動かす極意」という事でその達人でありそして時代劇でもおなじみのあの人を見ていきたいと思います。
世界有数の大都市だった江戸。
18世紀には人口100万にも達していたといいます。
しかし繁栄の裏にはあまたの犯罪がうごめいていました。
そんな中江戸の悪党たちを震え上がらせていた男がいます。
待て〜!放せ放せ!火付盗賊改長谷川平蔵である。
観念せい!火付盗賊改の長長谷川平蔵。
小説シリーズ「鬼平犯科帳」でもおなじみの人物です。
物語の中の平蔵は鬼のような怖さで犯罪を取り締まる一方情に篤い。
史実の平蔵も厳しくかつ情け深い人物でした。
そして仕事では抜群の実績をあげています。
名うての大盗賊を次々とお縄にかけその検挙率たるや歴代の火付盗賊改の中でもナンバー1。
江戸の人々から絶大な人気を誇っていました。
なぜ平蔵がそれだけの結果を残す事ができたのか。
それは彼が人を動かす事に長けていたからです。
鬼のような厳しさにもかかわらず裏社会の人々の間では「捕まるなら平蔵」といううわさが立ちます。
彼のもとには自首してくる者が少なくありませんでした。
犯罪者でさえも動かしてしまう平蔵。
その知恵を読み解くのは…。
元プロ野球選手。
現在は野球解説者としても活動する古田敦也さん。
1989年ヤクルトスワローズにキャッチャーとして入団。
野村克也監督のもと持ち前の強肩を生かし初年度からレギュラーに定着します。
2年目には首位打者も獲得。
チームリーダーとして選手たちをまとめる存在になります。
ここにどうやって集まるかやで勝負は。
ここに来たら意味ないからね。
そんな古田さんは人を動かす達人。
選手一人一人の能力や性格を把握しある時は厳しくある時は優しく実力を発揮させました。
巧みにチームメートを動かした古田さん。
人を動かし江戸の治安に大きく貢献した長谷川平蔵の知恵をどう読む?鬼の平蔵「鬼平」と称されます長谷川平蔵の知恵なんですけど池波正太郎さんの小説とかあるいはドラマなどでも有名ですよね。
どんな印象をお持ちですか?正直申し上げまして架空の人物だと思ってました。
増田さんはどんなイメージで?阪神ファン的には「鬼平」って言われたら藤田平監督の事を最初にやっぱり出てくるんですけど。
あの時は選手があんまり動いてなかった感じもするんですよね。
そんな失礼な。
何か弱い時期やったんでね。
大石先生ドラマとかでは有名でしたけれども実際にはどんな人物だったんでしょう?意外と小説やドラマと似てますね実像は。
当時の評判記があるんですけどねやっぱり公平だっていう事とそれから優しいっていうのが書いてあって市民の間でも評判になってたっていうふうに言いますね。
ではまずその鬼の平蔵長谷川平蔵が火付盗賊改という職に就くまでにどんな道をたどっていったのかその辺りからひもといていきたいと思います。
近年東京スカイツリーなど観光スポットが増え多くの人々が訪れるようになっています。
江戸時代この辺りは「本所」と呼ばれていました。
もともとのどかな農村だった本所は18世紀に入り開発が進んだいわば江戸のニュータウン。
岡場所と呼ばれる幕府非公認の遊里が点在していました。
ここに「本所の鐵」と呼ばれた有名な遊び人がいました。
幼名を鐵三郎と名乗った長谷川平蔵その人です。
30歳で家督を継いだあとも歌舞伎役者のような服装で遊郭に通い詰めては父親がためた金を使い果たしたといいます。
そんな平蔵。
31歳で将軍の警護を担う書院番に任じられると一転真面目に仕事に励むようになります。
彼の名前が世に知れ渡ったのは天明7年。
この年数年続いた不作により米の価格が高騰し人々が江戸中の米屋を襲い始めました。
これに対しまず江戸町奉行所が鎮圧に乗り出しました。
しかし群衆は5,000人にも上っておりあまりの数になすすべがありません。
そこで幕府は「御先手組」に出動を命じます。
「御先手組」とは戦の際に先陣を務める精鋭部隊。
これを率いていたのが長谷川平蔵でした。
