NHKスペシャル「調査報告“消えた”子どもたち〜届かなかった“助けて”の声」 2014.12.22


私たちの社会から姿が消えてしまった子どもたちがいます。
アパートの一室を訪問する児童相談所の職員と警察官。
ごめんください。
こんにちは。
お父さん今日ですね…。
この部屋に住む小学生の男の子がもう1年以上学校に姿を見せていません。
父親が子どもを家に閉じ込めていたのです。
その時でした。
男の子が自ら部屋を飛び出してきました。
待って待って!待って待って!ちょっと待ってちょっと待って!手つないで手つないで!お手々つなごうよ怖い怖い。
1年以上社会から消えていた男の子がこの日無事に保護されました。
9年前発覚した事件。
母親に18歳まで自宅に軟禁されていた女の子は小学校も中学校も一日も通う事ができませんでした。
その本人が当時の事を初めて語りました。
親の事情で社会との接点を失い姿が確認できなくなってしまう子どもたち。
私たちはその実態を明らかにするため全国の児童養護施設など1,377か所にアンケート調査を実施。
家庭という密室の中で子どもたちが過酷な生活を強いられていた事が分かってきました。
ケージに入れられひもでつながれていた3歳の男の子。
家から一歩も出た事がなく食事を犬のように食べていた4歳の子どももいました。
その数はこの10年で1,039人に上る事が初めて明らかになりました。
私たちはこうした子どもを「消えた子どもたち」と呼び一つ一つのケースを追いました。
見えてきたのは救いを求める子どもたちに気付き助ける事ができない私たちの社会。
子どもたちを守るために今何が求められているのか?これまで届く事のなかった子どもたちの声を聴いて下さい。
なぜ子どもたちは社会から消えてしまうのか?福岡市郊外にある団地です。
この一室に女の子が18歳になるまで母親に閉じ込められていました。
小学校も中学校も一日も通う事ができませんでした。
自力で逃げ出しコンビニエンスストアで保護された時には18歳にもかかわらず身長は1メートル20センチほどでした。
保護されて9年。
この女性は今どうしているのか?
(チャイム)取材を進める中で女性は行政の支援を受けアパートで1人暮らしをしている事が分かりました。
こんにちは。
よろしくお願いします。
ナミさん27歳です。
子どもたちに自分と同じような思いをさせたくないと初めて取材に応えてくれました。
当時母親に家に閉じ込められていたナミさん。
幼い頃から外に出るなと言われ手や足を縛られた事もあったといいます。
仕事で留守がちだった父親は見て見ぬふりをしていたといいます。
18歳で逃げ出すまで事態が発覚する事はありませんでした。
福岡市がまとめた報告書です。
義務教育さえ受けられなかったナミさん。
18歳になるまでなぜ助ける事ができなかったのか。
学校の教員は家庭訪問はしていました。
しかし母親は「障害があるので外に出せない」などと話しナミさんとの面会を拒んでいたと記されています。
実際にナミさんの家を訪ねていた教員が取材に応えました。
学校はナミさんの姿を一度も確認する事ができなかったため児童相談所に相談していました。
しかし児童相談所は介入しませんでした。
当時の担当者の一人河浦龍生さんです。
学校側が母親とは会って話ができていたためリスクは低いと判断していたといいます。
お母さんと話ができていてお母さんの話をそのままそうかなっていうふうに思って実際そうであるかどうかを確かめず我々としては対応としては終結をするというそういう事になっていますけども。
もっと能動的に対応できるできておればもっと違った展開になったかもしれないっていうふうには本当に思います。
そういう意味では彼女には申し訳なかったというふうに思います。
保護されて9年。
ナミさんは明るく広い場所は落ち着かないと毎晩押し入れで眠っています。
社会から消えてしまった子どもたちは一体どれほど存在するのか。
私たちは子どもたちが保護された時に受け入れ先となる児童養護施設など全国1,377か所にアンケート調査を実施。
6割にあたる834の施設から回答を得ました。
その結果義務教育さえ受けられないなど社会との関わりを断たれていた子どもの数は保護されただけでもこの10年で1,039人に上る事が分かりました。
その期間は1か月から10年以上に及んでいました。
アンケートからはホームレス状態となり姿が消えていた子どもたちがいた事も分かりました。
その人数は85人に上りました。
