(3人)こんばんは。
さぁ「鑑定団」始まりました。
ちょっと先週もそうなんですけどちょっとねここ赤いので。
赤いですよね。
そうなんですよ。
ちょっと場所が場所だけにちょっとセクシーなふうに思われませんかね?
(笑い声)ジム行ってまして格闘技のシュートボクシングっていって投げもあるんですよね。
ああ。
ひたすら48歳がリングで投げられるだけの練習してきまして。
肘のサポーターみたいなのがあってここにマジックテープがあるんです。
それでズリってなってこれ。
マジックテープのやつがギーンってなったんですよ。
痛いって言ったんです。
痛いよ。
だからね激痛に耐えながら僕が番組やってるっていうことを皆さんわかっててください。
(笑い声)
女優の白石まるみさん
中学3年生のとき友人に誘われTBSのドラマ『ムー一族』の主人公
実は芸能界に興味はなく「落ちても番組グッズがもらえます」のうたい文句に釣られただけだったのですがなんと4万人の中から最終選考に残り本人がびっくり。
惜しくも2位だったもののまだ暑いじゃない。
ほら。
え?聞こえる。
その後も愛くるしいルックスと明るいキャラクターで数々の人気ドラマに出演しました。
90年に青年実業家と結婚。
翌年には愛娘真彩さんが誕生しましたがほどなく離婚。
以来女手ひとつで仕事と育児に奮闘する日々が続きました。
しかし45歳のとき友人の紹介でインテリアデザイナーの南川芳広さんと出会い交際半年でゴールイン。
その際最後に背中を押してくれたのは他ならぬ真彩さんだったそうです。
5年前その真彩さんが芸能界デビューしたためあるとき親子揃ってテレビ出演したところ姉妹と勘違いされるほど若々しかったため再び注目されるようになりました
確かにいろいろ見てみよう。
うんいろいろ見たい。
そして50代を迎えこれからは好きなことをやろうと思い始めたのがなんとコスプレ!飲み会の余興がきっかけでその楽しさに目覚めてしまったそうです。
勢いそのままに今年4月に行われた大人AKBに挑戦したところなんと往年のアイドルの底力を見せつけました。
52歳…
依頼人の登場です。
東京都からお越しのよろしくお願いします。
どうぞこちらのほうへ。
どうぞどうぞ。
失礼いたします。
ねぇ仲のいい…今日も来てますやん娘さん。
そうなんです。
応援に来てくれました。
ねぇ。
もういつも一緒で親子で。
そうですね。
いつもお風呂も一緒に入ってて。
え〜!親子ゲンカとかしないんですか?私が着ていこうと思った服とか靴を娘が着てっちゃったりとかそういうことでケンカはありますね。
サイズ一緒なんすか?サイズ一緒なんですね。
全部一緒です。
靴も一緒なので。
靴も一緒なん?はい。
でも匂いが違うでしょもう。
さぁ今日のお宝ですが…。
はい。
何でしょう?じゃあまず拝見しましょう。
はい。
こちら。
ちょっと地味でしょ?いやいや渋いですね。
何でしょう?これ。
これ茶杓なんです。
千利休のお弟子さんの甫竹さんの作ったものらしくて400年前のものらしいんですよ。
え〜!なんで持ってるんですか?主人のおばあちゃんが名古屋で旅館をやってましてねおじいちゃんが骨董が大好きでお茶をたしなむおばあちゃんにプレゼントしたそうなんですよ。
で貸金庫とかにずっと預けられててほんとに大切に大切に保存してきたものなんですけどつい数年前にそのおばあちゃん亡くなったのでうちの主人がこれを譲り受けたんですけどうちの主人があまりに大切にしてて触らせてくれなくてここのスタジオに持ってくるときもし触るにしても白い手袋しろよとかって言われていて…。
どうです?お宝実際にご覧になって。
私お茶はたしなまないので耳かきにしか見えません。
やめなさい。
(笑い声)ご本人の評価額ですがおいくらくらいでしょうか?うちの主人が50万って言ってこいと言われましたので。
50万でいきましょうか。
それではまいりましょうオープンザプライス!え〜すごい!うわ〜。
びっくり!弟子頑張ったな〜。
筋のいい茶杓ですね。
甫竹っていう人はね千利休に茶杓削りの秘伝を授かる。
そして利休の茶杓の多くはこの人の下削りになるって言われてるんです。
煤竹を使っておりますね。
たいへん細身ですらっと作って中節は低くて柔和ですね。
櫂先が桃割れになってるんですよね。
箱は表千家七代宗匠如心斎宗左の極めになってる。
墨に含んだ膠がまだ照りがあるほどのいい箱ですね。
中の筒は甫竹の丸印が押してある。
これはね甫竹の茶杓は必ず押してなきゃいけないという約束の一つなんです。
茶杓を包んでたきれねそれは慶長裂でしょう。
雅なものを感じさせますね。
甫竹の人となりその時代背景そしてそれを取り囲んでる包み筒そして箱書きすべてが整ってるんです。
大切になさってください。
は〜!はいありがとうございます。
すご〜い。
主人が喜びます。
いずれ娘さんのものになるわけですもんね。
そうですね。
今からお茶とか習えばいいのに若いねんから。
今から間に合いますかね。
間に合う間に合う全然ね。
なんかちょっと壊しそうで怖いですけど。
どんな親子ですか。
(笑い声)番組も最後まで楽しんでいってください。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
続いては山口県下関市から。
こちらのバーEXASにお伺いしました。
次なる依頼人はカウンターで奥様とともにウイスキーを楽しんでいる夫婦お互い酒好きだからね。
そうよね。
え?いったいなぜ?
とかって言いますよもう。
腹に据えかねて。
しかし池田さんまったく怒らず言われるがまま。
なぜなら…
これからもずっと仲よくしてくださいね
ところで
それは父半之祐さんが遺してくれたもの。
半之祐さんは船乗りとして世界中を回った後下関で商事会社や証券会社を設立。
とても羽振りがよかったため
しかし…
その際に…。
しかし今回のお宝だけは父が特に大事にしており…
難を逃れたそうです。
30年ほど前受け継いだのですがその時は特に興味がなくずっとほったらかしに。
ところが最近骨董に詳しい知人に見てもらったところ大珍品と言われびっくり
私ももう歳なので今のうちに価値を知りたいと思っております。
鑑定をどうぞよろしくお願いいたします。
スタジオで拝見しましょう
依頼人の登場です。
山口県からお越しのどうぞ。
どうぞこちらのほうに。
いや〜渋いですねいいですね。
お酒そんな強いんですか?酔っ払わないですか?酔っ払いますよ。
私はかよわい人間ですから。
ロックでね。
えぇオンザロックですね。
オンザロックで。
えぇ。
下関の1,076キロ向こうから月2回は出てきまして銀座でうろちょろしております。
月2回出てきて銀座でうろちょろ?うろちょろ。
お金持ちですね。
いやそんなことないですよ。
いやいや…月2回銀座来れないですよ。
奥さん来られてる?あっ奥さん。
ご主人はどんな方ですか?ふだんは。
優しいですよ。
優しそうですね。
でもかよわいらしいですよ。
かよわいです。
かよわい?はい。
やっぱ奥様わかってらっしゃいます。
あぁそうですかありがとう。
さあそれじゃあお宝。
さあこちら。
おっ。
(一同)お〜。
ほ〜。
下関の赤間硯。
デザインすごいですね。
裏を見ていただきますと…。
ほ〜。
うわ〜!それ透かし彫りになってんで。
これ何が彫ってるんですか?お花じゃないですか?お花。
うんそうそう…。
でしょ?何の花ですか?知りませんわ。
知りません…。
100年経ってることは間違いないですよね。
もう100年は経ってる?私が87.7ですからね。
100…87.7っていう表記ありましたっけ?年齢で。
え?ありますよ。
あぁありますか。
非常に正確な言い方してます。
なるほど。
お宝については何か聞いてるんですか?赤間硯の今の先生に聞いて…。
これは私たちの技術ではできないとおっしゃる。
は〜。
