去年ユネスコの無形文化遺産に登録された「和食」。
四季折々の食材を生かし栄養バランスにも優れている事などが国際的に高く評価されました。
和食を育んできたのは言うまでもなく日本の自然と歴史です。
しかしその発展の節目節目に立て役者がいた事をご存じでしょうか?ある時は修行中の僧侶。
ある時は戦国武将。
またある時は茶の湯の名人。
誰もが期せずして和食の発展に大きな役割を果たします。
今回は秘蔵の史料をもとに…おいしいとしか言えません。
どうやって調理してたんでしょうね。
料理好きで調理師の資格も持っている女優の水野真紀さんが数々の秘密を解き明かします。
和食はどうしておいしくなったのか?進化の裏で繰り広げられた3つの革命の物語です。
今年1月弥生時代の水田跡から玄米11粒が見つかりました。
およそ2,400年前のものですが保存状態が良く当時の品種や米作りの様子を解明する大きな手がかりになると期待されています。
私たち日本人は数千年もの間米を中心とした食生活を送ってきました。
そうした日本人の食が今の和食となったのは鎌倉時代以降のさまざまな人々の創意工夫によるものです。
一体何が和食を和食たらしめたのか。
まずはその最初のターニングポイントに迫ります。
知られざる和食の歴史を解き明かすべく水野真紀さんが最初に訪れたのは福井県の永平寺。
創建は今から770年ほど前。
鎌倉時代の名僧道元が禅の修行道場として開きました。
(たたく音)以来現在に至るまで多くの僧侶が厳しい修行を続けています。
永平寺の食事とは一体どのようなものなのでしょうか?こんにちははじめまして。
いろいろお話を聞きたく…。
出迎えてくれた三好さんは「典座」という特別な役職の僧侶。
寺の食にまつわる全てを取りしきっています。
早速「典座寮」と呼ばれる厨房に案内して頂きました。
失礼します。
味付けや調理法など全てに細かい決まり事があるそうです。
あの三好さん私ちょっと驚いたんですけどこのエリンギね私も割と食材を大切に扱う方だとは思っていますがさすがの私もねここはね薄くそぐんですよ。
でももうこのまま使われるんですね。
(三好)そうですね。
食材を大切にするのは基本中の基本。
野菜くずは捨てずに「だし」として利用します。
もう無駄がないですね。
(三好)そうしてるんですけどね。
生ゴミというものがほとんど出ない調理ですね。
すごいですね。
ちょっと感動しました。
典座寮で作られるのはいわゆる「精進料理」。
仏教の戒律に基づき肉や魚は使わず野菜や穀類豆など植物性の材料を使用します。
永平寺を開いた道元もそんな修行僧の一人でした。
しかし…心の声今この国には本当の仏の教えが必要だ。
私はそれを学び取りたい。
ようやく道元の乗った船が港に着いた時運命的な出会いが待っていました。
相手は宋の年老いた典座。
日本の船が港に入ったと聞きおいしいと評判の日本のしいたけを手に入れようとやって来たのです。
用が済んだらすぐ寺に戻り食事の準備をせねばと言う典座に道元はこう尋ねました。
食事の支度くらい他の者に任せたらいかがです?台所仕事などなぜそれほど心にかけられるのですか?すると…。
あなたは…そう言い残し立ち去ってしまいます。
食事の話がどうして修行の話に?何の関わりがあるというのだろう。
当時日本より深く研究されていた中国の仏教。
その調理技術には目をみはるものがありました。
にんじんと小麦粉で肉の食感を出した…すったじゃがいもを湯葉で包んだ…肉を使わずに肉に味や見た目を似せる数々の料理。
そのために煮る・蒸す・揚げるなど食材に手を加えるさまざまな調理法や多彩な味付けが発達していました。
道元が中国に渡ってからしばらくたったある日。
一人の僧が訪ねてきました。
以前港で出会った老典座です。
私は典座の職を退き故郷へ戻ります。
旅立つ前にあなたにご挨拶しようとやってまいりました。
思いがけない訪問に驚きながらも道元は一つの問いを投げかけます。
仏道における「修行の本質」とは一体何なのでしょうか?最初の出会いの時からずっと答えの出なかった疑問です。
お答えしましょう。
仏道修行とは日々の暮らしそのものである。
そういう事です。
座禅や読経と同じく…老典座の言葉に道元は修行の何たるかを知らされます。
この時持ち帰ったものは最新の仏教…ところでこのころの日本の料理って皆さんご存じですか?少し古くなりますが詳しい記録がある平安時代の貴族の食事を見てみましょう。
当時の日本で最高の料理です。