平蔵たちは暴徒を次々と取り押さえ鎮圧に成功します。
しかし騒動のあとも江戸の町の治安は回復しませんでした。
経済の停滞は社会不安を生み強盗殺人などが頻発したのです。
幕府はこの事態を憂慮し凶悪犯罪を取り締まる「火付盗賊改」の長官に打ちこわしの鎮圧で実績をあげた長谷川平蔵を抜擢します。
平蔵42歳。
江戸の治安はその双肩に懸かっていたのです。
火付盗賊改。
これ長谷川平蔵の役職として有名ですけれども実際どんな役職だった?火付も盗賊も極悪ですからね。
それを取り締まるというのはかなり厳しく接する警察という事になりますよね。
本来町奉行もそういう機能を持ってたんですけどあまり外へは動けない。
犯人が逃げちゃったら追いきれないんですよね。
それをどこまでもちゃんと追跡できて非常に強い権限を持った特別警察と言っていいと思います。
いわゆるイメージである重犯罪は火付盗賊改。
軽犯罪は町奉行とそういうくくりではない。
二分ではないですね。
彼らは別に職域が分かれてるとかセクションが違うとかってえり分けてるという事ではなくて重でも町奉行が出ていって捕まえる場合もありますから。
それはもう早い者勝ちで犯人がいたら…。
町のためにはそうですね。
早い者勝ちでやらないと。
そこで手柄の取り合いみたいな感じでは?あったと思いますそれは。
ライバル関係。
やっぱりあるんですか。
あります。
しかしね増田さん。
放蕩を重ねた若い頃好き放題やっていたようですね。
親の金で遊郭に行く。
いい身分ですね。
お坊ちゃま?そうですね名門ですね。
400石ってそんなに石高は大きくないんですけれども有名なうちで。
ただ彼ばっかりを責めちゃかわいそうで結構みんな放蕩してるんですよね若い頃ね。
役職に就いて一人前になる前の当時の人たちのファッションでしたね。
やっぱり切り替えがうまかったのかなとか。
オンとオフみたいな感じで。
でも野球選手はね現役バリバリの時にオンとオフ両方忙しいわけですよね?野球ばっかりずっとやってると…ちょっと言い訳に聞こえるな。
(笑い声)その長谷川平蔵の事を擁護するわけじゃないですけど寄り道みたいなのをしていく。
若い頃にね。
そういうのも大事かなとは思うんですけれどもね。
やりきった感あるんじゃないですか。
遊ぶ方でお酒も飲んだしこの30歳になってそろそろ世のため人のため俺は一生懸命やるんだというそういうのが芽生えて自覚してとかいろんな事があったんじゃないかと思いますけどね。
さあこのあと長谷川平蔵は大活躍していくんですね。
どんな知恵で心を動かしていくのかその知恵を見てまいりたいと思います。
火付盗賊改に抜擢された平蔵はその能力を遺憾なく発揮。
真刀徳次郎や葵小僧といった名うての盗賊たちを捕らえ更に空き巣や賭博なども数多く摘発しました。
その活躍ぶりはまさに鬼。
犯罪を取り締まるもう一つの組織町奉行所も「大きくへこむ」「かなわぬ」と愚痴をこぼしたとか。
一体なぜ平蔵はここまでの成果をあげる事ができたのでしょうか?長谷川様。
うむ。
始めようか。
はっ。
おっ平蔵の取り調べが始まるようです。
火付盗賊改は取り調べにおいて独自の裁量で拷問を行う事ができました。
ムチ打ち石抱きえび責め。
厳しい拷問で罪人を殺してしまう事もありました。
しかし平蔵は…。
上野の無宿熊五郎よ。
国はどこだ?母親は元気か?平蔵は取り調べにおいてどう喝したり拷問したりする事はありませんでした。
彼の談話が残っています。
平蔵は罪人を一人の人間として認める事で自白を導き出したのです。
そしてこんな逸話も。
ある盗賊を移送する時平蔵は一本の手拭いを渡しました。
市中の人々に顔を見られないよう頬かむりさせたのです。
たとえ犯罪者でも「恥ずかしい」という当たり前の感情を持つ事を平蔵は推し量れたのでした。
こうして平蔵は次々と犯罪者の心を動かしていきます。
大盗賊・播磨屋吉右衛門を捕まえた時はその意外な措置に人々は驚愕しました。