それから余計に私は興奮しまして私は間もなく死んでいきますので大事にこれを持っていただく人にお渡ししたいという気持でございます。
なるほどありがとうございます。
お願いいたします。
いいものでしたらどうしましょう。
良妻と2人でイギリスのセントアンドリューズに2週間行ってゴルフをやりたいという野心がありますね。
なるほど!すごく具体的な計画ありがとうございます。
赤間硯は九州東北部から山口県にかけて分布する赤紫色凝灰質頁岩を用い下関市や宇部市で作られている硯である。
その名は下関の旧名赤間が関に由来し赤間が関硯とも呼ばれる。
通常この石は赤紫色だが他にも青みの強いものや緑がかったものもあり…
その歴史は古く1191年源頼朝が鶴岡八幡宮に奉納したものが現存最古の赤間硯とされているが残念ながらこれには銘は刻まれていない。
銘が刻まれたなかで最も古いのは五大老の1人
裏には…
とある。
この天下一を名乗ることを許されたのは硯では赤間硯だけでありそれも1682年には幕府により禁止されてしまった。
江戸時代になると長州藩は原石が採れる山の一般人の入山を禁止し採掘を制限。
これにより職人は藩の庇護のもと存分に腕をふるうことができた。
赤間硯に用いる石はきわめて硬いが粘りがありノミを入れても割れにくいことから装飾に適していた。
そのため山水や花鳥などをあしらった名品は萩焼とともに諸大名への贈答品としてたびたび用いられた。
かの吉田松陰はこの赤間硯を愛用したことで知られ処刑されるひと月前家族宛の書簡に…
としたため自分の著述を助けてくれた赤間硯を家で祭ってほしいと伝えている
1866年寺田屋事件の際槍で応戦し龍馬の逃走を助けた長州藩士三吉慎蔵も同様で龍馬と西郷隆盛が船で薩摩へ向かう道中下関で降りた慎蔵が餞別として2人に送ったのも赤間硯であった。
戦後和硯の製作はさびれる一方だがその技は連綿と受け継がれており1976年には硯として初めて伝統的工芸品に指定された。
改めて依頼品を見てみよう。
赤間硯2点である。
こちらは表と裏に菊があしらわれている。
細部に至るまで繊細に彫られておりえもいわれぬ気品が漂っている。
一方こちらは表に雲裏には葡萄とうさぎ。
草花文をくっきりと浮かび上がらせた透かし彫りが実に見事である
ご本人の評価額ですけれどもおいくらくらいでしょう?作られて100年経ってますから100万と…。
(笑い声)根拠まったくありません。
でも2個ありますよ?う〜ん…そしたら200万にするか。
じゃ200万にしましょう。
まいりましょう。
オープンザプライス!あっ当たった!当たった〜。
ありがとうございます!当たった当たった。
お〜ほらほら。
ぴったりだった。
ほら。
認定証ですよ。
はい。
「目利きとして認定します」と。
お見事でございます。
ありがとうございます。
いやぁすごい。
明治から大正にかけて作られたものと思います。
形がですね繊細を極めたすばらしいものと思います。
右側は菊ですね。
表面と背面が見事に精刻されてます。
花弁の一筋一筋きわめて繊細に…。
そこに生気が感じられる実に見事な作品だと思います。
四角いほうはですね表は重なる雲。
月白き秋の夜空を表しております。
背面にはですね木の実の実る豊穣の秋。
晩秋の気配が感じられます。
赤間の硯はですね粘りがあって彫りやすいといわれてますけれども硬い石ですから…。
これだけに彫るということは大変な作業であったと思います。
だいたい日本の硯…和硯というのは評価としてはあまり高くないんですね。
したがってこのたびの硯はその中でも突出して優れておりますので高い評価をさせていただきました。
今夜のウイスキーはおいしいですよ。
ありがとうございます。
ねえ…いやぁ。
押し入れに入れてないで抱いて寝ます。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
お宝列島日本縦断…
今回の舞台は長崎県長崎市外海地区。
角力灘に面する丘陵地でここから望む夕日は九州屈指といわれるほど美しい。
この外海地区を東西に流れ角力灘に注ぐ全長9キロの神浦川は1990年環境庁の水質調査により日本一の清流と認められた。
江戸時代幕府がキリスト教を禁ずると多くのキリシタンは厳しい弾圧を逃れこの地に潜伏。
その後幾多の試練を受けたがひっそりと信仰を守り続けた。
明治維新により鎖国が解かれるとようやくキリスト教の布教活動が許され1868年マルコ・マリ・ド・ロ神父がフランスから宣教師として来日。
この地の主任司祭となった。
すると神父は貧しい人々が安心して働けるようにと私財を投じさまざまな工場を設立したのであった。
その一つこちらは1885年神父がイワシ網の製造工場として建てたものだが現在はド・ロ神父記念館として神父ゆかりの品々が展示されており
黒崎教会は1897年ド・ロ神父が設計。
建設途中は子供までがレンガを一つひとつ運び23年の歳月をかけようやく完成した。
その内部はゴシック調の三廊式コウモリ天井でステンドグラスを通した光がやわらかく降り注ぎ実に荘厳である。
祭壇の前にたたずみ往時の人々の苦労に思いをはせるのは本日の鑑定士
会場は早速いってみよう
出張!なんでも鑑定団IN外海!
(拍手)
まずは小埜家15代当主の…
古いんですねじゃあ家のほうは。
はいだいたい結構歴史があるじゃないですか。
何をなさってるんですか?どれくらいいるんですか牛は?こころざしおります?はい。
まあ20〜30頭ですけど。
あっそれをこころざしおりますとおっしゃるんですか。
(笑い声)何かあれですかそういうエサとかにもいろいろポイントがあるんですか?どうなっちゃうんですか牛は?
お宝は江戸時代後期の四条派の絵師松村景文の掛軸である。
先祖代々伝わるもの。
しかしとても傷んでいたので20年ほど前20万円かけて表装を直してもらった。
すると見違えるほどきれいになったのでびっくり。
特にこの鶴が気に入っており…
すばらしいと思いますね。
本人評価額はごくごく控えめの20万円。
もしも本物ならご先祖には申し訳ないがこの際思い切って売り払い肉牛の数をもっと増やしたい。
果たして結果は!?
どうぞジャカジャン!
う〜ん残念
(笑い声)いや人間ねあまりにもショックなとき声出ないんですなかなかね。
これは工芸品ということなんですね。
松村景文が描いたものではなくておそらく明治くらいだと思うんですけれどもいわゆるおめでた掛けということで数をいっぱい作ったものなんです。
やはり松村景文というのは大変有名な江戸後期の絵師なのでその名前を入れたと。
昔から鶴の絵を描くときに必ず2種類描くんですね。
下にいるのがナベヅル。
上がタンチョウヅルというそこはちゃんと踏まえてるというのが大変おもしろいなと思って拝見しました。
きれいに表具変えられたんでほんとに掛けるにはいいと思いますので大事になさってください。
宮さんは23歳のとき30歳年上の男性と結婚
すてきな方だったのでえっ!就職のことなんかを相談しているうちにかろうじて父が主人のちょっと上だったのでまだよかったんですけど。
なるほどね。
それ見せたわけ?はい。
はぁ〜。
お宝は伊万里焼の大皿である。
直径はおよそ2尺
港町ジェノバの骨董店でこの皿をひと目見るなり
もともと主人は骨董品が大好きなので。
迷わず買ってしまったらしい。
値段は
20万円で。
その後日本に帰国することになった際箱がなかったので
友達の器用な方に頑丈な箱を作ってもらったんですけどそれがもう何かそれのせいで
本来は飾り皿なのだろうがわが家では特別な日に料理を盛って楽しんでいる
魚屋さんで長崎なのですごい新鮮な魚が手に入るので活け作りを作って。
ついこの間もイタリアの主人のお友達が来たんですけど活け作りして中身がたいしたことなくてもこれで盛れば…。
これに活け作りでね。
本人評価額は夫と相談し100万円
今のところ傷一つないのでもしもこれ以上高ければさすがに料理を盛るのはやめるつもりでいるが果たして結果は!?
