「ダウントン・アビー」の舞台 ハイクレア城の秘密 2014.12.14


やっぱり人のものはおいしく見えるのかな?次回もお楽しみに。
総合テレビで放送中の「ダウントン・アビー」。
英国貴族の世界を描いた大ヒットドラマです。
ドラマが撮影されているのはこの城。
今も本当の伯爵が暮らしている実在の城です。
本物ならではの重厚感がドラマの魅力を引き立たせています。
ドラマの設定は…伯爵夫妻と3人の娘の物語です。
ダウントンへようこそ。
伯爵のロバートは代々受け継がれてきた広大な領地と財産を守る事に心を砕いています。
我が財産は名家を築くために働いた者たちの所産なのだ。
私は管理者であって所有者ではない。
伯爵夫人のコーラはアメリカの大富豪の娘。
彼女の持参金が伯爵家の窮地を救いました。
おかげで所領の分割を防げた。
城では多くの使用人が働いています。
その全てを取りしきるのが…よき使用人はいついかなる時も誇りと品格の精神を持つ事を忘れてはいかん。
地下にあるちゅう房はいつも大忙し。
料理長のパットモアは大勢の人を使って伯爵家の食事を作ります。
持ってきな!ぐずぐずするんじゃないよ!行くぞ。
(鈴の音)始まりだ。
貧乏暇なしね。
使用人たちは厳しい序列の中で働いています。
使用人たちが繰り広げる人間模様もドラマの見どころです。
ドラマでは第一次世界大戦も描かれます。
戦地に赴くダウントンの人々。
負傷兵の療養所へと姿を変えた城。
戦争という時代の大きな渦の中で波乱に満ちた物語が展開されます。
城はそこに生きる人々の運命を見守り続けるのです。
ハイクレア城。
人気ドラマ「ダウントン・アビー」のロケ地として知られるイギリス貴族の大邸宅です。
300年にわたり王族や貴族著名人を迎え入れてきた荘厳な空間。
城には意外な歴史も刻まれています。
主は伯爵夫妻。
今も城に住み執事も働いています。
(エドワーズ)伝統を守ることが大切です。
失われるともう取り戻せません。
今も輝きを放つハイクレア城の舞台裏に迫ります。

(呼び鈴の音)ハイクレア城はロンドンから西およそ100kmに位置するイギリス有数の大邸宅です。
敷地はおよそ20平方km。
世界各国で人気のテレビドラマ「ダウントン・アビー」のロケ地として一躍有名になりました。
一歩中に入るとまるでドラマのセットに迷い込んだかのようです。
かつてイギリスでは貴族が財力を示し権勢を振るうために田園地帯に大邸宅を建てました。
ハイクレア城もその一つです。
現在の当主第8代カナーヴォン伯爵夫妻です。
カナーヴォン家は300年にわたってこの城に住み続けてきました。

(ジョージ・ハーバート)一族がこの土地の所有者になったのはチャールズ2世の時代17世紀後半のことです。
伯爵が爵位と城を相続したのは2001年のことです。
会計士だった妻は結婚後僅か2年で伯爵夫人となりました。
(エドワーズ)お帰りなさいませ。

(フィオナ・ハーバート)1997年に初めてここを訪れた時はただの招待客でした。
その後2年ほどつきあって結婚しました。
まさか自分が伯爵夫人になるとは夢にも思っていませんでした。
伯爵夫人を待ち受けていたのは大勢の使用人に囲まれた伝統的なイギリス貴族の暮らしでした。
ありがとう。
どうもありがとう。
この時間が大好きです。
紅茶とビスケットがあるだけで幸せ。
最も多い時には総勢60人の使用人が伯爵家に仕えていました。
今は20人前後の常勤スタッフが城を切り盛りしています。
私たちの役割は城を長期にわたって守る管理人といったところです。
城が今後も代々受け継がれていくためにね。
ハイクレア城の維持費は年間1億円以上。
ドラマ「ダウントン・アビー」で知名度が高まり城の維持費を賄うための貴重なチャンスが訪れました。
日々の生活費だけでなく城の維持費も自分たちで稼がなくてはなりません。
しかしそれだけの収入を得るのはなかなか大変です。
幸い「ダウントン・アビー」のおかげで広く知られるようになりさまざまなビジネスチャンスが生まれています。
城を訪れる観光客は年間6万人。
ドラマの熱狂的なファンです。
本物の伯爵夫妻が実際に住んでいることを知ると皆さん驚かれます。
城を訪ねていただけて私たちにとってもすばらしい経験です。
ドラマチックな物語の舞台として世界中の視聴者に親しまれているカナーヴォン家の城。