食卓に並んだのはたいやあわびきじなど。
現代でも高級なものばかり。
しかし調理のしかたと言えば…料理というにはあまりにも素朴。
こうした中道元たち禅僧がもたらしたのがさまざまな調理技術。
ところが…。
日本の典座たちは全くやる気なし。
手間のかかる料理作りに精を出す者などいません。
道元は食事に対する僧侶たちの考え方を根本から改めさせようと決意。
道元の教えは今も生き続けています。
水野さん永平寺名物として観光客にも人気の精進料理を頂く事に。
(一同)いただきます。
生のごまから1日がかりで作られるごま豆腐をはじめ…栄養価に優れた手間のかかった料理が並びます。
ごま豆腐ちょっとこちら頂きたいと思います。
(三好)ゆっくり口の中に含んでもらうとおいしいと思いますけど。
舌触りがもうなんと良いのでしょう。
とても滑らかであっもう何かごま以上にごまっていうのかしら。
香りがほんとにふわっと立ち上がってくるんですね。
これらの料理味付けも道元の教えを守っています。
特に重要なのが「六味」という考え方です。
その「淡い」というのはこのどこで感じる「淡い」…?それを出すという事で薄味でという事になりますね。
後に道元は寺の食事全般に関する教えを1冊の本にまとめています。
それが…繰り返し説かれています。
道元が伝えたもの。
それは新しい調理の技術だけでなく更に根本の調理に携わる人の心の持ちようでした。
この教えこそが切って並べるだけに等しかった日本の料理を大きく変え和食をおいしくする第一歩となったのです。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
「典座教訓」で料理を作る者の心得を説いた道元。
実はもう一冊対になるような食に関する書物を残しています。
それがこちら。
「料理を食べる側の心得」を説いたものです。
その内容はといいますと…。
現代にも通じる食事の作法を網羅。
そしてこれらを厳格に守る事が悟りそのものであると教えています。
いやはや私たちが厳しくしつけられてきた作法の原点が道元にあったなんて驚きですねえ。
「歴史秘話ヒストリア」続いては「和食が更においしくなり様式美も兼ね備えていった」。
そんな秘話をお届けしましょう。
道元の時代から100年ほど時が下った…それに伴い…おかげで物の行き来も盛んになりました。
当時の記録には全国各地の特産物が盛んに運ばれ売り買いされていた事がうかがえます。
ここで注目したいのが2つの食材。
まずは「昆布」。
海運業の発達で北海道産のものが流通するようになりました。
そしてもう一品が…「かつお節」。
昆布とかつお節。
この2つの食材が普及した事であるものが完成したと言われています。
何だかお分かりになりますか?正解は「だし」。
昆布やかつおは古くから食べられていましたが調理の基本としてだしが使われ始めたのはこのころと考えられます。
更にある人々が和食の形式を発達させます。
それは将軍や大名など有力な武士たち。
権力を示す手段として料理を利用したのです。
料理を権力の誇示に使うなんて不思議な感じがするかもしれませんがこのころならではの事情がありました。
中でも「御成」と呼ばれる饗宴は特別。
多くの御成が行われるうち出される料理に一つの形式が整えられていきます。
それは…更に膳の数や皿の数にも細かな決まりが生まれます。
縁起が良いとされる奇数を基本とし…やがてこれらは「本膳料理」と呼ばれ我が国独特の食事法として完成します。
そして御成は主君に気に入られようとする武士たちによってエスカレート。
豪華さを競い次第に規模が大きくなっていきました。
そこで登場するのが本膳料理を作るプロの料理人たち。
包丁の扱いや料理の盛り方など優れた技術を持ち流派を作って腕を競いました。
ここに室町時代最大級とも言われる御成の記録が残されています。
それは永禄4年当時将軍だった足利義輝を迎えた時のもの。
本膳料理を手がける流派として名高い「進士流」などが総出で取りかかりました。
費用は八十貫。
現在の価値に換算するとおよそ800万円にも上ります。
この世にも豪華な御成を主催したのは幕府で最も有力な大名として権力を振るっていた三好長慶とその息子義興親子です。
一体どんな料理が並んだのか。
それを知るため水野さんが向かったのは三好家ゆかりの地徳島県藍住町。
ここに当時の史料から御成の料理を再現した方がいます。
どうぞこちらでございます。
一人前ですか?
(江後)そうです。
これで一人前。
それでも出された料理のほんの一部だそうです。
料理の多さもさることながら内容の豪華さにも目をみはるものがあります。
食材は西日本を中心に各地から取り寄せられました。
当時ならではの味付けに興味を持った水野さん。
大豆の搾り汁を使った野菜のあえものを頂く事に。
これはなますのような感じでしょうか?
(大塚)はいそうです。
しいたけ大根ににんじんに三つ葉ですね。
うん?あのお酢が柔らかいなます。
何か煮物となますのちょうど間のような味ですね。
これらの本膳料理身分によって品数こそ違いますがお供の分まで用意されました。
驚くべきはその数。
全部で1,000人前を超えたとか。
でもこれだけのものを用意するのにどれぐらいかけられたんですか?2日!そうですか。
だから1人分で…ですからね。
1,000人分。
そうですねほんとにもてなす側も大変ですね。
武士たちが自らの権力を示すために力を注いだ御成。
その結果生まれた本膳料理は…贅を尽くした本膳料理が並んだ御成。
実はそれらを食べて宴はおしまい…というわけではありませんでした。
先ほどご覧頂いた三好家主催の御成では17もの膳に分けて料理が用意されました。
それもいるかやくじらなど手に入りにくい高級食材や珍味ばかり。
そのうえ座敷からのぞむ庭には…夜を徹して宴は続いたようです。
記録では御成のために屋敷の改築や新築まで行った人もいたとか。
体面を重んじる武士たちにとって御成を成功させる事は本当に大切だったんですねえ。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
和食の三大革命最後の秘密に迫ります。
古くから海外との交易で栄え商業の町として発展してきました。
今から500年前ここにある人物が生まれます。
幼名与四郎。
後に茶の湯の名人とたたえられる千利休です。
海産物の取り引きなどで財を成した堺の商家に生まれた利休。
幼い頃から跡取りにふさわしい教育を施されました。
その一環として学び始めたのが茶の湯です。
平安時代中国から伝わったお茶。
茶の栽培が普及するとお茶を飲む習慣も広まりました。
そして…あ〜実にうまい!茶の湯茶会といえば「お茶と和菓子」が出て時間も1時間くらいというイメージがありませんか?けれども正式なものは食事も出し半日ほどかけて行われます。
贅を尽くしたあの本膳料理が並びました。
記録によると…茶会とは名ばかり実態はただの宴会だったようです。
こうした状況を憂い改めようとした人々がいました。
その一人が利休の師匠だった武野紹です。
本来の目的である茶に目を向けるため料理とのバランスをとるべきと考えた紹。
弟子たちを厳しく戒めます。
茶会で振る舞う食事は汁物一品とおかず三品まで。
それで充分であると教えました。
これが茶人・利休の原点となります。
利休が初めて主宰した茶会の記録が残っています。
「つくしと豆腐の汁」に「うどのあえもの」。
質素ながらも季節感を生かした一汁三菜の献立です。
師匠の教えを忠実に守った利休。
しかしそれで満足したわけではありませんでした。
若き利休が精神修養のために足しげく通った寺です。
茶会にふさわしい料理を探し求めていた利休はここであるヒントを得たと考えられています。
それは「精進料理」。
道元が開いた永平寺同様禅宗だったこの寺では修行を積む者に精進料理が出されていました。
素材を大切にし工夫を凝らして作られる料理の数々。
それはどのような料理だったのでしょうか?ごめんください。
研究家の筒井紘一さん曜子さん夫妻の協力で利休の茶会の料理を再現して頂きました。