どうぞジャカジャン!
あちゃ〜
2…2万円。
これはね新しい有田焼のインテリア商品ですよ。
本物は今から300年も前の元禄時代に作られたいちばん上手の古伊万里で五艘船っていうの。
オランダ船が5隻描いてあって表に3隻そしてお皿の裏に2隻描いてあって全部で5艘ですね。
でこの真ん中にオランダ船が描いてありますね。
その大砲からドーンと弾を撃ってるとこが描いてある。
これは何かそれがよくわからないからユリの花みたいになってますね。
だけどもねこれだけの大きなお皿飾り栄えするしねそれこそお祝いのときに活け作りのっけたら見事でしょうね。
せっかく苦労してお持ちになったんだから大切にしてあげてください。
松尾さんは特技を披露しながら海産物の実演販売をしている
松尾は多いです長崎はね。
ええいわゆるスーパーとかデパートとかの海産物のコーナーで販売をやってるわけですか?ええ販売のほうをやっております。
これをやるとうん。
笑って。
泣き出します。
(笑い声)ちょっとせっかくですから特技やってもらっていいですか?
というわけで早速披露していただいた
〜おおすごい!
(拍手)
お宝は…
そのおばあちゃんが若い頃道ならぬ道といいますかやっぱりすぐ別れちゃった。
おつきあいしている間いくつかの品々をいただいたが別れた際キッパリと処分してしまったらしい。
しかし…
なぜかこれだけは本人も手元に残してたみたいなんですよ。
想像するにもしかすると
改めて見てみると確かにこの女性は亡き祖母によく似ている
結構いいじゃないですかきれいで。
シュッとしてるしね。
本人評価額は期待を込めて30万円
その後祖母は女手一つで父を育て上げてくれた。
ずっと大事にしてきたのでどうか本物であってほしい。
果たして結果は!?
どうぞジャカジャン!
よかった〜!
(笑い声)本物でございますね。
その名前からもだいたいわかるんですけれども喜多川歌麿がいてその弟子の月麿という人がいてそのお弟子さんということで歌麿の孫弟子というかたちになりますね。
時代はだいたい200年近く前の人ということで。
たいへんきれいな顔で目のつり上がったようなところがキリッとした感じの気の強そうな美人だなと。
懐にたぶんこれは文なんですかね。
ちょっと入っててあだっぽい姿勢をしている。
ちょっと癖があるんで歌麿ほどには広まらなかったけれどもある意味とても特徴のある。
で肉筆画よりもやはり版画が多いんであんまり肉筆って見たことないんですけれどもあの私も拝見できてたいへんよかったと思います。
大事になさっていただきたいと思います。
続いては骨董好きの…
前に?譲ってもう辞めちゃって。
ええ第二の人生を。
は〜!
(笑い声)骨董が大好きでつぎ込んだお金が?1億!?
神戸で住職をしていた頃は千軒ほどの檀家からたくさんお布施をいただいたのでついつい骨董につぎ込んでしまった。
お宝は朝鮮王朝の白磁の壺である
友達が骨董商ではいはい。
でその方からはいはいはい。
値段は…
570万!?はい。
ほう。
その後阪神淡路大震災で寺が半壊した際ほとんどの骨董を手放し修復にあてた。
しかしこの壺ももう十分楽しんだので…
本人評価額は買ったときと同じく570万円
自然の中でのんびり暮らしていると骨董にまったく興味がなくなってしまった。
どうせなら無一物になり悟りに一歩でも近づきたい。
果たしてどうなるのか…
出張鑑定IN外海に登場したのは…
二十数年前なじみの骨董商に勧められ570万円で購入したもの。
しかしもう物欲がなくなってしまったのでこの際手放し九州一周温泉旅行を楽しみたい。
果たして結果は…
どうぞジャカジャン!はい。
ダウンするも大健闘しかし…
(笑い声)作られたのは350年くらい前の朝鮮王朝時代の中期。
韓国ではこれを満月壺っていうんですよね。
でねこの口の作りが内側に傾斜していてそれが特徴なんです。
高台の中もしっかり薬が塗ってあってねたいへんいいんですけどもこの時代になりますとわりと自由勝手に作るようになったんでね上半分と下半分をパカッと合わせてつなぎますからなんとなく壺がゆがんでくる。
ただそのゆがみというものが壺に対して表情を与えるんですね。
そういう点でもってたいへんに人気のあるもんなんですよ。
これからも大切になさってください。
最後はソフトテニスが趣味の…
すてきですねユニホームで来ていただいて。
ね?もうどれくらいやってるんですか?そうですね今何年ですかね…もう今でもやってらっしゃるということでお上手なんでしょ?いえ。
みんなの足引っ張るくらいでまああの
(笑い声)振りを。
あ私ですか?はい。
あはいはいはい…。
はいそ〜れ。
いいですね。
はいそ〜れ。
はいはいいいですよ。
はいそ〜れ。
あいいですねはいはいはい。
そ〜れそ〜れそ〜れ。
いいですか?今のでいけてます?僕大丈夫ですか。
大丈夫です。
お宝は…
主人の父がおおむら小学校で校長をしてるときにどなたかから分けていただいたかそこのとこは定かじゃないんですけど。
義父は骨董が大好きでひと目で作者がわかるようそれぞれの箱に名札をつけていた。
すると40年ほど前…
そういういいやつはみんな持ってかれちゃったの?そう。
は〜!
しかしこの掛軸はたまたま箱に名札をつけていなかったので盗まれずに済んだ
泥棒もこう開けて一幅ずつ見るわけにいかないもんですから。
うん。
たぶん書いてなかったので。
うん。
なるほどなるほど。
それで残ってるんですかね。
はいそうです。
もしもいいものならいずれはかわいい孫に受け継いでもらいたい
おばあちゃん頑張れ。
(松尾)かわいらしい!
(拍手)
本人評価額は本物と信じ30万円。
今はこれを見捨てていった泥棒に感謝するのみ。
ついでに何と書かれているのか教えてもらえるとありがたい。
果たして結果は!?
どうぞ!ジャカジャン!
やった〜!
本物でございます。
(拍手)明治天皇が詠まれた歌を山本五十六が書かれているということですね。
並んでいる人に自分がたとえ遅れても正しい道を行くようにというたいへんすばらしい歌かと思います。
昭和16年秋とございますね。
ですから国がもう戦争に突き進んでいくときに山本五十六自体はもうなるべく米国との戦争はしてはいけないと一生懸命説得をしていたがやはり流れというところでそうならざるをえなかったというときに書いた書ということでなかなかいいお軸だと思います。
大切になさってください。
出張鑑定IN外海はこれにて無事閉幕。
「鑑定団」は
続いては群馬県前橋市から。
こちらの介護老人保健施設おうみにお伺いしました。
次なる依頼人は…
子供の頃からの夢だった看護師になって早40年。
現在はこちらの施設で主にデイサービスにこられた方々のお世話をされているそうです
看護師の仕事は一日中すご〜く忙しいですがとてもやりがいのある仕事ですよ。
これからも頑張ってください。
ところで
明治時代養蚕業で財を成しとても羽振りがよかったそうです。