伯爵夫妻の友人でドラマの脚本家ジュリアン・フェローズはこの邸宅をイメージして脚本を書きました。
フェローズはそれぞれの部屋に意味を持たせました。
重厚感のある書斎はドラマの主人公グランサム伯爵が屋敷の運営について執事と話し合う重要な場面に登場します。
実際この部屋は第4代伯爵の時代に応接室として使われていました。
歴代の伯爵夫人たちが好んで使った部屋はまばゆいほどの美しさです。
現在は伯爵夫妻お気に入りの場所です。
とても心地のよい部屋です。
夕食の前にドレスアップをしてここで飲み物をいただいていると心が落ち着いてくつろぐことができます。
「ダウントン・アビー」の脚本家ジュリアン・フェローズご夫妻も滞在中はこちらでくつろいでおられます。
ドラマにもこの部屋がしばしば登場しますね。
伯爵夫人のコーラが先代の伯爵夫人バイオレットとここで向かい合って火花を散らすんです。
第3シーズンでは女優のシャーリー・マクレーンがこの部屋に登場します。
部屋にしつらえられた家具や調度品は一族の家宝として代々受け継がれてきました。
暖炉の上を飾る肖像画は初代カナーヴォン伯爵の子供たち。
そしてひときわ目を引くのが19世紀から伝わるピアノです。
なにしろ重くて運ぶのが大変でした。
専門の業者にお願いをしてやっとここに移動したのです。
1895年に作られたスタインウェイですばらしい音色です。
このピアノで私が何を弾けるのかと言えば正直簡単なものばかりです。
先祖たちはきっと難しい曲を弾いていたに違いありません。
部屋の風格のある趣こそがドラマを支えているのかもしれません。
内装はほぼ昔のままです。
この城は隅々まで美しく統一感があります。
カメラマンが工夫して撮影してくれたのでドラマでも実際と同じように美しく写っています。
外の塔からの眺めもきれいでした。
うれしいことですよ。
自宅がドラマの重要な部分を占めているんですからね。
時折見慣れないアングルから撮影された部屋が映ると「待てよ。
これはどこだ?」と思うんです。
更にドラマの演出に欠かせないのが歴史ある調度品の数々です。
棚を飾る書籍の中にはドラマの時代設定よりはるかに古い16世紀のものもあります。
150年前にオーク材で作られた大階段。
美しい装飾は1年がかりで施されました。
1631年に第3代伯爵がスペインから持ち帰った壁掛け。
歴代の当主の紋章も並べられています。
貴重な調度品は枚挙にいとまがありません。
今も時を刻む37台のアンティーク時計。
ナポレオンが使用した机。
それを見守るバロック調の天井画。
一族の肖像画はどれも世界に誇る名作ばかりです。
不吉な言い伝えも残されています。
初代カナーヴォン伯爵の祖母マーガレット・ソーヤーの肖像画。
移動すると一族に悲劇が起こるとされ300年間同じ場所に飾られてきました。
国王チャールズ1世。
世界的な画家ファン・ダイクの傑作です。
ドラマには決して登場しない部屋もあります。
伯爵家がプライベートで使う喫煙室です。
18世紀後半以降イギリスの邸宅には男性専用の喫煙室が設けられました。
タバコを吸いゲームに興じながら男同士の会話に花を咲かせたのです。
喫煙室は煙突がうまく機能せず部屋中に煙がこもっていたと言われています。
タバコと暖炉の煙でまさに「スモーキング・ルーム」煙の部屋でした。
この部屋の最大の魅力は何と言っても油絵です。
鮮やかな色彩で描かれた鳥や風景は見る者を圧倒します。
ヤン・ウェーニクスというオランダの画家の作品です。
部屋の一角に飾られた写真は現伯爵の祖父第6代カナーヴォン伯爵です。
社交界の中心的な存在でした。
2番目の妻は有名なダンサーティリー・ロッシュでした。
祖父は…この部屋を愛していました。
革張りのソファーに腰を掛けて多くの時間をここで過ごしていました。
ハイクレア城は1839年に改築されるまで目立つ建物ではありませんでした。
改築を任されたのはチャールズ・バリー。
ロンドンの国会議事堂を設計した建築家です。
バリーが採用したのは国会議事堂と同じゴシック・リバイバル様式でした。
支配階級の象徴にふさわしいデザインによって平凡な建物に堂々とした風格が与えられハイクレア城として生まれ変わったのです。
庭園も一新されました。