何度も大きな強盗事件を起こした吉右衛門。
厳罰が科される事は必至でした。
この時吉右衛門は体調を崩していました。
平蔵は体を気遣いなんと彼の配下の者を牢の中に呼んで看病させたのです。
温情ある扱いは評判を呼び犯罪者たちの間に「どうせ捕まるなら平蔵の手で」という意識を生みました。
平蔵の屋敷には自首してくる者が後を絶たなかったと言われています。
多くの犯罪者たちの心を動かした長谷川平蔵。
検挙率ナンバー1という実績の背景には相手を人として認めるという温かな人間愛があったのです。
大石先生何で犯罪者でも相手を人として尊重する認めるっていう事ができたんでしょうか?彼が若い頃遊んでたりして社会をよく知ってたという事と犯罪者は犯罪者なりに事情があって犯罪を犯してしまうと。
それをよくしん酌すると単に怖いだけじゃなくていろいろな思いやりが与えられる。
そういう事があると思いますね。
犯罪を犯した者を部下にしていたという話もあるそうですね。
そうですね。
目明しとか岡っ引きという形で使ってます。
平蔵が犯罪を犯した人たちと良いコミュニケーションというんですかねこれを取れる一つの要因になったものがあるんですよ。
実はこちらなんですけれどもこういった言葉。
実は犯罪者の中で俗語スラングのような形で使われていた言葉の数々。
これを平蔵が理解していたからだというふうに言われてるんですね。
例えば古田さんどんなものが気になりますか?「すけ」はね女の人の事じゃないですか?「あのすけが」とかってよく時代劇で話が出てくるんで。
正解です。
これはね「若い女性」。
増田さんはどうでしょう?「お花見」。
これも女性がらみじゃないんですか?正解はですね…。
これは花と花で「花札賭博」っていう言い方ですね。
古田さん他に何か分かりそうなものってありますか?「おつとめ」は僕らのイメージでいうと働く事じゃないですか。
だから彼らにしてみれば事件を起こす。
例えば強盗に入るとか。
あれちゃいます?「おつとめご苦労さまでした」って言うて刑を終えた人に対する…。
そうか刑務所に入る方か。
そのとおりなんです。
「盗みに行く事」なんです。
古田さん正解やったんですね。
僕いらん事言いましたね。
すいません。
俺もそっちに乗ってもうて…。
昔懲役刑はないから。
そうですね。
さあ難しいのが残ってしまいました。
分かんないですかね。
ちょっと分かんないですね。
まず「こつ」から開けてみましょうか。
これは「サイコロ」なんですね。
昔のサイコロは骨で作ってたとか?正解!そうなんですよ。
これは「しちしち」と読むんですね。
これは「放火」。
えっ何でですか?「八百屋お七」から来てると言われてます。
江戸の町に放火をした「八百屋お七」という女性の名前から来ている「七七」。
さあこの辺りになるとさっぱり分からないと思うんですが。
「勘太郎」なんて人の名前じゃないですか。
人の名前じゃないんですね。
「身を隠す」という隠語なんですね。
何で?これね身を隠してる時はじっと堪え忍ぶというイメージでね。
「堪える」という字が「勘」に似てるからというちょっと強引ではあるんですが。
ちゃうでしょ。
そして「しきてんを切る」。
「しきてんを切る」。
「しき」は何ですか?敷居の「しき」。
違うか。
…じゃないですね。
どこを見に行きますか?盗みに入る時。
屋敷。
屋敷の「しき」!そうなんです。
お屋敷に行く。
下見をしてそして「見張っておく」という事を俗語で「しきてんを切る」というふうに言っていたという事なんですよね。
これ普通の生活をしていたらこういう言葉って分かりませんよね。
放蕩してたっていう事が大きいかもしれないですね。
社会に通じてる。
いろんな人とつきあいますからね。
そういう情報は入ってくるという事で。
平蔵は町なかを歩いてる時にこういう言葉を多用してる人は「あっ犯罪者だ」っていうふうに分かったっていうふうにも言われますよね。
