日曜美術館「革新の極意〜古田織部400年の時を超えて〜」 2014.12.14


波打つように歪んだ茶碗。
抽象画を思わせる不思議な模様。
激動の桃山時代一世を風靡した「織部好み」と呼ばれる器です。
仕掛け人は古田織部。
戦国の武将でありながら天下一の茶人。
茶の湯の巨人千利休の教えを受け常識を覆す革新的な器を生み出しました。
大きなひび割れをも名品の味わいに変えてしまう破格の美意識。
飽く事のない探求は海を越えて朝鮮半島にまで及んでいたのではないか。
韓国の歴史ある焼き物の里を訪ねその可能性を探ります。
織部はこの窯の高い技術を知ってここで作らせたのではないか。
朝鮮半島で焼かれ最高傑作ともいわれる白い器。
その造形には知られざる模索の跡がかいま見えます。
古田織部。
新たな美を生み出すその極意とは?茶道具を中心とした古美術のコレクションで知られています。
紅葉も…これからまた深まっていく感じですかね。
そうですね。
色づいてきてますね。
わ〜美しい。
緑豊かな庭園に佇む茶室。
今日はこの場所から天下一の茶人の物語をお届けします。
「日曜美術館」です。
今日は古田織部です。
戦国武将でありながら千利休のあとを継いでまさに茶の湯の頂点を極めた人物です。
今ちょうど亡くなって400年という事で改めて注目されてますよね。
ええ。
何と言っても「織部焼」ですよね。
自由奔放な奇抜な形をたくさんこしらえていった古田織部今日は迫ってみたいなって思いますね。
まずはその織部の世界をじっくりとご覧下さい。
古田織部の菩提寺…今年5月織部の四百回忌法要の茶会が開かれました。
(読経)織部とゆかりの深い家元が織部が好んだ道具で茶をたてました。
今なお圧倒的な存在感で織部は茶の湯の世界に君臨しています。
古田織部は信長秀吉家康という3人の天下人に仕えた武将です。
謀反の罪で家康から切腹を命じられお家断絶となったため生涯は多くの謎に包まれています。
しかしその名を永遠にとどめるものがあります。
織部が好んで使ったとされる「織部焼」。
ユニークな形に鮮やかな緑の釉薬。
不思議な模様の絵付け。
日本の焼き物に盛んに絵が描かれるようになったのは織部焼からだと言われています。
焼き物には普通産地の名前が付けられます。
人物の名が付いた例は他になくまさに異色の存在です。
織部が生まれた岐阜県美濃地方。
この地に織部の痕跡をたどります。
静かな田園地帯にある無人駅。
その名も「織部」。
小高い山の上にあった山口城。
織部は1544年城主の弟の子として生まれ後に家督を継ぎました。
眼下に広がる濃尾平野。
天下取りを夢み京を目指した武将たちが戦を繰り広げた場所です。
桃山時代この地方は国内有数の焼き物の産地でもありました。
丘の斜面に築かれた窯跡。
長さ24mに及ぶ巨大な登り窯の跡です。
当時最先端の技術を導入し大量の焼き物が作られていました。
昭和の初め元屋敷窯の発掘調査が行われ重要な発見がありました。
それはこの収蔵庫の半分以上を占めています。
織部焼の陶片です。
ユニークな形と絵付けが施された器。
明確な資料は残されていませんが織部が注文し焼かせたのではないかと考えられています。
(長瀬)茶の湯のリーダー的な存在の方がプロデュースしなければこれだけ斬新な焼き物というのは誕生しなかったんではないかなと思われます。
ですからそういった意味でもまさに古田織部が利休亡きあと天下一の宗匠として大ブレークする背景をもとにこの焼き物が誕生したと思われます。
織部焼は都をはじめ各地に送られ茶の湯の世界の大きな潮流となっていきました。
織部は独自の審美眼をどのように開花させたのか。
そこにはある大茶人との出会いがありました。
織部より20歳年上の利休は一切の華美を排した「わび茶」を極めました。
利休が考案し愛用した茶碗です。
「茶道とはただ湯を沸かし茶をたてて飲む事に尽きる」。
研ぎ澄まされた静寂の世界。
織部は40代の頃茶会で利休と出会いました。
門人となって直接教えを請いやがて一番弟子と認められる存在になりました。