18世紀イギリスで最も有名な造園家ランスロット・ブラウンはそれまでの幾何学模様の庭園を取り壊し自然と調和した優美な景観を造り上げました。
庭園に更に加えられたのが「フォリー」と呼ばれる装飾的な建物です。
カナーヴォン家の先祖がヨーロッパの旅で見た古代の遺跡からヒントを得て設計されました。
私たちが今こうして庭園を楽しむことができるのは18世紀の先祖の卓越した審美眼のおかげです。
1737年に建てられた「天国の門」。
柱が印象的な「カラスの城」。
1743年のものです。
そして城の北西湖を見下ろす「女神ディアナの神殿」です。
広大な敷地の中には訪れる者を魅了する工夫が随所に施されています。
城に続く1.6kmの車道。
迎えてくれるのは初代伯爵が植えた56本のレバノンスギ。
樹齢300年の大木です。
菩提樹の並木道にさしかかってきました。
これらの大半は私の祖父が生まれた1899年に植えられたものです。
ご覧のように今も青々と茂っています。
長い歳月をかけて育まれた風景。
一方で失われつつある景観もあります。
上がり続ける維持費と税金のため広大な敷地を所有し続けることが年々難しくなっているのです。
多くの邸宅と同様我々も土地の一部を手放しました。
昔より少し狭くなりました。
時代の変化にさらされながらも守られてきたハイクレア城の暮らし。
その陰にはある人物の存在があります。
カナーヴォン家のお世話をする執事です。
昔であれば彼の呼び名は「ミスター・エドワーズ」ですが今では名前で「コリン」と呼ばれています。
(エドワーズ)常に身だしなみを整え品位を持ってお仕えするよう心がけています。
「ダウントン・アビー」で描かれた時代と比べると執事の役割は大きく変わりました。
昔はご主人様の身の回りのお世話がほとんどでしたからね。
今は昔と比べようもありません。
あの時代が羨ましいですよ。
現在執事の仕事は多岐にわたります。
夏場は城の見学者用のチケット売り場でも働いています。
それでも執事が家の伝統を守る重要な存在であることに変わりはありません。
(エドワーズ)食器の配置は数百年間変わっていません。
何か1つでも位置を変えると正しい形でなくなります。
伝統を守ることが大切です。
失われるともう取り戻せません。
エドワーズにとって執事の仕事は人生そのものです。
真摯な姿勢は自宅でも同じです。
(エドワーズ)ええ。
我が家でも…朝は同じようにしています。
妻は料理私は食卓担当です。
エドワーズは「ダウントン・アビー」に登場する執事をどう評価しているのでしょうか?食卓を準備する様子から見て大変飲み込みの早い有能な執事です。
私でしたら彼を雇うでしょう。
ドラマと同様エドワーズもそうそうたる客人を迎えてきました。
(エドワーズ)女王陛下やエジンバラ公はよくお越しになります。
有名な映画スターもいらっしゃいます。
しかしどのお客様に対しても同じように接しております。
イギリス貴族の序列の中で伯爵は高い地位にあります。
序列が高いほど王室の訪問を受ける機会も増えます。
つまりいつ女王が訪れてもいいように屋敷を整えておく必要があります。
暖炉19基。
窓は1階と2階だけで386枚。
大階段は4か所にあります。
掃除だけでも大変な労力です。
356個のクリスタルで出来たシャンデリア。
磨くのに2日かかります。
かつては多くの使用人が伯爵家のために働いていました。
メイド執事従者下僕庭師門番厩舎番がそれぞれの持ち場で仕事をし城全体を規則正しく動かしていました。
規律は厳しく掟を破る者は容赦なく罰せられました。
主の睡眠を妨げないように気を配りながら掃除は明け方に済まさなくてはなりませんでした。
仕事は全て手作業です。
姿を見られたり声を聞かれたりすることも許されませんでした。
ハイクレア城に電気が引かれたのは19世紀電気が発明されて間もない頃でした。
大邸宅にふさわしい最先端の技術が取り入れられました。
こちらは「呼び鈴ボード」という装置です。
上の階の各部屋には呼び出しブザーが設置されています。
部屋でブザーを押しますとボードのランプがつきどの部屋で押したのかが一目で分かるのです。
装置のおかげで使用人たちは上の階の様子を見て回る必要がなくなりました。
しかし呼び出しに素早く応えなくてはならず決して楽になったわけではありませんでした。