今回のお宝はその勝蔵さんがあるときお金に困っていた知人にいくらか融通してあげた際そのお礼としていただいたもので…
そのお宝はえい子さんが23歳で嫁いできたときは床の間に飾られていたのですが
すると義母のトクさんはとてもびっくりし大急ぎで人目に触れない場所にしまい込んでしまったのでした
以来ずっとなにとぞ鑑定よろしくお願いします。
スタジオで拝見しましょう
依頼人の登場です。
群馬県からお越しのどうぞ。
お願いします。
隠しちゃった?隠しちゃったんです。
その人が100万で売ってくれっていうのを聞いて。
はい。
きっといいもんだと。
さあそれでは拝見しましょう。
え〜っ!?さあこちらは誰の書なんでしょう?加藤清正の書のつもりなんですけども…。
えっ!?やられてる!裂けてはいなかったです最初嫁いだ頃は。
急げ!隠せ!ビリッ!みたいな。
本物なら修繕してニセモノならガムテームでとめようかと。
危ないガムテープでとめられるとこでした。
焼けただけでこうなったんですか?最初どんな色やったんですか?昔からお蚕の養蚕業やってたんでどうしても燻しながらやるんでもっと古くなっちゃった感じになっちゃうんですね。
なるほど。
えっでもそのときに100万ではなんで売らなかったんですか?やっぱりもったいなかったんじゃないですか?もう少し値が出るかと思って。
(笑い声)これがまったくおニセモノだった場合はですねあのとき100万でっていうのはね後悔するかもわかりませんけど。
熊本城に行ったことがあるんですよ。
書状が結構あるんですよ。
似てるって思ったのがあれで。
どのへんがいちばん似てるんですか?この流しの字がサッサッていう字が。
これですか?はい。
もしかしたらそこの清正のとこがうまく書けてるんじゃないかって。
本物じゃないか。
花押があるんじゃないかっていう感じだったんですけど。
「鑑定団」に出そう出そうと思っても住所を書こうと思うとすぐ消えちゃって見えなくて。
テレビで…。
そうビデオ撮らないで。
ビデオ苦手なもんではやすぎて見えないんで。
私も10年くらいは「鑑定団」に出そう出そうと思って。
それでも何週か見たらわかるでしょう。
ここまでは見たからここからとか。
今後の制作に反映させていただきます。
すみませんです。
肥後の虎と謳われた武将
清正の母は秀吉の母の従姉妹だったため秀吉の小姓として仕えると秀吉から我が子のようにかわいがられ将来をおおいに嘱望された。
そして1582年本能寺の変が起こると清正は秀吉に従い山崎の戦いに参加。
また翌年の賤ヶ岳の戦いでは敵将の山路正国を討ち取るという武勲をあげ秀吉から賤ヶ岳の七本槍の一人として讃えられ3,000石の所領を与えられた。
更に1586年からは秀吉の九州征伐に従い…
これにかわり19万5,000石を与えられ熊本城を居城とした。
しかしその頃肥後の国は長引く内乱で荒廃の極みに達していたため清正は領民のためにいち早く新田開発や用水路の整備に着手。
そのひとつ熊本城下を流れるこの鼻ぐり井手は清正が考案した画期的な堰で岩盤をくり抜いているため洪水の際はその勢いをやわらげまた水量が少ない時期でも効率的に取水することができた。
1592年からの文禄の役では二番隊主将として釜山に上陸。
首都漢城をやすやすと攻略したのち満州のオランカイへも進攻。
その勇猛果敢な戦いぶりは朝鮮の兵士からおおいに恐れられた。
慶長の役でも清正は再び朝鮮に渡り奮闘したが1598年秀吉が他界したことにより帰還を余儀なくされた。
このとき秀吉の世継ぎ秀頼はわずか6歳。
家臣たちの権力争いが激しくなるなか当時一番の勢力を誇っていた徳川家康は清正に接近。
これにより1600年の関ヶ原の戦いでは清正は東軍につき九州の地で
この論功行賞によりついには52万石の大大名にのぼりつめたのであった。
しかしその後も秀吉に対する忠誠はまったく薄れることなく1611年には京都二条城において秀頼と家康の会見を取り持ち和解を提案。
これにより豊臣家も安泰かと思われたが。
清正は二条城から熊本に帰る船中で病に倒れ熊本で没した
その死があまりにも唐突だったため家康一派による毒殺説などがささやかれているが真相は今なお不明である。