そいつをちょっとマークしとけと。
裏社会の機微まで分かったという事なんでしょうね。
それを象徴した話として伝えられてます。
だからこそあえて寛大な処置がとれたと。
古田さんは人を動かすためにあえて寛大な処置をとるっていうんですかね。
そういうような事をして人の心を動かしたという経験は?監督やってる時に例えばなんですけど盗塁のサインってあるじゃないですか。
それをいわゆる僕らでいう「グリーンライト」という言葉があって自分の行きたい時に行っていいよというサインがあるんですよ。
人によっては「お前は常にグリーンライトだ」って「だから行きたい時は行っていいぞ」と。
まあ一応言ってる選手もいるんですよ。
それがね例えばですけど2点ぐらい負けててね2点3点負けてて9回とかでね盗塁するわけですよ。
…でアウトになるんですよ。
「お前そこは走るとこじゃないやろう」と思うじゃないですか。
でもどっちのミスかってこっちのミスも多少あるんですけどそれを「お前そこは走るとこじゃないだろう」って言うとね今度は走れなくなるんですよそいつは。
ここ一番勝負していい時でも「またアウトになったら何怒られるか分からないからやめとこう」と思っちゃうんです。
そうするとそいつの持ち味消えちゃうんですよ。
だからそこはグッとこらえて「ナイストライ」って言って後からコーチとかが「あそこはちょっと考えようか」とかねもちろん言ったりしてるんですけれども基本的には次に生かしてくれると信じて。
本人も分かってるでしょうから。
これを2倍3倍で返そうと思ってるはずなんでそれに期待するって事ですかね。
どうしても怒っちゃいそうな気がするんですよ失敗したらね。
でもそこをこう認めてあげて場合によっては許してあげると。
でもその優しさに何かちょっと甘える?調子乗ってまういうたら犯罪者も…。
当時すごい大盗賊がいっぱいいたんですがそのうちの一人に葵小僧っていうのがいて武家の屋敷を盗みに入るんですけどねその時に女性がいると女性に乱暴を働いたという事で。
武家屋敷側がそういうのを不名誉として外に言わないという事もあってそれをいい事に罪を働いた。
その事については平蔵は許さなかったですね。
人道から外れてる犯罪という事ですぐ処刑しちゃっています。
やっぱそういうところは厳しかったんですね。
貧しくて犯罪を犯す人とそこのラインを越える人というのを線引きしてたようですね。
では平蔵の次なる人を動かす知恵について見てまいりたいと思います。
日々おびただしい数の犯罪と闘っていた平蔵。
しかし犯罪は増える一方。
減る気配を全く見せませんでした。
その背景には当時江戸を覆っていた社会不安がありました。
6年間続いた天明の大飢きん。
全国で100万人以上が亡くなったというこの大災害で農村は荒廃。
大量の人々が村を捨て江戸に流れ込んでいました。
家も職も持たない彼らは「無宿人」と呼ばれました。
食うに困って犯罪に手を染める者も多く無宿人の増加は治安悪化の大きな要因になっていました。
時の老中松平定信は困り果て幕臣たちに無宿人対策のアイデアを募ります。
しかし失敗を恐れて手を挙げる者はほとんどいませんでした。
そんな中一人の男が名乗り出ます。
長谷川平蔵でした。
平蔵にはあるプランがありました。
「寄場起立」という冊子には平蔵が自らしたためた無宿人対策のアイデアがまとめられています。
柱となるのは「手業」の習得。
すなわち無宿人たちに技術を身につけさせ食いぶちを稼ぐ手段を持たせるというものでした。
平蔵は無宿人が罪を犯す理由を見抜いていました。
それは貧困。
彼らが技術を身につけ貧困から抜け出せば犯罪は減ると考えたのです。
提案は受け入れられ平蔵は火付盗賊改と兼務する形で責任者を任されます。
高層マンションが建ち並ぶ…無宿人たちに技術の習得をさせる施設はここに造られました。
施設は「人足寄場」と名付けられます。