そして見いだした美の形。
織部が自ら作ったと伝えられる茶碗です。
高台には織部の花押サインが記されています。
口の部分は波打つように歪んでいます。
神官の履く沓に似ている事から「沓茶碗」と呼ばれ織部の代名詞となりました。
美濃の元屋敷窯からは沓茶碗の破片が大量に見つかっています。
その多くが意図的に壊され捨てられたもの。
復元すると沓茶碗らしい造形が現れます。
それでも陶工たちにとっては紛れもない失敗作でした。
(長瀬)一つ一つどれをとっても歪みが同じものはないんですね。
作っては捨て作っては捨て気に入らなかったものも大量にあると思います。
ですからそういった美濃の陶工の歪みへのこだわりみたいなものがこの沓茶碗を見ていますとすごく感じられます。
そういった意味でも沓茶碗というのは難しかったんではなかろうかと思います。
名品として今に伝わるこの沓茶碗。
それはただの歪みではなく織部の美意識にかなった歪みなのです。
桃山時代末期の慶長4年50代半ばの織部は茶会で初めて沓茶碗を披露しました。
その時織部が使った茶碗の印象を博多の豪商が書き残しています。
「ヒョウゲモノ」とはひょうきんな人物を表す言葉。
織部はそれまでの常識を打ち破ります。
そして美の追求は前衛の領域へ。
織部が愛蔵した井戸茶碗「須弥」。
十文字に走る亀裂。
なんと4つに割って漆でついだ跡です。
井戸茶碗とは朝鮮半島で焼かれ日本に渡った茶碗です。
素朴な風合いがわび茶にふさわしいと大名や茶人に珍重され大変高価な物でした。
その貴重な茶碗を織部は…。
茶碗が大きすぎるからと割って削り小さくしてつぎ合わせたというのです。
繕った朱の漆がモダンなアクセントになり新たな命が吹き込まれています。
織部にはこんな言葉もささやかれました。
「破袋」と呼ばれる水差。
いくつもの大きなひび。
首は縦に真っ二つ。
窯の火に耐えかねた満身創痍の水差を織部は手紙を添えて知人に贈りました。
手紙には「これほどのものは二度と出来ない。
大きなひび割れは一種の趣である」そう記しました。
存在感があったんだと思うんですよね。
そういう存在感というのは簡単に捨てるもんじゃないと。
美意識。
これは焼き物としてこんなものはなかなか出来ないぞという。
やっぱり人間が作った形と窯の中の火という自然の力とで出来上がった造形物を見た時にこんな迫力のあるものはないだろうと。
ここまでいけるぞという古田織部の独自の美意識。
見つけだすという感覚は鋭かったという事だと思うんですよね。
いや〜…とてつもない存在感でしたね。
形がもう目に焼き付いて離れないですね一度見ると。
今回のゲストはですね日本の陶磁器の研究家で織部焼についてお詳しい林屋晴三さんです。
どうぞよろしくお願いします。
どうぞよろしく。
今日はこのお茶室で実際にお茶をたてて頂きながらゆっくりお話を伺いたいと思っております。
楽しみにしております。
楽しみです。
よろしくお願いします。
今日は床の間にですね古田織部の好きだった13世紀の元時代のお坊さんの軸を掛けたんですね。
(井浦伊東)あ〜…。
草書体でね伸びやかな書体。
何か織部はこういうふうな字にしてもこういうものが好きだったんですね。
そういうふうなもので。
床脇に置きました香炉はいわゆる織部の青い薬のかかった。
これは恐らく織部が活躍した後半のものですね。
今日はまさに織部に囲まれながら織部のいろいろな源流に迫っていければいいなと。
そうですね。
僕なんかが織部焼を見るとですねやはり自由な形ととらわれてない絵付けなどを見て細かい事は知らずとも楽しい気持ちにさせられるという。
焼き物から林屋さんはどのような人物だったのかなという想像…。
織部の人間性を語るという事になるとなかなか歴史家といえども難しいんじゃないでしょうか。
家康から切腹を命ぜられて亡くなっちまうんですよ。
資料がほとんど残ってない。
残ってるものはこういう「織部好み」といわれてる一連のいろんなさまざまの道具が一番多いですね。