改めて依頼品を見てみよう。
五月四日清正が木村重勝なる人物に送った書状である。
「私の功績は我が国で言うまでもなく異国においても勝る者はいない。
例えばうる山において兵糧米がなくなったときでさえもケガや病気をする者はいなかった。
ひとえに高祖大師を敬い朝夕南無妙法蓮華経を唱えていれば戦の勝者となれるのであり兵糧米などなくても差し障りはない。
このことを各兵士に伝えよ」とある
ご本人の評価額はおいくらくらいでしょうか?200万で。
あの…おばあちゃんが100万って30年前に言われたので。
そうですね。
その倍くらいに私はしたいんで。
今日は200万デーですから。
はい。
3連続200万ありえるかもわかんないですね。
まいりましょうオープンザプライス!あ〜!お母さん!あらら。
ありゃりゃりゃ。
あら〜。
ね〜。
まったくのニセモノでございますね。
え〜!全体見ても非常にこう書の流れが乱雑でですね文字になっていない…例えば5行目のところにですね兵糧米がないなかでも病人やケガ人が出なかったんだというようなことが書いてあるんですけど。
そこらへんの「病」とか「卒」とかという字はわかるんですけどもその前後がまったく字になってないんですね。
で「うる山」という地名が出てくるわけですけどもうるという漢字が思いつかなかったのか…。
手紙に地名が出てきたときに漢字と平仮名を組み合わせて書くということはこの頃はしないはずですよね。
そんな粗いニセモノなんですか?ですからまあ…。
木村重勝殿という宛名がありますけれども筆の墨の余りでショコショコっと書いただけでですね相手の名前に墨をつけないで書くというのは失礼な形ですよねですからこういうことはねありえません。
なるほどな。
それからいちばんいけないのはその清正という名前が書いてありますけど。
下手でしょ?
(笑い声)下に花押が書いてあるんですけどもこれ清正の花押じゃ全然ないんです。
え〜!ここまで増田さんが罵るニセモノ久しぶりに…。
めったにないですよ。
じゃあガムテープで。
ガムテ決定ですね。
住所ゆっくり出してたらもっと早くにね楽しめなくなってましたから。
そうですね。
やっぱあのスピードでよかったんかもわからないです。
どうもありがとうございました。
どうもすみませんです。
またぜひ遊びにきてください。
はいありがとうございました。
「鑑定団」また来週ですさようなら。
2014/12/16(火) 20:54〜21:54
テレビ大阪1
開運!なんでも鑑定団【ボロボロの戦国武将の宝に仰天鑑定!】[字]
明治時代、養蚕業で財を成した曾祖父が手に入れた有名な武将にまつわるお宝。30年程前、掛かり付けの医者から100万円で譲って欲しいとお願いされたが、果して本物か?
詳細情報
番組内容1
【養蚕業で財を成した曾祖父が手に入れた有名な武将にまつわるお宝に驚きの鑑定結果が!】
明治時代、養蚕業で財を成した曾祖父が、お金に困っていた知人にいくらか融通してあげた際、そのお礼として頂いたのは、誰もが知っている有名な武将にまつわるお宝。
番組内容2
長年床の間に飾られてきたが、30年程前、掛かり付けの医者からぜひ100万円で譲ってほしいとお願いされたため、とてもビックリし、大急ぎで一目に触れない場所にしまい込んでしまった。かなり傷みが激しいので、今のうちに価値をはっきりさせたいが、果して本物か!?
出演者
【司会】石坂浩二、今田耕司
【進行アシスタント】吉田真由子
【ゲスト】白石まるみ
【出張リポーター】松尾伴内
【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな
【鑑定士軍団】
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
阿藤芳樹(「阿藤ギャラリー」代表取締役)
永井龍之介(「永井画廊」代表取締役)
増田孝(書蹟史家)
楠文夫(「硯の資料室」室長)
ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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