無宿人を「人足」と表現したところに彼らを一人前に育てたいという平蔵の決意が込められています。
平蔵はここで人足一人一人と向き合おうとします。
最初に収容されたのは20人。
目を配れる人数に抑えました。
入所の日には平蔵自ら施設の趣旨を読み聞かせました。
頑張って手に職を得た者は外に出る事ができる。
おのおの技術習得に励むように。
人足寄場では習得できる技術が数多く用意されていました。
人足たちは自分が学ぶ技術を「勝手次第」つまり自由に選ぶ事ができました。
それぞれが自分の個性や能力に合った職を見つけられるようにという配慮でした。
作業を通じて作られた製品は江戸市中で販売されます。
売り上げの2割は材料代として差し引くものの残りの8割は人足に給料として与えました。
その金は出所した時生活の元手となるよう積み立てさせました。
一人一人に対しきめ細かな援助を惜しまなかった平蔵。
仕事の合間を縫って月に7日は寄場に通い成長を見守り続けました。
やがて人足が出所する時になると平蔵はこれまでの貯金と共に仕事に必要な道具を与え就職先の斡旋までも行っています。
例えば平助鉄五郎という親子には大工道具の他店舗や家屋も用意されました。
徐々に軌道に乗った人足寄場。
毎年200人を超える人々が技術を身につけ社会復帰していくようになりました。
無宿人対策に頭を悩ませていた老中松平定信は…。
無宿人を切り捨てるのではなく社会に迎え入れようとした平蔵。
寛政7年。
50歳でその生涯を閉じます。
平蔵の死後も人足寄場はその規模を拡大しながら明治まで続きました。
一人一人と丁寧に向き合うという平蔵の姿勢はあまたの無宿人の人生を動かしたのでした。
この人足寄場の意義というのは歴史的にはどういうふうに見て取れるんでしょうか?無宿者っていうのは実は犯罪は起こしてないんですよね。
ですがその人たちが増えれば増えるほど犯罪が起こりやすくなる環境で。
それをどちらかと言うと今までは隔離してしまったりあるいは強制労働とかっていう形で全部こう…厳しい目で見てたんですがそれを彼は社会復帰を前提に職を与えるっていう事で社会と彼らとのつながりというのに新しいパイプを作ろうとしたという点で非常に新しい近代的な政策だったというふうに評価されています。
こういった施設っていうのは世界的にも珍しかったそうですね。
非常に近代性からいうと日本のこの施設っていうのは高く評価されていますね。
これいうたら悪い事をした人を捕まえる立場やった人間が悪い事をする前の対策まで頑張ったって事なんですね。
捕まえながら見えてたんでしょうねどうすれば犯罪に犯罪人にならないかっていう。
その一つ手前で防止しようって彼は考えたんですね。
現場に行ってたから解決方法も見えたって事なんですかね。
何かこういい意味で諦めが悪いですよね。
だからみんながあいつにはそんな事やっても無駄だよっていう事にいやまだチャンスがあるはずだと。
そこを突き詰めた結果ここまでいったっていう事ですから。
入ってきた時に面接していろんな情報を得たという話もエピソードがありますから。
人足寄場にね入ってきた時に。
彼なりに平蔵はいつもアンテナを張ってたんだと思います。
古田さん一人一人と向き合うという知恵でしたけれどもこれはどういうふうにご覧になりましたか?僕はキャッチャーというポジションだったんでやっぱりピッチャーがどんな事求めてるのかっていう事を…。
それは要は力を発揮するために何が必要かっていう事をリサーチもしますしコミュニケーション取ってそういう事をよくやってました。
例えばクローザーの高津っていうピッチャーがいるんですよね。
高津っていうのは最後クローザーなんで1イニング神経をガーッて研ぎ澄まして熱い気持ちを持ってやる人間なんですよね抑えなんで。
「気持ちを高ぶらせるためにキャッチャーミットの色を赤にしてくれ」と言うんですよ。
それとは対照的に先発で有名だった岡林というピッチャーがいるんです。
あいつは精密機械っていうコントロールのいいピッチャーだったんです。
そいつはね「青いミットじゃないと投げにくいです」と言うわけです。
だから僕は毎試合毎試合必ずミットは2つ持っていって岡林から代えたら自分のミットも替えて彼ら用にも用意するんです。
え〜!それぐらいすると彼らも信用してくれるんですよ。
自分のためにここまでやってくれてるって分かってますから。
組織とかチームとかいっても結局人の集まりなんで彼ら一人一人をどう生かすかという事を常に考えてました。
長谷川平蔵のやった政策というのは適材適所っていう言葉がありますけど…古田さんどうでしょう?場をつくってあげる。
あるいはその人が輝くような環境をつくってあげる。
そういう経験っていうのはありますか?僕は2001年の時に優勝したんですけどその時はもう戦力が全然低くてねピッチャーがいなかったんで。
ジャイアンツからクビになった入来っていうピッチャーが来て結局そいつが10勝以上する事になるんですけども。
彼はすごいね性格的にガーッと入る人間なんですよ。
細かい事ってあんまりね言っても分からないっていうか忘れちゃうんですよ。
打ち合わせしてても試合が始まっちゃうと。
100球も投げれなくて早めにもう力落ちちゃうんですけども「行けるところまででいいんだ。
先発だから7回投げなきゃいけないとか9回投げなきゃいけない事ないんだからとにかく飛ばしていけ」と。
「お前一生懸命に投げてる姿みんな嫌いじゃないよ。
俺たちも」と言って1年間何かもちましたね。
僕はだからねほんとにねとあるジャイアンツの選手に言われたのはね「ようあの入来を手なずけたな」と。
手なずけたという気もないんですけどね。
やっぱり一人一人に活躍できる特性を見抜いて場をつくってあげるというのは…。
いつもいつもうまくいくわけじゃないんでねあれなんですけどそういう事もあるって事ですね。
平蔵の知恵をたっぷりと味わって頂いておりますけれど続いてはですね平蔵が食べたであろう江戸の味覚というのをねちょっと味わって頂こうかと思いましてまずこちらをご覧下さい。
主人公ゆかりの地から取って置きのネタを探し出す…小説「鬼平犯科帳」シリーズ。
長谷川平蔵の活躍とともに読者に人気なのは作品に登場する食。
作者池波正太郎は食通で知られ鬼平たちが飲み食いする料理は食欲を大いにそそります。
中でも最もおなじみのメニューといえば…小説では平蔵は仕事の合間にしばしば「五鉄」という軍鶏鍋屋に通いつかの間の休息を楽しんでいました。
この五鉄は江戸時代半ばから日本橋で営業を続ける老舗鶏料理店がモデルだと言われています。
ではいざ平蔵気分で味わってみたいと思います。
いただきます。
もも肉ですね。
う〜んおいしい!おいしいですねハハハ!歯応えとジュワーッとジューシーな味がしてくるんですね。
五鉄風の軍鶏鍋はですね鶏肉を熟成させておりましてそれで鶏肉がぱさつき感とかそういうのがなくより味わいが深くなっています。
おいしかった〜!しかし残念ながら実は史実の平蔵が軍鶏鍋を食べたとの記録はありません。
当時の老中松平定信は財政再建のため役人たちに倹約を命じておりぜいたくする雰囲気ではなかったようです。
では平蔵は一体どんなものを食べていたのでしょうか?こんな記録がありました。
平蔵の人気を高めたというそば。
これは是非食べたい!柳原先生よろしくお願いします。
(柳原)こんにちは。
江戸の食文化に詳しい柳原一成さんを訪ねました。
たれなんですけどもたれはみそだれ。
みそ?汁というかたれというかみそなんですよ。
寛延4年に著された「蕎麦全書」にはなんと当時はみそ仕立てのそばが一般的だったとあります。
江戸時代しょうゆは高級品でした。
庶民にとってはみその方が身近な食材だったとか。
という事は平蔵が町人に振る舞ったそばもみそ味の可能性が高い?果たしてみそ味のそばとは…。
(柳原)みその約3倍強の水を入れていくんです。
水を入れるんですか?