参考にしたのは利休の茶会が完成の域に達したとされる晩年天正18年11月3日の献立です。
それによると出されたのはこちらの一汁三菜。
野菜の汁物にかまぼこ「くろめ」と言われる海藻を炊いたものそしてふなのなます。
見た目の派手さこそありませんが実は利休客を喜ばせる工夫をさまざまに凝らしていました。
まずその一つが膳の出し方。
使用人を使わずホスト役である亭主自らが膳を運ぶ事で心から歓待しているさまを表します。
利休の茶事の歌といたしましてこういう歌がありまして。
こうどんなに食べ物が質素であってもとにかくもう自らもてなしなさいという事?そうなんです。
利休の心配りは料理一品一品にも込められています。
わあこれは先生温かいですよ。
そうなんです。
温かいものは温かいうちに冷たいものは冷たいうちに。
全て「タイミング」を大切にした料理です。
このかまぼこを出そうとしますと…客を迎えるために心を尽くした利休の料理。
それは後に「懐石料理」と呼ばれるようになります。
利休が完成させた「懐石料理」。
それは四季折々の食材を生かしそのおいしさを最大限に引き出すものでした。
そして何よりも和食をおいしくしたのは食べる人を気遣うもてなしの心だったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
そんなお話でお別れです。
千利休が理想とした茶の湯。
それは飾りや驕りを捨て「侘びの精神」を極める事。
しかし天正19年2月。
茶の湯によって際限なく権威が高まる利休を秀吉が警戒したためとも言われています。
(雷鳴)それから半月足らずで切腹を命じられ利休は茶の湯一筋に生きた生涯を閉じました。
しかしその死後秀吉は母親に次のような手紙を送っています。
利休が理想とした食事。
それは利休を危険視した秀吉の心すら動かすものでした。
その後…そして「和食」は今世界中で高い評価を受けています。
海外にある日本料理店の数は実に5万5,000余り。
国内の料理店では和食を学ぼうという外国人を積極的に受け入れその伝統を世界で受け継いでもらおうとしています。
和食には春夏秋冬それぞれの季節が実にうまく表現されています。
そのすばらしい文化を僕は学びたいんです。
私たち日本人の歴史とともに育まれてきた和食。
それは世界に誇る文化にまで成長しました。
そして今も時代の変化に応えながら進化を続けています。
2014/12/17(水) 00:20〜01:05
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「和食はどうしておいしくなった!?」[解][字][再]
ユネスコの無形文化遺産に登録された「和食」。そのおいしさの進化の裏には、知られざるドラマがあった。各時代を彩った料理も再現しながら、「和食誕生」の秘密を明かす。
詳細情報
番組内容
日本が誇る文化、「和食」。「食材の尊重」「栄養バランス」「季節の表現」など、和食の持つ特色は世界で高く評価されている。しかし、その完成までに多くの曲折があったことは、あまり知られていない。鎌倉時代の禅僧、室町時代の武士、さらには茶人まで、各時代をリードした彼らは、期せずして和食の発展に貢献することになった。番組では、秘伝の史料をもとに当時の料理も完全再現。和食、その美味しさの歴史に、多角的に迫る。
出演者
【出演】水野真紀,【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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