当時の先端を行く設備は他にもあります。
城の塔の最上階にある独身のメイド専用の部屋。
若い男性は立ち入りを禁止され今も見学者には非公開です。
3人のメイドが暮らしていた部屋。
呼び鈴はここでも鳴り響きました。
高い場所にあるこの部屋に用意された先端の設備は火事の際窓から避難するための脱出シュートです。
ケガを防ぐためメイドたちは腕を体に付けて滑り降りるよう指導されました。
城の管理に当たるスタッフは屋外にも常駐しています。
この一帯は中世の時代からシカの生息地でした。
敷地の植物を守るには個体数の管理が必要となります。

(ロバート・ホーカー)「シカを狙う男」と呼ばれています。
まさにそのとおりです。
ホーカーが父親の後を継ぎハイクレア城で働くようになったのは7年前。
親子代々この仕事に就いてきました。
生態系を守るため時にはつらい選択をしなくてはなりません。
(ホーカー)シカは本当に美しい生き物です。
私の仕事は群れの繁栄を確かなものにすることです。
仕事をするうえでいつも心に留めていること。
それは常に良心の呵責を感じなければならないことです。
あああそこにウサギがいる。
雨で出てきたな。
自分の行為に良心の呵責を感じなければただの殺戮になってしまいます。
愛らしい動物の命を奪っているんですから謙虚にならなければ…。
シカにとって幸いなことにこの日銃声は鳴り響きませんでした。
日の出とともに慌ただしく動き出す人たちがいます。
「ゲームキーパー」と呼ばれる猟場の管理者です。
一日の最初の仕事はキジに餌をやることです。
主任のエディ・ヒューズは猟場を知り尽くすベテランです。
(エディ・ヒューズ)働き始めたのは1957年。
当時はまだ14歳でした。
以来ハイクレア城一筋です。
主な仕事は狩猟の獲物となるキジを飼育することです。
1900年代初め貴族にとって狩猟は最大の娯楽であり富を誇示する社交の場でもありました。
ハイクレア城で行われた狩りの大会は特に盛大でした。
休憩室には城の黄金時代を物語る写真が保存されています。
(ヒューズ)昔狩りは私的なものでした。
伯爵は学生時代のご友人をお招きして冬の間ずっと狩りを楽しんでおられました。
1890年代には当時皇太子だったエドワード7世がその数年後にはインドの王子が城を訪れ狩猟を楽しみました。
(ヒューズ)これは装填係を従えた皇太子のお姿で1904年ごろの写真です。
45分間で1,600羽のキジをしとめられたそうです。
その後狩猟は下火になります。
経費がかかりすぎて今の時代はとても無理です。
城では今ビジネスの一環として狩猟を開催しています。
やってくるのは主に裕福な実業家です。
(ヒューズ)おはようトム。
(トム)おはようございます。
猟場の管理者のトレードマークは風景に溶け込むようデザインされた分厚いツイードのスーツです。
狩猟には欠かせない伝統の1つです。
キジを手に向かうのは厨房です。
厨房は城の地下にあります。
伯爵夫妻の食事はもちろん城を借りて行われる結婚式やパーティー用の食事も担当します。
これも最近考案された城の新しいビジネスの1つです。
かつて厨房には5人の料理人のほかキッチンメイド洗い場担当メイドそして食料品を管理するメイドが働いていました。
現在は常勤の料理長と副料理長の2人だけです。
おはようポール。
(料理長)おはようございます。
キジを持ってきた。
ありがとうございます。
いいキジですね。
よろしく。
キジはキノコリゾットに使われます。
ハイクレア城に100年以上前から伝わる伝統の一品です。
城では100年前からキジやシカをよく使っていたようです。
敷地内にいますからね。
簡単に手に入ります。
今でも毎年狩猟が解禁されると使うようにしています。
当時は骨付きで出していたようです。
肉のうまみを生かすには一番よい調理法です。
100年前イギリスの料理界は活気に満ちていました。
珍しいスパイスを使った異国風の料理や12皿からなるフルコースが誕生。
貴族たちは世界中から優秀な料理人と贅沢な食材を集めました。
リゾットは1574年イタリア・ミラノを訪れたシェフがほれ込み料理人を連れて帰ったのが始まりです。
ハイクレア城で最も人気が高いのがチキンカレー。
第5代伯爵がスリランカから連れて帰ったシェフのレシピによるものです。