(柳原)水なんですはい。
結局ねしょうゆはあるにはあるんですけども全部に普及はしてないんですよね。
そうするとしょうゆに似たものといいますとねみその上澄みみたいなもの。
それに近いものを作ろうという事なんです。
煮詰まったらさらし布を使ってこします。
後からかつお節のいい香りが追ってきますね。
はいはいはいいいですよ。
結構ねきれいな汁がとれる。
下見て下さい。
ほんとだ!澄んでますね。
「おしょうゆですよ」と言われても分からないぐらいの。
(柳原)しょうゆに見えますよね。
見えますね。
この汁をゆでたそばにかければ完成!さあスタジオの皆さんも召し上がれといきたいところですがそばと一緒に頂く薬味も欲しいですね。
「蕎麦全書」には薬味についての記述もありました。
現在でも使われる薬味がたくさん。
その中でも今回はとうがらしに注目。
江戸時代初めに創業した七味とうがらし店があるとか。
どうもこんにちは。
おじゃまします。
初代の店主がもともと漢方薬に精通しておりまして漢方薬にヒントを得てとうがらしにいろいろな材料を混ぜ合わせていわゆる七味とうがらしを作ったのが始まりでそれが江戸の方で広まったという事になってますね。
カウンターには原料がずらり。
既に混ぜたものを売っているんではないんです。
江戸時代は七味とうがらしをその場で調合して売っていたそう。
そこで「知恵泉」のお店で使うための特別ブレンドをお願いしました。
香りがこちらになっております。
いい香りですね。
これはさんしょうの香りもフワッと来ますし。
もうちょっと一味の感じが加わると…。
じゃあちょっと足してみますね。
ちょっとほんとにフワッて辛さがたってくるような感じがしますね。
温かいそばに七味とうがらし。
町人たちの心をつかんだ平蔵の味をご賞味あれ。
さあでは皆さん平蔵が食べたかもしれないというこの江戸時代のおそば召し上がってみて下さい。
おみそ仕立てですよ。
まあそうですね。
みそと言われればみその香りですわね。
しょうゆと言われればしょうゆにも何かね別に。
しょうゆではない。
しょうゆではない?でもしっかりちゃんとしたお味は利いてておいしいですね。
何かみそっていうとみそラーメンっぽいみその味がどうしても頭の中にあるけどそれとは全然違いますよね。
これ全部…。
薬味ですね。
この七味は私が取ってまいりましたので。
江戸時代から薬味があったって事なんだ。
今日も先生が食べ物をすごい楽しみにしてはりました。
あっ薬味が結構な薬味ですね。
あ〜そうですか。
いろんな…七味というだけあっていろんな味しますよ。
さんしょうの香りがすごいな。
先生はいかがですか?おいしいです。
ありがとうございます。
なかなか現在では食べられない味ですね。
江戸の町人っていうのはね平蔵の捜査によく協力していたという事ですけどもこうやっておなかを満たしてもらえるというのもねひとつコツだったのかなとも思いますが。
夜とかおなかすいてる時にちょっとおごってもらえればありがたいですね。
そうですよね。
今回長谷川平蔵の知恵という事で見てまいりましたけれども増田さんはどういうふうに味わって頂けました?もっと怖い人だと思ってましたね。
「鬼平」ですから。
こうやって見たら…うまい事言いますね。
そういうふうに読みました。
古田さんにお伺いしましょう。
最後に古田さん流の「人を動かす極意」というのは…。
「寛厳自在」っていう言葉がありますけど。
寛厳自在?寛大の寛と厳しいという字を…。
この両方を自在に操れるという事ですよね。
人を生かしたいんですよね。
だから生かす方法が…「俺の背中を見ろ」っていうのも一つですしアドバイスをしてやるっていうのも一つですし逆に言うと怒ってやるというのも一つですしいろんな方法を持っとかなきゃいけないと思うんですよね。
もしそれがうまい事いったりするとその選手はこの監督の言う事は聞こうとかって思いますからまさに人を動かすっていう事になっていけるんで…それをその人その人に合ったものを使い分けていくというふうにした方がやっぱり人は生きますね。
ありがとうございました。
いや〜やっぱりでも人を動かすっていうのはなかなか大変そうだというふうにちょっと思いましたね。
いや頑張ってね人を動かしたらええんちゃいますか?いろんな人にお願いして。
まぁぼちぼちやっていきますよ。
ほんなら僕もねちょっと人を動かしたいと思います。
古田さん来年の阪神ねキャッチャーで守ってもらえません?熱意が足りない。
熱意があったら復活してくれんねや。
2014/11/18(火) 05:30〜06:15
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 人を動かす極意「長谷川平蔵」[解][字][再]
池波正太郎「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵に注目。長谷川は実在の人物。火付盗賊改の長官として検挙率は歴代トップ。犯罪者の心を動かす極意とは?古田敦也氏の極意も。
詳細情報
番組内容
池波正太郎「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵宣以に注目。長谷川は実在の人物。若い頃は放とうしたが、その後、火付盗賊改の長官となって活躍した。歴代の長官の中で検挙率はトップ。厳しいながらも温情ある裁きが有名だった。「捕まるなら平蔵の手で」と自首してくる犯罪者が絶えず、中には配下に加わった者も。彼はどのように人を動かしたのか。ゲストは元プロ野球選手・古田敦也氏。貴重な経験から「人を動かす」極意を紹介。
出演者
【出演】古田敦也,増田英彦,東京学芸大学教授…大石学,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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