(テーマ音楽)福島県の南相馬市立総合病院。
東京電力福島第一原発から23キロの場所にあります。
看護師長の…原発事故のあと南相馬市から避難できない患者のため病院に残りました。
あの日夕方からの勤務だった小野田さんは地震のあとすぐに病院へと駆けつけます。
津波に襲われたけが人たちが運び込まれ小野田さんたちは必死に対応に当たりました。
夜になってようやく家族の無事を確認します。
同じ病院のリハビリテーション科に所属し出張中だった夫の修一さんも翌日戻ってきました。
しかしその日福島第一原発1号機で水素爆発が起こります。
2日後には3号機でも爆発。
原発事故は深刻さを増していきます。
病院の院長はスタッフを集め「このままでは命の保証ができないので避難するか残るかはそれぞれの判断に任せる」と伝えました。
スタッフおよそ250人のうち150人ほどが避難を選びます。
小野田さんは子どもたちを修一さんに避難させてもらい自分は病院に残る事を決断します。
患者の多くはほかの病院へ移送されましたが病院には動けない患者がまだ200人以上いました。
その夜修一さんは福島市の体育館に避難を終えたあと子どもたちに話をします。
翌朝修一さんは娘の萌恵さんと病院に向かいます。
自分に会いに娘が危険を顧みず戻ってくる。
心が揺らいだ小野田さんは院長に相談します。
小野田さん夫婦と萌恵さんは空いていた病院の個室で暮らす事になります。
しかし小野田さん夫婦は仕事に追われ萌恵さんは一日中病室で一人きりでした。
小野田さんは娘をもう一度避難させる事にします。
萌恵さんも今度は反対する事なく迎えに来た親戚の車で病院を後にしました。
小野田さん夫婦はその後も病院に残り地元の人たちのために働き続けました。
2014/12/15(月) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「福島県南相馬市 小野田克子さん」[字]
南相馬市立総合病院の看護師長、小野田克子さんは原発事故の後、避難できない患者のため病院に残った。同じ病院に勤める夫の修一さんとともに地元の人々のために働き続けた
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した人々の「あの日」の証言。南相馬市立総合病院の看護師長、小野田克子さんは原発事故の後、避難できない患者のため病院に残った。同じ病院に勤める夫の修一さんとともに地元の人々のために働き続けた。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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