織部は非常に自由に楽しい道具を作る。
心が自由だと自由な造形へ入っていけるんですね。
そこからいろんなものが生まれてくるんですね。
だから装飾性にしても心が自由だから過去にない装飾的なもの。
それから過去にない茶碗の形を追求する。
型にとらわれない。
とらわれない。
そこが織部の良さでしょう。
やはり一段とこちら側にメッセージを発しているかのような沓茶碗が。
絵がね非常に自由なんです。
パターンから絵画性が出てきてるんです。
ご覧になりませんか?あっありがとうございます。
どうぞ自由に気楽に手に取って。
ああ…。
いわゆる沓形の典型的なものです。
まさにそうですね。
実際こうやって手にしてみてこの歪みが手のひらと指にヒタッとはまりますねしっかりと。
装飾性に富んでたとしても…。
これが織部の茶碗の良さ。
用を決して失っていない。
でもここまで引きつける力のある。
「ヒョウゲタ」って「面白い」っていう。
「ヒョウゲモノ也」ってあの言葉ねものすごく強いですね。
特にこの歪みやひずみがあるものは…。
歪みというものに非常に興味を持つんですねこの方。
やっぱり利休さんのこの歪んでない正角の美と申しますかねそういうものから離れて。
織部は利休さんの最高の弟子でありながら利休道具はほとんど否定したような非常に造形性の強い装飾的なものをどんどん作るでしょ。
利休さんの時代あれは全くなかったんですからね。
そこらがやっぱり織部たるゆえんですね。
ですよね。
利休とは正反対の美を追求した織部。
その真意を伝える資料が残っています。
利休の茶の教えを織部が書き写した百か条からなる巻物です。
茶道具はもとより茶人としての心構えなど一字一句忠実に写し取り師の教えを守ろうとする熱意があふれています。
利休は織部の類いまれな才能を早くから見抜き二人は親密な交流を重ねていきます。
しかしその関係は突然終わりを告げます。
利休が秀吉の怒りに触れ切腹を命じられたのです。
利休が亡くなる前親しい武将に送った手紙です。
京都を離れる時船着き場での光景をつづっています。
誰もが秀吉の目を恐れて別れをはばかる中利休をそっと見送る織部。
舟の上から弟子の姿を見つけた利休。
川を隔てて二人が交わす無言の会話でした。
形見となった茶杓です。
最後の茶会で利休が織部に与えたもの。
「泪」と名付けられています。
織部はその茶杓を小さな窓を開けた筒に入れ終生肌身離さず持っていたといいます。
織部はなぜそれほどまで利休を敬愛していたのか。
京都天王山の麓利休が残した茶室…小さな入口をくぐると僅か二畳の極小空間。
当時四畳半が主流だった茶室を大胆に半分にしました。
わらを練り込んだむき出しの土壁。
将軍や大名が豪華さを競ったそれまでの茶とは全く違う内省的な世界です。
その利休が説いた教えは…決まり事やしきたりにとらわれず革新を求めよ。
利休も己の思想を曲げず信じる道を貫き通しました。
織部は師の教えをどう受け止めたのか。
織部にゆかりの深い藪内流宗家。
ここに織部が考案した茶室があります。
茅葺き屋根が掛けられた…
(戸を開ける音)そこは利休とは対照的な世界。
広い空間に8つもある窓。
やがて主人が現れ織部のドラマティックな仕掛けが明らかになります。
柄杓の柄を落とす音を合図に…。
すだれが巻かれ一斉に光がさし込みます。
客人が目にするのは光に浮かび上がる織部の器。
織部は利休のスタイルに倣うのではなく遊び心があふれる弾むような美をつくりあげました。
桃山時代町衆が文化の担い手となりました。
派手な着物を着て無頼を働く「かぶき者」が流行。
その熱気を織部も敏感に感じ取っていたのかもしれません。
異国の文化が押し寄せたのもこの時代。
信長や秀吉が貿易を行い南蛮渡来の珍しい文物が次々ともたらされました。
これも織部焼。
南蛮人の姿をかたどったロウソク立て。
こちらは煙管。
料理を盛りつける向付。
大胆なVの字の模様。
織部は利休の教えを胸に生涯信じる美を追い求めました。
利休の言っていた「ならひのなきを極意とする」という。
