日曜美術館「響き合う絵と詩〜竹久夢二の大正ロマン〜」 2014.12.07


大正ロマンを彷彿とさせる「宵待草」。
竹久夢二は絵を描き詩を作りました。
今日は夢二の絵に夢二の詩をのせてお届けします。
夢二は美人画で一世を風靡しました。
ほっそりした体につぶらな瞳。
愁いを含んだ独特の美人画は「夢二式」と呼ばれました。
夢二式美人を育んだといわれるのが夢二が愛した3人の女性たちです。
夢二が画家として歩み始めていた22歳の時結婚したたまき。
つぶらな瞳の美人でした。
次に画家の卵で女学生だった彦乃が現れます。
愁いを帯びた表情が印象的です。
そして夢二が30代後半共に暮らしたお葉。
藤島武二など有名な画家のモデルをしていました。
お葉のほんとにすばらしいところって画家が持ってるものを画家のイメージの中でより高いところにこう持ってってくれるっていうか。
すばらしいモデルってそこにいる事によってよりすばらしい作品を画家がこう描けるようになる。
夢二が自ら撮ったお葉の写真には夢二式美人とそっくりなポーズが数多くあります。

(橋)夢二式の絵を写真の中でつくり出そうとしていたと思いますね。
それをまたその写真のアルバムをまた見返してはそれを基に絵を描いていた。
たまきもお葉もその夢二の絵の中ではすごくこう輝いてくれたけれどもやっぱり思うようにいかないというか現実は。
彦乃っていうのはもともと絵を描いている少女で夢二に憧れてもいて同じ絵を描く者同士のこの分かり合いみたいな。
本当に心をさらけ出すような事ができたのは彦乃だけだったのかもしれないなと。
彦乃に宛てた夢二の手紙が残っています。
2人が出会った時彦乃は18歳。
親の厳しい監視の目を盗んでのひそかなつきあい。
彦乃を「山」夢二を「川」と合言葉で呼び合いました。
彦乃はつきあい始めた頃青い麦畑を通って夢二に会いに来ました。
やがて京都に移り住む事になった夢二。
彦乃は京都の画家に弟子入りすると親に告げて夢二と暮らし始めます。
そんな2人の新婚旅行とも言えるのが金沢の湯涌温泉への旅でした。
2人はこの山里の温泉に3週間ほど滞在します。
温泉街は様変わりしましたが僅かに当時の面影を残す場所がありました。
ここは夢二の道というふうに土地では呼んでまして。
彦乃は着物で草履履いてこの山道歩いて草履の鼻緒を切らしたりしてますけれども。
そんなふうに2人が楽しみながら山を歩いた。
水入らずの生活というのがここが本当に3週間貴重な期間だったと思いますね。
これからまあ家族としてスタートできるかなと実感したところじゃないですか。
そういう意味で彼らの生涯の至福の時というふうに言えると思うんですね。
最も幸せなひととき夢二は彦乃の姿を絵にとどめました。
やがて彦乃は結核に倒れます。
そして東京で入院生活を送る事になります。
彦乃は23歳の若さで亡くなりました。
彦乃の死が差し迫っていた頃夢二は彦乃にささげるようにこん身の美人画を描き上げます。
代表作となった「黒船屋」です。
彦乃は夢二が生涯恋い慕う「永遠の恋人」となりました。
夢二は子供たちのためにも多くの絵を描き詩を作りました。
そこには自らの遠い子供時代への郷愁が込められています。
「ねたかねなんだかまくらにとへばまくらものゆたねたとゆた」。
「風ハダンスノ先生カ風ガヲドレバエプロンモ坊ヤノシャツモヲドリダス」。
夢二は明治17年岡山県本庄村で酒の取次販売をする家に生まれました。
芸能好きの父優しい母や姉に囲まれ幸せな子供時代を過ごした夢二。
しかし15歳の時一家は家を畳み福岡県八幡に移り住みます。
夢二は再びふるさとに住む事はありませんでした。
夢二の絵にはふるさとで過ごした子供時代への郷愁が色濃くにじんでいます。
生家の近くに夢二が親しんだという大きな椿が残っています。
こちらが夢二の母の椿の…思い出の椿になってます。
夢二のお母さんの実家のあった場所でして夢二も小さい頃この椿の周りでお姉さんや妹たちと遊んでいた。
また「童子」という夢二の子供絵の代表作にも描かれている椿になっています。
椿とその下で遊んでる輪になってる子供たち描かれていて男の子が1人だけ描かれてるんですね。
恐らくそれは自分自身を投影させている子供であると言えますし夢二といえば椿を思い浮かべる方多いんですけど「童子」の絵だけではなくて繰り返し繰り返し夢二が用いてるモチーフのお花であるからなんですね。
そのモチーフはなぜそんなふうに繰り返し使われるんだろうかというふうに考えていった時に私はこのお母さんの椿の木というのが夢二の中にこう深く焼き付いているからではないかなというふうに思ってます。
夢二は生涯望郷の思いを抱き続けました。
子供絵の中で夢二がこだわり何度も繰り返し描いた光景があります。
それは子供たちが輪になって踊るイメージでした。
橋律子さんは輪になって踊る夢二の絵がどのように進化してきたのか跡付けてきました。
その手がかりとなったのが夢二のスクラップブックでした。
雑誌や本などに載っている気に入った絵や写真を古今東西を問わず切り貼りしたものです。
輪になって踊る絵も多くあります。
最初のイメージにあるのは「かごめかごめ」の絵なんです。
日本のその童歌で子供たちが手をつないで「かごめかごめ」をしているという。
明らかにそのモチーフで描いてます。
それが真ん中に小さなお山が描かれてます。
その「かごめかごめ」のイメージを持っているとこの真ん中に山があるってすごく不思議な発想だなと思ってたんですね。
スクラップブックを見ていた時にこういう図版を発見しました。
この絵はあの子供たちではなくってもう大人の女性が衣服を身に着けずこう手をつないで回っているという絵ですけれどもその真ん中に山が存在しているというこのモチーフ。
外国の雑誌からのイメージをそのもともと持っていた「かごめかごめ」のイメージに重ね合わせて更に自分なりの絵を作っていく。
ダイナミックな非現実的なちょっと夢の世界みたいな所に誘い込んでくれる面白さがありますね。
こちらもすごく夢二の人気のある「ラ・ロンド」という絵なんですけれども。
洋服を着た男の子と女の子がちょっと不思議な木の周りを回ってる絵ですごく愛らしいんですけれどもこれにもそっくりな絵というのがありましてこちらですね。
ジャネット・ローラ・スコットという画家が描いた絵本の表紙だと思うんですけれども男の子の洋服が本当に風のたなびき方っていうのがそのままで。
あっ竹久夢二絵まねしたのねというふうに思われちゃうかもしれないんですけれどももともと夢二がこのテーマに関心があって自分なりにアレンジしながら新しい世界観をどんどんつくってきてる。
そういった時に今までちょっと日本の「かごめかごめ」にちょっと引っ張られがちだったそのイメージというのがこんな軽やかなファッショナブルな生き生きとした子供たちの姿に描き出せるんだというのは夢二にとっても衝撃ですごく楽しい事だったんじゃないのかなと思います。
生涯にわたり日本各地への旅を続けた夢二。
そこから異国情緒あふれる絵が生まれました。
東洋と西洋が出会い江戸と現在が溶け合う不思議な世界です。
夢二の異国情緒をかきたてた長崎。
そこから夢二の詩が生まれ歌になりました。
フランスの海軍士官ピエール・ロチとお菊さんの歌です。
異国情緒あふれる不思議なイメージを夢二はどのようにしてつくり上げたのでしょうか。
夢二の絵の発想源ともいえるスクラップブックには当時西洋の最先端の絵だったゴッホやムンクと共に歌麿など江戸の浮世絵も数多く貼られています。
(橋)竹久夢二の中で西洋と古きよき日本のイメージっていうのが分け隔てなくあったというかそうですね…同じ距離感であったんだなというふうにすごく感じてます。
日本の図版浮世絵だったりそういったものを参考にしながらも外国の図版もそこに取り入れてみたり自由にミックスできてしまうというところの強みが夢二の中にあってそれが絵に独特の雰囲気を醸し出させていたんだなというふうに感じています。
「黒船屋」ってすごく有名な絵でまあ黒猫を抱いてる絵なのでそれだけで独特の雰囲気があるかと思うんですけれどもこの絵の元になっていると言われているヴァン・ドンゲンの黒猫を抱いた女性の絵があるんですけれどもこれを見て頂くとああ夢二はきっとこの絵を見てこの「黒船屋」描いたんだなというのが恐らく皆さんそういうふうにお思いになるんじゃないかなというふうに思います。
ただ同時にスクラップブックを見た時に箱の上に座って腰掛ける女性の姿猫は抱えてなかったんですけれどもそういう図版もあったんですね。
私自身すごくびっくりして。
「黒船屋」のイメージソースってここからも来てたんだなという。
この絵の魅力っていうのもやっぱりその夢二の持つその自由な引用のしかたというか取り入れ方というところから来てるんだなというのはすごく思いました。
夢二の絵の源泉の一つが日本各地への旅でした。
「旅人の心ですべてを見なおしたい。
私は住民でありたくない」。
旅に出ては絵を描いた夢二。
絵の中の姿はいつも異邦人のようです。
夢二が気に入った土地の一つふるさとに程近い古い港町室津。
かつては遊女町があるほど栄え近松門左衛門や井原西鶴の物語の舞台ともなりました。
ここを訪れた夢二は彦乃にこう書き送りました。
「海は青く山々は赤い。
そこに住む人たちはみんな近松の浄瑠璃にあるような言葉をつかう。
なんという静かなものかなしい趣をもった港であろう」。
「僕の心のうちにあるあるたいへんなつかしいもの眠っていたものそれが忘れた楽器の鳴るように高くひびく」。
晩年の夢二がしばしば訪ねた場所が群馬県の榛名山でした。
四季折々に変化する榛名の雄大な姿にひかれたのです。
榛名湖のたたずまいというのはどこにもないんですよ。
向こうの山がちょうど富士山に似てましてね山の稜線が柔らかいんですよ。
静かな山湖これきれいなんですよね。
そこに魅了されたんじゃないでしょうか。
榛名湖のほとりに美術研究所をつくる事を構想しアトリエを建てた夢二。
多くの榛名山の絵を残しました。
榛名山のパノラマを背景にした舞姿。
夢二が晩年洋行した時に描いた絵。
女性が榛名山に抱かれるように横たわっています。
裏側に夢二の言葉が記されています。
「山は歩いて来ない」という事は「山」は自分の最愛の恋人であった彦乃の事なんですね。
符丁で呼んでいましたから。
でも死んでしまったしもう帰ってこないじゃないですか。
山はもう帰ってこないんだと。
そういう思いも含まれていたんじゃないんですかね。
だから私は帰っていこうと。
早く君のとこへ行きたいよというそんな思いがあったんじゃないんでしょうか。
女性は恐らく彦乃を思って描いたんでしょう。
そしてその胸のところにす〜っと流れてる川それが彼自身であったような気もするんですよね。
晩年の夢二の自画像です。
昭和9年竹久夢二は信州の療養所で息を引き取ります。
49歳でした。
「私は泣きながら生まれた。
その時みんなは笑った。
死ぬ時には私笑っていたいと思う。
そしてみんなを泣かせてやりたい。

(「宵待草」)・「待てど暮らせど来ぬひとを」・「宵待草のやるせなさ」・「今宵は月も出ぬさうな」2014/12/07(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「響き合う絵と詩〜竹久夢二の大正ロマン〜」[字]

美女が醸し出す詩情ある絵で一世をふうび、大正ロマンを現出させた竹久夢二。夢二は感傷と郷愁の思いを絵だけではなく詩にも表した。夢二の絵と詩を響き合わせながら紹介。

詳細情報
番組内容
かよわい美女が醸し出す詩情あふれる絵で一世をふうび、大正ロマンを現出させた竹久夢二。つぶらな瞳、愁い顔の“夢二式美人”。西洋と日本が不思議に溶けあった“異国趣味”の絵。そして故郷の幼き頃を懐かしんだ “子供絵”。夢二はこれらの絵に共通する感傷と郷愁の思いを、絵だけではなく、詩にも表した。夢二の絵と詩は、極めてよく響き合う。番組では、詩の朗読と連動させながら、情緒たっぷりに夢二の絵を紹介する。
出演者
【出演】金沢21世紀美術館学芸員…高橋律子,竹久夢二伊香保記念館館長…木暮享,夢二郷土美術館館長代理…小嶋ひろみ,金沢湯涌夢二館館長…太田昌子,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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