自動販売機の裏で暖をとって眠っていた幼い兄弟。
車上生活の末ミイラ化して見つかった男の子もいました。
かつて車上生活をしていた男の子が取材に応じてくれる事になりました。
小学4年生から1年半学校に通えなかったケンジ君です。
父親の事情で一家6人で夜逃げし居所を隠すために車で転々としていたといいます。
その間ケンジ君は学校に行きたいと両親に訴えていました。
ケンジ君は父親が病死した事をきっかけに施設に保護されました。
社会から姿が見えなくなってしまう子どもたち。
親たちはなぜそのような状況に子どもを追い込んでいたのか。
アンケートで最も多かったのは育児放棄を含む虐待。
そして貧困などの経済的な理由。
更に親の精神疾患や障害という理由もありました。
今の社会でさまざまな事情を抱える親たち。
外からは見えにくい家庭の中で子どもたちは社会との接点を失っていたのです。
保育士を目指し定時制高校に通うマオさんです。
母子家庭に育ったマオさん。
10歳の時母親が精神疾患になった事をきっかけに生活が一変しました。
母親の面倒を見ながら家事の一切を担うようになり中学校の3年間行きたくても行けない日々が続きました。
マオさんの状況に周囲の大人は気付く事はできなかったのか。
当時マオさんが住んでいた家は密集した住宅地の一角にありました。
こんにちは。
このご近所で母子家庭で…いました?
(女性)引っ越してはるから。
(取材者)そのあとずっと空き家?
(女性)空き家空き家。
(取材者)どんな印象でした?
(取材者)中学校行かない間って近所の人どういうふうに見てました?登校してこないマオさんを学校はどう見ていたのか。
当時の中学校の校長です。
担任が家庭訪問をしていましたが自分の意志で学校に来ない不登校だと思っていたといいます。
周囲の大人が深く関わろうとしない中マオさんは孤立を深めていきました。
消えた子どもたちは保護されただけでも1,039人。
今も姿が見えなくなっている子どもがこの社会にどれだけいるのか。
実態は把握されていません。
18歳まで家に閉じ込められていたナミさんです。
今児童相談所で子どもを支援するボランティア活動に参加しています。
すごい色がカラー…何色?赤じゃないですか。
しかし人との会話に加われない事もあります。
本当に見事と思って確か写真も撮ったよ。
ハハハハ。
アルバイトを探そうと何度も履歴書を書いて面接を受けましたが不採用となり送り返されてきました。
義務教育さえ受けられなかったナミさん。
保護されたあと23歳で中学の卒業資格を取りました。
しかしほかに書ける事はありません。
インターネットやテレビで虐待や母親という文字を目にするだけで今でも突然過去の記憶がよみがえってくるといいます。
すいません。
本当にきついんですよ。
思い出して…。
ずっと…。
(はなをすする音)保護されて9年。
心の傷が癒える事はありません。
(はなをすする音)今回明らかになった消えた子どもたち。
その後の人生にどのような影響があるのか。
アンケートからは深刻な実態が浮かび上がってきました。
生活に支障が出るほどの学習の後れや体の発達への影響。
700人以上の子どもがその影響に苦しんでいる事が分かりました。
中には保護されたあとで社会に適応できないまま自殺してしまった女性もいました。
自ら命を絶ったユキさん。
中学2年生までの7年間学校に通わせてもらえませんでした。
ユキさんが保護された児童養護施設には職員に宛てて書いた手紙が残されていました。
「夜はしばりつけられる。
なぐられて血がでた」っていう。
机で椅子に座らされてビニールひもでぐるぐる巻きにされて部屋のドアはガムテープが貼ってあって。
施設に来た当初は誰とも関わろうとしなかったといいます。
手紙にはユキさんの苦悩がつづられていました。
「今でも人をうたがってしまう。
みんなとちがう育ち方がいけないの。
頭のびょう気なの?それとも?なんでみんなとちがう考え方しかできないんだろう。
私はこれからの1年後をどうするの?死んだ方がいいの。
なぜ生きてるの?助けて?!」。
18歳になり児童養護施設を退所したユキさん。
その後自立支援のための施設に移りました。
失礼致します。
施設に来て半年後ユキさんは自らを傷つける行動をとるようになりました。
リストカットがあった。
多分すごく不安だったんだというふうに思いますね。
これが彼女が書いたものなんですけど。
施設ではユキさんに寄り添おうと努めていましたがここは自分に合わないと1年半で退所。