20人規模のパーティーで食事にかかる費用は当時のメイドの年収のおよそ2倍でした。
好景気が続き社交界が活気づく中ハイクレア城も華やかさを増していきます。
1895年12月。
当時皇太子だったエドワード7世がハイクレア城を訪問。
この城で最も豪華な週末を過ごしています。
3日間の滞在中もてなしには贅の限りが尽くされました。
ディナーのコースは全12品。
キャビアトリュフヤマシギヤマウズラウズラ牡蠣ライチョウビーフチキンそして南国のパイナップルです。
皇太子が泊まる部屋には真っ赤な絹の壁紙とフランス製の家具が新調されました。
3日間の滞在にかかった費用は現在の価値にしておよそ6,000万円に上ると言われています。
(料理長)大丈夫か?100年前はイギリスのどの邸宅でも最上級のおもてなしをするのが当たり前でした。
料理にロブスターやシカ肉など常に最高の食材を使っていました。
今はコストを意識しなくてはなりません。
赤字を出してはいけませんからね。
それでもご一家は毎日おいしい物を召し上がっていますよ。
現伯爵夫人も料理にはかなりのこだわりを持っています。
「アップル・シャルロット」というリンゴを使ったケーキの作り方についてご意見をいただきました。
私のレシピは夫人が慣れ親しんできた味とは違ったようで今新しいレシピを考案中です。
19世紀が終わりに近づく頃ハイクレア城は300年にわたる歴史の中で最も波乱に富んだ時代を迎えます。
現伯爵の曽祖父第5代カナーヴォン伯爵の時代です。
土地以外の資産を持たなかった伯爵は当時莫大な借金を抱え破産の危機に直面していました。
伯爵を救ったのは10代だったアルミナ・ウムウェルとの結婚でした。
銀行王アルフレッド・ド・ロスチャイルドの娘です。
アルミナはハイクレア城に栄光をもたらしました。
「ダウントン・アビー」に登場する伯爵夫人のコーラと違ってアルミナは相続した遺産を自由に使うことができました。
つまりとてつもないお金持ちだったわけです。
結婚に際し父親のロスチャイルド氏は伯爵家の借金20万ドルを肩代わりし更に娘に80万ドルの持参金を持たせました。
アルミナの莫大な資産がハイクレア城の窮地を救いました。
壁紙に使われているのはシルクの布で100年前ロスチャイルド氏が娘のために贈ったものです。
たっぷりあって壁だけでなくカーテンも仕立てることができました。
これだけでも当時は大変な価値でした。
アルミナはその後も最上級の暮らしを追い求めました。
身長は150cmほどでほっそりした体格でしたがいつも最高級のドレスと宝石を身に着けていました。
財産と地位の両方を手に入れたアルミナは社交界の華として注目を集めました。
アルミナが主催するパーティーにはいつも大勢の人が集まりました。
ここはどの屋敷よりも早く電気を引いていたので人々は明け方まで踊り明かしました。
カナーヴォン伯爵は挨拶を済ませるとすぐに部屋に引き上げていたそうです。
1人で本でも読んでいたのでしょう。
実際カナーヴォン伯爵はある壮大な事業に取り組んでいました。
古代エジプトのファラオツタンカーメン王の墓の発掘調査です。
第5代カナーヴォン伯爵こそが考古学史上最大の発見を資金面で支えた人物なのです。
伯爵がこの事業に情熱を傾けるようになったのはその数年前に起きた自動車事故がきっかけでした。
曽祖父は自動車の技術やデザインの魅力に取りつかれていました。
自動車がまだ珍しい頃いち早く輸入を手がけた1人ですからね。
むやみに飛ばしていたのでしょう。
事故を起こしたのは一度や二度のことではありません。
とうとうドイツで車が横転する大事故に遭い大ケガをしました。
曽祖母のアルミナが付きっきりで看病したようです。
ケガから回復はしたものの健康は大きく損なわれました。
湿気が多く気温の低いイングランドを離れ温かい所で静養するよう言われました。
曽祖父が選んだのがエジプトでした。
エジプトで伯爵の運命は大きく動き始めます。
ハイクレア城の地下室にはツタンカーメン王の墓から出土した埋葬品のレプリカが展示されています。
現伯爵が曽祖父の偉業をたたえて展示したものです。
中でもひときわ目を引くのが世界的に有名なツタンカーメン王の黄金のマスクです。
曽祖父は古代遺跡の虜になっていました。
そしてまだ発見されていなかったファラオの墓を自ら発掘するという壮大な夢を抱いていたのです。
伯爵は考古学者ハワード・カーターの発掘調査に妻が持参した財産を投じることにしました。
それから数年。
莫大な資金を投入した末ついに歴史的大発見の時が訪れます。
1922年11月のことです。
ついに作業員の1人が王の墓に続く階段を発見したのです。
伯爵はハワード・カーターが墓の入り口に穴を開ける瞬間に立ち会いました。
「何か見えるかね?」と尋ねる伯爵にカーターは後に有名になる言葉を返します。
「ええすばらしい光景です」。
これは考古学史上最も偉大な発見とされました。
ニュースは世界を駆け巡りハイクレア城の名は一躍有名になりました。
ちょうどニュース映画が誕生した時代で曽祖父とハイクレア城の名前が世界中に配信されました。
反響は大きく曽祖父へのインタビューが殺到したそうです。
しかしこの偉業のさなか悲劇が起こります。
伯爵がナイル川の河畔で休養中敗血症を患い帰らぬ人となってしまったのです。
偉大な発見から僅か4か月後のことでした。
世界中の新聞が伯爵の死をファラオの呪いによるものだと書き立てました。
奇妙な偶然が騒ぎを更に大きくします。
伯爵が亡くなったちょうど同じ時刻ハイクレア城で留守番をしていた愛犬が遠吠えをして急死したのです。
人々を震撼させた伯爵の死。
それから60年以上たった1988年意外な真実が明らかになります。
墓から出土した埋葬品の一部がハイクレア城に隠されていたのです。
ご覧のように喫煙室と応接室をつなぐ壁の中に隠し戸棚が設けられていました。
こんな所に棚があるとは60年間誰も気付きませんでした。
唯一このことを知っていたのは祖父の時代の執事ロバート・テイラーでした。
祖父の死後父がテイラーに協力してもらい城の調度品の目録を作っていた時のことです。
作業を終えた頃テイラーが言いました。
「まだエジプトの財宝がございます」と。
そしてテイラーは半信半疑の父をここに立たせ目の前で壁を開けてみせたのです。
曽祖父がエジプトから持ち帰った財宝の大半は彼の死後ニューヨークのメトロポリタン美術館に送られました。
ですが一部はこの壁の中に隠されていたのです。
カイロの地図が描かれたタバコのケースや古代の宝石箱紀元前1500年ごろハトシェプスト女王の時代の化粧道具などが次々と出てきました。
屋敷の思わぬ場所に隠されていた秘密の品々は3,000年前の古代エジプトと私たち一族との結びつきを示すものです。
しかし皮肉なことに第5代伯爵の命はその結びつきが原因で奪われてしまいました。
今向かっているのは曽祖父の墓です。
大昔の鉄器時代要塞として使われた「ビリコン・ヒル」と呼ばれる丘の上に埋葬されています。
標高240mの高台で周囲を見渡す事のできるすばらしい場所です。
第5代伯爵のなきがらはハイクレア城の敷地を一望できる場所に埋葬されました。
こちらが曽祖父第5代カナーヴォン伯爵の墓です。
生涯型破りで冒険家精神にあふれた曽祖父はハイクレア城を見下ろすこの丘に埋葬されることを望んでいました。
自らが発見したツタンカーメン王と同じように「人里離れた静かな場所に埋葬されたい」と考えたのかもしれません。
ここに立つたびに曽祖父をはじめ先祖が成し遂げてきたことの大きさを思い胸が熱くなります。
古代遺跡に命を燃やした第5代伯爵。
カナーヴォン家の名を歴史に刻んだその偉業は今後も色あせることなく語り継がれていくことでしょう。
一方妻アルミナも重大な社会的使命を果たしていました。
1914年8月4日。
第一次世界大戦開戦。
ヨーロッパは瞬く間に戦火に覆われました。
多くの人が動員され前線に送られました。
ハイクレア城を守る伯爵家と使用人たちの暮らしも一変します。
城からは75人が出征。
若い使用人が次々と城を去っていきました。
当時の戦争は騎馬隊が中心でしたから最初は乗馬ができる馬の世話係が徴兵されました。
日頃から銃を扱っていた猟場の管理者たちは機関銃部隊に配属されました。
ハイクレア城で代々庭師を務めたディグウィード家の長男も2人の同僚と共に戦場に向かいました。
主任のポープは屋敷に残り食料の栽培に当たりました。
伯爵夫人アルミナはそれまでの贅沢な暮らしを封印し負傷兵の看護を買って出ました。
アルミナは屋敷を病院に変えました。
アルミナは医師団を組織し看護師30人を雇いました。
ハイクレア城は数百人の患者を収容する病院に生まれ変わりました。
病室を少しでも快適にするため南向きの窓にはひさしが設置されました。
命懸けで戦いようやく城にたどりついた負傷兵たちをアルミナは自ら出迎えました。
最初に受け入れた負傷兵は30数人。
開戦から1か月後のことです。
負傷兵がやってくるにつれて前線の過酷な状況が明らかになっていきました。
ケガの多くは爆弾の破片や銃弾による骨の損傷でした。
アルミナはこの事態に対応するため屋敷の1室を手術室に作り替えます。
ここはお客様用にしつらえた「アランデル・ルーム」で私も大好きな部屋です。
第一次世界大戦中アルミナの指示で手術室として使われました。
この部屋が選ばれたのはスタッフが出入りする階段に近かったからでしょう。
毎週月曜日外科医がロンドンから列車でやってきて手術が行われました。
患者は戦場で負傷し大陸から戻ってきた兵士たちでした。
ケガだけでなく壊疽を起こしたり赤痢にかかっている患者もいました。
アルミナはすさまじい症例にいくつも直面したのです。
アルミナは兵士たちが快適に過ごせるよう出費を惜しみませんでした。
食卓には銀食器が使われ書斎は娯楽の場として開放されました。
ハイクレア城は負傷兵にとって安らげる場所でした。
アルミナのもとには数百通に上る手紙が兵士たちから届きました。
(手紙)「伯爵夫人の温かいお心遣いを生涯忘れることはありません。
城に到着したとき私は身も心も傷つき絶望の中にありました。
夫人はそんな私に一晩中付き添い看病して下さいました。
とても癒やされました。
心から感謝申し上げます」。
「体が回復した喜びは言葉で表せないほどです。
夫人に対する感謝の気持ちでいっぱいです」。
中には戦争で右手を失い左手で文字を書く練習をして手紙を送ってきてくださった方もいます。
読んでいて心を打たれます。
アルミナは偉大な女性でした。
大変な資産家でしたがそうでなくても彼女は人のために働いたことでしょう。
物事を大きく動かし努力を惜しまない尊敬すべき人でした。
城の名声は先祖たちの努力に支えられているのだと改めて思います。
戦争は想像を絶する傷痕を残しました。
兵士2人に1人が死傷。
もしくは行方不明になりました。
ハイクレア城から出征した兵士75人のうち13人が帰らぬ人となりました。
庭師のジョージ・ディグウィードは同僚と共に捕虜となり収容所で死亡しました。
もう一人の庭師は戦死しました。
第一次世界大戦後イギリス社会は大きく変化し新たな時代を迎えようとしていました。
労働者たちは支配されることを嫌い社会的平等を求めるようになりました。
戦争でイギリス経済は破綻。
新たに導入された税制は長い間優遇されてきた貴族や地主を直撃します。
戦争のあとイギリス政府は税率を引き上げました。
それまで税金の事など考えた事がなかった貴族や地主たちは慌てて財産を切り崩したり邸宅を手放したりしたのです。
人々は資金繰りに必死でした。
当時世界の資本はアメリカに集まっていましたから美術品をアメリカに売って売り上げを税金に充てていました。
土地から得られる収入は無いも同然でそれ以外の方法が無かったのです。
使用人の人件費も大きな負担でした。
また若い世代がより刺激的な仕事を求めて都市部に流れていったため使用人のなり手が見つからず貴族たちは次々と大邸宅を手放していきました。
(爆破解体される音)1950年以降多くの大邸宅が取り壊されました。
しかしハイクレア城は危機を乗り越えました。
カナーヴォン伯爵は城をより良い状態で次の世代に引き継ぐことを自らの使命としています。
ドラマのグランサム伯爵のセリフのとおり成り行きに任せて一族を没落させるわけにはいきません。
当主として私には重大な責任があります。
グランサム伯爵の言葉は私の心境そのものなのです。
ドラマの成功のおかげで建物の補修には思い切った予算をかけられるようになりました。
伯爵は早速吹き抜けの天井や大広間の補修に取りかかりました。
屋根の修理には既に数十万ポンドをかけました。
でもやらなければ今頃ここは雨漏りで水浸しだったでしょう。
城の手入れには終わりがありません。
常にどこか修理しているよね。
ええ。
こういう暮らしも楽しいものです。
屋根や壁は一番大事な場所ですから補修に手を抜くことはできません。
手入れを要するのは建物の中だけではありません。
伯爵は庭の全てのフォリーの改修を終えたばかりです。
フォリーや屋敷の補修に努めるのは長く維持したいためです。
決して急場しのぎの修理ではありません。
長期的に維持費を賄うためには伝統を売りにした城のビジネスが年々重要さを増しています。
広大な農地の利用もその一つです。
ハイクレア城の敷地は20平方kmありますがその大半はご覧のような草地か森林です。
耕作に適した土地は8平方kmほどです。
そこでは今も小麦や大麦オーツ麦などを作っています。
ヒツジも飼育しています。
メスが1,600頭。
子ヒツジを加えると更に多くなります。
牧草地は6平方kmですから土地の規模にしては多い方ですね。
農場の運営は一族の大切な収入源として代々受け継がれてきました。
最近では新たに開発された商品が売り上げを伸ばしています。
上質のオーツ麦を使った競争馬のための飼料です。
女王も顧客の1人です。
古くから伝わる伯爵家の厩舎。
現在いるのは伯爵夫人の愛馬6頭です。
アルミナの時代には大勢が働いていました。
厩舎番に助手御者馬丁雑用係といった人々です。
現在は厩舎番が1人いるだけです。
(厩舎番)怖がらないで。
大丈夫よ。
馬は優しい動物です。
車が発明されるずっと前から人間が移動することを助けてくれていました。
私たちは長い間彼らの背に乗って大地を駆け巡ってきたのです。
私も馬の背に乗って林の中を走っていると自然と笑顔になれるんです。
自動車が普及するまではおよそ60頭の馬が飼育されていました。
第5代伯爵は競走馬の繁殖も手がけていました。
今愛馬を走らせるのは伯爵夫人の大切な日課です。
馬に乗って庭園を走るのが何よりも好きです。
振り返れば美しい城の景観が広がっています。
ここはまさに馬に乗る人のために造られた場所。
本当に心が安らぎます。
この風景に囲まれているとまるで違う世界にいるような感覚に陥ります。
主の責任とは城を守り後世に引き継いでいくことです。
補修計画は山場を越えて何とか終了のメドが立ってきました。
私は生きている間に自分の務めを果たしたいと思っています。
息子に代を譲るとき「あとはお前に任せる。
150年間してこなかった城の修理は全て済んでいる」と言えるようにね。
ハイクレア城を今後も変わらぬ形で後世に託すこと。
それが伯爵夫妻の願いです。
夫を支えこの城を次の世代に引き継ぐことが私の役目です。
家や庭園を手入れし私たちが受け継いだ時よりも更によい状態で次の世代に残したいと願っています。
ドラマ「ダウントン・アビー」によって新たな名声を得たハイクレア城。
歴史と伝統に彩られたこの城はこれからも輝き続けていくことでしょう。
2014/12/14(日) 16:00〜16:55
NHK総合1・神戸
「ダウントン・アビー」の舞台 ハイクレア城の秘密[二][字]

総合テレビで毎週(日)放送のドラマ「ダウントン・アビー」のロケ地として一躍人気観光地となったハイクレア城。今もなお、英国貴族が暮らすこの城の歴史と現在を描く。

詳細情報
番組内容
ドラマ「ダウントン・アビー」のロケ地として注目を浴びるハイクレア城。ロンドンの西方にあるこの城は、カナーヴォン伯爵家によって代々守られてきた。現在は第8代伯爵夫妻のもと、執事など20人ほどのスタッフが城と広大な領地を維持している。その歴史をひもとくと、第一次大戦中に城が病院として使われていたというドラマをほうふつとさせるエピソードや、エジプト王・ツタンカーメンとの縁など知られざる真実が明らかに!
出演者
【声】北田理道,水内清光,さとうあい,【語り】佐藤拓也

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドラマ – 海外ドラマ
趣味/教育 – 旅・釣り・アウトドア

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
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英語
サンプリングレート : 48kHz

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