それで地で行っているのは織部なんだなという。
(林屋)一番でしょうね。
見事に師匠である利休からどんどん遠くへ遠くへと飛んでいってるなと思うんですね。
でも利休のわびさびの世界が支点となってあるからこそ遠くへ飛んでいけてるのかもなと…。
全くそのとおりだと思いますね。
利休さんがいなかったら織部は生まれていないし存在していない。
織部の茶室として有名な「燕庵」ですね。
あれなんかはやっぱり利休居士のね「待庵」が下敷きにあってそれをより開放的にするのにはどうしたらいいかって織部は窓を8つも付けてるんです。
利休さんはああいう事しない。
徹底して違いますね。
燕庵のあの光の入り方すごいですよね。
ポンッていう…。
合図でサーッと光が入ってくる。
演出家ですよね。
ええ。
なんかこう織部が初めて飛び越えてくるようなものを利休の前に持ってきた時の利休の顔を想像したいですね。
どんな心中だったんでしょうね。
「織部はやったな」っていうふうに。
「よし」って思ったでしょうね。
本当に言える事は利休さんだけのお茶だったら桃山っていうのはそれほどね愉快な時代じゃないね。
織部があって二人全く対照的な人が同じ茶の湯という文化の中で自由に振る舞ったからとてもすばらしいものになって今日まで続いてるじゃないですか。
林屋さんが織部が所蔵していた特別な茶碗を持参してくれました。
江戸時代の中頃に1,200両という破格の値段で取り引きされたという伝説の逸品です。
(林屋)友人にお借りして皆さんに特別にお見せしようという事になって。
織部の世界から生まれた茶碗の中ではこれがやっぱりナンバー1。
わあ〜…。
は〜…。
これはやっぱり古田織部がね朝鮮半島の金海で焼かせたものだと思うんですがね。
ああそうですか…。
だから「古田高麗」と古田織部の高麗茶碗ってはっきりこれほど書いてる。
桃山時代からこういうきちっとした茶人がね小堀遠州が書いてそれを証明してる茶碗というのは他にないんです。
そうですか…。
色に驚かされますよね。
うわ〜!カットグラスのようにこういうふうになる。
面取りがされてるんですか。
すごい美しいですね。
「御所丸茶碗銘古田高麗」。
「御所丸」とは朝鮮との交易に使われた船の名前。
「高麗」は朝鮮で焼かれた茶碗の事です。
腰の部分には削ったような不思議な形。
白の微妙な濃淡と胴回りには帯のような模様。
僅かですが卵形の歪み。
一見静謐な姿の中に織部のこだわりがかいま見えます。
遠く朝鮮半島との間にどんな物語が秘められているのでしょうか。
織部と朝鮮半島をつなぐ手がかりは文禄元年。
秀吉の朝鮮出兵が始まり織部も九州・佐賀の名護屋城に出陣。
この地で一年を過ごす事になりました。
その中で織部が何らかのルートを通じて朝鮮半島の窯と接触を図ったのではないかと推測されています。
韓国釜山の西に位置する金海市。
稲穂が金の波のように見える事から「金海」という名が付けられました。
古くから朝鮮半島有数の焼き物の里として知られています。
かつて多くの焼き物が茶の道具として日本に渡りました。
陶芸家の安洪官さんが古い窯跡に案内してくれました。
安さんは日本の陶芸を研究する中で「古田高麗」の由来に深い関心を寄せています。
もし織部が注文したのだとしたら金海で焼かれた可能性が高いのではと考えています。
土の中から出てきたのは古い陶片。
どれもみな白ばかりです。
(安)とてもいい色をしていますね。
織部の茶碗の色や肌の質感によく似ていると思います。
この土の色はまさに「古田高麗」と同じじゃないかと思いますね。
金海の土は柔らかな乳白色が特徴です。
日本にはなく韓国でも金海でしか採れない貴重な土です。
安さんは織部が注文したとするならもう一つ理由があると言います。
この茶碗はとても薄く作られています。
これは高い技術を持った陶工がたくさんいた証拠です。
織部は日本へ渡った金海の茶碗を見て注文をする事にしたのかもしれません。
朝鮮半島で古くから焼かれてきた井戸茶碗。
高麗茶碗の一種で素朴な風合いが日本の茶人たちを魅了しました。
井戸茶碗を焼く陶芸家の林萬宰さん。
「古田高麗」は織部が細かく指示を出したのではと推測しています。
朝鮮の茶碗は端正な形に作られています。
それは手を加えない自然な形の美です。
「古田高麗」はそうしたものとは全く違っています。
デザイン的な要素が多いのです。
面取りを入れたり高台を変わった形にしたりとても手が込んでいます。
金海の窯で「古田高麗」を再現してもらいました。
金海の土に魅せられ40年この地で制作を続けている日本人陶芸家の…昔と同じ蹴ろくろを使い金海の土で再現します。
まずアンバランスがいいと言っていた口に触れる部分。
(清水)こういうふうにねつける。
これをねまっすぐ取ると駄目なんです。
極端なんですけどね。
次に胴回りにへらを当て…。
溝の上を少し膨らませて立体感を出します。
僅かに歪みを加えます。
最後は腰の部分。
この不思議な形です。
一日乾かした茶碗に削りを入れていきます。
無造作に面取りします。
だけど作る方は必死ですよね。
だから織部がそれを認めたっていう茶碗は文句の言いようがございませんね。
最初にちらっと見えた時にこの白い釉薬のせいであれ?これ織部かな?と思ったんですけどよく見るともう随所に織部好みというからしさというか…。
このへらの跡が…。
面取りしたカットグラスのようなところが。
面白いね。
ほんと面白いですね。
コピー的なものが何にもないオリジナリティーに非常に富んでる。
織部が仲のいい大名にね金海で作ってくれるように頼んだのか。
僕はどうもしかしそれじゃなくてねひそかに織部は渡ってんじゃないかと思ったりもしてるんです。
ここんとこなんか極めて作為なんだけど作為的ないやらしさがない。
これが非常に重要な事なんです。
やっぱり存在感があって品格があるという事。
これが名碗たるものの一つのあるべき姿だと思ってるんですよ。
「古田高麗」でお茶をたて織部の美を味わいます。
頂戴いたします。
(茶を飲み込む音)飲み心地いかがでした?唇の…触れた感じとても柔らか〜く感じました。
そうですか。
今日こういうかたちで実際に触らせて頂いてお茶も頂いて一つのお茶碗を作っていくにも古田織部の美に懸ける命懸けの美の探求というものはものすごい感じました。
そうですか。
そう思いますね。
芸術とはそういうものですけどこういう一碗の茶を飲む茶碗にそういうふうな思いをやったのは織部ですよ。
魂を込めたものはねいいね。
なんか命懸けでねやってる。
なまはんかな事じゃね生まれてきませんよ。
そしてやはり400年という年月をはるかに超えて圧倒的な…存在感にほんと今日は満たされましたよね。
そうですね。
本日本当にどうもありがとうございました。
どういたしまして。
ありがとうございました。
2014/12/14(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「革新の極意〜古田織部400年の時を超えて〜」[字]

戦国時代、千利休の後を継ぎ、天下一の茶人として名をはせた古田織部。自由奔放な織部焼き、独創的な茶室、朝鮮半島で焼かれたとされる茶碗などから革新的な美意識に迫る。

詳細情報
番組内容
戦国時代、茶の湯の世界に美の革命をもたらした古田織部。信長、秀吉、家康に仕え、千利休の後継者として名をはせた天下の茶人だ。その世界は、まさに自由奔放!「織部焼き」の名で伝わる茶碗は、大胆奇抜な絵付けがされ、ゆがみやひび割れにまで“美”を見出す。京都に伝わる茶室には驚きの光の演出が。そして、朝鮮半島で焼かれたと推測される名碗に注目。韓国の歴史ある窯を訪ね、謎の茶碗の秘密を探り、織部の美意識に迫る。
出演者
【出演】美術評論家・美術館館長…林屋晴三,【司会】井浦新,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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