その後連絡が取れなくなりました。
消息が分かったのは3年後。
駅のホームから飛び込み自ら命を絶っていました。
23歳でした。
ユキさんが施設宛てに残した手紙です。
「最後まで大人を信用できない私でしたが先生方は幸せでいてください。
そうすれば子供達にも幸せは伝わると思います。
そして幸せを助けをまっている子供に分けてあげてください。
いたくて悲しい子供達を助けてあげてください」。
私たちは今回消えた子どもたち23人に直接会って取材をしました。
その中には周囲の関わりによって救い出された子どももいました。
介護福祉士として働く下村志与さんです。
自分で買ったんですか?気分悪い?小学3年生から母親の事情で学校に通えませんでした。
母子家庭に育った志与さん。
母親は離婚をきっかけに次第にうつ状態となり「お母さんから離れないで」と志与さんに依存するようになったといいます。
学校にも行けずにいた志与さんの異変に気付き声をかけた人がいます。
叔母の山田ゆう子さんです。
当時家を訪ねた時電気もつかない部屋で志与さんが無表情でたたずんでいる姿に驚きました。
今は精神的な安定を取り戻しつつあります。
当時は山田さんから学校に通わせた方がいいと言われても耳に入らなかったといいます。
山田さんは母親の洋子さんと何度も話し合いを重ね志与さんを引き取る事にしました。
小学生だった志与さんを育て高校まで通わせました。
(一同)・「ハッピーバースデートゥユー」おめでとう!
(一同)おめでとう!
(拍手)ありがとう!先月志与さんは友人たちに囲まれ二十歳の誕生日を迎えました。
今では母親の洋子さんも当時の山田さんの判断に感謝しているといいます。
お米を洗剤で洗いよった。
そういう…。
だって!でも一応洗おうとは思ったの?18歳まで社会との接点を絶たれていたナミさんです。
彼女を助けられなかった事を悔やんでいる児童相談所の河浦さん。
あれから9年。
河浦さんたちスタッフはナミさんとのつながりを大切にしてきました。
苦しいけど何か…なんとか生きてるっていう。
(河浦)それってすごいですよね。
そうですね。
あなたのその過去の背負い方っていうのは背負うってこうね…。
(ナミ)荷物ですね簡単に言えば。
その背負い方っていうのはさ少しずつ変わってきたような気がするんやけどね。
先月下旬ナミさんは市民を前に初めて自分の体験を語りました。
消えた子どもの苦しみを知り周りの子どもに目を向けてほしいという思いからです。
18歳っていう年齢になるまで母やそのほかの家族に愛される事も必要とされる事も信用し合う事も一度もありませんでした。
…で私は泣き崩れました。
大声でもう泣きわめきました。
「どうしたらいいんだろう」って。
「どうしたら母親が変わってくれるんだろう」って。
施設の職員や学校の先生に断固として会わせない。
電話は鳴る。
玄関のチャイムは鳴る。
だけど出れない。
もうむなしかったですその音がとっても…。
・「君は愛されるため生まれた」・「今もその愛受けている」子どもたちを孤立させない社会であってほしい。
今ナミさんは子どもたちを守るためのボランティア活動に取り組んでいます。
・「今もその愛受けている」助けを求める小さな声を聴き漏らさないで下さい。
私たちがもう一歩踏み出す事を子どもたちは待っています。

東京都内のとある場所にあるフルタ家。
2014/12/22(月) 19:30〜20:15
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「調査報告“消えた”子どもたち〜届かなかった“助けて”の声」[字]

虐待や貧困などのために、社会とのつながりを絶たれた“消えた”子ども。独自アンケートと追跡取材からその実態に迫り、子どもたちを守るために何が必要か考える。

詳細情報
番組内容
虐待や貧困などのために学校などに通えず、社会とのつながりを絶たれた“消えた”子ども。神奈川県厚木市で、誰にも気づかれないまま男児が白骨化した遺体で発見されるなど事件が相次いでいる。NHKは独自アンケートと追跡取材によって、“消えた”子どもの実態に迫り、子どもたちの命をまもるために何が必要か考える。
出演者
【語り】久保田祐佳

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:34399(0x865F)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: